佐藤よ、早まるな
文字数 3,559文字
翌日、学校に来てみると校門の脇に幟(のぼり)? が立っていた。
学園祭までには間があるが、気の早い奴が何かしたのか。
何か書いてある。
近付いて見てみると、三メートルくらいの竹竿に筵が括り付けられ、墨で『南無阿弥陀仏』と書かれているのが見えた……。
筵旗(むしろばた)かよ!
よく見ると竹竿も先端がスパッと切られ、竹槍になっている。
あ、佐藤だ。
「聞け! 学内は耶蘇(やそ)教が押し寄せ、未曾有の法難が起こっている。今こそ立ち上がるときだ。討ち死にすとも往生極楽は間違いなし!」
佐藤よ、一揆でも起こすつもりか!
校門で絶叫してるんじゃねぇ。
登校してきた生徒達が佐藤に怖れをなして、校門の直前で回れ右をしている。
「耶蘇から逃げるな! 立ち向かえ!」
いや、佐藤、お前の方が怖いし。
耶蘇って、確かキリスト教の古い言い方だったなと現実逃避気味に考えていたら、大河内先生がやって来た。
「こら! 佐藤! 何をやっている!」
「先生、邪魔をしないで下さい。一晩考えた結論がこれです」
おいおい。
「馬鹿なことをやっていないで、もうすぐホームルームだぞ!」
「目には見えずとも、ここに聳(そび)えるのは難攻不落の要塞、南無六字の城!」
のしのしと歩いてきた大河内先生が、幟を引っこ抜いた。
「城が! なんてことをするんですか」
南無六字の城が聳(そび)えていたのだろう――佐藤の頭の中で。
「これ以上、問題を増やしてくれるな」
疲れた顔の大河内先生によって、佐藤は引きずっていかれた。
「先生、待って! 俺にはするべきことが!」
だが、その叫びは誰にも届かなかった。
僕はなんとなく合掌する。
迷わず、成仏してくれ。
教室に着いたが、佐藤はやって来なかった。
戌亥の姿も見えないと思っていたら、ホームルーム開始ギリギリになって戌亥が走り込んできた。
「セ、セーフ」
教室がある校舎の三階まで全力疾走だったのだろう。
額に汗を浮かべて、ぜぇぜぇと肩で息をしている。
それにしても、あれ?
「どうした戌亥、目の下に隈ができてるぞ?」
「変に思うかもしれないけど、今は聞かないで。自分の中で整理できていないから。訳ありなの」
なんかあったな。
戌亥は自分の席に座ると、盛大に溜息を吐(つ)いた。
こりゃ重傷だ。
「おーい、始めるぞ」
大河内先生が、教室の入口からのっそりと現れた。
「ほら入れ」
ぶすっとした顔の佐藤が、大河内先生に続いて教室に入る。
佐藤はそのまま無言で席に着いた。
重い空気の中、大河内先生が事務連絡を始めた。
「もうすぐ夏休みに入るが、お前達は受験生だ。くれぐれも気を抜くことがないように。それから夏休み後の学園祭だが……」
「ブォオオォン! ブォオオォン!」
突如、校庭の方から鳴り響く異音。
何だ、これ。
吹奏楽部の新入部員が力まかせに楽器を吹くと、こんな音になるかな?
何気なく校庭の方を見た大河内先生が、心底ぎょっとした顔になった。
「お前等ちょっと待ってろ。様子を見てくる」
大河内先生は教室を飛び出すと、そのまま帰ってこなかった。
もはやホームルームどころではない。
クラスメイト達がわらわらと窓の方に集まる。
そんななか、なぜか戌亥が頭を抱えていた。
心なしか顔色も悪い。
「ブォオオォン! ブォオオォン! ブォオオォン!」
戌亥のことは気になったが、後回しにして僕も窓の方に行く。
「げっ」
思わず変な声が出た。
余りに予想外のものを目にしたからだ。
校庭には白装束の集団がいて、各自が法螺貝を吹いていた。
その数三十名ほど。
白い着物に足は脚半、お尻には動物の毛皮でできた敷物が巻かれ、頭には丸型の小さな黒い被り物……。
山伏かい!
体格が良くて厳つい顔の男達が、にこりともせずに立っている。
何が起こるんだ?
そのうち護摩壇でも出てくるんじゃないか……。
クラス一同が呆然としていると、山伏集団の中に神主と思しき男が交じっているのに気が付いた。
なぜそう思ったかと言えば、一人だけ服装が違ったからだ。
古典の授業で出てきた平安時代の装束が、こんなのだったと思う。
烏帽子(えぼし)に狩衣(かりぎぬ)と言ったか、時代がかった若草色の上着に水色の袴、手には笏(しゃく)を持ち、木でできた黒い靴を履いている。
年齢は三十代半ばといったところ。
背は目測で百七十センチくらいか?
全身神主装束で分かりづらいけど、多分痩せ形だ。
笏を握る手がほっそりとしているからな。
浅黒い肌をしていて黒縁の眼鏡を掛けている。
頬はこけ、切れ長の目は鋭い感じ。
薄い唇に尖った鼻。
墨で描いたような濃い眉。
なんか猛禽(もうきん)を連想する容姿だが、体力は無さそうだ。
立っているのに疲れたらしく、携帯していた折り畳み椅子を広げて座り出したしね。
その神主が右手を上げると法螺貝が止んだ。
大河内先生が現れたのに合わせたらしい。
「あなた達は、何なんだ!」
教頭先生や校長先生はいない。
賢明な二人の責任者は、厄介ごとを大河内先生に押し付けた? ようだ。
「生徒の保護者だ」
椅子に腰かけたまま、神主? がむっつりと答えた。
「生徒の父兄なら、こんな登場の仕方はしないでいただきたい。それに他の人達は違うでしょう」
神主は山伏達をチラッと見ると、鷹揚に口を開いた。
「この者達は私の友人。地域に住む住人として、私の考えに賛同してくれたのだ」
芝居がかった口調で、いけしゃあしゃあと言葉を並べる。
「言いたいことがあるなら職員室で聞くので、関係のない人は帰って下さい」
大河内先生が発する帰った帰ったオーラに、神主がくわっと目を開いた。
椅子から立ち上がり大河内先生に詰め寄る。
「関係ないとは何事か! 学校とは地域の支えがあって成り立つもの。聞けば、この学校ではキリスト教を教えているとか。キリスト教は良くて、なぜ神道はダメなのか。この町の産土(うぶすな)神社に奉職する者として、納得する説明をお聞かせ願いたい!」
ようは自分の縄張りで何を勝手なことをしているのか――ということらしい。
まいったね、本当に。
「それは文部省が決めたことなので、そういう話は市の教育委員会にでも言って下さい。それに、学校で教えているのは道徳です」
きっぱりとした大河内先生の返答に、神主がキレた。
「ええい、話にならん。かくなる上は、噂のシスターが出てくるまで待たせてもらおう」
神主の言葉に山伏達が一列に並ぶと、手と手と合わせ何かの印を結んだ。
「佛説摩訶般若波羅蜜多心経……」
そのまま読経が開始される。
なんだか空が雲ってきた。
どこからか強い風が吹いてきて、砂埃が舞う。
もはや校庭は異界空間だ。
「かわいい姪御がいる学校だから穏便に済まそうと思ったが、もはや是非も無し」
どこが穏便だ!
というか姪御って、あの神主は父兄でも何でもないんじゃないか?
多分、その子はめちゃくちゃ困っているぞ!
「さぁさぁ誠意を見せろ。早くしなければ、神罰が下るぞ」
あ、遠くで稲光が見えた。
校舎の窓がガタガタいいだしたぞ。
「どうした、どうした。早く連れてこい」
異様な雰囲気に、大河内先生も飲まれかかっている。
顔が青い。
「……そんなことは、できない」
だが、大河内先生は筋を通した。
一瞬、神主から表情が消えた後、ギラリと笑った。
悪いことが起こる。
「いやぁー! もう、やめて!」
不吉な予感を確信したとき、僕の隣から戌亥の声が聞こえた。
いつの間にか戌亥が窓際に立っている。
校庭に気を取られていたので、全く気が付かなかった。
しかしなんだ、戌亥よ、髪が逆立っているぞ。
瞳の瞳孔も開ききっているし。
どうして、そんなに鬼気迫る顔をしているんだ!
「おじさん、もう好い加減にしてぇ!」
そう言って、手にしていた水筒をぶん投げた。
教室の窓から金属製の水筒が弧を描いて飛んでいく。
あれは戌亥愛用の一品だ。
多分、昼食用に家から持ってきたのだろう。
女の子が使うには大きめな物で、中身を満タンにすると一キロ近くになる。
そんな物が校舎の三階から投げられたので、もはや水筒と言うより砲丸投げの球みたいだ。
ゴンッ。
桜色の鈍器が神主の額に命中すると、標的がバタッと倒れた。
実に見事なコントロールだ。
山伏達を含めて、皆呆気に取られている。
読経も止み、辺りに静けさが戻った。
……もしかして死んだ?
学園祭までには間があるが、気の早い奴が何かしたのか。
何か書いてある。
近付いて見てみると、三メートルくらいの竹竿に筵が括り付けられ、墨で『南無阿弥陀仏』と書かれているのが見えた……。
筵旗(むしろばた)かよ!
よく見ると竹竿も先端がスパッと切られ、竹槍になっている。
あ、佐藤だ。
「聞け! 学内は耶蘇(やそ)教が押し寄せ、未曾有の法難が起こっている。今こそ立ち上がるときだ。討ち死にすとも往生極楽は間違いなし!」
佐藤よ、一揆でも起こすつもりか!
校門で絶叫してるんじゃねぇ。
登校してきた生徒達が佐藤に怖れをなして、校門の直前で回れ右をしている。
「耶蘇から逃げるな! 立ち向かえ!」
いや、佐藤、お前の方が怖いし。
耶蘇って、確かキリスト教の古い言い方だったなと現実逃避気味に考えていたら、大河内先生がやって来た。
「こら! 佐藤! 何をやっている!」
「先生、邪魔をしないで下さい。一晩考えた結論がこれです」
おいおい。
「馬鹿なことをやっていないで、もうすぐホームルームだぞ!」
「目には見えずとも、ここに聳(そび)えるのは難攻不落の要塞、南無六字の城!」
のしのしと歩いてきた大河内先生が、幟を引っこ抜いた。
「城が! なんてことをするんですか」
南無六字の城が聳(そび)えていたのだろう――佐藤の頭の中で。
「これ以上、問題を増やしてくれるな」
疲れた顔の大河内先生によって、佐藤は引きずっていかれた。
「先生、待って! 俺にはするべきことが!」
だが、その叫びは誰にも届かなかった。
僕はなんとなく合掌する。
迷わず、成仏してくれ。
教室に着いたが、佐藤はやって来なかった。
戌亥の姿も見えないと思っていたら、ホームルーム開始ギリギリになって戌亥が走り込んできた。
「セ、セーフ」
教室がある校舎の三階まで全力疾走だったのだろう。
額に汗を浮かべて、ぜぇぜぇと肩で息をしている。
それにしても、あれ?
「どうした戌亥、目の下に隈ができてるぞ?」
「変に思うかもしれないけど、今は聞かないで。自分の中で整理できていないから。訳ありなの」
なんかあったな。
戌亥は自分の席に座ると、盛大に溜息を吐(つ)いた。
こりゃ重傷だ。
「おーい、始めるぞ」
大河内先生が、教室の入口からのっそりと現れた。
「ほら入れ」
ぶすっとした顔の佐藤が、大河内先生に続いて教室に入る。
佐藤はそのまま無言で席に着いた。
重い空気の中、大河内先生が事務連絡を始めた。
「もうすぐ夏休みに入るが、お前達は受験生だ。くれぐれも気を抜くことがないように。それから夏休み後の学園祭だが……」
「ブォオオォン! ブォオオォン!」
突如、校庭の方から鳴り響く異音。
何だ、これ。
吹奏楽部の新入部員が力まかせに楽器を吹くと、こんな音になるかな?
何気なく校庭の方を見た大河内先生が、心底ぎょっとした顔になった。
「お前等ちょっと待ってろ。様子を見てくる」
大河内先生は教室を飛び出すと、そのまま帰ってこなかった。
もはやホームルームどころではない。
クラスメイト達がわらわらと窓の方に集まる。
そんななか、なぜか戌亥が頭を抱えていた。
心なしか顔色も悪い。
「ブォオオォン! ブォオオォン! ブォオオォン!」
戌亥のことは気になったが、後回しにして僕も窓の方に行く。
「げっ」
思わず変な声が出た。
余りに予想外のものを目にしたからだ。
校庭には白装束の集団がいて、各自が法螺貝を吹いていた。
その数三十名ほど。
白い着物に足は脚半、お尻には動物の毛皮でできた敷物が巻かれ、頭には丸型の小さな黒い被り物……。
山伏かい!
体格が良くて厳つい顔の男達が、にこりともせずに立っている。
何が起こるんだ?
そのうち護摩壇でも出てくるんじゃないか……。
クラス一同が呆然としていると、山伏集団の中に神主と思しき男が交じっているのに気が付いた。
なぜそう思ったかと言えば、一人だけ服装が違ったからだ。
古典の授業で出てきた平安時代の装束が、こんなのだったと思う。
烏帽子(えぼし)に狩衣(かりぎぬ)と言ったか、時代がかった若草色の上着に水色の袴、手には笏(しゃく)を持ち、木でできた黒い靴を履いている。
年齢は三十代半ばといったところ。
背は目測で百七十センチくらいか?
全身神主装束で分かりづらいけど、多分痩せ形だ。
笏を握る手がほっそりとしているからな。
浅黒い肌をしていて黒縁の眼鏡を掛けている。
頬はこけ、切れ長の目は鋭い感じ。
薄い唇に尖った鼻。
墨で描いたような濃い眉。
なんか猛禽(もうきん)を連想する容姿だが、体力は無さそうだ。
立っているのに疲れたらしく、携帯していた折り畳み椅子を広げて座り出したしね。
その神主が右手を上げると法螺貝が止んだ。
大河内先生が現れたのに合わせたらしい。
「あなた達は、何なんだ!」
教頭先生や校長先生はいない。
賢明な二人の責任者は、厄介ごとを大河内先生に押し付けた? ようだ。
「生徒の保護者だ」
椅子に腰かけたまま、神主? がむっつりと答えた。
「生徒の父兄なら、こんな登場の仕方はしないでいただきたい。それに他の人達は違うでしょう」
神主は山伏達をチラッと見ると、鷹揚に口を開いた。
「この者達は私の友人。地域に住む住人として、私の考えに賛同してくれたのだ」
芝居がかった口調で、いけしゃあしゃあと言葉を並べる。
「言いたいことがあるなら職員室で聞くので、関係のない人は帰って下さい」
大河内先生が発する帰った帰ったオーラに、神主がくわっと目を開いた。
椅子から立ち上がり大河内先生に詰め寄る。
「関係ないとは何事か! 学校とは地域の支えがあって成り立つもの。聞けば、この学校ではキリスト教を教えているとか。キリスト教は良くて、なぜ神道はダメなのか。この町の産土(うぶすな)神社に奉職する者として、納得する説明をお聞かせ願いたい!」
ようは自分の縄張りで何を勝手なことをしているのか――ということらしい。
まいったね、本当に。
「それは文部省が決めたことなので、そういう話は市の教育委員会にでも言って下さい。それに、学校で教えているのは道徳です」
きっぱりとした大河内先生の返答に、神主がキレた。
「ええい、話にならん。かくなる上は、噂のシスターが出てくるまで待たせてもらおう」
神主の言葉に山伏達が一列に並ぶと、手と手と合わせ何かの印を結んだ。
「佛説摩訶般若波羅蜜多心経……」
そのまま読経が開始される。
なんだか空が雲ってきた。
どこからか強い風が吹いてきて、砂埃が舞う。
もはや校庭は異界空間だ。
「かわいい姪御がいる学校だから穏便に済まそうと思ったが、もはや是非も無し」
どこが穏便だ!
というか姪御って、あの神主は父兄でも何でもないんじゃないか?
多分、その子はめちゃくちゃ困っているぞ!
「さぁさぁ誠意を見せろ。早くしなければ、神罰が下るぞ」
あ、遠くで稲光が見えた。
校舎の窓がガタガタいいだしたぞ。
「どうした、どうした。早く連れてこい」
異様な雰囲気に、大河内先生も飲まれかかっている。
顔が青い。
「……そんなことは、できない」
だが、大河内先生は筋を通した。
一瞬、神主から表情が消えた後、ギラリと笑った。
悪いことが起こる。
「いやぁー! もう、やめて!」
不吉な予感を確信したとき、僕の隣から戌亥の声が聞こえた。
いつの間にか戌亥が窓際に立っている。
校庭に気を取られていたので、全く気が付かなかった。
しかしなんだ、戌亥よ、髪が逆立っているぞ。
瞳の瞳孔も開ききっているし。
どうして、そんなに鬼気迫る顔をしているんだ!
「おじさん、もう好い加減にしてぇ!」
そう言って、手にしていた水筒をぶん投げた。
教室の窓から金属製の水筒が弧を描いて飛んでいく。
あれは戌亥愛用の一品だ。
多分、昼食用に家から持ってきたのだろう。
女の子が使うには大きめな物で、中身を満タンにすると一キロ近くになる。
そんな物が校舎の三階から投げられたので、もはや水筒と言うより砲丸投げの球みたいだ。
ゴンッ。
桜色の鈍器が神主の額に命中すると、標的がバタッと倒れた。
実に見事なコントロールだ。
山伏達を含めて、皆呆気に取られている。
読経も止み、辺りに静けさが戻った。
……もしかして死んだ?