琥珀色の時間
文字数 1,487文字
中2の夏休みが明けても私は学校に行けなかった。
バスケ部の先輩はもう部活を引退したかな。先輩と一緒にバスケしたかったな……。
取り戻せない時間が砂時計の砂みたいに指の間からサラサラとこぼれ落ちていくようだった。こぼれ落ちた砂は集めても集めても床に広がって風に散ってしまうだけで二度と元には戻らない。
あと1年。中学校でバスケができる時間。私はこのまま、あの体育館に戻れないまま、中学を卒業するのだろうか。
そんなことを考えていると、母の声がした。
「二葉、おいしい紅茶をいただいたから一緒に飲まない?」
母は、私が学校に行けなくなってからパートの仕事をずいぶん減らした。月曜から金曜まで週に5回行っていた仕事を週2回にし、時間も短時間に減らしている。
あんなに楽しそうに仕事復帰を喜んでいたのに、私がこんなことになったことで邪魔をしてしまって申し訳なく思う。でも、母が私と居てくれることがうれしくもあった。どっちもほんとの気持ち。自分でもよくわからない。
リビングテーブルに置かれたグラスには、琥珀色の紅茶が窓から注ぐ光に揺れている。
カラン、と氷の音がする。
ストローでかき混ぜて飲むとほんのり甘くておいしかった。
「おいしい」
「ピーチティーだって。お友達にいただいたんだ」
「ふ〜ん……」
「そのお友達のお子さんもね、学校に行ってないんだって。小学生の男の子なんだけど、その子は家をふらっと出て行っちゃったりするみたい。とても心配しておられたわ……」
「じゃあ私はバスケサークル以外、家から出ないからまだ安心だね」
こんないやみのようなことを母に言えるようになったのは最近になってから。
「二葉、ごめんね」
「お母さん、二葉に期待を押し付け過ぎていたね……。ずっとがむしゃらに働いてきて、やっと結果が出るようになって職場でも認められて、これからっていう時に二葉がお腹にできて……。二葉を産んだ後、体調を崩して職場復帰が叶わなかった。その虚しさを二葉に押し付けていた。立派に育って私を満足させてって」
私は紅茶の氷を見ていた。
母はバスケをする私を一番応援してくれる人だった。母の中にそんな葛藤があったとしても、それは私にとって変わらない。母を喜ばせたい。母の喜ぶ顔が見たい。母と一緒に喜びたい。それは私を励ますことはあっても押しつぶすものではなかった。
「お母さん」
「はい」
「仕事の日、減らさなくていいよ」
「学校に行けるようになるかどうかわからないけど、私、大丈夫だから。私が学校に行けなくなって辛い時、一緒にいてくれてうれしかった。でもお母さんから仕事を奪ったみたいで辛かった。だから、お母さんの好きなことをしてほしい」
母は驚いていた。
「……ありがとう」
母にこんな本音を話したのは初めてだった。いつもどこか、母の望む私を演じていた。それが母の言う「期待」だったのだろうか。
「二葉」
「うん?」
アイスティーは氷が溶けて色が薄くなっていく。
「同じ辛さを知る人と話すのは、勇気をもらえるかもしれない」
「……」
「お母さんはこの紅茶をくれたお友達とお話ができてうれしかった。共感って勇気に変わるんだよ、きっと……」
「バスケサークルのすみれさんね、中学高校と不登校になってフリースクールと通信制を卒業したんだって」
初めて聞くことに驚いた。
あんなに溌剌としたすみれさんが……。
「だから二葉の話を聞いて、『ぜひサークルに連れてきて』って声をかけてくれたの」
「すみれさんと話をしてみたらどうかな」
私が学校に行けなくなってから母と私の間にあった小さな氷が、琥珀色の時間に溶けていくようだった。
バスケ部の先輩はもう部活を引退したかな。先輩と一緒にバスケしたかったな……。
取り戻せない時間が砂時計の砂みたいに指の間からサラサラとこぼれ落ちていくようだった。こぼれ落ちた砂は集めても集めても床に広がって風に散ってしまうだけで二度と元には戻らない。
あと1年。中学校でバスケができる時間。私はこのまま、あの体育館に戻れないまま、中学を卒業するのだろうか。
そんなことを考えていると、母の声がした。
「二葉、おいしい紅茶をいただいたから一緒に飲まない?」
母は、私が学校に行けなくなってからパートの仕事をずいぶん減らした。月曜から金曜まで週に5回行っていた仕事を週2回にし、時間も短時間に減らしている。
あんなに楽しそうに仕事復帰を喜んでいたのに、私がこんなことになったことで邪魔をしてしまって申し訳なく思う。でも、母が私と居てくれることがうれしくもあった。どっちもほんとの気持ち。自分でもよくわからない。
リビングテーブルに置かれたグラスには、琥珀色の紅茶が窓から注ぐ光に揺れている。
カラン、と氷の音がする。
ストローでかき混ぜて飲むとほんのり甘くておいしかった。
「おいしい」
「ピーチティーだって。お友達にいただいたんだ」
「ふ〜ん……」
「そのお友達のお子さんもね、学校に行ってないんだって。小学生の男の子なんだけど、その子は家をふらっと出て行っちゃったりするみたい。とても心配しておられたわ……」
「じゃあ私はバスケサークル以外、家から出ないからまだ安心だね」
こんないやみのようなことを母に言えるようになったのは最近になってから。
「二葉、ごめんね」
「お母さん、二葉に期待を押し付け過ぎていたね……。ずっとがむしゃらに働いてきて、やっと結果が出るようになって職場でも認められて、これからっていう時に二葉がお腹にできて……。二葉を産んだ後、体調を崩して職場復帰が叶わなかった。その虚しさを二葉に押し付けていた。立派に育って私を満足させてって」
私は紅茶の氷を見ていた。
母はバスケをする私を一番応援してくれる人だった。母の中にそんな葛藤があったとしても、それは私にとって変わらない。母を喜ばせたい。母の喜ぶ顔が見たい。母と一緒に喜びたい。それは私を励ますことはあっても押しつぶすものではなかった。
「お母さん」
「はい」
「仕事の日、減らさなくていいよ」
「学校に行けるようになるかどうかわからないけど、私、大丈夫だから。私が学校に行けなくなって辛い時、一緒にいてくれてうれしかった。でもお母さんから仕事を奪ったみたいで辛かった。だから、お母さんの好きなことをしてほしい」
母は驚いていた。
「……ありがとう」
母にこんな本音を話したのは初めてだった。いつもどこか、母の望む私を演じていた。それが母の言う「期待」だったのだろうか。
「二葉」
「うん?」
アイスティーは氷が溶けて色が薄くなっていく。
「同じ辛さを知る人と話すのは、勇気をもらえるかもしれない」
「……」
「お母さんはこの紅茶をくれたお友達とお話ができてうれしかった。共感って勇気に変わるんだよ、きっと……」
「バスケサークルのすみれさんね、中学高校と不登校になってフリースクールと通信制を卒業したんだって」
初めて聞くことに驚いた。
あんなに溌剌としたすみれさんが……。
「だから二葉の話を聞いて、『ぜひサークルに連れてきて』って声をかけてくれたの」
「すみれさんと話をしてみたらどうかな」
私が学校に行けなくなってから母と私の間にあった小さな氷が、琥珀色の時間に溶けていくようだった。