鈍色(にびいろ)の雲

文字数 2,403文字

 美夏と私は同じ小学校だけど、同じクラスになったことはなかった。でも〝矢部美夏さん〟のことは知っていた。生徒会にも名を連ねる女の子。美夏は大勢の前で話す時も堂々としていた。

 中学生になり、バスケ部に入部して友達になった。私とはタイプが違う美夏と仲良くなれるか心配だったけど、話してみると楽しくて、友達になれてうれしかった。
 私はそう思っていたけど美夏は違ったんだ。
 私のなにが美夏を怒らせたのだろう。美夏のようにキビキビと話せない私のことが苛立たしかったのだろうか。

 口ごもる佑衣に聞いた。

「美夏は私のなにが気に入らなかったの?」
「ちょっとバスケが上手いからってえらそうだって……」

 えらそうにしているつもりなんてこれっぽっちもなかったけど、私はミニバスケットボール経験者で、中学からバスケを始めた美夏たちの気持ちはわからない。気づかないうちに思いやりのない言動をしていたのかもしれない。

「でも……」

 しばらく黙ってから佑衣が言った。

「本当はそんな理由じゃなかった。美夏はそんなことを言い出す前は、バスケが上手い二葉のことを本当にかっこいいって言ってたから……」

 美夏が私のこと……。
 私はハキハキと話す美夏をかっこいいと思っていた。自分の気持ちを明るく淀みなく言える美夏がうらやましかった。

「……嫉妬」

「……嫉妬?」

 文字でしか知らない言葉が出てくることに、なぜか心は冷めていく。

「美夏、園田のことが好きで……」

「1年の時、美夏と園田は同じクラスで、園田がすごくやさしいって。ラインでもやり取りするようになったってうれしそうに話してた」

「しばらくしたら園田の話をしなくなって、その頃から二葉のことを悪く言い始めて……」

「美夏が『二葉は園田に思わせぶりな態度を取りながら、彼女がいる森田にもちょっかいを出して男ったらしだ』って教室で悪口を言ってたらしくて」

 私が隼人にちょっかい……? 
 私の知らないところで私が勝手に動いているような話を、どう理解すればいいのかわからない。

「偶然その話を聞いた森田の彼女の野口さんが、美夏に『いい加減にしなよ』って。『浜口さんをいじめても園田はたぶん矢部さんのことを好きにならないよ』って。『それに私と隼人のことを心配してなんて矢部さんに頼んでない。余計なお世話』って」

「そう言われて美夏、泣いちゃったみたいで……」

「それいつのこと?」

「去年の夏休み前……」

「美夏、園田にラインで、二葉に好きな人がいるか聞かれたらしくて……。『二葉のことが好きだけど諦めた方がいいかな』って相談されたって……。園田は美夏の気持ちに気づいていたのかわからないけど、残酷だよね……。それで美夏は『二葉は彼氏がいる』って答えてしまったって……。そしたら園田は『まさか隼人?』って。『森田には野口さんっていう彼女がいるでしょ』って美夏が言ったら『隼人と二葉は幼馴染で仲がいいから、もしかしたらと思った』って」

 嫉妬とか残酷とか、私には全然わからない。そんなわからない話の中にどうして私が登場しているのかわからない。

「『浜口の彼氏って誰?』って園田に聞かれて『別の中学のバスケ部の男子』って言ってごまかしたって……」

「どうしてそんな嘘……」

「それだけ園田のことを好きだったんじゃないかな……。だからってそんな嘘、ダメだけど……」

「それから二葉に対する美夏の態度がひどくなった。なにもそこまでと思いながら止められなかった。ごめん……」

「……バッシュは……?」

「二葉と一緒に部活なんてしたくないから追い出そうって。バッシュをどこかに隠そうって……。とんでもないことだと思ったけどやめようって言えなかった」

「体育館の外にボールが出たことにして二葉に探しに行かせようって。その間にバッシュを隠せばいいって」

「ボールを探しに? あおいには、山﨑先生が職員室で呼んでるから行ってきてって言われた」

「うん……」

「『誰が二葉にボールを探して来てって言う?』って美夏がみんなに聞いたら、あおいが『私が言う』って……」

「二葉のバッシュがなくなったことが問題になって、バスケ部全員が一人ずつ先生に呼ばれた。先生からの説明で、あおいが二葉に山﨑先生が呼んでるって言ったっていうことがわかって、美夏は怒ってた。バラすつもりだったのかって」

「わからない。どういうこと?」

「二葉が山﨑先生のところに呼ばれもしないのに行ったら、何かおかしいって山﨑先生が気づくかもしれないってあおいは思ったんじゃないかな……。バッシュを隠すのを止められるかもしれないって」

「……あおいがそう言ったの?」

「ううん。あおいはなにも言わない」

「あおいは美夏にきつく当たられたりしなかったの?」

「あおいにまで何かするのはさすがにまずいって美夏は思ったんだと思う。表面上はなにもなく過ぎていった。二葉が学校に来ないこと以外……」

 なにがなんだかわからなかった。

 もっと単純なことだと思っていた。嫌いだから困らせよう。そんな単純な意地悪だと。

 私に向けられた悪意はもっと複雑でドロドロしていて、私はその話を聞いて腹が立つとか悔しいよりも、なぜか悲しかった。

 悲しい。

 恋というものが人をそうさせるなら、悲しい。

 私に向けられた悪意だけど、ズタズタに傷ついたのは美夏なのではないかと思った。

 私に悪意を向ければ向けるほど、美夏の心は悲鳴をあげたのではないか。

 そんなふうに思うのは、私がまだ恋がどんなものか知らないからだろうか。

 恋ってもっと甘酸っぱくて楽しいものだと思っていた。少女漫画のように。

 少しずつ頭の整理がついてくると、美夏は自分の恋心の始末がつかないから、私をその代償にしたんだと思った。

 ずるい。
 ひどい。

 でもきっとそんなことしたって美夏の気持ちは晴れてはいない。

 逆にどんどん曇って、その心はいつまでも鈍色(にびいろ)の雲に覆われているのだろうと思う。
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