Human Revolution!

文字数 5,361文字

「これから私が日本に築くのは穢れ無き白亜の世界です。国民の皆さんには、キリスト者から尊敬されるキリスト者を目指してもらいます」
 どこか恍惚とした表情で、自分の夢を語る加部首相。
 目には見えないけど、背中から危ない人オーラが出ているぞ。
 この人は理想に純粋過ぎて周りが見えないんだな。
「この大馬鹿者! お前にそんな権利などない! 民主主義を標榜しながら、非民主的な手段で国民を変えようとするとは聞いて呆れるわ! そんなことを誰が頼んだ、独りよがりな善意を上から押し付けているだけにすぎん。言っていることが矛盾しているぞ」
 あれ、怪僧がまともそうに見える。
 僕の目は、いつからおかしくなったんだ?
 しかし加部首相は、怪僧をせせら笑った。
「M元帥と密室でこっそりと決められた御前よりは、はるかにましです。ちなみに私は民主的な手段で首相に選ばれました。そのような私がすることは、国民の総意と言えるのではないでしょうか」
 完全に開き直っている。
「詭弁を弄すな! 悪質な詐欺ではないか」
 顔を真っ赤にしている怪僧を見ていると、頭の血管が切れないか心配になってきた。 
「そうでしょうか。私は自分の考えを折に触れて語ってきました。首相になるずっと前からです。『Human Revolution』という題名で本も出しているんですよ。あまり売れませんでしたがね。とはいえ、このような人間が政治のトップにまでなった。この意味を考えてもらいたいものですね」
 誰も本気だと思わなかったんじゃないかな。
 加部首相の本も、トンデモ本の類と思われていたんだろう。
「お前が出した本だと――。あれか、お前が信じる道では万人が司祭だから、万人に司祭教育を施すという世迷言が書かれた……」
 怪僧が愕然とした表情をしている。
「私の魂が込められた名著です。この世に宗教者などという特別な存在はいらないと、私は考えます。なぜなら、天の国は全ての人に開かれているのですから。一人一人が信仰を灯として生きていけばいいのです。そのためには、宗教者と呼ばれて人が独占している専門的な知識をあらゆる人に開放し、全ての人が宗教者並みの教養を持てるようにすればいいのです」
 加部首相は本気だ、本気で言っているんだ。
「待て、待たんか!」
 怪僧が出す制止の声も、自分の理想しか見えない男には届かない。
「すでに小波(さざなみ)書店に依頼して、『素読 聖書』というテキストを準備しています。これは無料で全ての国民に配るもの。学校教育では、このテキストを元に、人間いかに生きるべきかという至上命題について語り合うことになります。全ての国民に自己の信念が確立しなければ、厳密な意味での民主主義は成り立たないのです」
 加部首相が造りたいのは、民主主義国家というよりキリスト教国家だよな?
 この二つは加部首相の中で一つになっているんだろうけど。 
「さぁ、ガブリエル大統領! 私と共に、この国へ福音をもたらすのです」 
 どうしよう、誰も止める者がいない。
 このままだと道徳教育という範疇を越えて、僕も戌亥もキリスト教に思想改造される羽目になるんじゃないか?
 自分が自分でなくなるのではないかという不気味な予感がしてたまらない。
 清く正しく美しくなった日本で、僕や戌亥はボランティアでもしているんだろうか。
「あー、この渋さがたまらない」
 モニター越しのガブリエル大統領を見つめながら、戌亥がうっとりとした声を出した。
 ただの女子高生が理解できる限界を超えてしまったのだろう。
 戌亥は考えることを投げてしまったようだ。
 会場を見回しても、ポーっと間の抜けた顔をしている人が多い。
 目の前の光景が悪い冗談にしか思えず、何をすればいいか分からないんだな。
 早く悪い夢から覚めてほしいという心の声が聞こえるようだ。
「では、ここに旧き契約を破棄し、新たな契約を結ぶことを……」
 ガブリエル大統領が決定的な一言を言おうとして――
「待って下さい」
マリアに止められた。
 この状況に割って入るとは、マリアは鋼の心臓でも持っているのか!
 これだけの面子を前にして、臆したところが全くない。
「契約の前提に重大な瑕疵(かし)があると、私は主張します」
 しかも真っ向から批判を始めたぞ!
「シスター。これは国家間のことで、今更どうなるものでも……」
 慌てて加部首相がマリアを宥めにかかるが、
「発言を認める」
ガブリエル大統領に梯子(はしご)を外された。
「ガブリエル大統領、意見表明の機会をいただき感謝します。私が恐れるのは、この国になんちゃってキリスト者を大量に生み出すことです。加部首相はともかくとして、この国の人間に、契約という概念が、どれだけ浸透しているか私は疑問に思うのです」
 なんか難しい話になってきたな。
「そもそもの話として、契約を結ぶためには、契約によって物事を解決するという習慣が、契約を結ぶ双方になければいけません。しかし日本には、そのような習慣が一般的ではないと、私は感じるのです」
 日本に来てからの、マリアの苦労が偲ばれる話だ。
 例えば僕と戌亥の間に問題が起こっても、筋道立てて話し合うより、一緒にパフェでも食べて仲直りが普通だし、僕の両親や町内会の付き合いを見ていてもそうだ。
 まぁ、親しい間ほど、言わなくても通じてるって思うしな。
 契約とか法律などは、よほど改まった場面でしか意識しないと思う。
「ここで新たな契約が結ばれたとしても、その意味がよく分からないの人が大部分ではないでしょうか。最初こそ大騒ぎになるでしょうが、人々はやがて関心を失い、数年の内に一過性のブームとして終息する――これが私の未来予想です」
 結局、何も変わらない。
 マリアの絶望的とも取れる主張に、加部首相が血相を変えた。
「シスター、それは余りに悲観的過ぎます。国民の皆さんには、丁寧な説明をしていくつもりです」
 加部首相から必死さがビンビン伝わってくる。
 それだけマリアの言葉に説得力と強い不安を感じたんだ。
「この国の人間は変わらなければならないのです。そうでなければ、私がしてきたことは……」
 加部首相の中で、様々な感情が駆け巡っているのだろう。
 ぐっと何かに耐えるような顔をしている。
 その間に怪僧がマリアの顔をしげしげと見ると、眉根を寄せた。
「その碧い瞳に、揺るがぬ気迫。相手の心に届く理路整然とした弁舌。遠い昔にも、同じ者に出会った覚えがある。お前は、まさか……」
 何かを思い出したらしい。
 マリアを見て独り慄いている。
「これが因果か!」
 泡を食っている怪僧を置いておいて、マリアは視線を会場に向けた。
「会場に集まられた方の意見を聞いてみましょう。多田野君、出て来て下さい」
 は?
 マリアは何を言っているんだ。
 何かの聞き間違いだよな。
「政治的立場を持たない、その辺りの道行く人の考えというのが、日本という国を現す最大公約数だと私は考えます。会場に来られた方には、当初から、そのような話を伺うつもりでした。ですが、大部分の人は話ができる状態ではないようですね」
 そりゃそうだ。
 異常な事態の連続で、頭が一杯一杯だもの。
「舞台の上から見える範囲で落ち着いているのは、多田野君くらいなんです。戌亥さんとも話したかったですが、ダメみたいですね」
 戌亥は自分の名前を聞くと、手で口を押さえてうずくまった。
 過大なストレスが一気に掛かったせいで、胃の中身が逆流しそうになったらしい。
 戌亥の背中をさすってやりながら、僕はある程度の耐性ができてしまった自分が悲しかった。
 僕にしても、他人事だと思っていたから冷静でいられただけなんですが!
 今すぐにでも逃げ出したいです。
 
 あー、僕は何をしているんだろう。
 逃げることがかなわず、僕は今、舞台の上にいる。
 目の前には、大画面のモニターに映ったガブリエル大統領。
 客席には心配そうな顔で僕を見ている戌亥。
 舞台の隅では、互いを牽制し合っている加部首相と怪僧がいる。
 マリアと大河内先生は、モニターの横で僕の方を見ていた。
 表面上、いつも通りのマリア。
 大河内先生は僕に向かって、気の毒そうな視線を向けている。
 先生、そんな顔をするなら、僕と代わって下さい!
 気が付けば、舞台の真ん中で一人きり。
 誰も助けてくれそうにない。
 会場中から同情されている気がする。
 さっきから、ガブリエル大統領が僕を興味深そうに見ているんだけど、僕なんて、どうということもありません。
 変な期待をしないで下さい!
 あのまま傍観者でいたかったのに、当事者になるなんて。
 一般人代表みたいになっているんだけど、何を話せばいいんだ?
 僕の手ににあるのは、大河内先生から渡された『詳細 日本史C』という教科書だけ。
 舞台に上がるときに大河内先生と話したんだけど、
「多田野、大変だと思う。自分がお前に渡せるものと言ったら、これしかない。何の役にも立たないかもしれないけど、がんばってくれ」
と大河内先生から託されたのだ。
 先生、もっと他に言うことがあるでしょう。
 日本史の先生だからって、これは直球過ぎるじゃありませんか。
 今こそ、学校の勉強は役に立つとご自分で証明するときです。
「すまん、多田野。無力な自分を許してくれ」
 泣きそうな顔になってきた大河内先生に懇願されたのが、つい三分程前のことだ。
 そして今に至る。
 なんてこった……。
 あぁ、神の存在を信じたことはないけれど、悪魔ならいるのかもしれない。
「多田野君と言ったか、少しの間、私と話をしてみないかね」
 ガブリエル大統領は、気取った物言いで僕に語り掛けてきた。
 通訳も使わずに、見事な日本語を喋るものだ。
 低く理知的な声、それでいて聞くものを安心させる余裕が言葉の端々に感じられる。
「なぁに畏まる必要は無い。ただの世間話と思ってくれればいい」
 こんな場所で世間話も何もないだろうに。
「君は我が国への留学経験があるんだったね」
 なぜ、知っているんだ!
「そう怖がらなくてもいい。この場にいる全ての人間のプロフィールを把握しているだけのこと。深い意味は無い」
 え、マジ。
 個人情報がダダ漏れなんだけど、それって空恐ろしいことなんじゃないですか?
「一連の騒動を間近で見てきた者として、君の考えを教えてもらえるかな」
 もしかして、かなり前から監視してません?
 やけに僕の状況に詳しいんですけど。
 家の部屋に集音マイクだか隠しカメラだかを仕掛けてないですよね。
 心配になってきて仕方がないです。
「はっはっはっ」
 ガブリエル大統領は笑って誤魔化している。
 うーん。
 気になることは多いけど……今は腹を括るしかない。
 異常事態続きで、僕の脳味噌はこれ以上悩むことを止めた。
 しかし、何から話せばいいんだ。
 そうだ、これだ!
「大統領、曖昧なのは、それほど悪いことなのでしょうか?」
 あ、ガブリエル大統領が怪訝そうな顔をしている。
 前置き無しで、話を飛ばし過ぎたか?
「あくまで僕から見た印象でしかないんですが、よろしいですか」
 ガブリエル大統領が頷くのを見て、僕は息を吸い込んだ。
「マリアが学校にやって来てから今日まで、それこそ目を覆いたくなるような事件が何度もありました。何で、こんなことが起こるんだ? マリアも神主も怪――老僧も何にこだわって争っているのか分からない。みんな仲良くでいいじゃないかと僕は思ってきました」
 うわぁ、周囲からの視線を感じる。
「お互い、自分の領分を守り、互いに干渉しなければ平和になるのにと思い――嵐が過ぎ去るのを待とうとしました。それは叶わなかったですけど。確固とした信念というのを持つと、誰かと思いっきりぶつかりますよね。僕は――クラスメイトの多くにしても、そういうのが苦手なんです。自分が生活している小さな世界が壊れてしまうんです。他人から見たら、ちっぽけな世界なんでしょうけど、そこから弾かれたら生きていけないんです。僕は海外留学の失敗で気付きました。体一つで、世界を股にかけて働くような人間は恰好いい。でも、そんなことができる人は少ない。語学ができるとか、頭の回転が速いとかでは足りないんです。だから、そう――子羊でも生きていけるように、そっとしておいてほしい。無理に変えようとしないでほしい」
 対マリア用に用意した台本を思い出しながら、僕は自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
 僕って、こんなことを考えていたっけ?
 図書室に置いてあった本を何冊か読みながら、それらしい考えを繋げただけじゃなかったかな。
「ふぅむ、実に興味深い。思っていたよりも、物事を考えているようだね。誰かの受け売りを寄せ集めたにしても、なかなかのものだよ」
 バレバレだ。
 このまま気付かない振りをしてくれても良かったのに。
 アメリカ大統領の壁は、やはり厚かった。
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