お空が青い(完)
文字数 5,422文字
「やっと解放された」
自宅に帰った僕は、居間のソファーにもたれかかりながら、げっそりとしていた。
マリアに気力をガリガリ削られ、ダウン寸前のボクサーになった気分だ。
一時はどうなるかと思ったものな。
マリアから言われた
「神父と禅僧のお二人にならいまして、今際の際まで、語り合うとしましょうか」
という言葉には、空恐ろしいものを感じた。
マリアの語る神父と禅僧は、お互いの命が尽きるまで語り合う関係にあるらしい。
二人は出会う度に論争になり、今後ともよろしく――死が二人を別つまでと言って別れるのだそうな。
羨ましい関係だろうか、これは。
マリア恐るべしといったところだ。
「考え過ぎると鬱になるな」
気分を変えるために、部屋のテレビを点ける。
テレビのリモコンを操作して、チャンネルを変えていると『緊急特報』というテロップが流れている番組を見つけた。
地震でも起こったのか?
あ、画面が切り替わった。
なんか見覚えのある建物が映ったぞ。
学校じゃないか!
ナレーターと思しき、マイクを持った男性が現れた。
「本日、この学校で信じられない出来事が起こりました」
マスコミに嗅ぎつけられたか。
あれだけの騒ぎだ、どこからか情報が漏れてもおかしくない。
「今日一日の間に、加部首相の姿が目撃され、未確認ですがアメリカのガブリエル大統領も……」
思わずチャンネルを変えた。
明日、登校するさいは、マスコミが来ていないか注意するか……。
この事態を冷静に考えている自分に気付いて、何とも言えない気分になる。
自分も染まったものだ。
煤けた色に。
もう、布団をかぶって寝ることにしよう。
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
こんな時間に、誰?
ピンポーン、ピンポーン。
居留守をしようかと思っている間も、絶え間なくインターホンが鳴り続ける。
最後は、ガンガンと玄関の扉を叩く音がした。
渋々、インターホンのモニターへと移動する。
正直に言って、これ以上の厄介に巻き込まれたくないのだが。
恐る恐るモニターの画面を見ると、そこには戌亥が映っていた。
「仁、開けて!」
スピーカーから戌亥の焦った声が聞こえる。
「分かった、すぐに開けるから!」
通話ボタンを押して声を掛けると、慌てて玄関へと向かう。
ドアの鍵を開けると、戌亥が飛び込んできた。
「どうした戌亥、今度は何があった」
「説明は後、とにかく鍵を掛けて」
切羽詰まった様子の戌亥に、僕は従った。
ドアに鍵とチェーンロックを掛ける。
居間に戌亥を連れていくと、戌亥は窓カーテンを引き、カーテンとカーテンの隙間から外の様子をしきりに気にしている。
しばらくして、差し迫った危機はないと安心したのか、戌亥が床にへたりこんだ。
「おい、何がどうなっている?」
「聞いて~、おじさんの同類達がやって来て、もう町は無茶苦茶よ」
へ?
戌亥よ、何を言っているんだ。
「仁はまだ知らいないみたいだけど、今日の騒ぎを知った――変な人達が町に押し掛けているの」
なんですか、その人達は?
「自称、仏陀の再来とか、神の使徒とかが、集団を引き連れて通りを歩いているのよ! 私は家に帰る途中でバッタリ出くわして、慌てて引き返したわ。でも、どんなに迂回しても、家にたどり着くまでに出会うのよ」
なんか苦労しているな。
心底、同情する。
戌亥をソファーに座らせると、僕は台所に行き、冷蔵庫から麦茶の入った瓶を取り出した。
ついでにグラスを一つ用意してから、居間へと戻る。
「どうして、この町にやって来たんだ?」
グラスに麦茶を入れて差し出すと、戌亥は一気に飲み干した。
ぷはぁーと息を吐くと、戌亥も落ち着いたようだ。
「知らないわよ。おおかた、今日のことが間違って伝わったんじゃない」
例えば――国のトップに会って、直接話すチャンスがあるとか?
アピールの機会だと思って来てみたけど、目的の人物が見つからなくてウロウロしていると考えれば、理解できなくもない。
傍迷惑な話だけど。
「電話を借りてもいい。私のスマホは、電池が切れてて使えないの。ママとパパが心配しているはずだから、安心させたいの」
居間の隅に電話機があることを教えると、戌亥はソファーから立ち上がった。
すたすたと移動し、電話の受話器を取る。
番号を押す電子音がした後、どこかへつながった。
戌亥の話し声が聞こえてくる。
「もしもしママ、私、優子よ。おじさん? 大丈夫、なんとかなったわ。今は、友達の家にいるの」
こんな会話を聞いていると、日常に帰ってきたような気がする。
「私は元気よ。家に帰りたいんだけど、通りには変な人達が来ているでしょ。帰りたくても、帰れないのよ」
いかん、非日常に戻された。
「え! 帰ってくるな。今帰るとまずい?」
雲行きが怪しいな。
戌亥の背中が震えている。
「おじさんの友達が何人も家に押し掛けてる! 神社の跡継ぎが決まったとかで祝いを持ってきた? ちょっと待って、私は継がないからね」
戌亥をよそにして、勝手に話が進んでいるな。
「私が現れると、なし崩しで次期宮司にされるって――そんなのありか!」
戌亥の母から、残酷な知らせがもたらされた。
目も当てられないとは、このことだ。
「誤解を解くのに必死だから、今晩はどこかに泊まれ? そんな、どうするの。え、友達を頼ってくれ。ちょっと、切らないで、もしもし」
ツーツーツー。
電話が切れたことを教える発信音が、無情な現実を教えてくれた。
「仁、ごめん。一晩泊めて」
振り返った戌亥は涙目になっている。
身内が原因で不幸続きの戌亥を見ていると、なんだか可哀そうになってきた。
薄幸の少女という言葉が頭に浮かぶ。
「僕としてはいいんだけど、父さんと母さんに、なんて説明するかな」
母さんがパートから帰ってくる時間まで、あまり余裕はない。
だが、母さんを説得できれば、父さんはどうにかなる。
なんと言って丸め込むかな。
戌亥と二人で頭をひねる。
結論から言えば、僕と戌亥で必死に頼み込んでのが良かったのか、母さんは協力してくれた。
残業で遅くに帰ってきた父さんは、目が点になっていたけどね。
そして日常を守るための闘いが始まった。
街を歩けば、宗教の勧誘に遇うことが度々発生。
学校の校門付近では、見知らぬ人が『何とか教の聖典』を無料で配っている。
あなた、許可を取ってないでしょう。
公開討論会が終わってから、僕が住んでいる町は変わった。
変わったというか、今まで陰に潜んでいた宗教系の人達が表に出てきたのだ。
一連の騒ぎを聞きつけて、開き直ってしまったのだろう。
道で擦れ違っても堂々としている。
さらには、近隣から聞いたことのない宗教団体が引っ越してくる始末。
地方都市だから、地価と物価は安いんだけど。
郊外に本部施設を建設している。
完成すれば、山間に要塞のような建物がそびえることだろう。
どうして、こうなった?
対する町の住民達は、押し寄せる異変に対し、決然と顔を背けている。
目の前に、よく分からない人が現れても、視界に入れないようにして通り過ぎるのだ。
自分の理解を越える事態から精神を守るために、現実を見ないようにしようとしているのだな。
街を往く人達からは、認めるもんか! 変わるもんか! という強い意志を感じる。
これが、住民が無意識に選んだ闘いなのだろう。
その気持ちは分かる。分かるが――見通しは暗い。
父さんから聞いた話だけど、既に土地を売却した人が何人もいるんだそうだ。
土地を購入したのは、これまた宗教関係の人らしい。
「この町は、どうなってしまうんだ」
思わず、呟きが漏れる。
昨日は、町に社会学者が調査にやって来た。
学問の世界では偉い先生らしい。
町の変化は、学問のテーマとして取り上げるられるまでになったのか。
何でそんなことを知っているかと言えば、学校に調査協力の依頼があったからだ。
権威に弱い風邪緑校長は調査に協力し、学校内にアンケート用紙が配られた。
現状について何を思いますか? という質問に、僕は適当なことを書いたな。
集めたアンケートを基に立派な論文を書くのだろう。
社会学者に続き、今日は学校にジャーナリストが来ている。
地方の町で変わったことが起こっているということで、ドキュメンタリー番組を作りたいらしい。
そのために、インタビューに答えてくれる人が必要なんだそうな。
校長先生、いい恰好をしようとして、何でもかんでも引き受けないでください。
仕事を押し付けられた大河内先生が、胃の辺りを押さえています。
大河内先生は、本当に苦労が絶えない。
僕も社会人になると、会社の上司から理不尽な仕事を振られたりするのだろうか?
「はーい、カメラを回します」
自称ジャーナリストが、肩に担いだカメラの録画スイッチを入れた。
僕は今、教室にいる。
他にいるのは大河内先生にシスター姿のマリア。戌亥も呼ばれたのだが辞退し、佐藤は直ぐに暴走するので外された。
いつの間にか、御馴染みのメンバーになってしまった。
他に引き受ける者がいないとはいえ、僕も当然のごとく巻き込まれている。
何を答えろというんだ?
授業は終わり、すでに生徒は帰る時刻なのだが、教室の外には中の様子を窺う者達が詰めかけている。
なんなら、僕の代わりに出演してくれてもいいんだよ。
「ま、まずは私から、答えましょう。わ、私は、この学校で日本史の教師をしています。今回は多文化の共存というテーマで取材の申し込みがあり、この町で起こっている変化について聞きたいとのことで、ことで……」
緊張でガチガチの大河内先生が喋りだした。
今にも舌を噛みそう。
そのことで余計に焦ったのか、先生の額に汗が浮かんでいる。
「だから、私は――」
余裕の無い先生を置き去りにして、無情にもカメラは回り続ける。
ダメだ、止めないと。
僕が声を上げようとしたところで、マリアが口を開いた。
「大河内先生は大変緊張されています。インタビューに答える順番を変えましょう。多田野君、先に話してもらえますか」
ここで僕ですか!
順番では、大河内先生の次が僕ですけど、心の準備ができてないです!
「さぁ、どうぞ」
マリアに促されて、僕は話し始めた。
「何を話せばいいのか分からないんですが、今、この町で起こっていることは混乱です。多文化の共存というテーマで取材で来られているのに申し訳ないんですが、町の変化に、みんな戸惑っているんです」
目の前にいる、カメラを構えた髭面の男には悪いが、これは言わないといけない。
「昨日、学校へやって来た社会学者の先生が期待していたんですけど、住民の間で意識の変革が起こっているなんてことは――僕の知る限りではないです」
むしろ、我関せずの態度が広がっている。
「だから、町の現状をありのままに伝えてください。結論を簡単にまとめるような番組にしないでください」
誤解と偏見を煽るようなことだけは、絶対にしないでほしい。
僕の訴えに感じるものがあったのか、ジャーナリストの瞳には真摯な光が宿っている――ように見えた。
見えたんだけど、後日公開されたドキュメンタリー番組では、『多宗教の共存、日本一進んでいる町』というキャッチコピーでテレビ放映され、僕の願いは思いっきり裏切られた。
恨んでやる!
似非ジャーナリストめ!
学校に謝りの手紙を送ってきたが、事後報告だった。
テレビ局に提出したテープを、編集者が勝手に内容を変えたとか書かれていたが、もう遅い。
町全体をどんよりとした空気が覆っている。
それが意味するのは、後戻りできないところまで来てしまったんじゃないか? という不安だ。
変わりたくなくても、変わらざるをえないように迫る圧力を感じる。
日本史の教科書を読みながら、歴史の変わり目に翻弄される民衆も、こんな状態だったのかと思った。
お、教科書の行間を読めるようになったぞ。
マリアの登場に始まり、公開討論会を経て、事態はより混沌となった。
これからどうなるか、全く読めない。
「この先、ろくでもないことが多々起こるだろう。だが、希望をなくすなよ。どうか強く生きてほしい」
働き過ぎて、保健室のベッドで横になっている大河内先生から聞いた言葉だ。
そんなことを言われても困るのだが、僕は頷いた。
良くないフラグを立てるようなセリフだと思ったが、そっとしておく。
そして疲れが溜まっていた先生は、すぐに鼾をかき始めた。
起こさないように、静かに保健室の扉を開けると廊下を歩く。
途中、天野先生を見掛けた。
大河内先生の様子を見に来たのかな?
僕は、これからマリアの授業だ。
俯きそうになるけれど、それはしない。
顔を上げると、廊下の窓から見える空は、どこまでも青かった。
<完>
自宅に帰った僕は、居間のソファーにもたれかかりながら、げっそりとしていた。
マリアに気力をガリガリ削られ、ダウン寸前のボクサーになった気分だ。
一時はどうなるかと思ったものな。
マリアから言われた
「神父と禅僧のお二人にならいまして、今際の際まで、語り合うとしましょうか」
という言葉には、空恐ろしいものを感じた。
マリアの語る神父と禅僧は、お互いの命が尽きるまで語り合う関係にあるらしい。
二人は出会う度に論争になり、今後ともよろしく――死が二人を別つまでと言って別れるのだそうな。
羨ましい関係だろうか、これは。
マリア恐るべしといったところだ。
「考え過ぎると鬱になるな」
気分を変えるために、部屋のテレビを点ける。
テレビのリモコンを操作して、チャンネルを変えていると『緊急特報』というテロップが流れている番組を見つけた。
地震でも起こったのか?
あ、画面が切り替わった。
なんか見覚えのある建物が映ったぞ。
学校じゃないか!
ナレーターと思しき、マイクを持った男性が現れた。
「本日、この学校で信じられない出来事が起こりました」
マスコミに嗅ぎつけられたか。
あれだけの騒ぎだ、どこからか情報が漏れてもおかしくない。
「今日一日の間に、加部首相の姿が目撃され、未確認ですがアメリカのガブリエル大統領も……」
思わずチャンネルを変えた。
明日、登校するさいは、マスコミが来ていないか注意するか……。
この事態を冷静に考えている自分に気付いて、何とも言えない気分になる。
自分も染まったものだ。
煤けた色に。
もう、布団をかぶって寝ることにしよう。
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
こんな時間に、誰?
ピンポーン、ピンポーン。
居留守をしようかと思っている間も、絶え間なくインターホンが鳴り続ける。
最後は、ガンガンと玄関の扉を叩く音がした。
渋々、インターホンのモニターへと移動する。
正直に言って、これ以上の厄介に巻き込まれたくないのだが。
恐る恐るモニターの画面を見ると、そこには戌亥が映っていた。
「仁、開けて!」
スピーカーから戌亥の焦った声が聞こえる。
「分かった、すぐに開けるから!」
通話ボタンを押して声を掛けると、慌てて玄関へと向かう。
ドアの鍵を開けると、戌亥が飛び込んできた。
「どうした戌亥、今度は何があった」
「説明は後、とにかく鍵を掛けて」
切羽詰まった様子の戌亥に、僕は従った。
ドアに鍵とチェーンロックを掛ける。
居間に戌亥を連れていくと、戌亥は窓カーテンを引き、カーテンとカーテンの隙間から外の様子をしきりに気にしている。
しばらくして、差し迫った危機はないと安心したのか、戌亥が床にへたりこんだ。
「おい、何がどうなっている?」
「聞いて~、おじさんの同類達がやって来て、もう町は無茶苦茶よ」
へ?
戌亥よ、何を言っているんだ。
「仁はまだ知らいないみたいだけど、今日の騒ぎを知った――変な人達が町に押し掛けているの」
なんですか、その人達は?
「自称、仏陀の再来とか、神の使徒とかが、集団を引き連れて通りを歩いているのよ! 私は家に帰る途中でバッタリ出くわして、慌てて引き返したわ。でも、どんなに迂回しても、家にたどり着くまでに出会うのよ」
なんか苦労しているな。
心底、同情する。
戌亥をソファーに座らせると、僕は台所に行き、冷蔵庫から麦茶の入った瓶を取り出した。
ついでにグラスを一つ用意してから、居間へと戻る。
「どうして、この町にやって来たんだ?」
グラスに麦茶を入れて差し出すと、戌亥は一気に飲み干した。
ぷはぁーと息を吐くと、戌亥も落ち着いたようだ。
「知らないわよ。おおかた、今日のことが間違って伝わったんじゃない」
例えば――国のトップに会って、直接話すチャンスがあるとか?
アピールの機会だと思って来てみたけど、目的の人物が見つからなくてウロウロしていると考えれば、理解できなくもない。
傍迷惑な話だけど。
「電話を借りてもいい。私のスマホは、電池が切れてて使えないの。ママとパパが心配しているはずだから、安心させたいの」
居間の隅に電話機があることを教えると、戌亥はソファーから立ち上がった。
すたすたと移動し、電話の受話器を取る。
番号を押す電子音がした後、どこかへつながった。
戌亥の話し声が聞こえてくる。
「もしもしママ、私、優子よ。おじさん? 大丈夫、なんとかなったわ。今は、友達の家にいるの」
こんな会話を聞いていると、日常に帰ってきたような気がする。
「私は元気よ。家に帰りたいんだけど、通りには変な人達が来ているでしょ。帰りたくても、帰れないのよ」
いかん、非日常に戻された。
「え! 帰ってくるな。今帰るとまずい?」
雲行きが怪しいな。
戌亥の背中が震えている。
「おじさんの友達が何人も家に押し掛けてる! 神社の跡継ぎが決まったとかで祝いを持ってきた? ちょっと待って、私は継がないからね」
戌亥をよそにして、勝手に話が進んでいるな。
「私が現れると、なし崩しで次期宮司にされるって――そんなのありか!」
戌亥の母から、残酷な知らせがもたらされた。
目も当てられないとは、このことだ。
「誤解を解くのに必死だから、今晩はどこかに泊まれ? そんな、どうするの。え、友達を頼ってくれ。ちょっと、切らないで、もしもし」
ツーツーツー。
電話が切れたことを教える発信音が、無情な現実を教えてくれた。
「仁、ごめん。一晩泊めて」
振り返った戌亥は涙目になっている。
身内が原因で不幸続きの戌亥を見ていると、なんだか可哀そうになってきた。
薄幸の少女という言葉が頭に浮かぶ。
「僕としてはいいんだけど、父さんと母さんに、なんて説明するかな」
母さんがパートから帰ってくる時間まで、あまり余裕はない。
だが、母さんを説得できれば、父さんはどうにかなる。
なんと言って丸め込むかな。
戌亥と二人で頭をひねる。
結論から言えば、僕と戌亥で必死に頼み込んでのが良かったのか、母さんは協力してくれた。
残業で遅くに帰ってきた父さんは、目が点になっていたけどね。
そして日常を守るための闘いが始まった。
街を歩けば、宗教の勧誘に遇うことが度々発生。
学校の校門付近では、見知らぬ人が『何とか教の聖典』を無料で配っている。
あなた、許可を取ってないでしょう。
公開討論会が終わってから、僕が住んでいる町は変わった。
変わったというか、今まで陰に潜んでいた宗教系の人達が表に出てきたのだ。
一連の騒ぎを聞きつけて、開き直ってしまったのだろう。
道で擦れ違っても堂々としている。
さらには、近隣から聞いたことのない宗教団体が引っ越してくる始末。
地方都市だから、地価と物価は安いんだけど。
郊外に本部施設を建設している。
完成すれば、山間に要塞のような建物がそびえることだろう。
どうして、こうなった?
対する町の住民達は、押し寄せる異変に対し、決然と顔を背けている。
目の前に、よく分からない人が現れても、視界に入れないようにして通り過ぎるのだ。
自分の理解を越える事態から精神を守るために、現実を見ないようにしようとしているのだな。
街を往く人達からは、認めるもんか! 変わるもんか! という強い意志を感じる。
これが、住民が無意識に選んだ闘いなのだろう。
その気持ちは分かる。分かるが――見通しは暗い。
父さんから聞いた話だけど、既に土地を売却した人が何人もいるんだそうだ。
土地を購入したのは、これまた宗教関係の人らしい。
「この町は、どうなってしまうんだ」
思わず、呟きが漏れる。
昨日は、町に社会学者が調査にやって来た。
学問の世界では偉い先生らしい。
町の変化は、学問のテーマとして取り上げるられるまでになったのか。
何でそんなことを知っているかと言えば、学校に調査協力の依頼があったからだ。
権威に弱い風邪緑校長は調査に協力し、学校内にアンケート用紙が配られた。
現状について何を思いますか? という質問に、僕は適当なことを書いたな。
集めたアンケートを基に立派な論文を書くのだろう。
社会学者に続き、今日は学校にジャーナリストが来ている。
地方の町で変わったことが起こっているということで、ドキュメンタリー番組を作りたいらしい。
そのために、インタビューに答えてくれる人が必要なんだそうな。
校長先生、いい恰好をしようとして、何でもかんでも引き受けないでください。
仕事を押し付けられた大河内先生が、胃の辺りを押さえています。
大河内先生は、本当に苦労が絶えない。
僕も社会人になると、会社の上司から理不尽な仕事を振られたりするのだろうか?
「はーい、カメラを回します」
自称ジャーナリストが、肩に担いだカメラの録画スイッチを入れた。
僕は今、教室にいる。
他にいるのは大河内先生にシスター姿のマリア。戌亥も呼ばれたのだが辞退し、佐藤は直ぐに暴走するので外された。
いつの間にか、御馴染みのメンバーになってしまった。
他に引き受ける者がいないとはいえ、僕も当然のごとく巻き込まれている。
何を答えろというんだ?
授業は終わり、すでに生徒は帰る時刻なのだが、教室の外には中の様子を窺う者達が詰めかけている。
なんなら、僕の代わりに出演してくれてもいいんだよ。
「ま、まずは私から、答えましょう。わ、私は、この学校で日本史の教師をしています。今回は多文化の共存というテーマで取材の申し込みがあり、この町で起こっている変化について聞きたいとのことで、ことで……」
緊張でガチガチの大河内先生が喋りだした。
今にも舌を噛みそう。
そのことで余計に焦ったのか、先生の額に汗が浮かんでいる。
「だから、私は――」
余裕の無い先生を置き去りにして、無情にもカメラは回り続ける。
ダメだ、止めないと。
僕が声を上げようとしたところで、マリアが口を開いた。
「大河内先生は大変緊張されています。インタビューに答える順番を変えましょう。多田野君、先に話してもらえますか」
ここで僕ですか!
順番では、大河内先生の次が僕ですけど、心の準備ができてないです!
「さぁ、どうぞ」
マリアに促されて、僕は話し始めた。
「何を話せばいいのか分からないんですが、今、この町で起こっていることは混乱です。多文化の共存というテーマで取材で来られているのに申し訳ないんですが、町の変化に、みんな戸惑っているんです」
目の前にいる、カメラを構えた髭面の男には悪いが、これは言わないといけない。
「昨日、学校へやって来た社会学者の先生が期待していたんですけど、住民の間で意識の変革が起こっているなんてことは――僕の知る限りではないです」
むしろ、我関せずの態度が広がっている。
「だから、町の現状をありのままに伝えてください。結論を簡単にまとめるような番組にしないでください」
誤解と偏見を煽るようなことだけは、絶対にしないでほしい。
僕の訴えに感じるものがあったのか、ジャーナリストの瞳には真摯な光が宿っている――ように見えた。
見えたんだけど、後日公開されたドキュメンタリー番組では、『多宗教の共存、日本一進んでいる町』というキャッチコピーでテレビ放映され、僕の願いは思いっきり裏切られた。
恨んでやる!
似非ジャーナリストめ!
学校に謝りの手紙を送ってきたが、事後報告だった。
テレビ局に提出したテープを、編集者が勝手に内容を変えたとか書かれていたが、もう遅い。
町全体をどんよりとした空気が覆っている。
それが意味するのは、後戻りできないところまで来てしまったんじゃないか? という不安だ。
変わりたくなくても、変わらざるをえないように迫る圧力を感じる。
日本史の教科書を読みながら、歴史の変わり目に翻弄される民衆も、こんな状態だったのかと思った。
お、教科書の行間を読めるようになったぞ。
マリアの登場に始まり、公開討論会を経て、事態はより混沌となった。
これからどうなるか、全く読めない。
「この先、ろくでもないことが多々起こるだろう。だが、希望をなくすなよ。どうか強く生きてほしい」
働き過ぎて、保健室のベッドで横になっている大河内先生から聞いた言葉だ。
そんなことを言われても困るのだが、僕は頷いた。
良くないフラグを立てるようなセリフだと思ったが、そっとしておく。
そして疲れが溜まっていた先生は、すぐに鼾をかき始めた。
起こさないように、静かに保健室の扉を開けると廊下を歩く。
途中、天野先生を見掛けた。
大河内先生の様子を見に来たのかな?
僕は、これからマリアの授業だ。
俯きそうになるけれど、それはしない。
顔を上げると、廊下の窓から見える空は、どこまでも青かった。
<完>