戌亥の進路が決まる?

文字数 4,233文字

 声のする方へ恐る恐る首を回す。
 発生源は体育館の入り口からだ。
 見ると車椅子に座った神主が、お供の山伏に椅子を押してもらいながら、こちらに向かってくるところだ。
 懲りずに神主衣装をきっちりと着込んでいるが、服の裾から透明なチューブ――確かカテーテルと言ったと思う――が数本伸びているのが気になった。
 チューブの先は勿論、点滴の袋に繋がっている。
 多分、袋の中には生理食塩水でも入っているのだろう。
 液体が入った袋は金属の棒に吊るされており、これまた別の山伏によって運ばれている。
 錫杖ではなく、点滴の袋が幾つも下がった棒を捧げている姿は実にシュールだった。
 最後に、第三の山伏が団扇(うちわ)で神主を扇いでいる。
「耶蘇のことなど放っておいて、儂の話を聞いてもらおうか!」
 と言うか寝てろよ!
 体からスパゲティみたいにホースを生やして、何やってるんだ。
 いい加減にしないと、本当に死ぬぞ!
「この場は天が与えた機会、外来思想を今日こそ一掃するのだ!」
 討論会の主旨を完全に無視している。
 建設的な議論をするために集まっているのに、自分のエゴを貫くことしか考えていない。
「かーかっかっか。驚きの余り声も出ないか、異国からやって来た唯一神の尖兵よ。儂の目が黒い内は、この地に異教の教えを広めることなどまかりならん。諦めろ。そして元いた所へ、とっとと帰るがいい」
 露骨に帰国を勧めている。
 全てをぶち壊しにするつもりだ。
 誰かが止めないと――って誰が止められるんだ?
 ここはいったん逃げて警察に通報するべきか? と迷っていたら、車椅子が僕や戌亥の方に向かって来た。
「ひっ」
 戌亥が思わず声を上げそうになったが、僕が戌亥の口を手で押さえた。
 まだ気付かれていない。
 やり過ごすんだ。
「むー」
 戌亥がもごもごと口を動かすが、アイコンタクトで静かにするよう伝える。
 不安そうな目で戌亥が僕を見つめてくるが、今は動いちゃダメだ。
 神主の視線は壇上のマリアに注がれている。
 このまま行けば大丈夫。
 戌亥は小さく頷くと頭を低くした。
 神主達一行が近付いてくる。
 戌亥が震えていたので、僕は戌亥の手を握った。
 僕の心臓がバクバクする。
 僕や戌亥が座っている客席の横を通り過ぎると、恐怖の一団は舞台の近くまで移動した。
 ほ、一安心。
「優子よ、そこにおったかぁ!」
 うわぁあ!
 神主がクルッと振り向くと、大音声で怒鳴った。
 凍り付く僕。
 戌亥はパニックを起こして立ち上がろうとするが、途中で力尽きて椅子に尻餅をついた。
 攣った足が回復しきっていないのだ。
 戌亥を抱えて逃げたいが、並んだパイプ椅子が邪魔だぁあ。
「うん、おらんのか。優子がいるかと思ったのだがな」
 次の行動に移せずにまごついていると、気の抜けた神主の声が聞こえた。
 鎌を掛けていたのか。
 慌てて動いていたら、見つかっていた。
 くわばら、くわばら。
「見つけたら、ただではおかん! 儂を怒らせたことを心底後悔させて……」
 げ、神主がキョロキョロと辺りを見回し始めたぞ!
 心臓が縮むような思いをしていると、涼やかな救いの声が聞こえた。
「あなたは話し合いに来たのではありませんか? そんな所におらず、こちらに来てはどうですか」
 マリアが神主に語り掛けている。
「言いたいことがおありでしたら、どうぞ仰って下さい。この場は、そのためにあるのですから」 
 壇上の椅子に腰掛け、落ち着いた様子のマリアを見ていると、神主を見て感じていた緊張が和らいだ。
 知らずに入っていた肩の力が抜ける。
「おう、待っておれ。直ぐにそちらへ行くぞ」
 神主の奇行も、今のマリアを見ていると何とかなるような気がしてくる。
 ゆったりと座るシスターからは微塵の動揺も見られない。
 それどころか、神主を労わるような気配さえある。
 まぁ、今の神主の体調はひどいものだが……。
「ふー、ふー」
 自分で車椅子を押しているわけでもないのに、息を切らせながら舞台の下まで移動すると、神主が椅子からすくっと立ち上がった。
 そのまま舞台端の階段に向かって一歩踏み出し、カクッと膝から崩れ落ちた……。
 体が治りきっていないのに無理をするから。
 床に突っ伏す神主の姿に、何とも言えない気分になる。
 誰かが介抱しなければならないのか。
「早く助けんか!」
 上半身だけを起こした神主を、山伏達が慌てて車椅子に座らせる。
「おのれ、儂の魂は燃えているのに足が動かん。ええい、マイクを寄越せ!」
 もう、帰って休んだらいいのに。
 しまいには、ベットに括り付けられることになるぞ。
「あのー、叫ぶと体に障りますよ。いったん落ち着いて」
 今まで黙っていた大河内先生が、宥(なだ)めにかかるが
「マイクだ、マイクを!」
当然のごとく無視された。
 大河内先生が困った顔をしてマリアの方を見ると、マリアが頷いた。
 神主の暴走を受けて立つ気だ。
「さっさと持ってこないか! 待たせるな!」
 言いたいことを言うまで、収まりそうにない。 
 もはや大河内先生の段取りが、ぶち壊しだ。
 そんな状況の中、天野先生がマイクを片手に現れた。
 体育館前方の左端、ピアノが置かれている辺りに天野先生は立っている。
 誰も神主に近付かないので、気を利かしてくれたらしい。
 天野先生は、臆せずに神主へと近付いていく。
 華奢な感じの先生なのに、大した度胸だ。
 僕なら逃げ出している。
 神主は天野先生から、震える手でマイクを受け取った。
「儂が言いたいことは一つ」
 大音声が体育館に響いた。
 耳が痛い。
「日本は、天皇陛下が治める神の国。その秩序を乱すようなことは、あってはならん」
 しーん。
 想像の斜め上を行く発言だった。
 僕など、普段考えたこともない。
 そそっと天野先生が神主達から離れる。
 僕の隣で肩を震わす戌亥が、絞り出すような声で教えてくれた。
「そうだった。おじさんの家は、額縁に入った『教育勅語』が居間に飾ってある家だった」
 ああ、大河内先生が呆然としている。
 でも立ち直った。
 大河内先生の目に光が戻る。
「それは戦前の話で、今や日本は民主主義国家……」
「違うな。儂に言わせれば、民主主義など建前よ。国体は天孫降臨の昔から、今も変わっておらん」
 国体って、国民体育大会のことじゃないよね?
 天孫降臨って、『古事記』に出てくる話だったか。
「一体何の話をしているんですか。国体――天皇制国家は過去のことでしょう。昭和天皇も人間宣言をされているじゃないですか。日本はアメリカとの戦争に負けたんです」 
「いいや、負けておらん!」 
 きっぱりと断言する神主に、大河内先生が目を白黒させている。
 ここで言っている戦争は太平洋戦争のことだな。
 半世紀以上前に、広島と長崎に原爆を落とされて終戦を迎えたという――。
「というか、皇室が残り、アメリカの文化だか民主主義制度だかが入ってきたのに、宗教まで染まらなかったという意味では、むしろ勝ったと言える」
 迷い無く語る神主からは虚勢が感じられない。
 この人、本気で勝ったと思っているんだ。
「だというのに、今頃になってキリスト教教育とは、どういうことか。これは高天原に黒船で攻めてくるようなもの。この国の魂の危機である!」
 かっ飛んだことを言う神主に、大河内先生は口をパクパクし――神主に掛ける言葉が無い様子だ。
「今こそ赤心(せきしん)、純一無雑な精神に還り……ごほっ」
 と叫んだところで、神主が体をくの字に折り曲げた。
 車椅子の上だというのに、器用なことをする。
 本当に懲りないなぁ。
 ぐったりし、力が抜けた様子の神主に声を掛けたのはマリアだった。
「それはそうと、名前を伺っていませんでしたね。私はマリアと言います。見ての通り、神に仕えるシスターです。新カリキュラムに基づく道徳教育を実施するに当たり、日本政府からの要請を受けてアメリカからやって来ました。この学校での試みは、これから先、全国で新カリキュラムを行うためのテストケースになります」
 礼儀正しく答えるマリアを見ながら、神主の名前も知らないことに、今更ながら気付いた。
 いつもいつも、好き勝手にやって来ては、騒動だけ起こしていくからな。
 僕の中ではインパクトが強すぎて、もはや神主という名称だけで十分なんだが。
 神主はマリアの名乗りを聞いて、闘志が蘇ったのか椅子の上で背筋をの伸ばした。
「儂は、この町の産土神を祭る茂野延(もののべ)神社の宮司。大和泉滝麿(おおいずみ たきまろ)という者。地域の未来を憂い、姪が通う学校の運営について気に掛ける保護者の一人だ」
 戌亥がビクッと動いた。
 パイプ椅子が音を立てそうだったので、戌亥を抑える。
「どの口が、どの口が……」
「我慢しろ。気持ちは分かるが、堪(こら)えるんだ」
 叔父の活躍により、学校に居場所を失いそうになっている戌亥にとって、今の発言は神経に触るものだったたしい。
 どうどう。
 もごもごと叔父への不満を述べる戌亥を鎮めていると、戌亥の精神を削る一言が神の僕(しもべ)から放たれた。
「もしかして戌亥優子さんの叔父様ですか?」
 あ、言っちゃった。
 マリア、それは言っちゃダメだよ。
 大方、大河内先生が教えたんだろうけどさ――言って良いことと悪いことがあるよ。
 戌亥が不登校だか、引きこもりになったら、誰が責任を取るんだ。
「左様、優子は儂の姪。ゆくゆくは儂の養子になって神職の資格を取り、茂野延神社を継ぐ身で――」
「誰が継ぐかぁあぁ! 勝手に決めるなぁあぁ!」
 戌亥の絶叫が、体育館に響き渡った。
 止める間も無かった。
「やはり、この場におったか、優子よ! 掛かりおったな!」
 こちらを向くと、神主がニヤリと笑った。
 うわぁ、ハメられた。
 執念深い神主の性格を、もっと警戒するべきだった。
「さて優子よ、次期宮司として、所信を述べてもらおうか」
 罪の無い? 少女に、何をさせようとしているんだ。
 人生の選択肢を潰すつもりなのか。
 どさくさに紛れて、自分の跡継ぎを作るつもりなのか。
 だとしたら、この人、マジでひでぇ。
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