お空が青い(完)

文字数 5,422文字

「やっと解放された」
 自宅に帰った僕は、居間のソファーにもたれかかりながら、げっそりとしていた。
 マリアに気力をガリガリ削られ、ダウン寸前のボクサーになった気分だ。
 一時はどうなるかと思ったものな。
 マリアから言われた
「神父と禅僧のお二人にならいまして、今際の際まで、語り合うとしましょうか」 
という言葉には、空恐ろしいものを感じた。
 マリアの語る神父と禅僧は、お互いの命が尽きるまで語り合う関係にあるらしい。
 二人は出会う度に論争になり、今後ともよろしく――死が二人を別つまでと言って別れるのだそうな。
 羨ましい関係だろうか、これは。
 マリア恐るべしといったところだ。
「考え過ぎると鬱になるな」
 気分を変えるために、部屋のテレビを点ける。
 テレビのリモコンを操作して、チャンネルを変えていると『緊急特報』というテロップが流れている番組を見つけた。
 地震でも起こったのか?
 あ、画面が切り替わった。
 なんか見覚えのある建物が映ったぞ。
 学校じゃないか!
 ナレーターと思しき、マイクを持った男性が現れた。
「本日、この学校で信じられない出来事が起こりました」
 マスコミに嗅ぎつけられたか。
 あれだけの騒ぎだ、どこからか情報が漏れてもおかしくない。
「今日一日の間に、加部首相の姿が目撃され、未確認ですがアメリカのガブリエル大統領も……」
 思わずチャンネルを変えた。
 明日、登校するさいは、マスコミが来ていないか注意するか……。
 この事態を冷静に考えている自分に気付いて、何とも言えない気分になる。
 自分も染まったものだ。
 煤けた色に。
 もう、布団をかぶって寝ることにしよう。
 ピンポーン。
 インターホンが鳴った。
 こんな時間に、誰?
 ピンポーン、ピンポーン。
 居留守をしようかと思っている間も、絶え間なくインターホンが鳴り続ける。
 最後は、ガンガンと玄関の扉を叩く音がした。
 渋々、インターホンのモニターへと移動する。
 正直に言って、これ以上の厄介に巻き込まれたくないのだが。
 恐る恐るモニターの画面を見ると、そこには戌亥が映っていた。
「仁、開けて!」
 スピーカーから戌亥の焦った声が聞こえる。
「分かった、すぐに開けるから!」
 通話ボタンを押して声を掛けると、慌てて玄関へと向かう。
 ドアの鍵を開けると、戌亥が飛び込んできた。
「どうした戌亥、今度は何があった」
「説明は後、とにかく鍵を掛けて」
 切羽詰まった様子の戌亥に、僕は従った。
 ドアに鍵とチェーンロックを掛ける。
 居間に戌亥を連れていくと、戌亥は窓カーテンを引き、カーテンとカーテンの隙間から外の様子をしきりに気にしている。
 しばらくして、差し迫った危機はないと安心したのか、戌亥が床にへたりこんだ。
「おい、何がどうなっている?」
「聞いて~、おじさんの同類達がやって来て、もう町は無茶苦茶よ」 
 へ?
 戌亥よ、何を言っているんだ。
「仁はまだ知らいないみたいだけど、今日の騒ぎを知った――変な人達が町に押し掛けているの」
 なんですか、その人達は?
「自称、仏陀の再来とか、神の使徒とかが、集団を引き連れて通りを歩いているのよ! 私は家に帰る途中でバッタリ出くわして、慌てて引き返したわ。でも、どんなに迂回しても、家にたどり着くまでに出会うのよ」
 なんか苦労しているな。
 心底、同情する。
 戌亥をソファーに座らせると、僕は台所に行き、冷蔵庫から麦茶の入った瓶を取り出した。
 ついでにグラスを一つ用意してから、居間へと戻る。
「どうして、この町にやって来たんだ?」
 グラスに麦茶を入れて差し出すと、戌亥は一気に飲み干した。
 ぷはぁーと息を吐くと、戌亥も落ち着いたようだ。
「知らないわよ。おおかた、今日のことが間違って伝わったんじゃない」
 例えば――国のトップに会って、直接話すチャンスがあるとか? 
 アピールの機会だと思って来てみたけど、目的の人物が見つからなくてウロウロしていると考えれば、理解できなくもない。
 傍迷惑な話だけど。
「電話を借りてもいい。私のスマホは、電池が切れてて使えないの。ママとパパが心配しているはずだから、安心させたいの」
 居間の隅に電話機があることを教えると、戌亥はソファーから立ち上がった。
 すたすたと移動し、電話の受話器を取る。
 番号を押す電子音がした後、どこかへつながった。
 戌亥の話し声が聞こえてくる。
「もしもしママ、私、優子よ。おじさん? 大丈夫、なんとかなったわ。今は、友達の家にいるの」
 こんな会話を聞いていると、日常に帰ってきたような気がする。
「私は元気よ。家に帰りたいんだけど、通りには変な人達が来ているでしょ。帰りたくても、帰れないのよ」
 いかん、非日常に戻された。
「え! 帰ってくるな。今帰るとまずい?」
 雲行きが怪しいな。
 戌亥の背中が震えている。
「おじさんの友達が何人も家に押し掛けてる! 神社の跡継ぎが決まったとかで祝いを持ってきた? ちょっと待って、私は継がないからね」
 戌亥をよそにして、勝手に話が進んでいるな。
「私が現れると、なし崩しで次期宮司にされるって――そんなのありか!」
 戌亥の母から、残酷な知らせがもたらされた。
 目も当てられないとは、このことだ。
「誤解を解くのに必死だから、今晩はどこかに泊まれ? そんな、どうするの。え、友達を頼ってくれ。ちょっと、切らないで、もしもし」
 ツーツーツー。
 電話が切れたことを教える発信音が、無情な現実を教えてくれた。
「仁、ごめん。一晩泊めて」
 振り返った戌亥は涙目になっている。
 身内が原因で不幸続きの戌亥を見ていると、なんだか可哀そうになってきた。
 薄幸の少女という言葉が頭に浮かぶ。
「僕としてはいいんだけど、父さんと母さんに、なんて説明するかな」
 母さんがパートから帰ってくる時間まで、あまり余裕はない。
 だが、母さんを説得できれば、父さんはどうにかなる。
 なんと言って丸め込むかな。
 戌亥と二人で頭をひねる。
 結論から言えば、僕と戌亥で必死に頼み込んでのが良かったのか、母さんは協力してくれた。
 残業で遅くに帰ってきた父さんは、目が点になっていたけどね。

 そして日常を守るための闘いが始まった。
 街を歩けば、宗教の勧誘に遇うことが度々発生。
 学校の校門付近では、見知らぬ人が『何とか教の聖典』を無料で配っている。
 あなた、許可を取ってないでしょう。
 公開討論会が終わってから、僕が住んでいる町は変わった。
 変わったというか、今まで陰に潜んでいた宗教系の人達が表に出てきたのだ。
 一連の騒ぎを聞きつけて、開き直ってしまったのだろう。
 道で擦れ違っても堂々としている。
 さらには、近隣から聞いたことのない宗教団体が引っ越してくる始末。
 地方都市だから、地価と物価は安いんだけど。
 郊外に本部施設を建設している。
 完成すれば、山間に要塞のような建物がそびえることだろう。
 どうして、こうなった?
 対する町の住民達は、押し寄せる異変に対し、決然と顔を背けている。
 目の前に、よく分からない人が現れても、視界に入れないようにして通り過ぎるのだ。
 自分の理解を越える事態から精神を守るために、現実を見ないようにしようとしているのだな。
 街を往く人達からは、認めるもんか! 変わるもんか! という強い意志を感じる。
 これが、住民が無意識に選んだ闘いなのだろう。
 その気持ちは分かる。分かるが――見通しは暗い。
 父さんから聞いた話だけど、既に土地を売却した人が何人もいるんだそうだ。
 土地を購入したのは、これまた宗教関係の人らしい。
「この町は、どうなってしまうんだ」
 思わず、呟きが漏れる。
 昨日は、町に社会学者が調査にやって来た。
 学問の世界では偉い先生らしい。
 町の変化は、学問のテーマとして取り上げるられるまでになったのか。
 何でそんなことを知っているかと言えば、学校に調査協力の依頼があったからだ。
 権威に弱い風邪緑校長は調査に協力し、学校内にアンケート用紙が配られた。
 現状について何を思いますか? という質問に、僕は適当なことを書いたな。
 集めたアンケートを基に立派な論文を書くのだろう。
 社会学者に続き、今日は学校にジャーナリストが来ている。
 地方の町で変わったことが起こっているということで、ドキュメンタリー番組を作りたいらしい。
 そのために、インタビューに答えてくれる人が必要なんだそうな。
 校長先生、いい恰好をしようとして、何でもかんでも引き受けないでください。
 仕事を押し付けられた大河内先生が、胃の辺りを押さえています。
 大河内先生は、本当に苦労が絶えない。
 僕も社会人になると、会社の上司から理不尽な仕事を振られたりするのだろうか?
「はーい、カメラを回します」
 自称ジャーナリストが、肩に担いだカメラの録画スイッチを入れた。
 僕は今、教室にいる。
 他にいるのは大河内先生にシスター姿のマリア。戌亥も呼ばれたのだが辞退し、佐藤は直ぐに暴走するので外された。
 いつの間にか、御馴染みのメンバーになってしまった。
 他に引き受ける者がいないとはいえ、僕も当然のごとく巻き込まれている。
 何を答えろというんだ?
 授業は終わり、すでに生徒は帰る時刻なのだが、教室の外には中の様子を窺う者達が詰めかけている。
 なんなら、僕の代わりに出演してくれてもいいんだよ。
「ま、まずは私から、答えましょう。わ、私は、この学校で日本史の教師をしています。今回は多文化の共存というテーマで取材の申し込みがあり、この町で起こっている変化について聞きたいとのことで、ことで……」
 緊張でガチガチの大河内先生が喋りだした。
 今にも舌を噛みそう。
 そのことで余計に焦ったのか、先生の額に汗が浮かんでいる。
「だから、私は――」
 余裕の無い先生を置き去りにして、無情にもカメラは回り続ける。
 ダメだ、止めないと。
 僕が声を上げようとしたところで、マリアが口を開いた。
「大河内先生は大変緊張されています。インタビューに答える順番を変えましょう。多田野君、先に話してもらえますか」 
 ここで僕ですか!
 順番では、大河内先生の次が僕ですけど、心の準備ができてないです!
「さぁ、どうぞ」
 マリアに促されて、僕は話し始めた。
「何を話せばいいのか分からないんですが、今、この町で起こっていることは混乱です。多文化の共存というテーマで取材で来られているのに申し訳ないんですが、町の変化に、みんな戸惑っているんです」
 目の前にいる、カメラを構えた髭面の男には悪いが、これは言わないといけない。
「昨日、学校へやって来た社会学者の先生が期待していたんですけど、住民の間で意識の変革が起こっているなんてことは――僕の知る限りではないです」
 むしろ、我関せずの態度が広がっている。
「だから、町の現状をありのままに伝えてください。結論を簡単にまとめるような番組にしないでください」
 誤解と偏見を煽るようなことだけは、絶対にしないでほしい。
 僕の訴えに感じるものがあったのか、ジャーナリストの瞳には真摯な光が宿っている――ように見えた。
 見えたんだけど、後日公開されたドキュメンタリー番組では、『多宗教の共存、日本一進んでいる町』というキャッチコピーでテレビ放映され、僕の願いは思いっきり裏切られた。
 恨んでやる!
 似非ジャーナリストめ!
 学校に謝りの手紙を送ってきたが、事後報告だった。
 テレビ局に提出したテープを、編集者が勝手に内容を変えたとか書かれていたが、もう遅い。
 町全体をどんよりとした空気が覆っている。
 それが意味するのは、後戻りできないところまで来てしまったんじゃないか? という不安だ。
 変わりたくなくても、変わらざるをえないように迫る圧力を感じる。
 日本史の教科書を読みながら、歴史の変わり目に翻弄される民衆も、こんな状態だったのかと思った。
 お、教科書の行間を読めるようになったぞ。

 マリアの登場に始まり、公開討論会を経て、事態はより混沌となった。
 これからどうなるか、全く読めない。
「この先、ろくでもないことが多々起こるだろう。だが、希望をなくすなよ。どうか強く生きてほしい」 
 働き過ぎて、保健室のベッドで横になっている大河内先生から聞いた言葉だ。
 そんなことを言われても困るのだが、僕は頷いた。
 良くないフラグを立てるようなセリフだと思ったが、そっとしておく。
 そして疲れが溜まっていた先生は、すぐに鼾をかき始めた。
 起こさないように、静かに保健室の扉を開けると廊下を歩く。
 途中、天野先生を見掛けた。
 大河内先生の様子を見に来たのかな?
 僕は、これからマリアの授業だ。
 俯きそうになるけれど、それはしない。
 顔を上げると、廊下の窓から見える空は、どこまでも青かった。

                                 <完>  
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