ベージュのボール

文字数 1,207文字

 母には、バスケ部の1年生から避けられているとだけ告げた。

「なにか思い当たるようなきっかけはあったの?」

 母は心配のあまり抑えきれずに……といった面持ちで私に聞いた。

 冷静になればこんなとき、すぐにあれこれ聞かれたくないことは想像がつく。自分にとって辛いことを話したらまずはただ聞いてほしい、きっと母も頭ではわかっている。

 でも母は私と同じように、あるいは私以上に不安なのだ。

 そんな思いをさせて本当に申し訳ないと思う。だからこそ詳しいことは話せない。

「来週からは練習に行ってみようかな」

 母を安心させるために思ってもないことを言った。

「うん……。無理せずにね。辛いなら休めばいいから」

「うん」

 なんだか苦しくなって、私は自分の部屋のベッドにもぐった。

 夏休みが終わりに近づくと、母は私が登校できるかどうかが頭から離れないようだった。

「学校が始まったら行けそう?」

 さり気なさを装って1番聞きたいことを聞く。

「大丈夫。クラスには愛がいるし、バスケ部の子はいないから」

 母はほっとしたように台所仕事を続けた。

 本当にそう思っていた。夏休みだけ。部活だけ。それ以外はなにもなかったように生活できる。

 でも夏休みが終わっても、私は学校に行けなかった。

 母は学校に電話をかけて
「体調が悪いので欠席します」
 と伝えていた。

 このまま学校に行けないなんてことはないよね……?
 母と私が取り越し苦労に終わらせようとしていた不安は、重い事実となって私たちに伸しかかった。

 その夜、父が私の部屋に来て静かに聞いた。

「二葉、お母さんに話してないことがあるんじゃないか?」

 私は母に話していなかったラインのこと、そしてバッシュのことを話した。

「そんなに前から悩んでいたんだね。お父さんもお母さんも気づいてあげられなくてごめん」

 私は首を振った。

「心配かけたくないから話せなかった……」

 私は泣きながら言った。

「わかってる。わかってるよ」

 父は私の背中をさすりながら言った。

「学校に相談しないといけないね」

 私は泣きじゃくってなにも言えなかった。

 とうとう全てが事実になる、そう思った。

 なんとかしてなかったことにしようとしたけどダメだった。

「バスケはもう嫌い?」

 父が聞いた。

「大好き……」

 声を絞り出して答えた。

 部屋の壁にあるおもちゃのバスケットゴールに向かって、父がボールを投げた。
 布でできたベージュのバスケットボールは、ゴールを外れて床に転がった。

 幼いころ、父が買ってきてくれたこのおもちゃに私は夢中になった。父と何度も勝負した。

「じゃあ二葉の大好きなものを取り戻さなくちゃ」

 父は床に落ちたボールを拾い、もう一度ゴールに向かって投げた。

 今度はストン! とリングを通った。

 シュートを決めたボールを私に渡して、父は部屋を出て行った。

 手渡されたベージュのボールは父と私の約束なのだと、(てのひら)に乗ったそのボールを見ながら思った。
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