青いパーカー

文字数 1,469文字

 青いパーカーは、お気に入りだった。
 紺とはちがう、青。
 胸元に sky と白い糸で刺繍があって、それを羽織ると、大袈裟だけど空につつまれているような気持ちになった。

 そのパーカーを羽織り、デニムのパンツを履いて、スニーカーを履き、颯爽と歩くはずだった。

 それなのに私は、青空の下に出ることも、アスファルトを蹴って歩くこともできない。

 青いパーカーはハンガーにかかったまま、そんな私を見下ろしている。

二葉(ふたば)~、ラーメンできたよお。インスタントだけど美味しそうだよぉ」

 母が呼ぶ。

 呑気な声だった。

 いつものヒリヒリした声じゃ、なかった。

「伸びるから早くおいでぇ」

 無理に私を追い立てようとする声でもない気がした。

 もぐると決めていた布団からゆっくり起き出し、時計を見た。
 お昼の12時を過ぎている。
 もうこんな時間になっていたんだ。

 学校が始まる日、いつも母は私の様子をこわごわ伺っていた。
 今日こそ学校に行ってほしいというオーラを、隠しきれずにビンビン出しながら。

 夏休みが終わり、みんなは今日から学校に通っているだろう。
 母は、お昼になるまで私の様子を見に来ることもなく、呑気な声をしてお昼ごはんにラーメンを作っていた。

 いつも
「インスタントラーメンなんて栄養が……」
 とかなんとか言っていたくせに。

 ぷ〜んといい香りにつられて、私はハンガーから青いパーカーを取って羽織り、ダイニングに向かった。
 まだ暑いけど、飾るだけだったその服を、着たかった。
 真夏とはちがう、どこか切ないせみの声が聞こえた。

 どんぶりのラーメンの上には炒めた肉や野菜が美味しそうに乗っている。

「お母さんも食べよ〜っと」

 母はそう言って椅子に座り、テレビのリモコンをピッと押した。

 ごはん中にテレビを見てはいけません! とか言っていたくせに……。

「この男の子、すきだって言ってたよねえ」
 そう言われてテレビを見ると、私の「推し」が映っていた。
 お母さん、そんなことに興味あったっけ……。

「でもお母さんはこっちのほうがすき」
 そう言ってさっさとチャンネルを替える。
 働く人のお昼ごはんにスポットを当てる番組。

「お母さん、この人にファンレター送ったことあるんだよねえ……」

「?!」

「今の二葉ぐらい。中学生のころ」
 恥ずかしそうに、うれしそうに、言う母。
 そんなこと初めて聞いた。

 母が「この人」と指す人は、どうやらこの番組のナレーターをしている、中学生の私から見ても、すてきなおじさまのことらしい。

 ファンレターを出したって言った?!

 お母さんは私が生まれた時からお母さんで、その前にどんな人生があったかなんて考えたことなかった。

 でも、お母さんにも私と同じ中学生の頃があって……。友達とすきな人の話をしたり、推し活(昔もそんなふうに言ったのかな)したり、うれしいことも悲しいこともある女の子だったんだな……。

「青いパーカー、似合うね」

 母が私を見て言った。

 その言葉の裏に、他の意味はなにもない気がした。

 そんなすてきな服は外で着なきゃもったいないよ、とか、その服を着てお友達に会いに行かなきゃね、とか……。

 そんな言葉を込めずに、ただ母は、青いパーカーが私に似合っている、と言ってくれた気がした。

 季節外れのパーカーを羽織る私に。

 涙が出そうになるのをこらえて、具を口に入れ、ラーメンを啜った。

 あなたはあなたでいいよ。

 母がそう言ってくれた気がした。

 クーラーを入れずに窓を開けた部屋には、扇風機が回っている。
 首をゆっくり回しながら、扇風機は風を送っていた。
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