みんな仲良くーーとはならなかった!

文字数 6,184文字

 この後、何を言われるか予想がつかない。
 答えられる内容ならいいが。
 トンチンカンなことを言うと、何が起こるか分からないからな。
「では、私からの質問だ」
 そら来た!
「君の話は、居心地の良い部屋から出たくないとだだをこねている子供のように私には聞こえる。誰もが世界に飛び出せと言っているわけではない。生き方は人それぞれだと私も思う。だが、今は国家という枠組みを越えて人が行き来する時代だ。これは望む望まないにかかわらず、すでにそうなっている。君が暮らしている町でも、海外から来た人間を見掛けることがあるだろう。同じ町で生活している者もいるはずだ。そのような隣人に対して、我関せずと無関心でいいものだろうか? 自分とは異なる他者に対して開かれた態度を取るべきだと、私は思う」
 それはそうなんだけど、日本は村社会なんだよ!
 髪の色がちょっと違ったりするだけで、イジメられたりするんだ!
 ――と言えれば楽なんだけどな。
「他者を理解する上で欠かせないのは、その人間が持つ信念、生きてきた背景、育ってきた文化まで理解しようとすることだ。この国の人間は、海外から来た他者に対して、そういった努力が足りないのではないか?」 
 僕はただの高校生でしかないんですが。
 そんな難しい話は政治家や官僚にして下さい。
「何もキリスト教を押し付けようというわけではない。日本という国を見たときに、私が常々疑問に感じることなのだが、これだけ近代化――西洋化しているというのに、宗教の分野に関しては非常に保守的、閉鎖的とさえ言える有様なのはなぜなのだ? キリスト者が道で伝道していても、道行く人は我関せずと見ない振りをして逃げていく。このような宗教アレルギーとでも言うべき拒否反応が出るのはなぜなのか?」
 どう考えても世間話の域を超えています。
 下手に関わると、平穏な日常が壊されそうで怖いのでしょう。
 逃げることもできなかった僕には、分かるような気がします。
 僕の日常を返して下さい!
「宗教というのは、その人間のアイデンティティの根幹に関わるものだ。これを避けて、相手を理解することは難しいだろう。本人が意識しようとしまいと、その人間の倫理観、人生観といったものは、何かの宗教から来ていることが多い。日本では仏教が大きな存在のようだが、君もそうとは知らずに影響を受けているはずだ。因果応報や諸行無常といった言葉は仏教由来だし、その言葉の意味を理解した上で君の周りでも使われているだろう。そしてキリスト教は世界三大宗教の一つであり、信徒が世界中に何十憶といる。キリスト教について理解を深めるということは、それらの人々をより深く理解することに繋がると私は考える。海外からの隣人に対して、もっと寛容にならなければならないのではないか。そのためには荒療治も必要だ」
 誇らし気で、俺って立派なことを言っているだろと言いたげなガブリエル大統領である。
 全身から善意が迸っているようだ。
 ああ、マジでやりづらい。
 マリアとの遣り取りで慣れていなければ、ろくに会話もできなかっただろう。
 きっとガブリエル大統領に圧倒されて、僕は口をパクパクとしていたはずだ。
「お言葉ですが――ガブリエル大統領、相互理解のためには、お互いが相手のことを理解しなければならないかと思います。その理屈で言えば、海外の人達も、日本のことを知ろうと努力しなければならないのではないでしょうか」 
 僕は言葉を選びながら、心に引っ掛かっていたことを口にしてみた。
 間違ったことは言っていないはず。
「そうしたいのは、やまやまなのだがね。理解したくても、この国の人間は奥ゆかしいと言うか、話をしていても白黒はっきりしないことが多い。ずっと疑問に思っていたのだが、日本人にとっての『聖書』に当たるものは何なのかな」 
 僕の疑問に対して、ガブリエル大統領は豪速球を返してきた。
 首をかしげながら顎に手を当て、心底分からないといったアピールをガブリエル大統領はしている。
 まいったな。
 これは難問だ。
 ガブリエル大統領と会話が成り立っているものの、話していることは世間話なんてものじゃない。
 偉い学者でも連れてこないといけないレベルだ。
 もしかすると、ガブリエル大統領の感覚では、これが日常会話なのかもしれないと思ったところで、げんなりした。
 もっと気楽に考えればいいじゃないか――。
 普段から、そんなに考え詰めて疲れないのかな。
 僕の緊張で固まっていた肩から、余分な力が一気に抜けたのを感じる。
 開き直らねば身が持たない。
 で、どうするか?
 そうだ、僕にはこれがある!
「これは僕の想像なのですが、話してもよろしいでしょうか」
 大河内先生から渡された日本史の教科書を触りながら、僕は後のことは考えないことにした。
 他に思いつく手段がない。
「構わないよ。これは、ただの世間話だからね」
 あなた本人にとってはそうなんでしょうけど、周りはどう思うんですかね?
「ここに日本史の教科書があります。これによりますと、六世紀の終わりから国の制度が整えられ『憲法十七条』が定められたとあります。これは国家運営の精神をまとめたものですが、これの一番最初に、和を以て貴(たっと)しとなし――と書かれています。憲法が発布される前には仏教が伝来し、国が乱れましたが、最終的に仏教も八百万の神も崇めることとなりました。この共存の精神に同意する人は、今の日本にも多いと僕は思います」
 ガブリエル大統領の反応を窺うと、僕の話を静かに聞いている。
 そして冷静な突っ込みを返してきた。
「しかし、その朝廷を中心とする国家体制も、武士が勃興してきて崩壊したのではなかったかな」
 よし、狙い通りだ。
 ガブリエル大統領が日本史に詳しいなら、この話に付いてこられるはず。
「はい、政治の実権は公家から武士へと移っていきました。鎌倉幕府ができたのです。鎌倉幕府は『御成敗式目』という法律? まで作りました。これだけ見ると、既存秩序の破壊者です。天下を朝廷から奪おうとしたようにも見えます。しかし、『御成敗式目』を策定するときに中心的存在だった北条泰時――当時の武士の最高指導者に、そんな意志は無かったのではないかと僕は思います」
 ガブリエル大統領が、訝しそうな表情をしている。
 それは、そうだろう。
 大河内先生の授業で習ったときは、僕だって疑問に思ったのだから。
「教科書には、北条泰時の書状が載っています。それには、『御成敗式目』には根拠となる漢籍などはない。ただ道理の推すところを記したのみで、朝廷が定めた法をいささかも改めるものではないと書かれています」
 我慢できなくなったのか、ガブリエル大統領が口を開いた。
「それは、明らかにおかしい。日本で言うところの下剋上ではないのか」
 もっともな話だ。
 力づくで権力を奪ったというのであれば、話は単純だ。
「いいえ、大河内先生からの受け売りになるのですが、北条泰時に権力欲といった私心は無かったと考えられます」
 急に自分の名前が出てきて、大河内先生がビクッと背筋を伸ばしている。
 ふふふ、これで僕の言っていることが間違っていたとしても、泥は大河内先生に被ってもらえるぞ。
「鎌倉幕府ができてからも朝廷は存続し、従来からの法は存続しています。ただ、朝廷が定めた法は漢文で書かれていて、そもそも読める者が少ない。加えて、武士社会では先例や慣習で動いているので、法が現実の在りようを反映していなかった。国造りを隋や唐に学んでいた朝廷は、武士よりも教養に溢れていたのでしょう。しかし社会を維持する上では、武士の方がうまかったようですね。こうして気が付けば、一国二制度とでも言うべき事態になったのですが、一番頭を抱えたのは北条泰時のはずです。朝廷を立てつつ幕府を切り盛りすることになったのですから」
 そこはかとなく中間管理職の悲哀を感じる。
 北条泰時も大河内先生となら、話が合うかもしれない。
「それならば、関東に独立国を築けば良かったのではないかね?」
 非常にすっきりした解決策をガブリエル大統領は提示してくる。
 平将門のようだ。
「しかしながら、そうはなりませんでした。北条泰時に影響を与えた人物に、明恵上人と呼ばれる人がいたと教科書では書かれています。この人は、人にはあるべきようがあり、僧には僧の、俗には俗の、帝王には帝王の、臣下には臣下のあるべきようがある。このあるべきように背くが故に、一切が悪くなるのであるとの考えを持っていました。手元の教科書では『御成敗式目』の背景には明恵上人の思想があるとの考えを示しています。これを受けて大河内先生は、北条泰時には自分が王になるという野心は無かっただろうと言われました」
 この話を授業で聞いたとき、歴史って面白いと素直に思った。
 いい話だったと思います。
 だから先生、ビクビクしないで下さい。
「『御成敗式目』は鎌倉幕府以後も歴代幕府に受け継がれ、改訂を続けながら江戸時代まで使われています。駆け足で日本の歴史を見てきましたが、仏教と八百万の神々、朝廷と幕府、異なるものは異なるまま並存してきたのが分かるかと思います」
 以上、『詳細 日本史C』からでした。
 日本史を勉強しておいて、今日ほど役に立ったことはない。
 仏教も八百万の神もキリスト教も並存ということにならないだろうか。
 ここまで考えたところで、僕の意図を感じ取ったガブリエル大統領が話し出した。
「君の話から感じたことを述べよう。この国は、今も昔も変わらないようだ。社会に変革が起こったとしても、変りきらない。それまでにあったものが絶えずに残り、新しいものと古いものが、共に在り続ける。実に興味深い話だ。だが、それだけ異質なもの同士をどうやって一つにしているのかね?」
 私には想像できないよ――と言いたげなガブリエル大統領。
 言外に、論理的な整合性なんて取れないだろうというニュアンスを感じる。
 何か言わないと!
 慌てて教科書をパラパラめくり、あるページで目が留まった。
「三教一致論――神道、儒教、仏教の教えは一致するというという考えが、江戸時代には説かれていたようですね。異質なように見えて、実は矛盾しない。根っこでは同じものが時と場合によって、神道や儒教、仏教となって現れると信じられていたみたいです」
 無言になったガブリエル大統領が怖い。
 すっと顔から表情が抜けたみたいに見える。
「君の言う根っことは何なのかな?」
 天道思想と書かれたページを見ながら、僕は答えた。
「お天道様でしょうか」
 ガブリエル大統領が、手で頭をさすっている。
 頭痛でもしてきたのだろう。
 良い答えだと思ったんですけど、ダメですかね?
「まさかと思うが、先程出てきた三教一致論にキリスト教を加えて、四教一致とか言い出すのではないだろうね?」 
 目が笑っていない。
 突き刺すような鋭さを感じるぞ。
「さすがに、そこまでは求めません。僕はただ、ガブリエル大統領の質問に答えただけです」
 危なかった。調子に乗って口を滑らせていたら、どうなっていたことか。
「君がこれまで述べてきたことが、仮に正鵠(せいこく)を射ていたとしよう。私から見ると、宗教以前の状態にあるようだ。ただ、何も信じていないわけではない。なんとも捉えがたいものだな」 
 思案顔のガブリエル大統領を見つつ、僕は思った。
「西洋でも、キリスト教が広まる前はギリシャ神話を信じていたわけですし、そうおかしなことでもないのでは?」
 あ、ガブリエル大統領が眉根を寄せて渋い顔をしている。
 でも、このさいだ。
 言ってしまおう。
「キリスト教にも、聖人やマリアに対する信仰があると聞きます。アメリカで行っているハロウィンはキリスト教と関係ないお祭りじゃないですか」
 マリアの授業を聞いていて思ったことだが、キリスト教も理路整然としたものだけではない。
 教義的にグレーな部分がある。
 宗教画というものは、偶像崇拝にならないんですかとマリアに質問して、回りくどい説明を受けたことがあった。
「何が言いたいのかな」
 ガブリエル大統領から剣呑な空気を感じる。
 でも、ここまで言ったんだ、思いつきでしかないけど、最後まで話してもいいよね。
「ここまで話してきて、日本は変わってるとガブリエル大統領は思われたでしょう。一貫した理屈があってないようなものですから。筋道立てて考えられるガブリエル大統領には、奇異に思われたと想像します。しかしながら、僕の考えなんですが、このような日本の状況は世界的に見て珍しいものなのでしょうか」
 珍しいよと言いたそうなガブリエル大統領だが、聞く姿勢でいてくれるようだ。
「日本の雑多な信仰は、多神教とか自然崇拝――アニミズムと呼ばれる世界を基にしているのだと思います。超自然の存在を、あちこちに認めるので、一貫した原則が無いように見えるのだと僕は思います。しかし、多神教やアニミズムって珍しいものではないですよね。僕は専門外ですけど、ギリシャ神話、北欧神話、エジプト神話、インド神話……。これらは多神教です。アニミズムについては、アメリカのネイティブの人達などがそうだとテレビのドキュメントで知りました。探せば、もっと多くの事例が見つかるでしょう」
 ガブリエル大統領の目を見るが、話を続けてと言っているように感じた。
 僕の話に理屈が通っていると認めてくれたらしい。
「かのローマ帝国もキリスト教が広まる以前は、ギリシャ神話の神々を信仰していたわけで、世界的に見ても多神教は決して珍しいものではなかったと、僕は想像します。アニミズムも同様ではないかと思うんですが、僕は専門家ではないので断言できません。しかしながら、日本のような国が決して特別なわけではなかったと言えるのではないでしょうか」
 ガブリエル大統領が関心したように頷いている。
「現在の状況は、世界にキリスト教を由来とする西洋思想が広まった結果、キリスト教的価値観が一般的になったのだと思います。しかし、西洋にもキリスト教伝来以前の信仰が形を変えて残っていると思いますし、それらは一概に否定されるべきものではないでしょう」
 苦いものでも食べたような顔をガブリエル大統領はしている。
 ガブリエル大統領の個人的な立場としては、キリスト教の厳密な教義に反するものは受け入れたくないが、大統領としての立場が許さないといったところか。
「すると、日本はタイムカプセルのような国ということになるな」
 うまいことを言ったつもりなのか、ガブリエル大統領は笑っている。
「はい、ただタイムカプセルと違い、僕達は生きて動いています」
 ガブリエル大統領が真顔になった。 
「すぐに答えは出せないな。しかし今日話したことは、一考に値すると思うよ」
 こうして、僕とガブリエル大統領の世間話? は終わった。
 渋々といった感じだが、日本のことを認めてくれたのだろうか?
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