(九)旅立ち

文字数 4,185文字

 ところがである。五月、家に見慣れない一通の手紙が届いた。しかも死んだ保雄宛であった。保雄が死去して既に十年が経過しているというのに。美鈴とミサは何事かと訝った。
 差し出しは『PFA 日本事務局』とある。恐る恐る美鈴が封を切ると、中にはニ通の手紙が入っていた。ひとつは日本語のワープロ文書、もう一通は英語の直筆であった。
 日本語のワープロ文書の内容は、こうであった。
『拝啓、海野保雄様。
 突然のお便り、お許し下さい。こちらはプラネット・フォー・アフリカ(PFA)日本事務局です。早速ですが、以前貴殿が私共の活動にご賛同下さり、教育支援を賜りましたアシスエデンのチポ・エンデ(当時チポ・トウカ)を覚えていらっしゃいますでしょうか。幸いアシスエデンはテロ攻撃から復興し、徐々に立ち直りつつあります。そこでチポが、貴殿とのエアメールの交流を是非とも再開したいと申しております。
 つきましては今回彼女のエアメールを同封致しましたので、ご一読下さい。もし彼女への返信を頂けるようでしたら、日本事務局宛お送り下されば、彼女へ転送致します。
 何卒、よろしくご検討下さい。尚電話での問い合わせも受け付けておりますので、何なりとお申し付け下さい。それでは。
 PFA 日本事務局代表 古閑雅夫』
 そしてチポ・エンデのエアメールである英語の直筆を、ミサが訳して美鈴に読んで聞かせた。
『親愛なるヤスオへ。遥かなる海を越えて、アシスエデンの地からチポより。
 ヤスオ、お元気ですか。わたしはチポ・エンデです。結婚してチポ・トウカから変わりました。あなたがまだわたしのことを、覚えていてくれたら何よりも嬉しいのですが。あなたには本当にお世話になりながら、こちらの事情により永い間手紙を書くことも出来ず、大変申し訳ありませんでした。
 わたしは今年で三十歳になります。ふたりの子どもを産み、現在育てている最中です。夫のカポも元気で、わたしは毎日とても幸福に暮らしています。これもみんなあなたのお陰です。ヤスオ、是非とも機会がありましたら、一度わたしの住むシャングの村に遊びに来て下さい。家族を始め村のみんなで歓迎します。
 この突然の手紙が、貴方のご迷惑にならなければいいのですが。それではチポ』
 そこで開口一番、美鈴の言葉。
「あら、わたしすっかり、忘れてたわ」
 ミサもまた父保雄がチポなる少女に援助を行っていたミサが小学校低学年当時のことを、おぼろげに思い出した。
「確かお父さん、わたしが生まれた記念に、この人への奨学金の援助を始めたんだったわよね」
「そうだったねえ。わたしなんかちっとも興味なかったから、お父さん、勝手にやればって感じだったけど」
「わたしも全然興味なかった。でもアシスエデンって何、そんな国あんの」
「確かアフリカだったと思うけど」
「プラネット・フォー・アフリカって言う位だから、そうじゃない。でもどうしよう」
「そうねえ」
 しばし顔を見合わせる美鈴とミサであった。
「でも、このチポさん。まだ知らなかったのね、お父さんが死んだこと」
「そうね、そうみたいねえ。何だか不思議」
 しみじみと頷く美鈴。
「で、結局返事どうすんのよ」
「そりゃやっぱり、お父さんの代わりに書かなきゃ。少なくともお父さん死んだこと位は、教えてあげないと」
「そうだね」
 ぼんやりと答えながらミサは、窓辺に立って外を眺めた。目の前には一面のブルースカイ、眩しい五月の空が広がっている。その中を漂い流れゆく、雲の白さがまた目に沁みた。
「アフリカかあ。アシスエデン、どんな国なんだろう。果てしなく遠いんだろうなあ。でも行ってみたい。ふわーーっ」
 空の眩しさに背伸びして大欠伸するミサに、苦笑いを浮かべたかと思うと突然美鈴が大声を上げた。
「あっ、思い出した。そうだったわ」
「何、どうしたのよ、お母さん」
 何事かと振り返るミサに、美鈴は答えた。
「ほら、あんたが言ってた、お父さんのオルゴール」
「オルゴールが、どうしたのよ」
「だから。お父さん、この子にあげたのよ、オルゴール」
「ええっ、チポさんに。あっ、そっか。だから家にないんだ、なーるほど」
「お父さん、オルゴールが完成すると、さっさと送っちゃったから、確か」
「へーえ」
 ミサは再び大空に目を向けると、行ったこともない遠いアシスエデンと、そこに送られた一台のオルゴールに思いを馳せた。アフリカの大地の片隅でひとりの少女が目を輝かせ、親父の作ったオルゴールを聴いている。そんな情景が目に浮かんで来るようだった。
 親父のやつ、生前割りと良い事してたんだ。我が父ながら、かっくいい。
 何処までも続く空の青さを見上げるミサ。アシスエデンかあ。この空の彼方に、チポさんの国そしてお父さんのオルゴールが存在するかも知れない未知の国、アシスエデンがあるのね。なんか、行きたくなっちゃった……。
「ねえ、お母さん」
「なーに」
「行ってみようかな、わたし」
「何処へ」
「だから、アシスエデンへ。お父さんの代わりに」
「ええっ、正気」
「正気、正気。時間なら幾らだってあるし。それにほら、もしかしたらお父さんのオルゴール、チポさんのところにまだあるかも知れないでしょ。わたしどうしても聴きたいの、あのオルゴール」
「でも、もう二十年位前のことでしょ。いい加減、壊れてんじゃないの」
 二十年かあ。言われてみれば、そうだなあとも思う。折角遠路遥々訪ねて行っても、もしお父さんのオルゴールがなかったら、がっかりするかも。でも、チポさんにも会ってみたいし。ミサは迷った。そんなミサの隣りに立ち、美鈴も空を見上げた。
「兎に角、あんた。先ずチポさんへの返事書いてよ。わたし英語、全然分かんないから」
「いいわよ」
「ま、家でごろごろしてるより、よっぽどいいかもね。いい気分転換にもなるだろうし、嫌なこと忘れて観光のつもりで行ってくれば。もしかしたら」
「もしかしたら、何」
「もしかしたらお父さんが、俺の代わりに行って来いって、あんたに頼んでるのかも知れないし」
「ああ、成る程。じゃ、思い切って行っちゃおうかな。お母さん、一緒に行こうよ」
「ええっ、いいわよ、わたしは。もう年だし、勘弁して。あんたひとりで……でも、治安は大丈夫かしら」
「もし本当に行くんだったら、ちゃんと調べるから大丈夫」
 よし。そうと決まれば、善は急げ。早速ミサは、アフリカ大陸の未知なる国家アシスエデンの情報収集へ。それでもし万が一、若い女ひとりでの渡航が危険、困難であると分かったならば、残念だが取り止めるつもりでいた。

 先ずミサはPFA日本事務局に電話し、問い合わせた。海野保雄の娘だが、アシスエデンに遊びに来いと言うチポの誘いを受け、是非自分ひとりで行ってみたい。そこでアシスエデンという国は、若い女ひとりで旅しても安全だろうか。ただし父保雄が死んだことは教えなかった。もし出来るなら、自分の口から直接チポに伝えたいと思ったからである。
 すると、現地に確認してみるから待って欲しい、折り返し電話するから、との返事を得た。そして後日、折り返しの電話が入った。
 先ずアシスエデンの治安だが、国民は皆穏やか。テロも既に鎮圧され、旅行者が犯罪に巻き込まれる危険性も現在は全くと言って良い程無いと言う。それにもしミサが来るとなれば、現地のPFAスタッフが可能な限り、サポート、案内をしてくれるそうだ。しかし御存知の通り国連を通して日本はアシスエデンを国家と認めず、その存在を否定している。従って渡航手続きにしても旅行径路にしても、一旦日本からアシスエデンと国交を有する国を経由しなければならないとも教えてくれた。成る程、言われてみれば御尤も。
 もし日程が決まりましたら教えて下されば、それに合わせて準備します。いつでもお越し下さい。そうチポと現地PFAスタッフが申しているとのことであった。何しろ向こうは首都トピア中心部を除いて、何処も貧しくはあれど自給自足ののんびりとしたライフスタイルである為、どんなにでも都合はつけられると言うのである。
 なーるほど。なんか素晴らしい。一気に行く気になってしまったミサはPFAの言葉を信じ、PFAの協力を得て早速旅行プランを立てた。ただし日本に居てアシスエデンに関する情報を得ることは難しかった。インターネットで検索しても殆どヒットせず、と言うのも日本国内ではアシスエデンに関するサイトはヒットしないよう規制されていたからであり、加えて書籍の類もない。試しに外務省に問い合わせてみても、そんな国、何処にあるんですかと、しらを切られるばかりだったから、PFAの言うことを信じるしかなかった。
 先ず日程を決めた。六月八日、月曜日。この日アシスエデンに到着し、一週間滞在する。六月にしたのは、PFAスタッフから直ぐにでも来るのであれば、雨季が終わった六月が良いと勧められたからである。次に旅行ルートを決めた。前日に成田を立ち香港、南アフリカのヨハネスブルクを経由してアシスエデンに入国し、首都トピアの土を踏む。
 ここまで決めたら、ミサはPFAスタッフと打ち合わせすべく、PFA日本事務局に出向いた。その席で、現地スタッフとの段取りが決められた。先ずトピア国際空港内で待ち合わせする。そこで無事合流出来たら、入国手続きを行って空港を出る。トピアのホテルでチェックインを済ませ、旅の疲れがなければ、その日のうちにシャングへ向かうこととした。注意として、ヨハネスブルクではトピア行きの便を待つのに三時間以上かかるが、絶対に空港から外へは出ないように、との忠告を受けた。治安が死ぬ程悪いからである。
 後日、担当する現地スタッフも決まり、写真が送られて来た。オリビア・ピーターソン(二十八歳)という女性であった。PFAの尽力によって、なんとか往復の航空チケットとトピアのホテルを予約することも出来た。
 そしていよいよ六月七日、日曜日である。ミサは満を持して出発した。サングラスに半袖のデニムシャツとジーパン姿でギターと共に家を出て、成田から十七時十五分発の香港行き旅客機に搭乗した。もう二度と歌など歌わない、歌手なんか辞めてやると誓った筈のミサではあったが、万が一必要になるかも知れない、その時後悔しないようにと、念の為ギターを持参したのであった。
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