花は~咲く。いつか恋する君のために~。
文字数 3,774文字
ご先祖様って、子孫を優しく見守るものじゃないのかよ。
「きぃやぁあぁああぁぁぁ」
緊張に耐えられなくなった出席者から悲鳴が上がった。
「呪われるぅ」
慌てて席を立つ者が一人現れると、
「怨霊だ、悪霊だ」
恐怖が会場中に伝染し、皆が逃げようと腰を浮かした。
この隙に僕と戌亥も逃げよう。
もはや公開討論会どころではない。
戌亥と目配せをすると、僕は立ち上がろうとし――椅子に抑え付けられた。
「逃げるな、氏子ども。祖先を前にして、罰当たりなことを言うな!」
神主の声と共に、不可視の衝撃が会場を襲った。
体が動かない。
肩にずしっと重みを感じる。
「やだ、何かが乗ってる」
戌亥の悲鳴のような声を聞き、僕は悟った。
金縛りというやつだな、これは。
僕の上にも、きっと目に見えない存在が乗っかっているのだろう。
霊感? というものがある人なら、会場中に浮遊霊だか何だかが見えるに違いない。
心霊現象に捉えられて、逃げ損ねた人達が着席した。
「せっかく来てくれたのだ。今日は茂野延神社の来歴から、祖先崇拝の在り方まで語るとしよう」
め、めんどくさい。
「茂野延神社は、仏教から我が国古来の伝統を守ろうとした物部(もののべ)氏を祀る……」
ノリノリで話し出した神主だが、長くは続かなかった。
どこからかピアノの旋律が聞こえる。
「花は~花は~花は咲く。いつか生まれる君に~」
ピアノの伴奏に併せて歌っているのは壇上のマリアだ。
唯一自由に動かすことのできる目を動かすと、舞台の下に設置されたピアノを天野先生が弾いていた。
「花は~花は~花は咲く。わたしは何を残しただろう~」
聞き覚えのあるメロディと歌詞。
東北で大震災が起こってから、テレビのNHKで頻繁に流れていた曲だ。
当時は家や学校でも皆の顔が暗くて、これからどうなるんだろうという不安が漂っていた。
僕も塞ぎがちな気分だったことを覚えている。
そんなときにテレビから軽やかなメロディと歌が聞こえてきて、随分と慰められた。
あれ、神主がおとなしい?
わなわなと震えている。
「その歌は……ぐ、ぐぅ」
それどころか、両手で頭を押さえて苦しみだしたぞ。
あ、体が動く。
会場を覆っていた圧力が消えたらしい。
周囲の人間も憑き物が落ちたような顔をしている。
代わりに、神主が頭を掻きむしり始めた。
余程苦しいのか、唸り声を上げている。
「や、やめろ」
しかし、マリアの歌は続く。
事態の推移を見て、僕の頭に閃くものがあった。
歌の歌詞は音楽の授業で知っている。
天野先生の指導の下、徹底的に仕込まれた。
多分、他のクラスの生徒も似たようなものだろう。
天野先生が好きな歌だから。
「傷ついて~傷つけて~」
僕も歌い出す。
戌亥が驚いた顔をするが、僕は目で促す。
パチパチと目を瞬いてから、戌亥も僕に続いてくれた。
戌亥の口からアルトの歌声が響く。
「今はただ~愛おしい~」
神主の呻き声が一オクターブ大きくなった。
思った通り、歌が神主に効いてる。
理由は知らない。
だが、神主の周囲に見えていた陽炎――人の顔が険しい表情から、穏やかなものへと変わろうとしている。
そんな神主の様子を見て、一人また一人と合唱に加わる者が現れた。
「悲しみの向こう側に~」
合唱の輪が広がるごとに、神主が追い詰められていく。
「が、があぁ」
神主の足元がふらつくと共に、神主から感じていた禍々しいオーラが弱くなる。
「花は~花は~花は咲く」
ついには体育館に集まった参加者全員で大合唱になった。
中には歌詞をちゃんと知らない者もいただろう。
隣の人が歌うのを聞きながら、かろうじて自分も歌っているのだ。
だが、歌詞を知ってるとか、声の音程が合っているかは些末な問題だろう。
この合唱には、皆の必死な思いが込められているからだ。
ああ、陽炎が小さくなっていく。
浮かんでいた顔も安らいだように笑うと、見えなくなった。
「花は~花は~花は咲く。いつか恋する君のために~」
マリアが歌い終わると同時に、神主が限界を迎えた。
「あぁああぁあぁぁぁ」
喉が避けるんじゃないか――と心配になるほどの大声を出すと、神主がバタッと倒れる。
その拍子に黒縁眼鏡が顔から落ちると、床面に当たってガラスのレンズが砕けた。
気が付くと、辺りの空気が清々しくなっている。
台風が過ぎ去った後に、抜けるような青空が広がっているみたいだ。
神主に取り憑いていた霊? は、もしかして成仏したのか?
いや鎮まったと言う方が正しいのだろう。
御経を唱えたわけでもないし。
期せずして、鎮魂儀礼というのを僕らは行ったんだと思う。
何かをやり遂げたという充実感が、僕の体を包んでいる。
戌亥の顔をみると、実に晴れ晴れとしていた。
良かった、良かった。
さぁ、このまま爽やかな気持ちで帰ろう――と思っていたら、
「何が起こったというのか、儂は今まで一体?」
和やかな空気を壊す神主の声が聞こえた。
「ここはどこだ」
上半身だけ起こして、神主がきょろきょと辺りを見回している。
白目を剥いていた目も黒目が戻り、普通に周囲が見えるようだ。
眼鏡が壊れたので、遠くまでは見えないだろうが。
「今は何年、儂は誰?」
え、今までの記憶がごっそり無いの!
完全な記憶喪失だから、今までのことは水に流せと――そんな都合の良いことが起こってたまるか!
「思い出せ、今すぐに!」
そして罪を償え。
僕の叫びが体育館に響いた。
「優子か、しばらく見ないうちに背が三十センチは伸びたな」
洗剤で漂白されたように、神主がすっきりとした顔をしている。
顔色も良く、今まで僕が見た中で最も健康そうだ。
体育館の床で神主はごろ寝をしつつ、自分の周囲に集まった人間を見ている。
神主が倒れてから三十分ほどの時間が経った。
その間、僕と戌亥による
「ふざけんじゃねぇ、祖霊にするぞ!」
「おじさん、私の人生を返してよ!」
熱心な看護により、神主は徐々に思い出していった。
未だ記憶が混乱しているものの、今の状況を理解したようだ。
「あの金髪の女子(おなご)は、誰だったかの。なぜか見覚えがあるんじゃが」
あくまで、なんとなくのレベルでだが。
神主を囲んで立っているのは、僕、戌亥、マリア、大河内先生の四人だ。天野先生は警察を呼びに行こうとしたのだが、救急車を呼ぼうと主張する山伏二人に止められ、体育館の隅で山伏二人と問答をしている。
「さしずめ、常世の国から来た客人(まれびと)といったところか」
マリアの顔をしげしげと見つめながら、神主が呟いた。
客人?
常世の国?
「古代日本の信仰だな。客人とは外部の世界からの来訪者、常世の国とは海の向こうにあると信じられていた異界だったか」
日本史が専門の大河内先生が解説してくれる。
自分の発言にうんうんと頷きながら、神主は満足そうな表情を浮かべた。
マリアが客人だとすると、アメリカが常世の国?
神主よ、それでいいのか。
自分が信じている世界とマリアの存在が繋がり、神主はすっきりしたようだ。
ゆっくりと目を閉じると、カクッと首から力が抜ける。
最悪の展開を予想してぎょっとなるが、杞憂だった。
「ごぉおぉぉ」
すぐに高鼾(たかいびき)が聞こえてくる。
このまま体育館の端にでも捨てていこうかと思ったが、念のため病院で精密検査を受けさせることになった。
マリアいわく、ボクサーなどが頭部に強い衝撃を受けると鼾をかくことがあるそうである。
その場合は脳に異常が出ている恐れがあるとのことで、山伏達が付き添いとなり、神主は到着した救急車に運ばれていった。
命の危険を持ち出されて、天野先生も折れたらしい。
「ふぅ」
やれやれ、これで終わった。
嵐のような時間が過ぎ去り、体育館は虚脱したような空気に包まれた。
体育館の壁に掛かった時計を見ると、昼の十二時を回ったところだ。
公開討論会が始まって、まだ半日しか経っていないのか。
とはいえ、参加者も疲れてぐったりしているし、これでお開きに――
「ほほう、ここが公開討論会の会場か。しかし空気が緩んでいるな、拙僧が喝を入れるとしよう」
ならなかった。
また人の話を聞きそうにない奴が現れた。
黒い着物に山吹色の袈裟、手には念珠。
実年齢不詳の老僧が佐藤を御供にして、いつの間にか舞台に上っていた。
マイクも使っていないのに、朗々とした声が体育館に轟いている。
さては、出て来るタイミングを計っていたな。
「愚僧なら、いつでも良い。さぁ、存分に語り合おうぞ」
他人の都合なんて、おかまいなしだ。
喋りたくて仕方がないのだろう。
盛んに気炎を吐いている。
しかし大河内先生の言葉は淡々としたものだった。
「せっかくなのですが、これから昼休憩に入るので一時間待って下さい」
思いっきり水を差されて、怪僧が困った顔をした。
出席者達が席を立ち始める。
あぁ、腹減った。
「きぃやぁあぁああぁぁぁ」
緊張に耐えられなくなった出席者から悲鳴が上がった。
「呪われるぅ」
慌てて席を立つ者が一人現れると、
「怨霊だ、悪霊だ」
恐怖が会場中に伝染し、皆が逃げようと腰を浮かした。
この隙に僕と戌亥も逃げよう。
もはや公開討論会どころではない。
戌亥と目配せをすると、僕は立ち上がろうとし――椅子に抑え付けられた。
「逃げるな、氏子ども。祖先を前にして、罰当たりなことを言うな!」
神主の声と共に、不可視の衝撃が会場を襲った。
体が動かない。
肩にずしっと重みを感じる。
「やだ、何かが乗ってる」
戌亥の悲鳴のような声を聞き、僕は悟った。
金縛りというやつだな、これは。
僕の上にも、きっと目に見えない存在が乗っかっているのだろう。
霊感? というものがある人なら、会場中に浮遊霊だか何だかが見えるに違いない。
心霊現象に捉えられて、逃げ損ねた人達が着席した。
「せっかく来てくれたのだ。今日は茂野延神社の来歴から、祖先崇拝の在り方まで語るとしよう」
め、めんどくさい。
「茂野延神社は、仏教から我が国古来の伝統を守ろうとした物部(もののべ)氏を祀る……」
ノリノリで話し出した神主だが、長くは続かなかった。
どこからかピアノの旋律が聞こえる。
「花は~花は~花は咲く。いつか生まれる君に~」
ピアノの伴奏に併せて歌っているのは壇上のマリアだ。
唯一自由に動かすことのできる目を動かすと、舞台の下に設置されたピアノを天野先生が弾いていた。
「花は~花は~花は咲く。わたしは何を残しただろう~」
聞き覚えのあるメロディと歌詞。
東北で大震災が起こってから、テレビのNHKで頻繁に流れていた曲だ。
当時は家や学校でも皆の顔が暗くて、これからどうなるんだろうという不安が漂っていた。
僕も塞ぎがちな気分だったことを覚えている。
そんなときにテレビから軽やかなメロディと歌が聞こえてきて、随分と慰められた。
あれ、神主がおとなしい?
わなわなと震えている。
「その歌は……ぐ、ぐぅ」
それどころか、両手で頭を押さえて苦しみだしたぞ。
あ、体が動く。
会場を覆っていた圧力が消えたらしい。
周囲の人間も憑き物が落ちたような顔をしている。
代わりに、神主が頭を掻きむしり始めた。
余程苦しいのか、唸り声を上げている。
「や、やめろ」
しかし、マリアの歌は続く。
事態の推移を見て、僕の頭に閃くものがあった。
歌の歌詞は音楽の授業で知っている。
天野先生の指導の下、徹底的に仕込まれた。
多分、他のクラスの生徒も似たようなものだろう。
天野先生が好きな歌だから。
「傷ついて~傷つけて~」
僕も歌い出す。
戌亥が驚いた顔をするが、僕は目で促す。
パチパチと目を瞬いてから、戌亥も僕に続いてくれた。
戌亥の口からアルトの歌声が響く。
「今はただ~愛おしい~」
神主の呻き声が一オクターブ大きくなった。
思った通り、歌が神主に効いてる。
理由は知らない。
だが、神主の周囲に見えていた陽炎――人の顔が険しい表情から、穏やかなものへと変わろうとしている。
そんな神主の様子を見て、一人また一人と合唱に加わる者が現れた。
「悲しみの向こう側に~」
合唱の輪が広がるごとに、神主が追い詰められていく。
「が、があぁ」
神主の足元がふらつくと共に、神主から感じていた禍々しいオーラが弱くなる。
「花は~花は~花は咲く」
ついには体育館に集まった参加者全員で大合唱になった。
中には歌詞をちゃんと知らない者もいただろう。
隣の人が歌うのを聞きながら、かろうじて自分も歌っているのだ。
だが、歌詞を知ってるとか、声の音程が合っているかは些末な問題だろう。
この合唱には、皆の必死な思いが込められているからだ。
ああ、陽炎が小さくなっていく。
浮かんでいた顔も安らいだように笑うと、見えなくなった。
「花は~花は~花は咲く。いつか恋する君のために~」
マリアが歌い終わると同時に、神主が限界を迎えた。
「あぁああぁあぁぁぁ」
喉が避けるんじゃないか――と心配になるほどの大声を出すと、神主がバタッと倒れる。
その拍子に黒縁眼鏡が顔から落ちると、床面に当たってガラスのレンズが砕けた。
気が付くと、辺りの空気が清々しくなっている。
台風が過ぎ去った後に、抜けるような青空が広がっているみたいだ。
神主に取り憑いていた霊? は、もしかして成仏したのか?
いや鎮まったと言う方が正しいのだろう。
御経を唱えたわけでもないし。
期せずして、鎮魂儀礼というのを僕らは行ったんだと思う。
何かをやり遂げたという充実感が、僕の体を包んでいる。
戌亥の顔をみると、実に晴れ晴れとしていた。
良かった、良かった。
さぁ、このまま爽やかな気持ちで帰ろう――と思っていたら、
「何が起こったというのか、儂は今まで一体?」
和やかな空気を壊す神主の声が聞こえた。
「ここはどこだ」
上半身だけ起こして、神主がきょろきょと辺りを見回している。
白目を剥いていた目も黒目が戻り、普通に周囲が見えるようだ。
眼鏡が壊れたので、遠くまでは見えないだろうが。
「今は何年、儂は誰?」
え、今までの記憶がごっそり無いの!
完全な記憶喪失だから、今までのことは水に流せと――そんな都合の良いことが起こってたまるか!
「思い出せ、今すぐに!」
そして罪を償え。
僕の叫びが体育館に響いた。
「優子か、しばらく見ないうちに背が三十センチは伸びたな」
洗剤で漂白されたように、神主がすっきりとした顔をしている。
顔色も良く、今まで僕が見た中で最も健康そうだ。
体育館の床で神主はごろ寝をしつつ、自分の周囲に集まった人間を見ている。
神主が倒れてから三十分ほどの時間が経った。
その間、僕と戌亥による
「ふざけんじゃねぇ、祖霊にするぞ!」
「おじさん、私の人生を返してよ!」
熱心な看護により、神主は徐々に思い出していった。
未だ記憶が混乱しているものの、今の状況を理解したようだ。
「あの金髪の女子(おなご)は、誰だったかの。なぜか見覚えがあるんじゃが」
あくまで、なんとなくのレベルでだが。
神主を囲んで立っているのは、僕、戌亥、マリア、大河内先生の四人だ。天野先生は警察を呼びに行こうとしたのだが、救急車を呼ぼうと主張する山伏二人に止められ、体育館の隅で山伏二人と問答をしている。
「さしずめ、常世の国から来た客人(まれびと)といったところか」
マリアの顔をしげしげと見つめながら、神主が呟いた。
客人?
常世の国?
「古代日本の信仰だな。客人とは外部の世界からの来訪者、常世の国とは海の向こうにあると信じられていた異界だったか」
日本史が専門の大河内先生が解説してくれる。
自分の発言にうんうんと頷きながら、神主は満足そうな表情を浮かべた。
マリアが客人だとすると、アメリカが常世の国?
神主よ、それでいいのか。
自分が信じている世界とマリアの存在が繋がり、神主はすっきりしたようだ。
ゆっくりと目を閉じると、カクッと首から力が抜ける。
最悪の展開を予想してぎょっとなるが、杞憂だった。
「ごぉおぉぉ」
すぐに高鼾(たかいびき)が聞こえてくる。
このまま体育館の端にでも捨てていこうかと思ったが、念のため病院で精密検査を受けさせることになった。
マリアいわく、ボクサーなどが頭部に強い衝撃を受けると鼾をかくことがあるそうである。
その場合は脳に異常が出ている恐れがあるとのことで、山伏達が付き添いとなり、神主は到着した救急車に運ばれていった。
命の危険を持ち出されて、天野先生も折れたらしい。
「ふぅ」
やれやれ、これで終わった。
嵐のような時間が過ぎ去り、体育館は虚脱したような空気に包まれた。
体育館の壁に掛かった時計を見ると、昼の十二時を回ったところだ。
公開討論会が始まって、まだ半日しか経っていないのか。
とはいえ、参加者も疲れてぐったりしているし、これでお開きに――
「ほほう、ここが公開討論会の会場か。しかし空気が緩んでいるな、拙僧が喝を入れるとしよう」
ならなかった。
また人の話を聞きそうにない奴が現れた。
黒い着物に山吹色の袈裟、手には念珠。
実年齢不詳の老僧が佐藤を御供にして、いつの間にか舞台に上っていた。
マイクも使っていないのに、朗々とした声が体育館に轟いている。
さては、出て来るタイミングを計っていたな。
「愚僧なら、いつでも良い。さぁ、存分に語り合おうぞ」
他人の都合なんて、おかまいなしだ。
喋りたくて仕方がないのだろう。
盛んに気炎を吐いている。
しかし大河内先生の言葉は淡々としたものだった。
「せっかくなのですが、これから昼休憩に入るので一時間待って下さい」
思いっきり水を差されて、怪僧が困った顔をした。
出席者達が席を立ち始める。
あぁ、腹減った。