浄明正直(じょうみょうせいちょく)の心でいれば、ピピッとくる?

文字数 4,886文字

「えーい、うるさい! この詐欺師! デタラメを言ってないで、神社にさっさと帰れ!」
 戌亥が吼えるが、神主は平然としている。
 喉の奥でくっくっと笑うと、
「ところで優子、儂の跡を継ぐ以外に、この町で生きていけると思っているのか? お前が儂の姪であり、既に儂を一度殺しかけたことは大勢の者が知っている。この罪、その身に付いた穢れを落とすためには、儂に報いるしかないと思わんか」
 戌亥が神主を殺しかけたと聞いて、会場の空気がざわざわとする。
 まずい。
「何言ってんのよ! 事故、あれは事故なのよ!」
 戌亥が慌てて否定するが、状況が悪い方へ向かっているのを肌で感じる。
「だいたい、山伏を引き連れて学校まで押しかけて来るのが、非常識なのよ! 私が止めていなかったら、その場で暴れていたわよね! きっと警察を呼ばれていたわ」
 その通りなのだが、
「おや、そんなことは知らないな。憶測でものを言わないでもらおうか」
神主は完全に開き直っている。
 ダメだ、こりゃ。
 何を言っても、まともに取り合わないつもりなのが、ひしひしと伝わってくる。
 これでけ性質(たち)の悪い大人に会ったのは、僕の人生で初めてだ。
「かー、かっかっか」
 戌亥に対して勝利を確信したのか、神主が高笑いを始めた。
 口を馬鹿みたいに大きく開けて、身体を仰け反らせている。
 その拍子に、天井の照明が神主の眼鏡に反射してキラッと輝く。
 キラッ、キラッ――ええい、忌々しい。
 ああ、その黒縁眼鏡を叩き割ってやりたいものだ!
「ぎりっ」
 これは戌亥が歯ぎしりした音。
「ごきっ」
 続いて、右手を握りしめる余り、関節が軋む音を戌亥は出し
「きぃぃい!」 
ついには獣のような声を出して、威嚇(いかく)を始めた。
 とはいえ、いまいち迫力に欠ける。
 これは追い詰められた子犬が、必死に抵抗しているようなもの。
 すでに戌亥の精神は、限界近くまで負荷が掛かっている。
 これ以上追い詰めると――どうなることか。
 泣くか喚くかで済めばいい方だ。
「どうした優子、何か言ってみたらどうだ」
 調子に乗った神主がここぞとばかりに煽ってくる。
 もはや、拳で語り合うしかないのか?
 戌亥に喧嘩をさせるわけにはいかないし、ここは代わりに僕が出るしかない。
 とはいえ、車椅子と点滴のお世話になっている神主は別として、側に控えている屈強な山伏二人が厄介だ。
 僕がノコノコ出て行っても、ボコボコにされるのが落ちだろう――なんてことを考えていたら、山伏達が客席に向かって歩き出したではないか!
 おい、神主の点滴を助ける仕事があるだろう。
 あ、点滴が釣り下がった棒は台座が付いているから、そのまま立てておけるのね。
 というか、こっちに来るな!
 二人の山伏は客席の前まで来ると立ち止まり、左右に別れた。
 僕や戌亥が何をやっても、直ぐに対応できる位置だ。
 客席――僕に鋭い視線を飛ばしてくる。
 女で小柄な戌亥は、脅威と判断されなかったらしい。
 動けない。
 マジでどうしたものか。
 ジリジリと打開策を考えていると、姿を消していた天野先生がやって来た。
 スタスタと神主に向かって歩いてく。
 山伏の一人が天野先生をチラっと見るが、問題無いと判断したらしく、直ぐに視線を戻した。
 天野先生が手に持っているのはペットボトルだ。
 その表面に貼られた、毒々しいまでに真っ赤なラベルには見覚えがある。
 あれは『ウルトラ ファイヤー』か!
 学内の自販機で売られている、とんでも飲料の中で最も危険な物だ。
 なぜなら……。
「うん? 儂にくれるのか、気が利いているな」
 穏やかな微笑を浮かべる天野先生に、神主は険しかった表情を緩めた。
 天野先生が差し出したペットボトルを受け取ろうとしたが――神主の手が震えて、落としそうになる。
 忘れかけていたけど、この人、棺桶に片足を突っ込んでいるんだった。
 天野先生がペットボトルのキャップを開けて、神主の口へと運ぶ。
 そのまま優しく飲ませると見せ掛けて――天野先生は左手で神主の口を強引に開けると、右手に持ったペットボトルの中身を一気に流し込んだ。
 突然のことに、神主が目を白黒させる。
 栄養満点ドリンクという触れ込みの『ウルトラ ファイヤー』は、色々な栄養物(生姜、ニンニク、唐辛子、ニラ……)のエキスを濃縮させた結果、刺激物の凶悪な塊となっているのだ。
 故に、一口飲んだだけで
「ぐふぅ」
喉が焼ける痛みに襲われ、
「ぐぇ」
二口飲めば胃もたれが起こり、
「ぐぅぐぅ……」 
三口も飲めば命の危険を感じる――悪魔の栄養ドリンクなのだ。
 神主が咽(むせ)て吹きそうになるが、天野先生は両手で神主の口を塞いだ。
 ビクビクと神主の胸が上下する。
 これは気管に入ったな。
 神主は白目を剥くと、ガクッと首が垂れた。
 両腕が前後に力無く揺れてから止まる。
 天野先生が神主の元に着いてから、ここに至るまで十秒と掛かっていない。
 恐るべき早業――山伏が神主の異変に気付いて駆け付けたときには、天野先生の姿はどこにもなかった。
 余りの出来事に、誰も言葉が出ない。
 これってまさか公開殺人?
 天野先生って何者。
 様々な考えが頭を駆け巡るが、いち早く立ち直ったのは大河内先生だった。
「えー、予想外のアクシデントがありましたが、公開討論会を続けたいと思います」
 不都合なことを見なかったことにしたらしい。
 救急車は呼ばないようだ。
 まぁ、山伏が神主の脈を測っている様子を見る限り、危険な状態にはないみたいだ。
 恐らく、意識を失っているだけだろう。
 このまま邪魔せず最後まで寝ていてほしいというのが、大河内先生の判断か?
 最悪の場合は、山伏が神主を運ぶだろうしな。
「それでは、当初の予定に戻りまして、シスターに私の質問を聞いてもらい……」
「うがぁあぁ!」
 大河内先生の話を遮ったのは、神主の雄叫びだった。
 ぎょっとして神主の方を見ると、白目を剥いたままの神主が車椅子から立ち上がったところだ。
 ごほっと咳き込むと、茶色い液体を吐き出している。
 胃が痙攣(けいれん)して『ウルトラ ファイヤー』が口から逆流したらしい。
「おのれ~、死んでなるものか。儂にはすることがあるのだ~」
 地の底から響くような声を出して、神主はゾンビのようだ。
 顔色も急激に悪くなり、青いとかを通り越して、土気色に見える。
 もはや生者ではなく、黄泉の国の住人なのではないか?
 あ、山伏二人もドン引きしている。
「どこだ、どこにいる」
 もしかして戌亥を探しているのか。
 それともマリア?
 どちらにしろ、このままではいけない。
 周囲の人間まで、あの世に連れて行きそうだ。
 逝くなら一人で逝ってほしい。
 誰も巻き込まずに、ひっそりと……。
「逃げるな、卑怯者!」
 ――きっと、神主の最後は、みんなを道連れにするんだろうな。
 誰かが神主を止めないといけないんだけど、近付くと呪われそうで、生理的な恐怖を覚える。
 このまま力尽きるのを待とうかと思っていたら、
「誰も逃げてなどいませんよ。あなたの主張に対して、共に話し合おうではありませんか」
神主に声を掛けたのは、やっぱりというかマリアだった。
 どこまでも聖職者としての使命に忠実なようである。
「そこにいたか、異人の小娘!」 
 白目でマリアの方を見ると、神主が口から唾をとばしつつ捲(まく)し立てた。
「神の前に人は平等などと言いおって。お前達の信仰は、結局のところ、自分の上に神以外の権威を認めようとはせん。君臣の義より、長幼の序より、父母の恩より、神と自分の関係を優先する。神との信仰に基づいた信念だか正義だか知らんが、自分がこうだと思ったら、どこまでも突き進む。これは違うと思ったら、目上の人間だろうが、法律だろうが――果ては国家にまで噛みつく」
 違うかもしれないけど、これって自立した個人のことかもしれないな。
 キリスト教の教えが根底にあるわけだけど。
 西洋で個人が尊ばれることと、キリスト教の間には関係があのだろうか?
「和を乱すような教えを広めおって! 日ノ本の社会秩序を破壊するつもりか。この国では、陛下を父とし、臣民は子として仕えるのが社会の本よ。国民は、家族のように親しみ合うのが理想なのだ。目上の者は、一家の兄が弟を見るように目下の者に接し、目下の者は目上の者を兄のように慕うのが、人間本来の情に基づいた自然な姿ではないか」
 自然な姿と言われても――仲の悪い家族や親戚っていくらでもいるし。
 神主と戌亥とか。
「そうであるのに、なぜ争いが無くならないのか。人々が親しみ合うの妨げているのは、各自が持った私心なのだ。私心を捨て、お互いが曇りの無い鏡のようになるならば、惻隠(そくいん)の情が働くようになり、自分と他人の区別など意味が無くなる。さすれば自ずと世は平和になり、王道楽土が築かれるのだ」
 築かれるのだ――か。
 一見良いことを言ってそう? でも、自我(エゴ)の塊のような神主に言われると説得力が半減以下だ。
「あなたの仰ることは分かりました。人々が家族のように仲良くするのが理想だという考えには、私も共感を感じます。そこで質問ですが、どうやって私心とそうではないかを判断するんですか?」
 僕では、どこから突っ込んでいいか分からない神主の発言に対し、マリアはどこまでも冷静だった。
「そこは浄明正直(じょうみょうせいちょく)の心でおれば、ピピッとくるのだ」
 いきなり話の内容が雑になったぞ。
「浄明正直――清く明るく、正しくて素直な心といった意味かと思いますが、そんな心になりたくても、なれない人もいるかと思います。そういう方には、何と言うのですか?」
 神主は即答した。 
「掃除を励むことだ。神道では清浄を尊ぶ、日々の掃除が第一歩だ」
 なんか宗教者らしい? 答えが返ってきた。
「それでも気が晴れぬというのなら、儂が罪や穢れを祓ってやろう」 
 おお、マリアと神主の間で会話が成り立っている。
「最後の質問です。さっきから、あなたの背後に黒い影が見えるのですが、何か心当たりは?」
 え。
 マリアは何を言っているんだ?
「そうか、見えるか」
 神主が禍々しい笑みを浮かべた。
「儂のときは内臓三つと引き換えに、ようやく見えるようになったが、貴様はそうでないようだな。さすがは、侵略者が送り込んだ刺客といったところか」
 おいおい。
 なに、このオカルトっぽい空気は?
 神主はずっと白目のままだし、僕の中では妖怪みたいなもんだけどさ。
「私は祓魔師(ふつまし)ではありませんし、この場には話し合いに来ています」
 マリアは真っ直ぐに神主を見つめるが、対する神主はガハハと笑った。
「笑止、個人から離れ、皆で一つになろうとする儂と、あくまで個人を立て、対話で個人と個人の関係を考えるお前とでは、しょせん相容れぬのだ」
 どこから吹き込んだのか、体育館の中を一陣の風が通過した。
 驚いて目を一瞬瞑った後、僕はギョッとするものを目撃するはめになった。
 神主の周囲から、陽炎のようななものが揺らめいている。
 あれ、揺らめきの中に、幾つか人の顔のようなものが見えるぞ。
 そこに何かがいるのか?
「さぁ、存分に祟(たた)ってやるとしよう」
 どうやら、話し合いの時間は終了のようらしい。
「儂に憑いておるのは、茂野延神社の御祭神にて、この地に坐(ましま)す祖霊。近隣住民のご先祖様達だ。祖先への感謝と祭りをないがしろにされて、神様がお怒りだ。この場にいる者どもよ、ますは先祖に謝ってもらおうか」
 いきなり実力行使かよ!
 不満があるなら枕元に立つとか、穏便な方法があるだろうに。
 神は神でも、これじゃぁ祟り神じゃねぇかぁあ!
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