学校の前は門前町?

文字数 4,603文字

 体育館を後にし、戌亥と二人で学食に向かう。
 攣っていた足も回復し、戌亥の体調は良いようだ。
 もっとも精神的にはグロッキーに近いらしく、
「仁~、ご飯を食べたら帰らない? なんか疲れちゃった」
と弱音を吐いている。
 それには僕も同感なのだが――背筋にゾワゾワと悪寒が走った。
 これは悪いことが起きるな。
 なぜか確信できた。
「なに、あれ?」
 戌亥が指差す方向を見ると、白い煙が細く立ち昇っている。
 あれは校門の方からだ。
 どうやら、平穏な日常に戻ることができるのは、まだ先のようである。
 非常に良くない予感がするが、確認しないわけにはいかない。
 戌亥と二人で校舎の陰に隠れながら、恐る恐る校門へと近づいていく。
 気にはなるけど、見たら見たで後悔しそうだなぁ。
 抜き足差し足忍び足――。
 そろり、そろりと移動して、校門の様子が窺える位置までやって来た。
 いつでも逃げられるように、首だけを校舎の陰から出す。
 え。
 何だ、あれは!
「焼き鳥~」
「綿あめ、林檎あめ~」
「冷たい、かき氷はいかがですか」
 威勢の良い客引きの声が聞こえてくる。
 校門前の下り坂は、道の左右に露店が並び、神社の縁日のようになっていた。
 ただ違うのは、露店に足を運んでいるのが寺院関係者ばかりだということ。
 なぜなら、皆、頭がツルツルだからだ。
 スーツを着ていたり、私服だったりするが、この人達は僧侶で間違いないだろう。
 これでは神社の縁日ではなく、寺の門前町だ。
 ざっと見ただけでも、百人以上の人が来ているんじゃないか。
「戌亥、これはどうしたんだ。いつから内の学校は、観光名所になったんだ?」
「さ、さぁ。今は、お腹が空いてるし、考えるのは何か食べてからにしない」
 そ、そうだな。
 肉の焼ける旨そうな匂いが、ここまで漂ってくる。
 見た感じ、危険は無さそうだ。
 学食までは距離があるし、ここで済ませるのも有りかな。
 学校の学食はレトルトと冷凍食品が主で、実はあんまりおいしくないのだ。
 スキンヘッドの集団を横目に見つつ、僕と戌亥は露店に近付いていく。
 ソースの焦げる香が食欲を誘い、小学生くらいの子供が数人で走り回っているのが見えた。
 ――今日は平日なのだが、学校はどうしたのだろう。
 そんなことを思いつつ露店を覗いていくが、頭を剃っている人(袈裟こそ着ていないが、多分、お坊さんだ)が肉を焼いたり、飲み物を売ったりしているのは戒律上有りなのだろうか?
 あ! あの露店では『精進弁当』なる物を売っているな。
 店先では、袈裟を着た僧侶が堂々と売り子をしているぞ――寺や僧侶であることをブランドにして商売をしているのか!
 以前の僕なら、常識だと思っていた世界が壊されて、むやみやたらと興奮しているのだろうが……。
 神主の件で非日常な世界を体験したせいか、この程度のことでは脅威を感じなくなっているな。
 さて、どの露店にするか。
 お、これは。
 僕の注意を引いたのは、『中華ちまき』という幟が出た店だ。
 店の正面には、折り畳み式の机が並び、でっかいガスコンロが何台も設置されている。
 コンロには中華鍋が掛けられ、その上に重ねられた蒸篭(せいろ)からは、湯気が勢い良く吹き出していた。
 湯気と一緒に、食欲をくすぐる匂いが辺りにしている。
 白い煙だと思ったのは、この露店のものだったらしい。
「へい、そこのお兄さん、一つどうだい」
 頭に手拭いを巻いた、筋肉質のおっちゃんに呼び止められた。
「今なら、丁度できたて。熱々だからね」
 よし、買おう。
 僕は財布を出した。
「ごめん、今日はお金を持ってないの。明日返すから、今は立て替えてくれない」
 え~。
「朝はバタバタしてたから、財布を忘れちゃったのよ。お願い」
 顔の前で両手を合わせる戌亥に、渋々お金を払ってやる。
「それじゃ、二つ下さい」
 おっちゃんから、笹の葉にくるまれた粽(ちまき)を三つ受け取る。
「気のいい兄さんには、一つおまけしとくよ」
 そう言って、おっちゃんはニカッと笑った。
 ありがたい。
 なんて気前が良いんだ。
 こんなことをしていて商売人としては大丈夫か? と思わなくもないが、ここは好意に甘えよう。
 戌亥に一つだけ渡して、さぁ食べようと思っていたら――僕をじーっと見つめる戌亥の視線に気が付いた。
 ……食べづらいな。
「もしかしなくても、もう一個欲しいのか?」
「別に、そういう訳じゃないけど」 
 本人は気の無い風を装っているが、無言の圧力を感じる。
 まぁ、いいか。
 表面を覆っている笹の葉をめくると、ほかほかの五目御飯が現れた。
 じーっ、じーっ、じーっ。
 戌亥の眼力(めじから)がさっきよりも増している。
 ええい、やめろ。
 せっかくできたてなのに、気になって味がしなくなるじゃないか。
 分かった、分かった、分かりました!
「すいません、追加でもう一個下さい」
 なぜか戌亥に強く出られない僕だった。

「これも、おいしい。こっちもいけるわ」
 戌亥の手には、リンゴ飴とタコ焼きが収まっている。
 朝ごはんを食べそびれていたとかで、粽二つだけだと戌亥の腹は満たされなかったのだ。
 ちなみに、これらの代金は全て僕が出した。
 後でちゃんと返せよ。
 戌亥にたかられつつ、僕達は露店を回っていた。
「仁、それはそうと、これは何の催しなのかな?」
 食べることに夢中になっていた戌亥が、今更ながら疑問を口にした。
 腹が膨れて気持ちに余裕ができたらしい。
 僕の方は、減っていく財布の残高の方が気になって、今まで落ち着いて考える余裕が無かった。
 とはいえ、これはやっぱり――。
「御前(ごぜん)の人徳を慕って、人々が集まったのだ」
 背後から聞こえた声に、僕と戌亥は、その場から飛びのいた。
 ほとんど条件反射の反応だ。
 神主に追い掛け回された経験から、体が勝手に動いてしまう。
 声をした方をみると、きょとんとした顔の佐藤が立っていた。
「どうした? 何を驚いている」
 佐藤、いきなり後ろから声を掛けるんじゃねぇ。
 もうちょっとで逃げ出すところだったじゃないか!
「必死な顔をして、良くないことでも起こったのか?」
 お前が原因だ。 
「もう、驚かさないで! 危うくタコ焼きを落とすところだったじゃないの」
 戌亥、心配するところは、そこか。
「あぁ、そうか。すまん」
 佐藤が素直に謝ると、戌亥はタコ焼きを一つ食べた。
 もぐもぐと昼食を再開する。
 戌亥は佐藤と会話するつもりは無いらしい。
「佐藤、御前がどうのこうのと言っていたが、あれは――」
「そう、あの方こそ日本仏教の守護者にして人天の導師」
 あ、佐藤の目の焦点が合ってない。
 御前と呼んだ人物を讃え始めた。
 佐藤の様子を見るに、御前とは、今朝の怪僧のことで間違いなさそうだな。
「あのような善知識(ぜんちしき)に出遇えるとは、なんたる僥倖(ぎょうこう)。この幸運を御仏に感謝しなければな。俺達は凄い人に出遇ったんだぞ。多田野、お前もそう思うだろう」
 うん。
 あそこまでの生臭坊主は、滅多にいないと思う。
「俺の生涯において、これ程の人物と出遇うことは、二度と無いだろうな」
 むしろ出会ったらダメだろう。
 僕から見れば、絶対に関わり合いになっちゃいけない人だ。
 佐藤、お前の人生は既に狂い始めてるぞ――。
「俺にも色々と教えてくれて、目から鱗が落ちる思いだ。自坊で仏道修行を始めてから、初めて迷いが晴れた気がする」
 余計に迷いを深めてないか?
「俺のような者は大勢いるらしくて、御前が行かれる所には自然と人が集まるんだ」
 アイドルの追っかけかい。
 露店を開いて商売をしている人もいるけどね。
「御前が歩いた後には道ができる。俺はその道を、御前に付いて、どこまでも行こうと思う」
 それは行っちゃいけない道だ。
 というか、老僧が行く先々では、毎度毎度こんな祭みたいなことになるのか。
 これだけの人がいれば、獣道ぐらいは直ぐにできそうだ。
 集団でぞろぞろ歩いて、デモのような騒ぎにでもなる気がする……あれ?
 周囲の喧騒が止んだ。
 誰かの声がする。
「御前だ、御前が来られたぞ」
「椅子をお持ちしろ、冷やしたお茶もだ」
 そして、ばたばたと動き回る人の群れ。
「じゃあな」
 佐藤も僕や戌亥から離れて、老僧を迎えに行く。
 面倒くさいことが起こる前に、このまま帰ろうか。
 戌亥の方も見ると、昼飯を食べ終えたようで、丁度良いタイミングだ。
「お腹もいっぱいになったし、帰りましょう。見たいテレビ番組があるの」
 帰る気満々の戌亥に頷くと、僕達は学校を後にした。
 校門前の下り坂をるんるん気分で歩いていく。
 夏休みに入るときも、こんな解放感があった。
 家に帰ったら、何をしようかな。
 もう少しで坂を下り終える。
 自由な世界が目の前だ。
 遊ぶ計画を頭の中で組み立てていたら――坂の下に一台の乗用車が走ってきて止まった。
 続いて、二台、三台、四台……と二十台ほどの車が止まり、道が塞がった。
 帰りたくても帰れない。
 呆然としていると車のドアが一斉に開き、黒いスーツ姿の人達が、飛び出すような勢い降りてきた。
 整然とした動きで周囲に散開すると、一様に辺りを見回し始めた。
 何かを警戒しているらしい。
 やがて脅威が無いと判断したらしく、スーツ姿の一団はその場でビシッと背筋を伸ばすと、その場から動かなくなった。
 だが互いに目線だけは動かし、それとなく周囲を警戒している。
 男も女もいる上に、二十代から四十代くらいの人までいるが、皆短髪で姿勢が良く、服の上からでも鍛えられているのが窺える。
 ときどき誰もいない所に向かって話していると思ったら、耳には無線の受信機と思しきイヤホン、スーツの襟元には小型のマイクが付けられているのに気が付いた。
 あれで遣り取りをしているのだろう。
 なんだか軍隊みたいだ。
 本当に何の集団なんだ?
「仁、こっちの方を見ているわよ」
 勘の良い戌亥が、そっと呟いた。
 げ、黒スーツの何人かがチラチラと僕や戌亥を見ているぞ。
 僕と戌亥は、そそくさとその場を離れた。
 坂を少し上って、露店と露店の隙間に身を隠す。
 校門に怪僧が現れたらしく、そちらに人が集まっていて、僕と戌亥がいる辺りは無人だった。
「さっきスーツが捲れて見えたんだけど、今来た人達、腰の辺りに拳銃をぶら下げているわよ」
 マジですか!
 すると、この人達は警官なのか。
 学校で起こった超常現象に、誰かが通報したのだろうか。
 そうでなければ、裏で悪いことをしてそうな怪僧を捕まえるために来たのかも。
 結論から言うと、どちらも違っていた。
「あれは加部首相よね」
 護衛されながら車から降りてきた人物を、戌亥が目敏く見つけた。
 僕だと遠目では判断できないが、両目の視力がA評価である戌亥には、はっきりと見えているらしい。
 なんで、首相がこんなところに来ているんだ?
 ということは、この人達は要人警護のための警察官、SPですか!
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み