(十八)六日目・ハルカ砂漠の砂

文字数 3,936文字

 本日は土曜日。シャング小学校の授業は午前中で終わり、子どもたちが昼には帰って来る。午前中ミサは畑でチポを手伝い、トウモロコシの収穫を行った。アシスエデンのトウモロコシは遺伝子組み換えなどでは決してない、天然、本物のそれである。アシスエデンの人々の生命を支えるトウモロコシであるから、当然のこと。太陽の光を浴びた一粒一粒の黄色い実が、眩しくピカピカと宝石のように輝いていた。しかしもし近隣の国々が多国籍バイオ化学メーカーの甘い言葉にそそのかされ、遺伝子組み換えの種を使い始めたならさあ大変。いつその種が風に乗って、この清らかなアシスエデンの大地に落ちて来るか分からないのだから。
 トウモロコシの収穫を終え家に戻ると、ヤポとピポも帰宅していた。四人分のハルナッツを皆で手伝いながらこしらえ、賑やかに食した。
 ランチが済んだら、午後からはドライブへ出発。今日はチポも一緒。パジェロを駐車した広場に四人で移動すると、広場では大勢の子どもたちが遊んでいた。鬼ごっこ、かくれんぼ、陣取りゲーム等々、昔日本の子どもたちが夢中で遊んでいた遊びに興じていた。あちこちで木霊する子どもたちの無邪気な笑い声がきらきらと煌めいて、森を照らす木漏れ陽のように眩しかった。子どもたちはやっぱり、こうでなきゃ。感心するミサを、さっさと助手席に陣取ったヤポが催促。
「ミサ。ねえ、早く出発しよう」
「はい、はい」
 チポとピポは大人しく後ろの席に座っている。
「よーし、レッツゴー」
 広場で遊ぶクラスメイトたちに大きく手を振りながら、ヤポが叫んだ。広場の子どもらはぴたーっと動きを止め、走り出すパジェロをそれは羨ましそうに見送っていた。
「でも、何処行くの」
 問うミサに、ヤポが即答。
「砂漠だよ」
「砂漠って、ハルカ砂漠」
「イエース」
 良し、分かった、とミサはアクセル全開。約三キロ離れたハルカ砂漠へと向かった。
 エデンの森を通過すると、舗装された道路がハルカ砂漠まで続いていた。見渡す限りの地平線。砂混じりの風が頬を叩いた。しばらくは窓を開けていられたが、砂漠に近付くにつれ砂ぼこりが激しくなり、とうとう窓を閉めた。やがて道路は行き止まり。そこから先はもう、歩いてしか進めなかった。
 みんなで車を降りて、てくてくと歩いた。眼前には直ぐに、果てしない砂の大地が現れた。それが何処までも続いている。黄金色の砂がさらさらと風に舞い、眩しい程である。
「うわーっ、きれい」
 思わず声を上げ、ミサは手を伸ばした。一粒一粒が宝石のように思えたが、手に取るとやっぱりただの砂粒でしかなかった。それはミサに、東京や横浜など、ごみごみとした日本の大都会の中に生きる人々の姿を思い起こさせた。平凡な無数の人々の群れ、夢を忘れた大人たちの無気力な背中また背中……。
 かけっこをするヤポとピポを見守りながら、チポとミサは砂漠の静けさの中に黙って身を置いていた。すべてが静かだった。砂と風と太陽と空だけが、そこには存在していた。時より風がヒュルヒュルと唸り声を上げ、大地の歌をふたりの頬に歌い掛けていった。何年も何十年も何百年もの間、この大地に立つ者へと、ずっとそうして来たように。そして歌は時を越え、人間たちへ、生きる者たちの胸へと伝わって来たように。
「あっ、雨」
 突然ピポが立ち止まり、掌を広げた。確かに雨だった。乾いた砂の大地を濡らして、ほんのひと時スコールが駆け抜けていった。そして砂だらけの乾いたミサの頬に、一滴の湿り気を残して……。
「さあ、そろそろ帰りましょう」
 チポがやさしく、ミサに笑い掛けた。
「今夜はあなたの、パーティなんだから」
 パジェロを飛ばしてエンデ家に戻ったら、既に日暮れ時。いつものようにディナーを食した後、みんなで広場に向かった。何でも集落の全員が集まると言う。
「えっ。そんなに大袈裟にしなくたっていいのに」
 照れるミサに、チポが答えた。
「いいのよ、気にしなくても。土曜の夜は何かしら理由をつけて、みんなでいつも集まるんだから」
 そうか、だったらいいんだけど。少し安心するミサだった。

 ドンドコドン、ドンドコドン、ドンドコ、ドンドコ、ドンドコドン……。威勢の良いジャンベが鳴り響く。チャッチャカチャ、チャッチャカチャ、チャッチャカ、チャッチャカ、チャッチャカチャ……。マラカスも軽快にリズムを刻み。ピーヒョロロ、ピーヒョロロ、ピーヒョロ、ピーヒョロ、ピーヒョロピー……。横笛のユートも負けじと、澄んだ音色を響かせる。松明が掲げられ、威勢の良い掛け声と共に、さあ、パーティの始まり、始まり。
 暑かろうにグリラの民族衣装、それはマサイ族のそれに似ている、をまとった若者たちが、パラダのリズムに乗って、ダイスを踊り出す。みんな、汗びっしょり。
「凄いでしょ」
「うん、最高にエネルギッシュ」
 設けられた来賓用の椅子に腰掛け、チポとミサはパラダとダイスを楽しんだ。
 パラダが終わったら、長老バボバからミサへの挨拶である。
「皆さん、静粛に。では、ゴッホン。親愛なるミサ、遥か遠い異国の地日本より、わたしたちの村シャングへようこそ。あなたとあなたのお父様ヤスオ・ウミノは、わたしたちに国境と民族の違いを越えた、深い愛と友情とを教えてくれました。あなたとわたしたちは、永久不変なる魂の友であります。今夜は拙い歓迎の饗宴ではありますが、どうぞお楽しみ下さい」
 バボバのスピーチが終わるや、熱狂的な拍手がミサへと向けられた。そんな大袈裟な。照れながらもミサは立ち上がり、拍手に応えて何度も何度もお辞儀をした。それから立食パーティ風に、人々の交流と雑談が始まった。
 集落のみんなが列を作り、順番にミサと握手を交わし、挨拶の言葉を伝えた。丸で女王様、日本で言えば皇族にでもなったような気分のミサである。
「サンク、ミサ。どう、シャングの滞在は満足してもらえたかしら」
「サンク、トーマ。ええ勿論よ、シャングはこの星の楽園」
「サンク、ミサ。日本の夏も物凄く暑いって聴いたけど」
「サンク、ポアロ。ええ、その通り。よっぽどシャングの方が涼しい位よ」
「サンク、ミサ。もうすぐ日本に帰っちゃうなんて、わたし悲しくて泣きたい位よ」
「ミスュ、ユアナ。ゴメンね、シャングとみんなのことは、絶対に忘れないから」
 ミサの肩をポンポンと叩くユアナと抱擁すれば、思わず目はうるうる。そうこうしているうちに、気付けばチポがスピーチに立っていた。
「みんな、楽しんでるかしら。実はね、我等の友ミサは、日本では有名なシンガーなのよ。いつもね、大勢の人の前で歌っているって」
 拍手が起こる。やだ、チポったら。ミサはまた照れ笑い。
「どうかしら、今夜も少し歌ってもらおうと思うんだけど。ミサ、OK」
 みんなが注目する中、ミサは黙って頷いた。すると更に拍手と歓声。急いで車からギターを持って来ると、ミサは広場の中央に立ちギターを構えた。
 緊張を覚えながら広場を見渡すと、みんなは草の上に座りミサを囲んでいた。温かくやさしいその眼差しに緊張は解け、ミサはリラックス。よし、今夜は思い切り、歌うぞーーっ。心の中でミサは叫んだ。
 先ずはお馴染み、ミニー・リパートンのラヴィング・ユー。続いて、ソウ・メニー・スターズ。更にアメージング・グレースをアップテンポで。すると歌の最中に手拍子が起こり、一緒に口遊む者、踊り出す者も現れた。みんな陽気に笑い、楽しんでくれている。ふう、良かった。
 そしてラストは一転しんみりと。シャングの友たちに語り掛けるように、リッキー・リー・ジョーンズのカンパニー。チポを始めとするシャングの人々は、今やミサにとって大切な魂の友である。たとえ日本に帰り遠く離れてしまっても、みんなのことは絶対に忘れないから。でもやっぱり別れは辛い。そんな思いを歌に託すミサの気持ちが伝わるのか、チポたちも真剣に耳を傾けていた。
 同時にミサは、歌う喜びを噛み締めてもいた。歌いながら、心の中で叫んでいた。やっぱり歌は凄い。歌って素晴らしい。そうよ、やっぱりわたしは歌いたいんだわ。心の底から歌いたい。歌がなきゃ、生きられないのよ。歌こそわたしの人生、そのものなんだから。うわーーーっ……。
 ミサが歌い終わるや、観衆は一斉にスタンディングオベーション。熱狂の中、チポが駆け寄り、がばっとミサを抱き締めた。
「ミサ、良かったわよ。みんな感動してた。やっぱり歌って素晴らしいわね。言葉なんか通じなくても、ちゃんと分かり合えるんだから」
 そうよ、そうなのよ。と頷きつつも、ミサはチポにこう告げたかった。
 うん。でもね、チポ。あなたが歌ったら、わたしなんか比べものにならない位、もっともっと感動させられるのに。もっと凄いことになる筈なのに。あなただったら、一瞬にして世界中を震わせられるのに。ねえチポ、あなたがもしも世界のスポットライトが当たる場所に立って、歌ったならば……。
「さ、パーティのフィナーレよ。みんなで踊るから、ミサもおいで」
 ドンドコドン、ドンドコドン、ドンドコ、ドンドコ、ドンドコドン……。燃え盛る松明の中で、再びパラダの演奏が始まった。大人しくミサの歌を聴いていた人々が、リズムに乗って踊り出した。チポに誘われたミサもさっさとギターを置いて、チポと共にダイスの渦の中へと入っていった。
 やがてパラダのリズムが止めば、パーティは終わり。
「ミスュ、ミサ」
「ミスュ、ミサ」
 みんなはミサの許に駆け寄り、順番にミサと抱き合った。感極まったミサは、泣きながらみんなを抱き締めた。汗臭さも、暑さも何も気にならなかった。
 こうしてミサのアシスエデンの滞在も、あと僅か一日を残すのみである。
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