(十六)四日目・ヤポの夢、ピポの夢

文字数 3,201文字

 朝ミサがシャングの村に行くと、昨夜の停電は既に復旧していた。チポの家にゆくと、チポが家の前にどっしりと腰を下ろして、洗濯をしていた。プラスチック製の青い大きなたらいの中に、家族みんなの洗濯物を入れ、ひとつずつごしごしと手洗いしてゆく。
「退屈でしょ、もう少し待っててね」
「平気、平気」
 洗濯が終わったら、家の裏の物干し台に張ったロープに干しておく。雨さえ降らなければ、夏なら半日も経てば乾いてしまうそうだ。
 ランチをチポとふたりで食した後、チポが小学校の見学に連れて行ってくれると言う。
「吃驚すると思うわ。日本とは全然違うって、オリビアが話していたから」
 へえ、どんなところが違うんだろう。ミサは期待に胸を膨らませながら、チポと出発した。
 昔カポもチポも通い、現在はヤポとピポが通っているシャング小学校は、全校生徒約三百人。チポの集落からシティの方角へ一キロメートル離れた場所にある。炎天下ふたりは汗だくになりながら、二十分程歩き続けた。
「着いたわよ」
「やった。あれっ、でも何処」
 問うミサに、チポが指差した。そこにはけれど校舎と呼べるような建物は一切なかった。ただそこには平原が広がり、中央に大きなトモロウの木が数本並んで立っているのみであった。しかし良く見るとトモロウの木の周りに椅子がズラリと並んでおり、椅子の上には子どもたちが座っていた。詰まり野外の学校である。
「三組に分かれているのよ」
「三組」
「そう。一、二年の組。三、四年の組。それから五、六年の組」
 各組に担任が一人いて、その内一人は校長が兼任している。組毎に黒板がひとつ有り、生徒はみんな黒板と貸し出された教科書とを見ながら、屋外の授業に集中していた。頭上に青空が広がり、風が吹く平原のまん中で、暑さに負けず、砂ぼこりにも虫にも負けず、そして雨にも負けず……。
「雨の日なんか、どうするの」
「そんな時はね、授業は中断。みんなでトモロウの木を囲んで雨宿りするの」

 チポは先にひとりで帰宅し、ミサだけが平原に残った。ヤポとピポの授業が終わるのを待って、ふたりとドライブする為である。
 そのふたりはチポとミサが来ていることに気付いていて、さっきからそわそわ落ち着かなかった。授業が終わるや、飛んでミサの許にやって来た。三人で集落の広場まで戻り、ミサのパジェロに乗り込んだ。
「学校、楽しい」
「まあね。あっ、こら、ピポ。ぼくがミサの隣りに座るんだぞ」
「嫌、わたしが座るの」
「ね。ピポは、学校楽しい」
「うん」
 ミサの問いに、可愛らしくにこっと答えるピポ。でも、どっちが助手席に座るかで揉めるヤポとピポは、学校の話どころではない。
「まあまあ、落ち着いて。じゃ、こうしましょう。行きがお兄ちゃんで、帰りがピポ。ね、いいでしょ」
 ミサの提案に両者渋々納得し、いよいよドライブ開始。
「でも、何処行く」
「アシタ湖」
 ピポの提案に、ヤポも黙って頷いている。
「よっし、じゃ道案内お願いね」
「任しといて」
 今度は助手席のヤポが威勢良く答えた。
 アシタ湖はチポたちの畑地帯からまっ直ぐに五キロメートル程したところにある。従って車なら十分も掛からない。ヤポに案内を頼むまでもなく一直線に走れば、直ぐに湖の景色が見えて来た。が子どもふたりは車に乗っていることで、終始興奮していた。
 車を降りて、三人で散歩した。湖の周りには緑豊かな木々が立ち並び、足下には草花も咲いていた。何処か北欧の森にでも迷い込んだような景色。湖面では魚が跳び跳ね、水鳥たちが気持ち良さそうに泳いでいた。清らかな湖の水は、周囲の緑を鏡のように映していた。
「勉強は好き」
「まあね」
「ピポは」
「わたしは大好き」
 オリビアに聞いたが、ふたりには各々PFAペアレントがいて、熱心に入学前から支援してくれていると言う。ヤポは再来年から中学生だが、その分の支援も約束されている。
「科目は何が好き」
 ヤポは、算数で、ピポは英語、と答えた。
「じゃ、ふたりの夢は何」
 夢。問い掛けてから、それが良かったことなのかどうか、ミサは迷った。この未開の大地で果たして子どもたちは、夢なんて持てるのだろうか。しかしそんなミサの心配をよそに、ふたりからは元気な答えが返って来た。
「ぼく、宇宙飛行士になりたいんだ」
「うわあ、凄い」
 そしてピポ。
「わたしはね、ママみたいになりたいの」
 チポみたいに、へえ。ふたりの瞳はきらきらと輝いていた。それは夜のエデンの森から見上げる、あの銀河の瞬きのように。そして澄んだシャングの風の中で、確かに眩しく揺れていた。ミサは無性に、チポの歌が聴きたいと思った。

 家に戻れば、既に日暮れ時。チポが用意しておいたディナーをみんなで食べた。
「ねえ、ミサ。今夜は森でなく、広場に行ってみない」
 チポからの提案である。広場かあ。何かあるのかしら。ミサは快く返事した。
「OK」
「わたしも連れてって」
 せがんだのは、ピポだった。
 チポとピポと一緒に、広場に向かった。するとまっ暗な中に光が見えた。近付いてゆくとそれは、スタンドの中で燃え上がる五、六本の大きな薪の炎だった。その炎を取り囲んで地べたに座り、集落の人々が集まっていたのである。
「チポ、遅いじゃない。あら、ミサも一緒」
「サンク、アマーラ」
 チポと共にみんなの輪に加わり、ミサも地面に腰を下ろした。クラスメイトを見付けたピポは、直ぐにそっちへ行ってしまった。
「こうやって、夜は女たちで集まるのよ」
 成る程。かと言って大騒ぎするでもない。皆で星を見上げ、その日あった出来事を語り合う。誰彼となく話をし、何も言わず頷くだけの人もいる。けれどみんな満足そうに笑っていた。
「ねえ、ミサ。わたしまだ、あなたの音楽聴いていなかったわ。ちょっとでいいから、聴かせて」
 アマーラがミサに頼む。すると他の女たちも好奇心一杯で頷いた。ミサは困って、チポの顔を覗いた。チポは、にこっと微笑み返した。
「わたしも、聴きたいわ。ミサ」
 うん、分かった。ミサは頷き、車からギターを取って来ると、地面に座ってギターを構えた。
 拍手と沈黙。ミサは緊張した。みんなの前だからというより、チポの前で歌うことに。チポは喜んでくれるかしら、こんなわたしの拙い歌に……。曲は今夜も、ミニー・リパートンのラヴィング・ユーにした。
 みんな大人しく耳を傾け、じっとミサを見詰めていた。チポも見守るように、見ていてくれた。そんなチポの顔だけをまっ直ぐに見詰めながら歌っている自分に気付いて、ミサははっとした。やっぱりチポには敵わない、チポの前で歌うなんて恥ずかしい。ミサの気持ちとは裏腹に、歌い終わると盛大な拍手で皆がミサを讃えた。
「素敵だったわ、ミサ」
「ねえ、ミサ。あなたはいつまで、ここにいるの」
 ミサの代わりに、チポが答えた。
「あと、三日よ。ね、ミサ」
 うん。あともう三日間しかいられないのか、このシャングの村に。急に寂しさが込み上げ、ミサは黙って頷いた。
「じゃ、ミサのパーティしなきゃ」
 パーティ、そんな大袈裟な。吃驚するミサを置き去りに、けれどみんなはすっかり盛り上がっている。
「土曜の夜でいいかしら」
「明後日の夜ね、OK」
 チポも乗り気。
 さ、パーティの話が出たところで、今夜はお開き。それじゃ、また明日ね。手を振って、ひとりまたひとり姿を消してゆく。
「さ、わたしたちも帰りましょう」
 そう告げるチポに答えて、ミサ。
「じゃ、わたしこのまま、ホテルに戻る」
「そうね。今夜はとっても楽しかったわ。だって、あなたの歌が聴けたから」
「そんな」
 顔をまっ赤にしてかぶりを振るミサだった。
 ひとりになってパジェロを走らせながら、ミサは例の夢想に耽った。それは日増しに大きくなるばかりだった。どうしてもチポを歌手にしたい。チポなら、どんな国に行っても絶対に成功する。チポの歌で、この世界中を震わせてみたい……。
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