神も仏もいない国?

文字数 5,033文字

「お二人は何を訴えに、ここまで来られたのでしょうか?」
 恐る恐るといった様子で、大河内先生が声を掛ける。
 我先にと口を開いた二人を前にして、慌てた大河内先生は改めて念を押す。
「お一人づつで、お願いします」
 先生も気苦労が絶えないな。
 身勝手なエゴに翻弄される担任の先生に、僕は心から同情した。
「それでは私から喋らせていただきますね」
 加部首相が怪僧の機先を制すと、演台のマイクを掴んで話し始めた。
 言いたいことを言い終わるまで、マイクを放さないつもりなのだろう。
 がっちりと握っている。
 怪僧が凄い目つきで加部首相を睨みつけたが、加部首相は気付かない振りを決め込んだらしい。
「ところで皆さん、民主主義はお好きですか」
 なんだ、何を言い出すんだ?
「自由や平等って素晴らしいですよね」 
 面と向かって否定できないことを持ち出して、自分が言うことは正しいと観客に印象付けるつもりなのか。
 戸惑う観客達の様子に満足したのか、加部首相は声を大きくした。
「でも、現実には、なかなかその通りになっていないですよね」
 それはそうだ。
 目の前に大河内先生という見本がいる。
 先生のどこに、自由と平等があるのだろう。
「それは、どうしてだと思いますか?」
 主に、あなたと怪僧のせいだと思います。
「民主主義の精神が根付いていないからです。そもそも学ぶ機会が乏しいのが現状ではありませんか。学校でも、家庭でもきちんと教えていない。教育の問題なのです」
 公立高校の教師である大河内先生が、加部首相の発言を聞いて唖然呆然としている。
 遠回しに、教育現場が悪いと言っているようなものだからな。
「このような現状を変えるためには、どうすればいいか? 今日は皆さんに提案があります」
 提案と言っているけど、拒否権はあるのだろうか?
「日本は明治維新以後、近代化――より正確に言えば西洋化に励んできました。政治制度は勿論のこと、経済の仕組みや人々の生活も西洋を手本にしてきたわけです。しかし日本に欠けているものが一つあります。それは西洋の魂です。これ無くして、どうして民主主義国家になれるでしょうか。民主主義というのも、西洋の歴史や文化から育まれてきたものなのです」
 それはそうだろう。
 ここまでの話はおかしくないよな?
「そして、西洋の文化――魂を考える上で外せないのは、ギリシャ哲学とキリスト教なのです」
 そうきたか!
「日本が真の民主主義国家となるためには、国民を聖書とギリシャ哲学で鍛える必要があり……」
「何を言っておる! 貴様、日本をキリスト教国家にするつもりか!」
 我慢しきれなくなった怪僧が吼えた。
 怒り狂った猛獣のような迫力がある。
「ちょっと止めて下さい。今、いいところなんです」
 さすがの加部首相も気圧されたようだ。
 腰が引けている。
「この虚(うつ)け! 黙って聞いておれば、好き放題言いおって! やっていいことと悪いことの区別がつかんのか!」
 額に青筋を浮かべた怪僧はマジで怖い。
 近寄ったら、切り捨て御免でたたっ斬られそうな雰囲気だ。
「そうは言いましてもね、西洋世界の根っこにはキリスト教がありますよ。加えてギリシャ哲学も、キリスト教の教義を整える上で外せない役割を……」
 加部首相が押されている。
「黙らっしゃい! 日本の宗教政策については、M元帥と話がついておる。今になって、ぐだぐだ言うんじゃない」
 あ、戦後の密約が明らかになったぞ。
 これが本当なら、一大スキャンダルだ。
「それはそれは、結構なことで……」
 あれ、加部首相がニヤニヤし始めたぞ。
 急に強気になって、どうしたんだ?
「戦後の日本は政教分離を基本とし、公教育や政治に対して宗教は直接介入を行わない。これは既に決まったこと、お前がどうこうできることではない。おとなしく諦めよ!」
 このような取り決めが、歴史の裏でなされていたとは。
 するとマリアが日本にやって来たことは、先方が約束を反故にしたとも受け取れるな。
 怪僧が学校に現れたのも、マリアを通してアメリカ本国に抗議するためだったりして。
「ふふふ。でも、いつまでも御前の言う通りになると思ったら大間違いですよ」
「貴様、ここまで言ったからには……ただで済むと思うな」 
 怒りが脳天を突き抜けたのか、怪僧の気配が変わった。
 静かにドスの利いた声を出す。
 怪僧が加部首相を見る目が冷たい。
 冷たい上に、視線だけで人が殺せるんじゃないかというぐらいに、力が籠っている。
「普段なら、御簾の向こうから咳払いするだけで、周りの人間が鉄砲玉になってくれるんでしょう。しかし、ここでは、そんな神通力は使えないですよね」
 込み上げてくる笑いを必死に押し殺しているが、やがて抑えきれなくなり高笑いを始めた加部首相。
 命の危険を感じてもおかしくないのに、どうして加部首相は、こうも余裕があるんだろう?
 目の前にいる怪僧は、殺気と言ってもいい気配をビンビン放っているというのに。
 加部首相は何か切り札を握っているのか。
「いや失礼。私としたことが、はしたない真似をしてしまいました。本題に戻りましょう。私が提案するのは、御前がM元帥と結んだ契約の更改です。古い契約に縛られている限り、いつまで経っても同じことの繰り返し。私は海外留学でつくづく実感したんです。何が白か黒かもはっきりしない曖昧な対応しかできない人間は、このグローバル化の世界で生き残れないと。古い形を捨てて日本は次の段階に進むべきなのです。そのために、国民は心の中に軸となるものを持たねばならない。そのために私は、新たな契約を結ぶことをここに宣言します!」
 加部首相は、自分の心の軸にキリスト教を置いてるかもしれないけど、他の人まで巻き込むのはどうなんだ?
 契約を変えるにしても、相手がいることなのに、どうするつもりなんだろう。
「馬鹿が! 本当に、そんなことができると思っているのか。お前が言っているのは、現行の社会秩序をガラガラポンと壊し、新たな社会を造ると言っているのに等しいのだぞ。そもそも、何十年も前に決まったことを蒸し返して、誰が相手にするものか!」
 まぁ、今更そんなことを言われても、困ると言えば困るよな。
 加部首相が語る過去の経緯が本当だったとして、だから何――とつれない態度を取る人は多そうだ。
 戌亥なんて、眠そうな目で欠伸を噛み殺しているし。
 そのうち、羊でも数え始めるんじゃないか。
「今ある社会の形が、自分の気に入るかどうかは別にして、社会を守り維持するのが、お前の仕事であろうに。革命でも起こすつもりか!」
 体制のトップにいる人間が革命ですか。
「革命も何も、これが世界標準です! 一太郎や書院しか使おうとしない人間に、私はWordやExcelの操作を教えようとしているんです。御前も手書きの手紙にこだわるのではなくて、メールの一つも使ったらどうですか」
 話のレベルが、ガクッと落ちたぞ。 
「それだから、お前は字が汚くなる一方なのだ。もっと心を込めて書け。今年の年賀状は何が書かれているか、読み取れなかったぞ。習字から始め直したらどうだ」
 あ、話が脱線している。
「時代遅れの糞ジジィ!」
「西洋かぶれの糞ガキめ!」
 もはや、言っていることが子供の喧嘩だ。
「門徒に寄生している妖怪が! 社会の癌め!」
「そう言うお前は、世間知らずのお坊ちゃんだろう!」
 その後も二人は互いを罵り続けた。
 正直に言って、国民の皆さんには見せられない光景だったと思う。
 そして二人の醜い争いを見るのにも疲れてきたころ、加部首相が自分の腕時計をチラリと見た。
「どうやら準備が整ったようですね。私が世間知らずのお坊ちゃんでないことが、これではっきりするでしょう」
 怪僧から言われたことを根に持っているな。
 器が小さいぞ。
「モニターを点けてください」
 加部首相の合図に合わせて、舞台の上のモニターが点灯する。
 そして映し出される星条旗、星条旗?
 更なる混迷の予感を感じていると、体育館のスピーカーから、英語の歌が流れ始めた。
 勇壮な合唱だ。
 歌詞は分からないが、どこかで聞いた覚えがある。
 天野先生がいてくれたら分かるんだろうが、あの人はどこに行ったんだ?
 合唱が終わると、画面が切り替わった。
 映し出されたのは、西洋人男性のバストアップだった。
 元は金髪だったと思しき白い髪、頬は痩せているが目元に力がある。
 角ばった鼻の下には整えられた白い髭。
 上等そうなスーツを着こなした初老の男性は、ロマンスグレーの紳士といった出で立ちだ。
 この人は……。
 視線を正面のモニターからチラッと外すと、マリアの眉がピクッと上がるのが分かった。
「日本の皆さん、こんにちわ。アメリカ合衆国大統領ヨーゼフ・ガブリエルです」
 流暢な日本語で語り掛けてきたのは、世界一の権力者? だった……。
 え、え~!
 すると、さっきまで流れていた歌はアメリカの国歌だったのか。
 度肝を抜かれたのか、怪僧が目を剥いている。
 ざわめき出す会場。
 弛緩していた空気が、一瞬で変わったぞ。
 見ると戌亥の鼻息が荒い。
 自分好みのオジ様が現れて、興奮しているようだ。
 とは言え、年頃の娘がすることではないな。
 これ戌亥、目の前に人参をぶら下げられた馬じゃないんだから、おとなしくしなさい。
 がっつくんじゃありません。
「皆さん、落ち着いてください。御前を驚かせようと思って黙っていましたが、スペシャルゲストを招きました。大変遠方におられるため、衛星回線を使って参加していただきます」
 加部首相が慌てて事態のフォローに入るが、言うのが遅い。
 不安に駆られた会場の参加者達は戦々恐々としている。
「何も取って食おうというわけじゃありませんからね、怯えないでください」
 予想していた反応と違ったのだろう、加部首相が困った顔をしている。
 会場のあちこちで、互いに顔を見合わせる人が続出し――
「まずは、ここにいる人達の身の安全を保障してください」
マリアの声で静かになった。
「突然の事態で、皆さんが混乱されています。約束してもらえますか?」
 淡々と落ち着いた声だが、一歩も退かないぞ――という強い意志がマリアの顔には浮かんでいる。
「それは、もちろんです。日本政府が責任を持って、皆さんの安全は保障します」
 加部首相が胸を張る。
 マリアは加部首相を見た後、モニターのガブリエル大統領に視線を移した。
 どうやら、ガブリエル大統領にも会場の様子が伝わっているらしい。
 ガブリエル大統領が頷くのを見て、マリアも警戒を解いた。
 ほっと息を吐いている。
 一先ず、これで安心だ。
 まさかとは思ったけど、CIAのエージェントに狙われたりすることもないようで何よりだ。
 しかしなぁ、マリアの様子を見ていると、この展開はマリアにも知らされていなかったようだし、これからどなるんだろう?
「ではガブリエル大統領、御前がM元帥と結んだ契約を破棄し……」 
「ちょっと待たんかぁあぁあ!」
 意気揚々と契約更改に臨んだ加部首相を止めたのは、目を血走らせた怪僧だった。
 鬼気迫る表情をして、悪鬼のようだ。
 目にはみえないけど、頭には二本の角が生えているんだろう。
「天地が引っ繰り返るようなことを仕組みおって、何を考えているのだ!」
 今にも加部首相に掴みかかりそうな勢いだが、加部首相は平然としている。
 本当に危なくなれば、SPが止めに入るからだ。
 会場内に何人か待機しているのを、僕は見掛けている。
 舞台の下にも二人、いや三人がいつでも動けるように準備しているのが、僕の席からでも分かった。
「御前、何を仰いますか。M元帥と結んだ契約を更改するためには、M元帥以上に偉い方と交渉すしかない。それだけの話です」
 交渉と言うか、すでに出来レースな気がする。
「貴様、本気か。国民の精神に手を加え、この国を神も仏もいない国にするつもりか!」
「いえGODがいます」
 ああ言えば、こう言う。
 というか、加部首相の意志はあっても国民の意志は置き去りにされてません?
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