男ってバカ?

文字数 4,271文字

「お集まりの皆さん、どうか私のことは気になさらないで下さい。本日は首相としてではなく、一人の国民として、この場にいたいと思います」
 演台の向こうで加部首相が喋っている。
 こんな田舎の高校の体育館に、なぜ日本のリーダーが来ているのだろう?
 客席もまばらにしか埋まっていないし、これは本人ではないのではないか。
 そっくりさんが悪戯(いたずら)で来ているなんてことは――ないな。
 自分で疑問を打ち消して、舞台の上に立つ人物を改めて見る。
 テレビのニュースなどで御馴染みの顔だ。
 年齢は六十歳を越えたくらいだったか。
 背は高くもなく低くもない。
 目測で――百七十センチに手が届くか届かないかといったところ。
 健康に気を使っているのか、髪は真っ黒だし、肌の色つやも良い。
 さすがに歳なのか頬の肉が垂れ気味だけど、それが福々しく見える。
 加えて両耳が福耳なので、七福神に出てくる大黒様のようだ。
「本来なら私も、このような高い場所からではなく、客席に参加者の一人として座っていたかったのですが……。校長先生から、是非とも挨拶をしてほしいと頼まれると断るわけにはいきませんからね。急な来訪に、気を使わせてしまいましたか。有名人の辛いところです。いやぁ、参りました」
 人の良さそうな笑顔を浮かべつつ滔々と語る加部首相。
 ――マスコミ受けしそうな人だなぁ。
 観客席から舞台の上の有名人を眺めつつ、僕と戌亥は困っていた。
 気にしないでと言われてもな。
 それは無理ってもんですよ。
 昼休憩が終わり、体育館に戻ってきた観客も唖然としているしな。
「また、とんでもないことが起こったわね……。もう、ダメ、付いていけそうにないわ」
 戌亥が疲れた顔をしている。
 加部首相がSPと共に現れてから、学校の外へ逃げることができなくなった。
 SPの一団が、校門を含む全ての出口を封鎖してしまい、帰りたくても帰れないのだ。
 僕と戌亥は校門前の坂にいたのだが、SPに見つかり、やんわりと校内へ戻るように促されたのが十五分前のことだ。
 公開討論会を安全に運営するためだと加部首相は言っていた。
 より正確に言えば、即席の門前町を造ってしまった人達が校内に入らないように牽制しているのだろう。
 入ってくれば、何が起こるか分からないしな。
 現在、怪僧を除く寺院関係者達とSP達が、校門前で睨み合っている。
「佐藤は、おとなしくしているかな」
「知らないわよ、そんなの」
 僕の呟きに、戌亥は素っ気なく答えた。
 最後に見た佐藤の姿は――鬼気迫るものがあった。
   
「御前、御前!」
 一人で校内へと入っていく怪僧を見ながら、佐藤が泣きながら喚いている。
 僕と戌亥はSPの視線を気にしつつ、おとなしく校門を潜ったところだ。
 佐藤は校門の向こうに入れてもらえなかった。
 入ろうとしたが、SPから待ったがかかったのだ。
 こいつは何かすると判断されたのだろう。
 強行突破は無理と悟った佐藤は、悲壮な顔をしていた。
 それは、怪僧を慕って集まった人達も同じで、今生の別れのような雰囲気だった。
 皆で合掌していたし。
「法蔵菩薩因位時、在世自在王仏所……」
 校門から聞こえてくる声には、佐藤の声も交じっているに違いない。
 あの中を突っ切って家へ帰るのは不可能だ。
 仮にSPが許可したとしても、誰も帰ろうとはしないだろう。
 そんな訳で、僕や戌亥、公開討論会の観客は、学内に閉じ込められているというのが現状である。
 他に行く所もないので、僕達は体育館に戻ってきた。
 戻ってきたのだが……。
「いやぁ、皆さん。今日は日差しが強いですね」
 ノリノリの加部首相が舞台の上から挨拶してきた。
 は?
 突然の展開についていけない、観客一同。
 舞台には、演台にマイク、どこから持ち込んだのか、液晶モニターまで設置されている。
 それにしてもデカいモニターだ。
 縦横が五メートルはあるだろう。
 何に使うつもりなんだ?
 そうそう用意できる物ではないだろう。
 計画的な臭いがするぞ。
「ここにおられる皆さんには、歴史の生証人になっていただきますね」
 意味深なことを言う加部首相だが、どの程度本気なのかは分からない。
 大袈裟に言っているだけだよね。
 だが、笑みを浮かべている加部首相を見ていると、どうにも嫌な予感が拭えなかった。
「これから何が起こるんだろうな」
「ろくでもないことよ」
 戌亥とそんな遣り取りをしたのが、ついさっきのことだ。

「このたわけ、何を考えておる!」
 回想を終えて舞台に目を戻すと、舞台の上に怪僧が怒鳴り込んできたところだった。
「おや御前、慌ててどうされたのですか? この会は、誰でも参加できるというのが主旨だったはず。私が、ここにいて何を言おうと勝手でと思いますがね」
 こうなることを予想していたのか、平然と言葉を返す加部首相。
 どうやら二人は面識があるらしい。
 あの怪僧、仮にも日本のトップを叱り飛ばしたが、いったいどれだけの権力を持っているんだ?
「ここは公開討論会です。言いたいことがおありなら、ご自分の意見を仰ればよいのではありませんか?」
 言葉遣いは丁寧だが、その口調からは挑発するような響きがある。
 二人の間に剣呑な空気が漂った。
「その妙な自信が、どこから来ているのか知らんが、すぐに後悔することになるぞ」 
 怪僧はドスのきいた声で加部首相を威嚇するが、加部首相はニヤッと笑った。
 よほどの自信があるようだ。
 怪僧と加部首相の間で、見えない火花がバチバチと散っている。
 これは荒れる展開になるな。
 もはや公開討論会ではなく、このままだと互いの誹謗中傷会になりそうだ。
「今度の選挙で勝てると思うなよ」
「お歳ですし、隠居されてはどうですか」
 やるなら他所(よそ)でやってほしいな。
 醜い争いは、見ている方も疲れるんだけど。
 周りの人間は、完全に蚊帳の外だ。
 怪僧と加部首相は目をギラギラとさせているが、二人の間には根深い確執があるようだ。
「門徒を辞めるなどと言い出しおって!」
「私はキリスト教徒になったんです。ですので、寺の修繕費や梵鐘の鋳造費なんてものは、今後一切出しません!」
 ――マジで、どうでもいいです。
 加部首相の家は、怪僧の寺に所属していたのか?
「お前の祖父も親父も、喜んで門徒総代を引き受けたぞ!」
「地震や台風で何かが壊れる度に、私の家に無心するのは止めていただきたい!」
 溜まりに溜まっていたものを吐き出すように、加部首相は叫んだ。
 うへぇ~。
 なぜ、こんな生臭い話を聞かされないといけないのだろう。
 しかも他人の家の話だ。
 我関せずを決め込んでいる戌亥も、聞こえてくる罵声に平常心を保てないみたいで、顔をしかめている。
「いつまで続くのかしら。こんなことなら耳栓でも持ってくれば良かった」 
 本当にそうだ。
 耳にヘッドフォンをして音楽でも聞けたら、どんなにいいか。
「結婚するまで女を知らなかった奴が、何を言う」
「僧侶のくせして、何人妻を娶れば気が済むんですか」
 唾を飛ばし合って口汚く相手を罵っている二人は、人前で言ってはいけないようなことまで言い始め、事態は混迷の度合いを深めていった。
「お二人とも、いい加減にしなさい。ここは学び舎ですよ」
 泥沼になりかけていた事態を救ったのは、体育館に響くマリアの声だった。
 今まで、どこに行っていたのだろう?
 大河内先生と一緒に体育館の入り口に現れたマリアは、そのまま正面の舞台まで歩いてくると、舞台の端に設けられた階段を上った。
「一体何を話しているのですか。そんなことを言うために、ここへ来たのではないでしょう」
 舞台の上に颯爽と現れたマリアは、正義の味方のようである。
 自分の孫か曾孫くらいの娘から諭されて、悪役? の二人も、ようやく冷静になったらしい。
 お互いにフンッと顔を背けると、怪僧と加部首相は静かになった。
 案外、似た者同士?
「校長先生に呼ばれて遅くなりました。それでは大河内先生、改めて司会をお願いします」
 マリアに遅れて舞台に上った大河内先生だが、表情がぎこちない。
 それも、そうだろう。
 こんなにも癖のある面子を、どうやってまとめろと言うのか。
 大河内先生の言うことなんて、素直に聞かないだろう。
 自分の方が偉いと思っているだろうし。
 それでも大河内先生は職務に忠実であろうとし、口を開いた。
「それでは私が仕切らせてもらいます。建設的な場とするために、出された意見は原則として否定しない。自分の意見は、相手の話が終わるまで待ってから話す。個人攻撃はしないということを守って……」
 ――くれないみたいだ。
 怪僧と加部首相に大河内先生が睨まれている。
 今の大河内先生は二匹の蛇に睨まれた蛙のようだ。
 共に大きな権力? を握っているみたいだし、下手なことを言えば大河内先生の立場は無くなるだろう。
 露骨に不愉快そうな表情を浮かべる二人からは、俺に指図するな! という無言のオーラが出ている。
 日本史が専門の高校教師に、何ができるというのだろう?
 しかし、このままでは何も進まない。
 脂汗を額に浮かべた大河内先生だが、司会としての本分を果たすべく口を開こうとし――。
 妖怪のような怪僧と歩く国家権力が放つ眼光に押し止められた。
 大河内先生は、真面目に自分の仕事をしようとしただけなのに。
 横暴な人間ほど大きな顔をしている。
 これが社会の縮図? というものなのか。
「どうか、お二人とも落ち着いて下さい。お忙しい中時間を作り、こうしていらしたのです。有意義な時間にしようではありませんか。私としても、せっかく来ていただいた方と話ができないまま、この場が終わってしまうようなことは悲しく思います」
 マリアの理知的な呼び掛けに、舞台の空気が軟化していくのが分かった。
 二人とも熊のような大河内先生の言うことは聞かないのに、可憐な容姿のシスターが言うことには耳を傾けるらしい。
 これが男という生き物なのか。
「では大河内先生、改めてお願いします」
 マリアの促しで、再度仕切り直しとなった。
「男ってバカね」
 戌亥が呆れたような呟き、僕は――ああいう大人にだけはならないでおこうと心に決めた。
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