人の話を聞こう!
文字数 3,660文字
「おじさんったら、本当、ひどいのよ」
現在、僕と戌亥は体育館にいる。
お互いパイプ椅子に腰掛け、体力の回復を図っているところだ。
全力疾走した僕達は休息が必要だったが、安全に休める場所に心当たりがなかった。
保健室にも行ってみたが、鍵が掛かっていたし、学校から離れるだけの元気も無く、結局は体育館で休むことになった。
もう直ぐ、ここで公開討論会が開かれる。
討論会が開かれている間は、神主達も襲ってこないだろうし安全だろう――と言うか、安全だったらいいな。
神主は完全に伸びているはずだし、今頃は病院のベットの上だと思うが、安心できない。
なぜだか、いきなり現れそうな気がする。
杞憂だといいが。
「朝起きたら、家の前で待ち構えていて。優子、出て来い! 神社の仕事を手伝え! 残りの一生を儂に奉仕しろ! とか大声で喚いているの」
それは、なんとも近所迷惑な話だな。
よく警察に通報されなかったものだ。
「パパとママが宥(なだ)めている間に、家の裏口から逃がしてもらったんだけど、行く所が無くて……今日の学校なら人も多いはずだし、人目もあるから大丈夫だと思ったんだけどね」
それで学校まで逃げて来たわけか。
制服を着ているのは、最悪、生徒の中に紛れるためか。
「疲れたわ。私、これからどうなるの。おじさんが生きている限り、私は自由になれない――なんてことになったら、手伝ってくれる?」
期待の籠った目で見るな!
それは殺人幇助(さつじんほうじょ)って言うんだ!
隣の席に座っている戌亥の視線に気づかない振りをしつつ、僕は辺りを見回した。
パッと見た感じでは、平日の映画館のように、閑散としているな。
体育館の中は、パイプ椅子が整然と並べられ、人がまばらに座っている。
椅子は全部で五百近くあるだろうか。
席が埋まっているのは十分の一くらい。
ほとんどが、内の学校の生徒だ。
残りは、学外の大人か。
多分、自営業の人だ。
そうでないと、今の時間に都合がつかないだろう。
公開討論会は午前九時開始、終了予定時刻は未定――皆が納得するまで無制限ということだが、この人数だけだと、思いの外あっさりと終わるかもしれない。
佐藤の姿も見えないし、平穏無事に――は終わらないな。
怪僧の姿が脳裏に浮かんだ。
きっと何かする。
「それにしても、人が少ないわね」
戌亥が言うのも尤(もっと)もだ。
神主と山伏の姿を見掛けて帰った人もいるだろうけど、これは予想外の展開だ。
もっと大勢来るものだと思っていたのにな。
学校の未来を左右することが、これから起こるというのに――関心低すぎ。
というより、むしろ関わるのが嫌で積極的に不参加なのか?
これがアイドルのコンサートだったりすると、満員電車の中みたいになるんだろうにな。
三本の脚で支えられた扇風機が、椅子席を囲むように何台も置かれ、ブゥーンという回転音を鳴らしている。
工場用の物なのか、風の勢いが強い。
温(ぬる)い風を送っているというのに、僕には木枯らしが吹いているように感じた。
侘(わび)しいな。
「開催が決まったのが昨日で開催が今日だから、戸惑う人も多かったと思うけど――みーんな、我関せずなのね」
はっはっはっ。
これは笑うしかないな。
マリアが、この現実を目にしたら何と思うだろうか。
ショックを受けるかな?
いやマリアなら、逆に闘志を燃やすか。
「神が与えた試練とか言ってな……」
絶対に言うな。
なぜか確信できた。
「何か言った? それにしても喉が渇かない」
手で顔をパタパタと扇ぎながら、戌亥がダルそうに言った。
僕と会う前から、戌亥は神主から逃げ回っていたからな。
けっこうな汗をかいただろうに、戌亥の水分補給がまだだった。
戌亥に用意していたペットボトルを差し出す。
これは、体育館の入り口で配られていた物だ。
しかも無料。
幾つでも持って行っていいということなので、僕は有難く何本も頂戴した。
学校も気前のいいことをしたものだ。
自販機に置いておいても売れなかった、不良在庫の一斉処分を図ったとも言える。
味が微妙なのは、目をつぶろう。
体育館の壁に付いている鉄の扉は全て開けっ放しにされているし、屋内で熱中症になる事態は避けれそうだ。
それでも周囲の空気は生暖かいけど。
「うーん、不味い。こんな状況でなければ、飲まないわね。やっと校長が出て来た。どうやら始まるみたいよ」
正面の舞台に、風緑校長が現れた。
体育館の正面は周囲よりも一メートル程高い舞台になっていて、学園祭のときなんかは、演劇部が出し物をしている。
今は舞台の上に演台が置かれ、台の上に設置されたマイクに向かって風緑校長が話すところだ。
「皆さん、おはようございます。急な開催にも関わらず、大勢――とは言えませんが集まっていただき感謝します。本日は、本校で始められた新しい道徳教育について、大いに議論していただきたいと思います。討論会の具体的な進行については、大河内先生が担当しています。さて、大河内先生、後はお願いしますね」
これだけ言うと、風緑校長はさっさと舞台を後にした。
最低限の義務は果たしたぞ、後は知らないからね。
そそくさと舞台の袖に入る校長の背中からは、そのようなメッセージが読み取れた。
責任感もやる気も無いけど、案外、こういう人が定年まで無事に勤め上げるのかもしれない。
保身は上手そうだし。
生徒に良くない影響を与える? 校長の代わりに大河内先生が舞台に現れると、進行についての説明を始めた。
「公開討論と言っても、何から始めればいいか分からない人が大部分だと思う。そこで、まずシスターマリアと私が対談を行って話の取っ掛かりを提供する。話が広範囲に及ぶので、対談は一部、二部、三部と別け、対談が一区切りするごとに、参加者から質問や意見を出してもらい、皆で話し合うつもりだ」
おお、これなら討論会が無言のまま終わるということは、なさそうだ。
学級会でも、誰も意見を出さないからな。
喋る人がいなくて、お通夜のようにシーンとなったら、どうしようかと思っていたが、大河内先生も考えたようだ。
「それでは演台を片付けるので、少し待ってくれ」
演台を掴むと、大河内先生は一人で運び始めた。
手伝ってくれる人はいないらしい。
苦労してるな。
この後、何か問題が起こったら、大河内先生の責任にされるのかな……。
そんな心配をしながら見ていると、女の先生が舞台の袖に現れた。
校長先生を風見鶏と揶揄していた人だ。
新任の音楽教師で、身長は僕と同じぐらいだけど、見た目は華奢な感じ。
肩まで伸びた髪を後ろにまとめている。
垂れ目がちな目からは、おっとりしてそうな印象を受けるが――学生時代は軽音楽部でボーカルをしていたらしい。
今も休みの日は、ライブハウスで叫んでいるのだそうな。
そんなことを授業中に自分で言っていた。
名前を天野日美子(あまの ひみこ)と言う。
天野先生はつかつかと歩くと、驚く大河内先生を余所に演台を持とうとするが、思っていたより重いのか眉間を寄せている。
結局、演台は大河内先生にまかせて、自分は代わりに椅子を持ってくることにしたようだ。
そのまま二人で、舞台の上を整えていく。
良かったね、大河内先生。
先生の中にも理解してくれる人がいましたよ。
そして五分後、準備が終わった。
舞台の右手と左手には背もたれが付いた椅子が置かれ、それぞれの椅子の脇には木製のサイドテーブルが用意されている。
二つの椅子の間は、五メートルぐらい。
テーブルは五十センチくらいの正方形で、水差しとガラスのコップ、それに無線式のマイクが載っていた。
天野先生が去り、大河内先生が客席から見て左側の椅子に腰掛けたところで、シスター姿のマリアが現れた。
舞台の左端へ天野先生が引っ込んだかと思うと、入れ違いにマリアが出てきたのだ。
いつものように黒い修道服を着て、頭には幅の広いベールのような物を被っている。
颯爽と歩いているが、気負ったような感じは無い。
この暑さだというのに涼しい顔をしている。
マリアは大河内先生の前を通り過ぎ、そのまま自分の席に着いた。
役者は揃った。
いよいよ始まる。
「それでは公開討論会を始め……」
大河内先生が開始を告げようとすると
「待てぇえい! 儂に断りも無く、このような催しをするなど、断じてならん!」
今、一番聞きたくない声に遮られた。
あ、戌亥が両耳を手で塞いでいる。
「聞けぇ、者ども、耶蘇にかぶれてなどおらんで、産土神に崇敬の念を、地域に郷土愛を、先祖に感謝を、神社に奉仕をするのだ!」
望まれざる客、戌亥の叔父である神主がやって来た。
現在、僕と戌亥は体育館にいる。
お互いパイプ椅子に腰掛け、体力の回復を図っているところだ。
全力疾走した僕達は休息が必要だったが、安全に休める場所に心当たりがなかった。
保健室にも行ってみたが、鍵が掛かっていたし、学校から離れるだけの元気も無く、結局は体育館で休むことになった。
もう直ぐ、ここで公開討論会が開かれる。
討論会が開かれている間は、神主達も襲ってこないだろうし安全だろう――と言うか、安全だったらいいな。
神主は完全に伸びているはずだし、今頃は病院のベットの上だと思うが、安心できない。
なぜだか、いきなり現れそうな気がする。
杞憂だといいが。
「朝起きたら、家の前で待ち構えていて。優子、出て来い! 神社の仕事を手伝え! 残りの一生を儂に奉仕しろ! とか大声で喚いているの」
それは、なんとも近所迷惑な話だな。
よく警察に通報されなかったものだ。
「パパとママが宥(なだ)めている間に、家の裏口から逃がしてもらったんだけど、行く所が無くて……今日の学校なら人も多いはずだし、人目もあるから大丈夫だと思ったんだけどね」
それで学校まで逃げて来たわけか。
制服を着ているのは、最悪、生徒の中に紛れるためか。
「疲れたわ。私、これからどうなるの。おじさんが生きている限り、私は自由になれない――なんてことになったら、手伝ってくれる?」
期待の籠った目で見るな!
それは殺人幇助(さつじんほうじょ)って言うんだ!
隣の席に座っている戌亥の視線に気づかない振りをしつつ、僕は辺りを見回した。
パッと見た感じでは、平日の映画館のように、閑散としているな。
体育館の中は、パイプ椅子が整然と並べられ、人がまばらに座っている。
椅子は全部で五百近くあるだろうか。
席が埋まっているのは十分の一くらい。
ほとんどが、内の学校の生徒だ。
残りは、学外の大人か。
多分、自営業の人だ。
そうでないと、今の時間に都合がつかないだろう。
公開討論会は午前九時開始、終了予定時刻は未定――皆が納得するまで無制限ということだが、この人数だけだと、思いの外あっさりと終わるかもしれない。
佐藤の姿も見えないし、平穏無事に――は終わらないな。
怪僧の姿が脳裏に浮かんだ。
きっと何かする。
「それにしても、人が少ないわね」
戌亥が言うのも尤(もっと)もだ。
神主と山伏の姿を見掛けて帰った人もいるだろうけど、これは予想外の展開だ。
もっと大勢来るものだと思っていたのにな。
学校の未来を左右することが、これから起こるというのに――関心低すぎ。
というより、むしろ関わるのが嫌で積極的に不参加なのか?
これがアイドルのコンサートだったりすると、満員電車の中みたいになるんだろうにな。
三本の脚で支えられた扇風機が、椅子席を囲むように何台も置かれ、ブゥーンという回転音を鳴らしている。
工場用の物なのか、風の勢いが強い。
温(ぬる)い風を送っているというのに、僕には木枯らしが吹いているように感じた。
侘(わび)しいな。
「開催が決まったのが昨日で開催が今日だから、戸惑う人も多かったと思うけど――みーんな、我関せずなのね」
はっはっはっ。
これは笑うしかないな。
マリアが、この現実を目にしたら何と思うだろうか。
ショックを受けるかな?
いやマリアなら、逆に闘志を燃やすか。
「神が与えた試練とか言ってな……」
絶対に言うな。
なぜか確信できた。
「何か言った? それにしても喉が渇かない」
手で顔をパタパタと扇ぎながら、戌亥がダルそうに言った。
僕と会う前から、戌亥は神主から逃げ回っていたからな。
けっこうな汗をかいただろうに、戌亥の水分補給がまだだった。
戌亥に用意していたペットボトルを差し出す。
これは、体育館の入り口で配られていた物だ。
しかも無料。
幾つでも持って行っていいということなので、僕は有難く何本も頂戴した。
学校も気前のいいことをしたものだ。
自販機に置いておいても売れなかった、不良在庫の一斉処分を図ったとも言える。
味が微妙なのは、目をつぶろう。
体育館の壁に付いている鉄の扉は全て開けっ放しにされているし、屋内で熱中症になる事態は避けれそうだ。
それでも周囲の空気は生暖かいけど。
「うーん、不味い。こんな状況でなければ、飲まないわね。やっと校長が出て来た。どうやら始まるみたいよ」
正面の舞台に、風緑校長が現れた。
体育館の正面は周囲よりも一メートル程高い舞台になっていて、学園祭のときなんかは、演劇部が出し物をしている。
今は舞台の上に演台が置かれ、台の上に設置されたマイクに向かって風緑校長が話すところだ。
「皆さん、おはようございます。急な開催にも関わらず、大勢――とは言えませんが集まっていただき感謝します。本日は、本校で始められた新しい道徳教育について、大いに議論していただきたいと思います。討論会の具体的な進行については、大河内先生が担当しています。さて、大河内先生、後はお願いしますね」
これだけ言うと、風緑校長はさっさと舞台を後にした。
最低限の義務は果たしたぞ、後は知らないからね。
そそくさと舞台の袖に入る校長の背中からは、そのようなメッセージが読み取れた。
責任感もやる気も無いけど、案外、こういう人が定年まで無事に勤め上げるのかもしれない。
保身は上手そうだし。
生徒に良くない影響を与える? 校長の代わりに大河内先生が舞台に現れると、進行についての説明を始めた。
「公開討論と言っても、何から始めればいいか分からない人が大部分だと思う。そこで、まずシスターマリアと私が対談を行って話の取っ掛かりを提供する。話が広範囲に及ぶので、対談は一部、二部、三部と別け、対談が一区切りするごとに、参加者から質問や意見を出してもらい、皆で話し合うつもりだ」
おお、これなら討論会が無言のまま終わるということは、なさそうだ。
学級会でも、誰も意見を出さないからな。
喋る人がいなくて、お通夜のようにシーンとなったら、どうしようかと思っていたが、大河内先生も考えたようだ。
「それでは演台を片付けるので、少し待ってくれ」
演台を掴むと、大河内先生は一人で運び始めた。
手伝ってくれる人はいないらしい。
苦労してるな。
この後、何か問題が起こったら、大河内先生の責任にされるのかな……。
そんな心配をしながら見ていると、女の先生が舞台の袖に現れた。
校長先生を風見鶏と揶揄していた人だ。
新任の音楽教師で、身長は僕と同じぐらいだけど、見た目は華奢な感じ。
肩まで伸びた髪を後ろにまとめている。
垂れ目がちな目からは、おっとりしてそうな印象を受けるが――学生時代は軽音楽部でボーカルをしていたらしい。
今も休みの日は、ライブハウスで叫んでいるのだそうな。
そんなことを授業中に自分で言っていた。
名前を天野日美子(あまの ひみこ)と言う。
天野先生はつかつかと歩くと、驚く大河内先生を余所に演台を持とうとするが、思っていたより重いのか眉間を寄せている。
結局、演台は大河内先生にまかせて、自分は代わりに椅子を持ってくることにしたようだ。
そのまま二人で、舞台の上を整えていく。
良かったね、大河内先生。
先生の中にも理解してくれる人がいましたよ。
そして五分後、準備が終わった。
舞台の右手と左手には背もたれが付いた椅子が置かれ、それぞれの椅子の脇には木製のサイドテーブルが用意されている。
二つの椅子の間は、五メートルぐらい。
テーブルは五十センチくらいの正方形で、水差しとガラスのコップ、それに無線式のマイクが載っていた。
天野先生が去り、大河内先生が客席から見て左側の椅子に腰掛けたところで、シスター姿のマリアが現れた。
舞台の左端へ天野先生が引っ込んだかと思うと、入れ違いにマリアが出てきたのだ。
いつものように黒い修道服を着て、頭には幅の広いベールのような物を被っている。
颯爽と歩いているが、気負ったような感じは無い。
この暑さだというのに涼しい顔をしている。
マリアは大河内先生の前を通り過ぎ、そのまま自分の席に着いた。
役者は揃った。
いよいよ始まる。
「それでは公開討論会を始め……」
大河内先生が開始を告げようとすると
「待てぇえい! 儂に断りも無く、このような催しをするなど、断じてならん!」
今、一番聞きたくない声に遮られた。
あ、戌亥が両耳を手で塞いでいる。
「聞けぇ、者ども、耶蘇にかぶれてなどおらんで、産土神に崇敬の念を、地域に郷土愛を、先祖に感謝を、神社に奉仕をするのだ!」
望まれざる客、戌亥の叔父である神主がやって来た。