僕ってエイリアン?

文字数 5,767文字

「お前は狂っている! お前はエイリアンだ!」
 ゼミが騒然としている。
 どうして、そんな目で僕を見るんだ?
 おい、ジョージ、怯えと恐れが混じった目で見ないでくれ。理解不能とか言わないで。
 僕はおかしなことを言ったのか。
 素直に思っていることを言って、人間扱いされなくなるとは、あんまりじゃないか。
 僕はただ、信じている宗教を聞かれて、無宗教と答えただけなのに。
 それが、そんなに悪いことなのか。
「僕は人間だ、人間なんだぁ!」

 ガバッとベットから起き上がった。
 全身に嫌な汗をかいている。
 ハァハァ……。
 激しかった動悸も、徐々に治まっていく。
 嫌な夢を見た。
 枕元の時計を見ると、朝の五時だ。
 頭も冴えてしまって、もう眠れそうにない。
 洗面所に行くと、僕は顔を洗った。
 目の前の鏡を見ると、覇気の無いボサボサ頭の高校生、多田野仁(ただの じん)が映っていた。
「あれから一年か。もう一年なのか、まだ一年なのか、どっちかな……」
 高校二年生の夏、短期間の交換留学でアメリカのハイスクールに行った僕は、充実した日々を送っていた。日本にはない、地平線まで見える荒野とか、アホみたいにでかいステーキにまず驚き、湿気の少ないカラッとした夏の日差しにはしゃいでいた。
 語学の壁はあったが、小学生の頃から英会話教室に通っていた僕には、大きな障害ではなかった。
 留学先に、海外からの留学生を積極的に受け入れているハイスクールを選んだことが良かったのか、クラスメイトも陽気で開けっぴろげなやつが多く、僕はすぐ、クラスに馴染んだ。
 休日には、クラスのお調子者があちこち案内してくれ、カヌーもしたし、射撃場で銃も撃った。
 本当に楽しかった。あの日までは……。
「いったい何がいけなかったんだ?」
 この問いかけを何度自分にしたことだろう。
 白々とした朝日が差してくるまで考えたが、今日も答えは出なかった。
 
「あつ~い、ダルい~」
 高校へ登校する道すがら、無駄に元気な声が僕の隣から聞こえてくる。 
 僕は白の半袖シャツに黒いズボン――高校の夏服を着た姿だ。
「太陽のバカ、くたばれ~」
 夏の日差しに焼かれてぐったりしている僕に、その元気を別けてほしい。
 黙っていれば、可愛い顔立ちをしているんだから、もっと仕草に気を付ければいいのに。
 同級生の戌亥優子(いぬい ゆうこ)は、今日も平常運転だ。
 肩より上の所で切った髪は頭の両脇でまとめ――犬の耳っぽい。
 円らで大きな瞳、小さく整った鼻、顎のラインは適度に丸みをおびている。
 身長も百四十センチくらいと、僕より頭一つは低い。
 チャウチャウのような愛玩動物を連想させる容姿なのに、優子の性格はというと
「学校に行きたくな~い。サボりた~い」
困ったちゃんだ。
 ブラウスにスカート、紺の紐タイという姿は、心底真面目そうに見えるのに、その言動は堕落しまくっていた。
 とはいえ、優子には世話になっている。
 交換留学に挫折して、本来なら数カ月間は帰れないところを三週間で帰ってきた僕に、周囲の人間はドン引きしていた。
 当時の僕は思い詰めた顔をしていたと自分でも思うし、両親も友人も何と声を掛ければいいか分からなかったんだと思う。
 そんな中で、気軽に接してくれたのは優子だったわけで、おかげで随分と救われた。
「そう言えば仁、今朝のニュース見た?」 
 ニュース? あぁ、あれか。
「北の国の人工衛星が打ち上げに失敗して、太平洋に落ちたという……」
「違う違う。Ahooニュースのトップを飾ってたやつ。ネットでは話題になっていたわよ」 
 優子はパタパタと手を振った。
 犬が尻尾を振ってるみたいだと言ったら、膨れるんだろうな。
「もしかして、加部(かべ)首相がアメリカの新大統領に会いに行った件か?」
 四年に一度行われるアメリカ大統領選挙。
 昨年はその年に当たり、その選挙戦は大荒れだった。
 続投を目指す現職の大統領が投票に不正をしたとか、CIAを使って対立候補に妨害工作をしたとかとニュースで騒がれていたっけ。
 フェイクニュースだと本人は最後まで認めなかったけどね。
 最後は政府の要人が不可解な死を遂げるに及び、一時は選挙が無期限の延期になるのではないかと、なぜか日本の首相が焦っていた。
 アメリカの方針が決まらないと日本の政治も決まらないからだ――テレビの辛口コメンテーターの解説である。
「本当なら、今年の一月に新大統領が就任するはずなのに、大幅にずれて六月に発表だったもんな」
 ちなみに今は七月だ。
 日本の加部首相は新大統領が決まるやいなや、全ての公務を後回しにして会いに行こうとしたが、事前の段取りやら何やらで、日本を発ったのが数日前だ。
 前大統領と仲が良かった加部首相だが、今度の新大統領はタイプが全く違うらしい。というか、落選した前大統領にとっては最大の政敵だったみたいで、そんな人間がアメリカのリーダーになったもんだから、加部首相――いや、日本政府にとっては新大統領との信頼関係の構築が急務だとAhooニュースには書いてあったな。
「そんなに気になる内容だったか?」
 戌亥って、政治に興味とかあったっけ。
「リポーターが突撃取材をした動画があったんだけど、加部首相、放心した顔をしてたわよ」 
 ようやく出会った新大統領に無茶な要求をされたんだろうな。
 温厚そうな顔をした初老の加部首相が、アメリカのオレオレ大統領に翻弄される姿が目に浮かんだ。
 僕は、その動画は見ていない。
 そこまで興味も無かったし。
「アメリカに工場を作れとか、関税を撤廃しろとか言われたんじゃないか」
「ちっち、甘いわね。今度のアメリカ大統領は人格者として有名なの。公明正大、清廉潔白。休日には教会に通ってボランティアをしている善人。政治家にならなければ医者か教育者になって、人々に奉仕したかったと言っている人物なの」
 前大統領が余りに俺様な人物だったので、今回はその反動が出たようだ。
「加えて、アマチュアボクシングで鍛えたスポーツマンで、ロマンスグレーの紳士なの。だから、今回のアメリカの要求は、ずばり教育よ。利害を横に置いておいて、自分が正しいと思う姿に日本をするの」
 うっとりと自分の世界に入り始めた戌亥を横目で見つつ、戌亥が年上好きだったことを思い出した。
 戌亥いわく、包容力があり、甘えさせてくれる大人が好みらしい。
「それでね……」
 ネットの憶測と自分の願望が混ざりあった大統領解説を聞きながら、僕は適当な相槌を打った。
 こうなると、戌亥の話は長い。
 満足するまで話を止めない。
 加えて冷静な突っ込みを入れると怒る。
 基本的にはざっくばらんで、気のいいやつなんだがな。
 生き生きとしている戌亥の相手をするのも飽きてきたとき、前方に人だかりが見えた。
 人込みの向こうで、誰かが歌っている。
「主は~、主は~」
 見事なソプラノが耳に心地よい。
 これは讃美歌だな。
 伴奏も何もないけど、歌声だけで幸せな気分になる。
「……あの人、綺麗」
 心ここにあらずといった戌亥が呟いた。
 歌っているのは金髪のお姉さんだ。
 二十代前半の社会人か、それより少し下の大学生か。
 見た感じ日本人とのハーフみたいだから、見た目よりも若いかもしれない。
 身長は僕と同じくらいだから、百七十センチはある。
 腰まで届く髪はサラサラ、柳のように細い眉の下の碧い瞳はどこか遠くを見つめている。 
 鼻筋がスッと通っているけど、顔の輪郭が柔らかいせいか優しい印象を受ける。
 肌は真珠のように白くて、体付きはスラッとしていてモデルみたいだ。
 儚く浮世離れした感じの人だけど、歌手か何かだろうか。
 さっきから、道行く人が足を止めて、お姉さんが歌う讃美歌に聞き惚れている。
 歌い終わると、周囲から拍手が起こった。
「聴いてくれて、ありがとう」
 僕も気が付けば、手を叩いていた。
 おぉ、なんか凄いものを見たぞ。
 あ、目が合っちゃった。
 瞳が海を連想させる深い色をしていて、見つめられると吸い込まれそうな気になる。
 にこっ。
 わぁ。
 お姉さんの笑顔にどきまぎしていると、遠くからチャイムの音が聞こえた。
 げっ、あれは高校のホームルーム開始を告げるチャイム。
 遅刻だ!
「戌亥、行くぞ!」

 教室には、戌亥と共に恐る恐る入ったが、担任の先生はまだ来ていなかった。 
 ホームルームはとっくに始まっている時間なのだが、これ幸いと僕は席に着いた。
 やれやれ、これで一安心。
 だが、ホームルームの時間が終わり、一限目の時間になっても先生はやって来なかった。
 最初は気楽に過ごしていたクラスメイト達も疑問に思い出したのか、教室がざわめきだした。
「すまん、遅くなった」 
 担任の大河内(おおこうち)先生が大慌てでやって来たのは、一限目が半ばを過ぎ、クラス委員が先生を呼びに行こうとしたときだった。
 ヒグマみたいな巨体に角刈りの頭。日に焼けた体は柔道で鍛えて引き締まっている。三十代半ばだというのに、四十代や五十代にも見えるのは、どっしりとした物腰と渋みのある声に妙な貫禄があるからだ。
 余りの貫禄に、企業の社長か、果てはヤクザの親分に間違えられたりすることもある。
 主に警察に。
 夜道を歩いていると、警察の職務質問を受けることが度々。
 夜遊びをしていた女子生徒を保護したときなんか、通りかかった警察官に援助交際疑惑でしょっぴかれそうになったとは――触れてはいけない公然の秘密である。
「悪いが、これから重大な発表がある。誰かテレビをつけてくれ」
 円らな瞳に動揺の色をにじませつつ、大河内先生はうめくように言った。
 担任のただならぬ様子に、ざわついていた教室も、潮が引いていくように静かになった。
 僕らの教室には、教壇の横にテレビが天井からぶら下がっている。
 学習用のDVDを見るためのものだ。
 無論、普通にテレビ番組も映る。
 クラス委員で眼鏡男子の佐藤がテレビをつけた。
 『緊急記者会見』というテロップが画面に表示されると、アメリカにいる加部首相の姿が映った。
 顔に脂汗だが冷や汗だかをかいて、しきりにハンカチで拭っている。
 場所はワシントンか、画面の隅にホワイトハウスが見えるしな。
 加部首相は演台の前に立つと、嗚咽(おえつ)交じりに話し始めた。
「日本の皆さん、アメリカのガブリエル新大統領とは、日米両国の、より一層の連帯を深めるため、多岐に渡って様々なことを話し合いました。経済、軍事、文化、教育につきまして、実に大きな示唆をいただき……」
 ここで感極まったのか、俯くと、ハンカチで鼻をかんだ。
 ぜぇぜぇと肩で息をしている姿が、見る者の不安を掻き立てる。
 一体、何があったんだ?
 不吉な予感にすーっと血の気が引く。
「アメリカ政府全面協力の下、道徳教育に力を入れることになりました!」
 ドヤ顔だ!
 さっきまでとは一転、加部首相は実に晴れ晴れとした顔をしている。
 は、はぁ。
「ガブリエル大統領とは大変意気投合しまして、日米両国の未来のためにも、お互いの国で教育に力を入れないといけないという結論になりました。ついては、道徳心を養うことが肝要だという話になり……」 
 そういや加部首相って『真心の国、日本』とか『今こそ、教育改革』という本を出していたな。
 多分、ゴーストライターがまとめたんだろうけど。
 さっきまでの狼狽ぶりは、長年の悲願が叶いそうになり、感情が高ぶっていたのか。
 それからも加部首相の話は続いていたが、もはやクラスの誰も聞いてはいなかった。
 なんだ、大袈裟だな。
 これがクラスメイト達の本音だろう。
 加部首相の演説が終わりテレビが消されると、クラスには弛緩した空気が漂った。
「え~、重大な発表というのは今見た通りなんだが、加部首相が国会の審議をすっ飛ばしてガブリエル大統領の間で約束を交わしてしまったため、もはや引っ込みがつかない。加えて、アメリカ政府もノリノリで文部省に特使を派遣している。よって年度の途中なんだが、学校のカリキュラムが一部変わる」
 げっそりとした大河内先生の説明を聞きながら、僕は内心で、え~と不満の声を上げた。
 めんどくさい。
 道徳教育だから、あれダメ、これダメとかいう話になりそうで嫌。
 期せずして、戌亥の予言が当たったな。
 僕がげんなりして机に突っ伏していると、大河内先生に当てられた。
「多田野、悪いが職員室まで行って、新しいテキストを取りに行ってくれ。一人じゃ大変だから、佐藤も頼む」
 あ~、も~。
 仕方がないので、僕と佐藤は職員室へ向かった。
 廊下を歩いていると、他のクラスでも同様の事態があったのか、何人もの生徒を見かける。
 わらわらと歩いていると、黒い修道服を着たシスターの姿を見かけた。
 うん? シスター!
 急いで辺りを見回すが、シスターの姿はもういない。
「佐藤、今、シスターがいなかったか!」 
 僕が叫ぶが、佐藤はポカンとしている。
「お前、どうかしてるだろ」
 佐藤の眼鏡の奥から冷たい視線を浴びつつ、僕はなおもシスターを探したが見つからなかった。
 あれ?
 そうこうしつつ職員室に到着すると、新しいテキストが山と積まれていた。
 うわ、凄い。
 一冊で国語辞典くらいの大きさがある。
 これを運ぶのは骨だなと思っていたら、本のタイトルが目に入り、目が点になった。
 え、本気(まじ)。これが本当にテキスト?
「おい、佐藤。これ見てみろよ」
「こら、さっさと運ぶぞ」
 僕をうっとうしそうにしていた佐藤も、本のタイトルを見ると表情が無くなった。
 そういや、こいつは寺の息子だった。
「先生、これが本当にテキストですか?」
 僕以外にも職員室に来ていた生徒が、疑問の声を上げる。
 それはそうだろう。
 テキストのタイトルは『聖書』だったのだから。
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