第12話 肩書や名刺に人は何故、固執するのか?

文字数 1,145文字

 私は65歳で会社を退職するまで43年も会社員を続けていた。
 そして、会社員時代に気になったのは多くの会社員が会社名や肩書が印刷された「名刺」に左右されて生きている事だった。その傾向は会社を退職してからも続いて、勤務していた会社が大企業で出世した人のなかには、会社を退職した後も以前勤務していた会社名と当時の肩書から離れられずに「元○○会社の○○取締役」とか現在ではかかわりのなくなった会社と肩書の記載された名刺を作って持ち歩いている人もいる。
 何故、人はそうまでして会社名や肩書が印刷された名刺に固執するのだろうか?
 私も会社員時代には上司から次の局長は君だと言われた時は嬉しかった。そして、現実にそうなったときの青写真を描いてみた時もあった。しかし、何故か局長には他の人間が選任されて私はなれなかった。
 正直、その時の悔しかった気持ちは忘れない。上司や会社に対しては裏切られたという気持ちから、しばらくやる気もなくなり仕事もおろそかにしていた時もあった。しかし、暫くして今までいたセクションとは違う部署に移り仕事の内容も変わった。そして、新しい部署で局長ではないものの権限を持たされて仕事を任せられた。その後になって考えると自分にとっては局長にはなれなかったが、結果として自分には良い事だったと思えるようになった。
 それから暫くして65歳で会社を定年退職した時には「これで会社のしがらみとは離れられる」、組織には属さない自由の身になれると感じたものだった。やっと名刺を持たない「独立した個人」としてこれからは生きていくのだと思うと晴れ晴れと気持ちになった。
 しかし、今名刺をもっていないかというと違う。ボランティアのつもりで会員になったNPO法人の名刺を持っている。そしてそのNPO法人には会社員時代と同じように肩書にこだわっている人が多くいるのには驚いた。
 私も出来るならそれなりの肩書はあった方が良いと思う。だが、自分がしたくない仕事までして「肩書」を得ようとは思わないし、「肩書」がそんなに価値のあるものとも思えない。ボランティア精神で自分がそのNPO法人の会員になってしたかった事を実現するのが第一であると考えるようになった。
 今、日本の大企業の中にも副業を認める会社も出てきた。副業を認めるという事は名刺を務めている会社以外の会社の名刺を持つということだ。一つの会社での仕事や肩書にこだわらずに多くの経験を積んで個人のスキルを上げる方が、結果としてその会社にとってもプラスになると考えられる時代になってきたようだ。
 「肩書」などは意識しない方が良い。意識しないで行動することの方が本来自分がやりたかったことや今、自分がしなければならない大切なことが見えてくるような気がする。
 
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