とりあえず、寝よう

文字数 4,272文字

「気分はどうですか?」 
 優し気なマリアの声が心に沁みるようだ。
 気分がマジで凹んだ後だけに、こういう気の使い方は素直に有難い。
 今なら、宗教の勧誘にもコロッと応じてしまいそうだ。
 こうして信徒を増やすんだろうな。
「なんとか落ち着きました。それと、すいません。もらったアイスを無駄にしてしまって」
 手にしたカップアイスは、殆ど食べられないまま溶けてしまった。
「気にしないで下さい。迷える子羊を救うのもシスターの務めですから」
 救うというか、マリアの言葉でどん底に突き落とされた気がするんだが?
 自分から一度ハメておいて、その後に手を差し伸べるのは、シスターとしてどうなんだろう?
 しかも無意識にやってるし。
「今、失礼なことを考えませんでしたか?」 
 マリアが僕の目を覗き込む。
 碧い瞳に光は無く、底の無い深淵を思わせる。
 井戸の中にでも引きずり込まれそうな気がして、ブルッときた。
「一体何を言っているんです。僕がそんなこと考えるわけないじゃないですか」
 内心の動揺を隠して、いたって平静に答える。
「そうですか。人を詐欺師かペテン師のように見る視線を感じたのですが、それは置いておきましょう」
 バレてーら。
 マリアの勘は鋭かった。
 しかも敢えて追及しないことで、プレッシャーを掛けてくる。
「それはそうと……」
 良くない流れを強引に変えようとしたが――あ、でも何を喋ればいいんだ?
 思えば、この後の一言がいけなかった。
「自分の信じるものと違うものを信じている人とは、仲良くなれないんでしょうか?」
 マリアの眉がピクリと動いた。
 あ、これ聞いちゃいけない質問だ。
 僕の第六感が告げている。
 確実に、マリアのやる気スイッチを押したな。
「よく聞いてくれました、多田野君! 日本に来てから、そこまで大事なことを聞いてきたのは君が初めてです!」
 目をキラキラさせて、話に喰いついてきた。
 話したくても話せなかった欲求不満が爆発したという感じだ。
 学校でもマリアは周囲から腫物扱いにされていたし、人とのコミュニケーションに飢えていたのだろう。
 この獲物――じゃなかった――機会を逃すものかと、マリアはずいと僕の方に寄ってくる。
 ずいずい……。
 か、顔が近い。
 マリアが近付いた分だけ僕はベンチの端に移動し、ベンチから落ちそうになった。
 あわわ。
「なにやってるんですか? 今日の多田野君はおかしいですよ」
 誰のせいだ、誰の!
 内心思うところがあったが、思慮深い僕は曖昧(あいまい)に笑ってごまかした。
「誠意を持って話せば、どんな人とでも通じないことはないんですよ」
 ぶっちゃけ人間力ですか?
 そう言うマリアも無神論者とは親しくなれないと思うんですけど。
「あ、信じていませんね。私、少し傷つきました」
 僕から身を引くマリア。
 これで元の位置に戻れる。
 ベンチに座り直すと、僕は答えた。
 露骨に言うと何が起こるか分からないので、オブラードに包んだ表現にしてみる。
「神様――目に見えない存在を信じるのって、難しくないですか?」
「信じるも信じないも、神はそこにいます」
 きっぱりと断言された。
 取り付く島もない。
 なんだかマリアが不思議そうな顔をしているぞ。
 おかしいのは、僕の方なのか?
「言葉が足りませんでしたね。私にとっては変な質問でも、多田野君にとっては、そうではない」
 分かり合うとか言う以前に、マリアとの間に、決して越えられない壁を感じるぞ。
 このまま話し続ければ、分かり合えないことをお互い分かり合うことになるんじゃないか?
「神の存在を疑問視する人がいるのは知っていますが、その人は結局のところ、自分の理解力を信じているにすぎません。神がいるかどうか、自分で判断が下せると思っているわけです」
 なんか話が難しくなった。
 このまま神学講義が始まるのか。
「そういう方には逆に聞きたいのですが、目に見えるものしか信じられないのであれば、人と人との親愛の情をどう考えているのでしょうか? 魂の行方は? 人間はただの肉の塊だとでも思っているのでしょうか?」
 このままいけば、神を信じないものは――人間失格! という魔女裁判? それとも異端審問か?
 うわぁ、一年前と同じ流れに入った!
「とは言え、なんとなく唯物論を気取っている人も、何も信じていないわけではい。多田野君も、お寺や神社にお参りすることはあるでしょう」
 えぇ、まぁ。
 ぶっちゃけ葬式と初詣ぐらいですけどね。
「この国に来て私が不思議に思うのは、特定の宗教を信じていないという人でも、テレビで星占いの結果を気にしたり、幽霊や生まれ変わりに関心を持っていたりすることです」 
 宗教には近づきたくないけど、スピリチャルなものには抵抗がない? と言いたいのだろうか。
「これって、どういうことなんでしょうか。ある人は、私に言いました。この国では、子供が生まれると神社に参拝し、結婚は教会で上げ、葬儀はお寺で行う。日々の生活は人としての道徳に基づいて行われるが、それは神道、仏教、キリスト教の教えとも違う。しいて言えば儒教に近いが、特に決まったテキストを読み込んでいるわけでもない」
 みんな仲良くですかね?
 マリアの声に熱が入る。
「その話を聞いて、私は思いました。いやいや、一億人以上の人達が住んでいる国で、それはないでしょう。一人一人個性が違うのですから、どこかで共通の認識なり信念を持っていなければ、すぐにバラバラになってしまう。日本は世界的に見ても国情が安定している国だと思いますが、人々がまとまるには、その中心に変わらぬものがないと説明がつかない。しかし、調べれば調べるほどに手応えの無さ、一貫性の無さを感じるのです」
 くわっとマリアが目を見開いた。
 うーん、一貫していないことが一貫しているのでは。
「そして一番驚かされるのは、自分の足元がそのように曖昧で不安定なものの上に成り立っているのに、疑問や不安を感じていない人が思いのほか多いということです。人生の苦難に直面したとき、何を頼りとするんでしょうか。多田野君は、底無し沼に足を突っ込んでいて平気という人がいるのを信じられますか?」
 マリアからすると、この国の人間はそのように見えるのか。
 僕も割と平気なんだけど。
「一つ勘違いしないでほしいのですが、私は自分が信じるもの――というか信じる以前の真実をゴリ押ししたいわけではありません。私の前におられる方に、大事にする考えや思いがあったら尊重したいと思いますし、互いの考えを話し合うことで理解し合いたいと思います。ですが、私がそのように話すと、皆さん困ったように笑うだけで、そそくさと離れていくのは、どうしてなんでしょう?」
 マリアは首をかしげながら、眉を寄せている。
 心底理解できないらしい。
 言葉にしなくても、それとなく察してね――では済まないようだ。
「だから、多田野君が真面目な質問をしてくれて、今日は本当に嬉しいです。正直に言って、授業の反応が薄くてがっかりしていたんです。反発するなら反発するんでいいんですよ。そこから自分を見つめ、自分の考えを練っていくことができますから。おとなしく私の話を聞いてくれるのはありがたいんですが、自分のこととは切り離して聞いているような気がして心配していたんです」
 それは、まあ、自分に必要のあることだと思っていなければ、そんなものだろう。
 マリアからすると、僕達は迷える子羊――それも、迷っていることにさえ気付いていない子羊ということになるんだろうか。
「ありがとうございます。なんだか私の方が話して、すっきりしてしまいましたね。これからも神の言葉を伝えていくので楽しみにしていて下さい」 
 それで、迷える子羊を救うために、まずは自覚の無い子羊に――君は迷っているんだよと教えていると。
 その結果、本当に迷う人間が出てきたら、どうするんだろうか?
 教会に連れて行くのだろうか?
「今度は、多田野君の考えを教えて下さいね」
 え!
 にこにこと笑顔を浮かべるマリアの顔を直視できない。
「肝心なことほど言葉にしない――と言いいますか、言葉の奥に何かを隠しているような感じをこの国に来てから、ずっと感じているんですが、それが何なのか私にはよく分からないのです。そこに、とても大事なことがありそうな気がするのですが……。皆さん、本当は何を大事にしているんでしょうか?」 
 隠すも何も、言葉にできないだけだと思います。
 明確な信念に基づいて動いているわけじゃないんです。
 その場その場の状況に合わせて動いているだけで、主体性なんて無い……かな?
 とはいえ、そんなこと言えるわけがない。
「隣にいる相手の気持ちを大切? にしているんじゃないかと思います」
 あ、我ながら上手い答えだ。
 僕もマリアに合わせて話しているしね。
「悪くない答えだと思いますが、ふわっとしていますね。それだと説明できないことが、あるようにうに思います」
 ぴしゃっ。
 僕の感覚的な答えは、理屈の人、マリアを満足させれれなかったようだ。
 マリアからの期待が、お、重い。
 疲れる。
 一体何を言えば、満足するんだ?
 かくなる上は……。
「僕としては、今のところ、これ以上の答えを持っていません。だから、もっと詳しい人に聞いたらいいんじゃないですか。大河内先生とか?」
 第三者に振ってしまおう!
 大河内先生も仕事がはかどって、本望だろう!
 これは逃げではない、マリアと先生との相互理解を促進しているんだ。
 僕も大河内先生に協力しているんだし、これくらい許されるよね。
「そうですね。大河内先生は、新カリキュラム実施について心を砕かれている方ですし、誠実に物事を考えられているように見えます。一度話をしてみてもいいかもしれません」
 そうでしょう、そうでしょう。
 大河内先生も日本史を教える教師だし、うってつけ? だよね。
 日本史が役に立つところを見せてもらうとしよう。
「それでは、辺りも暗くなってきたので失礼します」
「では、多田野君。また学校で」
 こうしてマリアと別れた。
 やっと家に帰れる。
 一休み、一休み。
 公開討論会のことが頭を過ったが、今は考えないことにする。
 とりあえず、寝よう。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み