僕の町は小京都?

文字数 5,015文字

 運命の日! がやって来た。
 今日は何が起こるか分からない。
 考えれば考えるほど、学校が伏魔殿になっているような気がする。
 とはいえ悩んでいても仕方がない。
 最悪の場合でも、命までは取られないだろう。
 ええい、家から出発だ!
 気合を入れて玄関のドアを開けると――舞妓さんがいた。
 舞妓さん……。
 慌ててドアを閉める。
 いかん、僕は疲れているのか。
 昨晩は色々考えて、よく眠れなかったし。
 でも、家の前の道を歩いていたのは、日本髪に簪(かんざし)を挿した着物姿の女性だ。
 白粉(おしろい)で塗られた白い顔、着物の帯はダラリと背中に流され……どう見ても舞妓さん以外の何者でもない!
 気を取り直してドアを開けると、カランコロンと下駄の音をさせて、先程の人が家の前から遠ざかるところだった。
 目元に引かれた朱色の化粧が色っぽい。
 思わず見惚れていると、僕の方に気付いたらしい。
 歩く姿にも気品がある女性は僕の方を見ると、はんなりと笑った。
 わ、こういうときは、どうすればいいんだ。
 条件反射で会釈すると、紅い唇が動いた。
 おおきに――。
 声は聞こえなかったけど、なぜか分かった。
 そして舞妓さんは、僕の視界から消えた。
 夢じゃないよね。
 あれは間違いない。
 小学校の修学旅行で京都に行ったときに、僕は本物の舞妓さんに会ったことがある。
 引率の先生が行ったサプライズ企画だったんだけど、『お茶屋さん見学ツアー』なるものに連れて行かれ、僕は正真正銘の舞妓さんに会い、お喋りをした。
 生徒よりも、先生の方がはしゃいでいたのを覚えている。
 生徒をダシにして自分の願望を満たすとは、当時の担任は何を考えていたのだろう?
 とはいえ、そのときの経験が役に立った。
 さっきまでいたのは、一部の人の間で京都を象徴? する存在に違いない。
 こんなパッとしない地方都市で目にするとは、雪でも降るんじゃないか。
 そんなことを思いつつ登校していると、道すがら世にも珍しい光景を目にすることになった。
 舞妓さんが一人、二人……。
 あの人は帯の形が違うから、芸妓さんだな。
 芸妓さんの帯は、舞妓さんの帯とは違ってダラリと垂れてはいない。腰の後ろで折り畳まれて、まとまっているんだった。
 ああ、なんということだろう。
 僕が住んでる町は、いつから京都? になったんだ。
 どうして、こんなに見掛ける?
 これは天変地異の前触れなのか。
 それとも、大規模な映画のロケでもしているのだろうか。
 その疑問は、とある寺の前を通りかかったときに消えた。
 ここは佐藤の実家だ。
 門の所に、あの怪僧が立っている。
 なぜか顔が赤い。
 手にしたペットボトルのお茶を飲む姿を見て、その理由に想像がついた。
 飲んでるな、この人。
 酒の臭いが、プンプンとここまで漂ってくるようだ。
 側には芸妓さんが一人に、舞妓さんが二人。
 三人共、初めて見る顔だ。
 それを見て、町で起こった異変の原因が分かった。
 今まで見掛けた人達は、この老僧が呼んだんだろう。
 これから公開討論会に出るはずなのに、何やってるんだ。
 呆れる僕を余所に、黒塗りのベンツが、寺の駐車場からやって来た。
 ベンツは破戒僧の前で止まると、中から佐藤の親父が出てくる。
 頭が綺麗に剃られているので、一目で分かった。
 小学校の体育祭で見たときから、外見が変わっていない。
「昨日の葬儀は自坊の歴史に残るものでした。あれほど華やかな葬儀は今まで見たことがありません。送っていただいた先住も、浄土で喜んでいることでしょう」
 先住というのは、前の住職という意味だな。
 すると、昨日は佐藤のじいちゃんの葬式だったわけか。
 佐藤が早退したのも、身内の不幸が関係していたのかもしれない。
「あ奴も、湿っぽいものは嫌だろうからな。馴染みのお茶屋に頼んで、贔屓(ひいき)の子達を寄越してもらって良かった。この町の料亭から取り寄せた料理も中々のものだった。皆で楽しく飲んだのが、最高の供養になっただろう」
 賑やかに送るのは良いけど、酒池肉林の宴? を開くのは、どうなんだ?
 亡くなった人はお祭り騒ぎが好きだったのか。
 ちなみに、その予算は、どこから出ているんだ。
「倅にも良い経験になりました。倅は生真面目過ぎて、仏敵を駆逐することが供養だと言って勇んでおりましたが、故人を偲ぶことを忘れてはいけません。身内の葬儀の日くらいは、他のことを置いておいていいでしょう」
 まっとうなことを言っている。
 こんなことを言われるということは、佐藤はじいちゃんの葬式を放っておいて――また何かしようとしていたのか?
「そうさな。最高の肉と酒の味を知らぬうちは、ひよっこよ。金は天下の回り物。使うときには使わないとな。この世の楽しみを知らずして、人の心を理解などできぬ。お主の倅、日本酒は初めてと言っていたが、なかなか良い飲みっぷりっだったぞ。これからも精進するといい」
 え、そうなんですか。
 真面目そうな口調でもっともらしく言っているけど、それって寺の金で堂々と遊ぶということですよね。
 あ、感心したように佐藤の親父が頷いている。
 金銭感覚がおかしいでしょう。
「次は、女の味を教えてやることにしよう」
 佐藤、道を誤るなよ。
 断れないだろうけど……。
 佐藤の親父は、ベンツに坊主と芸妓さん、舞妓さん二人を乗せると走り去った。
 
 朝から生臭坊主を見かけ、げんなりした気分で学校に到着すると、学校は閑散としていた。
 あれ?
 みんなは、どこに行ったんだ。
 きょろきょろと辺りを見回すが、人影が見えない。
 公開討論会は体育館で行われるから、既にそっちへ行っているのか。
 開始時間まで、けっこう間があるけど。
「いやぁー、こっちに来ないで!」
 少女の叫び声が聞こえた。
「こら、待たんか! 観念せい!」
 続いて男の怒鳴り声がする。
 どちらも聞いたことのある声だ。
 何やらグラウンドの方が騒がしい。
 嫌な予感を感じつつ顔を向けると、必死の形相をした友人が、僕の方に走って来るところだった。
 戌亥、何をやっているんだ!
 今日は休むはずだろ。
「仁、お願い。助けてぇ!」
 戌亥の後ろには、山伏の集団が見える。
 その数、二十人ばかり。
 そして、その中心にいるのは戌亥の叔父である神主。
 今日も烏帽子に狩衣を着て、神主装束をばっちり決めている。
 前回と違うのは、山伏達が担ぐ輿(こし)に乗っていることだ。
 祭のときに出て来る神輿(みこし)みたいだけど、ちっとも有難く思えない。
 神輿は神様の乗り物だと聞いたことがあるけど、神主は自分が神様にでもなったつもりなのか?
 神主は神様に仕えるのが仕事のはずなんだがなぁ。
 そんなことをしていると罰が当たるぞ。
「実の叔父を手に掛けようとするとは、何事か! おとなしく縛につけ!」
 あ、戌亥が水筒をぶつけたことがバレたんだ。
「あれは、しょうがなかったの。不幸な事故だったのよ!」
 すでに戌亥は半泣きだ。
「ええい、勘弁ならん。とっ捕まえて、折檻だ。その性根を入れ直してくれる!」
 額に青筋を浮かべた神主が怒号を発した。
「いやぁあ! ごめん、許してぇ!」
 このまま捕まったら、戌亥は集団リンチだ!
 下手をすると命に関わるぞ。
 命の危険を感じた戌亥が猛ダッシュだ。
 陸上部の短距離ランナーのような勢いで走っている。
 僕の前まで走って来ると、戌亥はバテたのか倒れそうになった。
「戌亥、がんばれ!」
 慌てて戌亥を支えるが、マジで戌亥はしんどそうだ。
 時々えずいて、吐きそうになっている。
 もう走るのは無理だ。
 僕は周囲を見渡すと、戌亥の手を引いて校舎に向かう。
 建物の中に入れば、なんとか撒ける。
 輿に乗っているせいで、神主が追って来る速さは、それ程でもない。
 周囲の山伏も神主に合わせて動いているから、校舎に入るまでの時間はある。
 よし、校舎の入り口まで目前だ。
「戌亥、もうちょっとだぞ!」
 声を掛けていないと、戌亥がその場でへたり込む気がして、僕は気が気ではなかった。
「うん……」
 辛いだろうが、辛抱してくれ。
 後で休ませてやるからな。
 シャン、シャン。
 聞きなれない金属音がした。
 鈴のように澄んだ音だが、今は物凄く不吉なものを感じる。
 なぜなら、音は後ろからではなく、逃げ込む先だった校舎の入り口から聞こえたからだ。
 シャン、シャン、シャン。
 音がどんどん大きくなる。
 思わず足を止めて方向転換を図るが、戌亥はガクガクと膝から崩れてしまった。
「ダメ、足が攣っちゃった」
 いかん、一度止まったせいで、今までの疲労が足に来てしまったぞ。
 何とか戌亥を立たせようとしている内に、音の正体が校舎の入り口から現れた。
 錫杖を持った山伏である。
 音の正体は、錫杖の先に付いた金属の輪っかだった。
 輪っかが上下に揺れるさいに杖と当たり鳴っていたのだ。
 錫杖を持った山伏が一人、二人、三人……全部で七人も校舎から現れた!
 戌亥一人を捕まえるために、どれだけの人員を投入しているんだ。
 そうか、分かったぞ。
 辺りに生徒の人影が無いのは、巻き込まれるのを恐れたからだ。
 みんな早々に逃げ出してしまったんだ!
「散開」
 山伏の一人が号令を掛けると、七人の山伏は左右に広がった。
 そのまま僕と戌亥を中心にして、円を描くような配置につく。
 う、囲まれた。
 逃げられない。
「追い詰めたぞ! 優子よ、さんざん手こずらせてくれたな。だが、それもこれまで!」
 そこへ輿に乗った神主が、山伏の集団を引き連れてやって来た。
 黒縁眼鏡の奥で、クワッと目を開いている様は、獲物を狙う鷹のようだ。
 そんな神主を見て地面に半分座り込んだまま、戌亥が震えている。
 気を強く持つんだ――僕がしっかりしなければ!
 自分に発破をかける。
 僕は戌亥の手を握ると、力を入れた。
「さぁ、懺悔のときだ!」
 状況は最悪――。
 だが、やれることはまだある――はず!
 だから、戌亥よ諦めないでくれ。
「はぁはぁはぁ、暑い……」
 あれ、なぜか神主の息が上がっているぞ。
 輿に乗ってるだけで、特に動き回っているわけでもないのに?
 額には玉のような汗が浮かび、顔も赤い。
 心なしか、体もふらついている。
 これは、まさか熱中症!
 まだ朝の時間とはいえ、夏の日差しの中、神主装束を着込んでいたのがまずかったのか。
 今日は晴れだから、直射日光を浴びまくりだし。
 あの装束は全身を覆うから、熱が服の下から逃げずに、体を包んでいるに違いない。
 体力が無い人には、きついだろう。
 輿に乗っているのも、暑い中を歩くだけの元気がないからなんじゃ。
 空気を求めるように喘いで、見るからに苦しそうだ。 
「あのぅ、体調も優れないようですし、いったん休憩にしませんか?」
 それとなく休戦の提案をしてみる。
「黙らっしゃい! そんなことを言って、儂が引き下がるとでも思っておるのか!」
 腹の底から大声を出したの止めになったのか、 
「う!」
と呻いて、神主が引っ繰り返った。
 そのまま輿の上で、だらしなく弛緩している。
 舌が口からダランと出て、危ない感じだ。
 あ、指に痙攣が始まったぞ。
「救急車、救急車!」
 山伏達が騒ぎ出した。
 円陣を作っていた山伏も輿の方に移動して、もはや僕と戌亥に注意を払う者はいない。
「戌亥、行くぞ」
「え」
 僕は驚く戌亥を抱きかかえると、脱兎のごとく逃げ出した。
 肩が抜けそうだが、仕方がない。
 逃げ切るまで保ってくれ。
 はぁはぁ。
 典型的な文系少年である僕は、すぐに息が荒くなる。
 ひぃひぃ。
 それでも校舎の裏まで走り続けた。
 もう限界。
 戌亥を降ろすと、僕はバタッと倒れた。
「仁、しっかり!」
 心臓がバクバクいっている。
 頭に血が上って、耳の裏辺りがジンジンする。
 幸い、誰も追ってくる様子は無い。
 それにしても温暖化に助けられたか。
 お天道様に感謝だな。
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