(十九)七日目

文字数 2,771文字

 日曜日はシャングの村も、安息日である。チポの集落の人々も家でのんびり過ごしたり、シティの教会に礼拝に出掛けたりと、各々一日を穏やかに過ごしている。エンデファミリーは、全員朝から教会へと出掛けた。
 ミサはと言えば、朝はホテルの部屋で明日の帰り支度をしていた。昨夜のパーティで歌ったことからも、最早ミサの中に歌うことへの拒絶反応とか、歌手なんか辞めてやるといった気持ちは微塵もなかった。むしろ帰国後のシンガーソングライターとしての再出発、活動再開へと心は熱く燃えていた。
 チポには敵わないけれど、わたしはわたしなりに歌っていくしかない。精一杯わたしの歌を歌ってゆこう。初心に返って、謙虚に素直な気持ちでそう思えた。昨夜の疲れからついうとうとしてしまい、シャングに向かったのは結局お昼過ぎだった。
 正直なところ、チポたちに会うのが辛かった。今日で最後だと思うと、どうにも胸が締め付けられそうで。でもやっぱり行かなきゃ。だって辛いのは、恐らくチポたちだって同じなのだから。そう自分に言い聞かせ、ミサはシャングへとパジェロを飛ばした。
 先ずシティに寄って、PFAのオフィスに顔を出した。支援家庭からの緊急連絡に対応出来るようにと、休日でもここには必ず誰かが待機していた。幸い今日はオリビアも来ていた。オリビアと握手を交わし、感謝の言葉を述べた。
「オリビア、ほんとうにありがとう。もしもあなたがいてくれなかったら、今回のわたしの旅は、とても実現しなかったでしょう」
「こちらこそ、ありがとう。あなたと会えてとても楽しかったわ、ミサ。日本での活躍を祈っているわね」
 オリビアと別れたら、後はシャングへ。
 チポの集落に着いたら、いつものように広場に車を停め、チポの家へと歩いた。
「遅かったわね」
 チポの家のドアを叩くと、直ぐにチポが出て来た。カポと子どもたちはベッドルームにいると言う。一言挨拶しようとベッドルームに顔を出し、みんなと笑顔を交わした。カポ、ヤポ、ピポ、ひとりひとりの顔がいとおしくてならなかった。その後チポとふたりだけで、キッチンの椅子に腰掛けた。
「お昼は食べたの」
「大丈夫」
 心配するチポに、ミサは笑顔で答えた。
「じゃ、サウダでも飲みましょう」
「うん」
 サウダの用意が出来ると、キッチンの窓辺に椅子を並べ、ふたりで静かにサウダを飲んだ。
「あっという間だったわね、一週間なんて」
「ほんと、すべてが夢みたい。今でも信じられない、わたしがアシスエデンにいるなんて」
 他愛無い会話をしながらも、ミサはチポにどうしても話したい大事なことがあった。それはチポのこれからの人生へのひとつの提案でありプランであった。が、なかなか言い出せずにいた。かと言って今日という最後の日を逃したら、もう一生話す機会はないであろう。ミサは焦ったが、家族のみんなもいることだしと、今は黙っていた。兎に角、今夜エデンの森でふたり切りになった時、何とか話してみよう。ラストチャンスに賭けるしかないミサであった。
「今日はどうするの、ミサ」
「どうするのって」
 問い返すミサに、チポは頷きながら答えた。
「今日はここに泊まっていかない。ミサさえ良ければだけど」
 あっ、そうか。結局わたし、まだチポの家に泊まっていなかったんだ。
「お風呂なら広場のシャワーがあるし、虫除けのお線香だってあるわよ」
「そうね。うん、じゃ、お言葉に甘えて」
「oh、ワンダフル」
 ミサの返事に、丸で子どものようにチポははしゃいでウインク。
「よし、そうと決まったら……。じゃ、わたしは夕御飯の支度を始めるから、その間ミサは子どもたちと散歩でもしてて頂戴」
「OK」
 チポと共に、再びベッドルームに顔を出した。
「あんたたち、ミサと散歩して来て。でもドライブは駄目よ、もう時間ないんだから」
「はーい」
「はーい」
 元気なヤポとピポの返事。ミサは年の離れた弟と妹が出来たような気分だった。この子たちが大人になった時、一体どんな夢を見るんだろう。どんな仕事に就いてもいいから、心のやさしい大人の人になって欲しいと心から祈った。この遠い国の弟と妹へ。
 ヤポとピポと共に集落をぶらぶらしながら、トモロウの道まで来た。三人でトモロウの木の下に腰を下ろして休憩を取った。ハルカ砂漠から吹いて来る砂混じりの風に吹かれながら、ミサははっと閃いた。
 そうだ、例の話。チポに話す前に、先ずこの子たちに話してみよう。だってもし仮にチポがわたしのプランに乗り気になったとしても、この子たちが反対したら元も子もないんだから。よーし。ミサは緊張を覚えながら、ふたりの子どもたちに自分の正直な思いを打ち明けた。
「ねえ、ふたりとも聴いて。わたしね、きみたちのママを、日本に連れて行きたいと思っているの」
「ええっ、日本にだって」
 くりくりと済んだ瞳で驚くふたり。
「うん」
「でもママだけなの。ぼくたちも一緒に行きたい」
 懇願するヤポに、ミサは小さくかぶりを振った。
「ごめんね。先ずはママだけにしたいの」
「どうして」
 今度はピポが不服そうに問う。そこでミサは、はっきりと理由を述べずにはいられなかった。
「うん。実はママをね、日本で歌手としてデビューさせたいの」
「えっ、歌手だって。うちのママを」
「うっそーっ。でも凄ーい」
「どうかしら。きみたちの正直な意見を聞かせて」
 すると始めこそ驚いたり、興奮したりのふたりだったけれど、最終的な彼らの意見は冷静なものであり、かつ一致した。
「ママは、きっと断ると思う」
「どうして」
「だって、ママはシャングを愛しているから」
 それは、分かってる。わたしだって、チポを日本に移住させようなんて、そこまでは思ってないし……。迷うミサを、ピポが励ました。
「でも、兎に角ママにアタックしてみたら」
「そうね。ミスュ、ピポ」
 トモロウの木に別れを告げ、三人はチポの待つ家へと戻った。

 最後の晩餐。これがエンデ家での最後のディナーであった。まだ幽かに夕陽が残っていたが、キッチンのはだか電球を点して食卓を囲んだ。チポの作ったハルナッツは、相変わらず美味しかった。けれど今夜のみんなは大人しい。元々寡黙なカポはいいとして、お喋りなチポも子どもたちも、何処かしょんぼりとしている感じ。場を盛り上げなきゃ、とミサは気負ったが、どんな話題も白々しく思えて結局黙った。みんなが食事を取る音だけが、キッチンに響き渡った。
「ご馳走さまでした」
 チポが合掌し、皆が後に続いた。
「ご馳走さまでした」
 ミサも呟き、チポに微笑み掛けた。
「どういたしまして」
 立ち上がり、後片付けを始めるチポに、カポが囁く。
「後はやっとくから、おまえたちは行っておいで」
 分かった。カポに無言で頷くと、チポはミサに告げた。
「今夜は星が綺麗よ。さあ、行きましょう、わたしたちの森へ」
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