(六)テロ、復興と結婚

文字数 8,082文字

 しかしそんな幸福絶頂のふたりの前に、そして平穏なシャングの村に、突如悲劇が襲い掛かった。チポ、十八歳の夏のこと。悲劇、それはテロリストによる襲撃である。
 テロリストとは言っても前述の如くその正体は、安定したゴリラン大統領の政権を転覆せんが為、欧米諸国具体的にはCIAが養成し送り込んで来た傭兵たちのこと。そいつらの無慈悲残虐なる破壊活動が、とうとう我等シャングの村にも押し寄せて来たという訳である。
 先ずシティが襲われた。複数のビル、建物に仕掛けられた時限爆弾が爆発し、人だかりの中に手榴弾が次々と投げ込まれた。
 ドッカーーーン。
 ドッカーーーン。
 ドッカーーーン……。
 辺りは一瞬にして炎の海と化し、煙の渦に巻き込まれた。テロだの爆弾だの、そんな物騒な類とは一切縁のなかった村人たちは、忽ちパニックとなり右往左往するばかり。女、子どもは悲鳴を上げ泣き出し、男たちとてただおろおろとする始末。
 破壊されたのは雑居ビルの他に、市場、チャペル、救急病院、トピア北中学校。そしてアリスたちがせっせと働くPFAアシスエデン事務局のオフィスが入っているビルも爆破され、アリスたちの職場は壊滅状態となってしまった。
 襲撃はシティにとどまらなかった。傭兵たちは地方へ地方へと攻撃を拡大していった。そして或る日、村人たちがランチを終えて間もない時刻、チポの集落にも五人の偽武装ゲリラどもが乱入した。彼らは広場そして民家目掛け、次々と手榴弾を投げ込んだ。至る所で爆発音がし、家が倒壊する音、人々の悲鳴が木霊し、周囲に響き渡ったのであった。
 集落は大パニック。民家の多くが崩壊し、夥しい数の死傷者が出た。広場の井戸は幸い無事であったが、広場の敷地内にある集会所、共同トイレはやられた。シャング小学校はそもそも校舎がなかったのが幸いし、襲撃に遭わず子どもたちは無事だった。
 チポの弟タポも事なきを得た。チポの父アポは例によって広場で休憩中だった為、攻撃を受け大怪我をしたが、手足を失うまでには至らずに済んだ。母ミポは集落の主婦連中とシティの様子を見に行こうと、家を離れていた為無事だった。
 そして我等がチポとカポのふたりは、いつものように畑にいて無事だった。しかしカポの家族、両親と妹は自宅にいた為攻撃をもろに食らい、全員死亡してしまった。他にも世帯全員死んだ家族や、家族を失った者も多数いた。
 一瞬にして起こった白昼の悪夢であった。惨事の後、同日夕方、スコールが傷付いた血だらけのシャングの村に降り注いだ。雨を避ける気力すら失くした住民たちは皆、ずぶ濡れになりながら立ち尽くしたり、その場にしゃがみ込むしかなかった。彼らの頬に落ちる滴が涙なのか雨なのか、その区別すらつかなかった。
 チポ、カポを始めとする生き残った村人全員がただ呆然とし、或いはすすり泣き、悲嘆に暮れるばかりであった。チポの家族のミポとタポは負傷した父アポを支え、チポは一瞬にして家族を失い悲しみのどん底に突き落とされたカポを懸命に励ました。
 長老バボバもまた満身創痍であったが、落胆のみんなを鼓舞して回った。バボバの指揮の下、生き残った集落の人々はその日の夜から広場に避難し、一緒に野宿し励まし合い慰め合い、数日を共に過ごした。
 本来ならばアシスエデン政府が率先して指揮を執り、傷付いた国民を救助せねばならない筈である。が何しろトピア中心部を始め被害は国土全域に及んでおり、とてもじゃないが追い付かない。シャング村の民衆は当面自分たち自身で何とか凌ぐしかなかった。
 数日が経過した。当初は食事すら喉を通らない程打ちひしがれていたシャングの村民たちも、ようやく落ち着きを取り戻し、食欲も徐々に回復して来た。食料については各自の畑の作物があり、何とか食いつないだ。
 村人たちは破壊された自宅の被害状況を把握し、今後どうすべきかを決めていった。修理で済みそうな家は修理を行い、そうでない家は取り壊して、新しく建て直すことにした。どちらにしろ自分たちの手でやらねばならない。しかし国全体で被害を受けた住居が多く、材料となる石と藁が不足した。その為シャング村への材料の供給は、まだ先になるとのこと。それまで集落のみんなは、住める家、修理の終わった家に身を寄せ合い、協力し助け合って暮らした。
 チポたち一家も避難していた広場から、自宅に戻ってみた。しかし壁は崩れ落ち、ぺしゃんこになっていた。チポは壁の破片を払い除け、自らのベッドを捜した。ベッド自体はその片鱗を残していたが、ベッドの棚は無残にも粉々に壊れ、最早見る影もなかった。そして海野のオルゴールもまた然りであった。
 プラスチックケースは吹き飛び、ネジはもぎ取られ、ゴールドのメッキは剥げ落ち、櫛は何本も折れ、筒はぺちゃんこ。これでは最早、演奏など不可能である。
 予想はしていたものの、我がいとしのオルゴールのその変わり果てた姿にチポは言葉も出なかった。海野の贈り物、ララバイ・オブ・シーのあのメロディを、もう二度と聴くことは出来ない。それはチポにとって、魔法の箱の魔法が解けたようなものだった。
 勿論チポは落胆したが、カポを始め集落のみんなはそれ以上に傷付いていた。自分にはまだ家族がいるし、カポだっているではないか。オルゴール位で嘆き悲しんでなどいられない。そう自分に言い聞かせたが、涙は止め処なくチポの頬を伝い流れ落ちた。それを見たカポが、やさしくチポの肩を抱き寄せ慰めた。
 涙を拭うとチポは、破壊されたオルゴールのすべてのパーツを拾い集めた。それを麦藁帽子の中に入れ、家が復旧するまでそのまま大事に保管していた。

 テロという名の謀略、偽りの破壊活動から一週間が経過した。しかしシャングの村人たちの心の傷は深く、みんなまだまだ沈んでいた。とは言えど彼らには、どうしても早急にやらねばならない一番大事なことが残されていた。それは、犠牲となった愛する家族、同胞たちの葬儀、遺体の見送りである。
 アシスエデンでは、遺体は火葬することになっていた。しかし火葬場は首都トピアの中心部に二箇所しかない。そこで従来シャングでは村で葬儀を行った後、遺族が同乗する車で遺体を火葬場まで運び、火葬した後、骨を持ち帰り村の墓に埋めていた。今回も同手順を踏むつもりでいたが、何しろ遺体の数が多かった。
 テロ以前のチポの集落人口は二百六人であったが、そのうち五十一人がテロで亡くなった。約二十五パーセントの減少である。これに加え当然他の地域でも死者は多数出た訳で、火葬場は混み、国全体で待ちの状態に陥っていた。そこで政府は火葬場の混雑緩和の為に、火葬場を使用する日を地区毎に定めた。決められた日にその地区の遺体をまとめて火葬場に運び、一気に火葬するのである。
 それに則り、バボバに火葬場の割当ての日が通知された。十日後であると言う。その当日の午後、政府が用意した大型バス五台に五十一人の遺体を乗せ、火葬場まで輸送する。そこでバボバは当日の朝、集落合同で葬儀を行うことを決め、住民たちもこれを了承した。
 さて、十日後の朝である。広場に五十一人の遺体各々を納めた棺を並べ、集落合同の葬儀が開始された。これから愛しい家族、恋人、同胞たちとの告別、そして死者の国へと見送らねばならない。従来ならば、チポが常々不謹慎ではないかと思っていた程に、陽気に皆パラダのリズムに乗って歌い、ダイスを踊ってばか騒ぎしながら、死者を見送った筈である。
 しかし今、集落の人たちにそんな元気はなかった。未だに心も体も傷付いたまま、悲しみと絶望に打ちひしがれていたのである。パラダの楽器であるジャンベ、マラカス、ユートは辛うじて無事であったが、それを使って勇ましくパラダを演奏しようという者も、ダイスを踊ろうとする者も誰一人いなかった。みんなしーんと静まり返って、それは他国で通常見られる、しんみりとした葬式の風景に他ならなかった。チポとて同じこと。家族三人の遺体に縋り付き、涙ながらに別れを告げるカポの痛々しい姿を、ただ無力に見守るしかなかった。
 笛吹けど踊らず、である。困ったのは、バボバ。政府のチャーターバスが来る前に、何とか葬儀を終えなければならないのだが……。悲嘆と惜別の涙に覆われた広場を見渡しながら、バボバは思わずため息を零した。しかしである。ふとチポの顔を見掛けた時、バボバははっと閃いた。
 そうだ、チポのあの歌だ。こんな時こそチポに、あの歌をもう一度歌ってもらえないだろうか。以前はあんなに小ばかにしたが、今は妙にあのしんみりとした歌が恋しく思えてならない。きっと今なら、傷付いた皆の心に染み渡るのではあるまいか。数年前のハロウィンでチポに歌わせた時のことを思い出し、バボバはそんなふうに思ったのである。
 思えばチポとて村が襲撃された日より、ずっと歌うことを忘れていた。一度としてエデンの森へもゆかず、その渇いた唇に歌を遊ばせることすらなかった。
 早速バボバはチポの許へ歩み寄り、チポの耳元に囁くように告げた。
「チポ、お願いがある」
 神妙な顔付きのバボバに、不安げな面持ちでチポは問うた。
「何、バボバ。手伝えることがあるんだったら、わたし何でもする。言って」
「ありがとう。実はな、チポ。ほら、御覧の通り、どうやらまだみんなパラダをやる元気もないらしい。そこでだ、チポ」
「うん」
 バボバをじっと、チポは見詰め返した。
「尊き死者たちを、どうかせめておまえのあの歌で慰め、見送ってもらえないだろうか」
「えっ」
 これには流石のチポも驚いた。
「本当にいいの、わたしの歌なんかで」
 まさかバボバがわたしに、歌ってくれ、なんて。しかもララバイ・オブ・シーを……。この時迷うチポの背中を押したのは、誰あろう、最愛のカポその人であった。
「そうだ、俺もすっかり忘れていた。こんな時こそ、チポ、おまえの歌が聴きたい。みんなの為にも、おまえのあの美しい歌声を聴かせておくれ」
「カポ……」
 カポにまで頼まれては、もう断れない。そうだ、こういう時こそ歌わなきゃ、わたし。愛する集落のみんなの為に。
 カポとバボバの両方に無言で頷くと、チポは広場の中央に立った。その手に、オルゴールの部品の欠片が入った麦藁帽子を握り締めながら。歌うは、ララバイ・オブ・シー……。
 晩夏の午前である。眩しい陽射しがチポの全身を包みながら、大地へと降り注ぐ。ハルカ砂漠の風が吹き、エデンの森の野鳥のさえずりもしている。目を閉じてこの星の母なる海を思い描きながら、チポは歌い出した。ただひたすら祈るように。
 するとどうだ。チポの歌声を耳にした集落の人々の表情が一変した。俯いていた者が顔を上げ、しゃがみ込んでいた者たちは立ち上がった。チポの美声が今、傷付いた集落のみんなの胸に染み入るように、嘆きの大地に響き渡っていた。
 短い歌は直ぐに終わった。しかしチポが歌い終わるや大歓声。チポが目を開けると、周りには集落のみんなが集まっていた。
「凄いぞ、チポ」
「素晴らしい歌ね」
「ミスュ、チポ」
「ミスュ……」
 バボバがチポの手をぎゅっと握り締めた。みんなが笑顔でチポの肩を叩き、チポを讃えた。みんなの顔には、熱い血潮が燃えたぎっていた。
 ドンドコドン、ドンドコドン、ドンドコ、ドンドコ、ドンドコドン……。威勢の良いジャンベが鳴り出した。誰かが叫び声を上げた。
「よーし、今度は俺たちの番だぞ」
 チャッチャカチャ、チャッチャカチャ、チャッチャカ、チャッチャカ、チャッチャカチャ……。マラカスも小気味良く響き出す。
 ピーヒョロロ、ピーヒョロロ、ピーヒョロ、ピーヒョロ、ピーヒョロピー……。ユートはいつもの音色で、人々をダイスへといざなった。
「さあ、どうした、どうした、皆の衆。そんな浮かない顔してちゃ、死んだ同胞も浮かばれねえよ」
「そうだ、そうだ」
「いつものように、俺たちゃ、シャングの人間なんだよ。泣きっ面なんざ、似合わねえときたもんだ」
「そうさ、そうだよ、まったくだあ」
「明るく元気に、歌って踊って。賑やかに笑いながら、死者を冥土へ送って上げようぜ」
 ドンドコドン、ドンドコドン、ドンドコ、ドンドコ、ドンドコドン……。チャッチャカチャ、チャッチャカチャ、チャッチャカ、チャッチャカ、チャッチャカチャ……。ピーヒョロロ、ピーヒョロロ、ピーヒョロ、ピーヒョロ、ピーヒョロピー……。
「皆の衆、ほーれほれほれ、歌わにゃ損々、踊らな損。死んだおいらのかあちゃんだって、時化た顔なんざ見たくもねえってよ。かあちゃんの為にも、賑やかに歌って踊って下されやあ」
「おーし、わかったあ。ほーれ、ほれほれ、ほれほれほーっ」
 パラダのリズムに乗って、集落のみんなは遂に踊り出した。それは驚くべきパワー、悲しみと逆境を乗り越えんとする、人間たちの底力がそこにはあった。
 そんな仲間たちの姿に誰よりも感動していたのは他ならぬ、チポであった。
 みんな、凄い。本当はみんな悲しい癖に、あんなに一生懸命、明るく元気に歌い踊っているなんて。
 いつしかチポもみんなの輪に加わり、夢中でダイスを踊っていた。その姿に感化されたのはカポ。
「チポーーーッ」
 チポの名を大声で呼びながらチポに駆け寄るや、カポもまたチポの隣りで踊り出した。その顔には少年のような笑顔が滲んでいた。それは家族を失ったあの日からずっと、カポの顔から消えていた笑顔だった。
「カポーーーッ」
 今度はチポがカポの名を呼び、そのまま思い切りカポの胸に抱き付いた。どきどき、どきどきっ……。最愛の人の鼓動に抱き締められながら、そしてチポはすすり泣いた。
 するとチポの涙に気付いたみんなが、踊り続けながら次々とチポに声を掛けていった。
「がんばれ、チポ」
「スマイル、チポ、スマイル」
「みんな、あんたのことを愛してるのよ」
 えっ。驚いたチポ。
 わたしはなんてテアズな人間なのだろう。こんなやさしい人たちに囲まれて、ずっと今迄、わたし生きていたなんて。ちっとも気付かなかった。それなのに、なんてわたしは愚かだったのか。こんな素晴らしい人たちを、ずっとばかにして来たのだから。
「みんな、ミスュ。さあ、カポ。わたしたちも踊らなきゃ」
「よし、今日は思い切り踊るぞ」
 チポとカポ、ふたりは再びみんなのダイスの輪へと入っていった。ドンドコドン、ドンドコドン、ドンドコ、ドンドコ、ドンドコドン……。
 わたしはこれからもずっと、この集落の人たちと生きてゆこう。一生懸命、このシャングの大地の上で生きてゆこう、みんなと一緒に。
 カポと共に汗だくで踊りながら、そう心に誓うチポであった。

 こうして激動に飲み込まれながらもチポは、残された集落の人々と共にシャングと集落の復興を目指し懸命に働いた。しかし決して険しい道のりではなかった。なぜなら生まれつきの陽気さで皆で助け合い、苦楽と食料とを分かち合う日々だったから。
 それに以前と違って、みんながチポの歌を聴いてくれるようにもなった。年中行事、お祭りの中では、必ずチポのミニコンサートが開かれた。チポにとっては正に夢のような展開となったのである。
 しかし辛い別れもあった。アシスエデンの事務局が壊滅状態となったPFAが、一旦オフィスを閉鎖することを決めたのである。これによりPFAのメンバーはみんな、帰国するか他国へ移動せねばならなかった。アリス・ヘンダーソンはチポたちとの別れに涙しつつ、隣国のジンバブエに赴いた。これによって、チポと海野とのエアメールの交流もまた遂に途絶えたのだった。
 一方海野の方は、PFA日本事務局からアシスエデンの状況を知らされた。チポたちが無事であったことに安堵しながらも、チポとのエアメールのやり取りが出来なくなってしまったことに、海野は寂しさを禁じ得なかった。
 翌年、西暦二〇〇三年の春。十九歳になる前にチポは、集落の復興に励むみんなの祝福の中、カポと結婚した。
 トピアから少しずつ入って来る家の建築材料を分け合いながら、先ずトウカ家の住居を建て直し、そこにチポの家族四人と新郎のカポが共同で住んだ。それからカポとチポはエンデ家があった場所に、自分たちの新居を建て始めた。それが完成するとふたりはトウカ家を出て、自分たちだけの夫婦生活を開始した。
 次の年の冬、チポ二十歳にて長男のヤポを出産。次いで二年後、チポ二十二歳にて今度は長女ピポを産んだ。ふたりともチポのおっぱいを思い切り吸って、どんどん成長していった。チポは子育て、畑作業に奮闘しつつ、シャングの復興作業も手伝い、いつしかタフな大人の女性へと成長していった。チポを支えたのは愛する家族と集落のみんな、そしてララバイ・オブ・シーの歌であった。
 西暦二〇〇七年。チポが二十三歳を迎えた年、シャングの村はあの忌わしい悲劇から五年を費やし、遂に復興を遂げたのであった。シティの中学校、教会は立派なものに建て直され、市場には以前の活気が甦った。
 チポの集落でも破壊された家をすべて建て直し、全世帯の家が揃った。テロ以前はどの家にも玄関にドアという物はなかったし、窓もなかった。しかし今回建て直した家には、玄関にアルミ製のドアを付け、部屋にガラス張りのサッシの窓も設置した。
 それから広場には、みんなが協力して建て直した集会所とトイレが完成。おまけにトイレの横には、女性たちが切望していたシャワー室が造られたのである。
 PFAもアシスエデンの地方の教育施設が復興して来たのを受け、以前のようにシティのビルに事務局を置き、PFAペアレントの支援も再開した。しかしメンバーは一新し、その中にアリス・ヘンダーソンの顔はなかった。また既にPFAペアレントでなくなっていた海野保雄の存在は、旧オフィスがテロ攻撃を受けた際のデータ消失と共にすっかり忘れ去られていた。加えて海野は体調不良が悪化して、チポが二十歳の春既に他界していたのであった。
 チポは勿論、海野のことを忘れてはいなかった。が、新しいPFAスタッフに遠慮して、海野とのエアメールのやり取りを再開したい旨を言い出せずにいた。従ってチポはまだ、海野の死についてはまったく知らずにいたのである。

 それからハルカ砂漠の風がシャングの村に幾年月を運び、雨季と乾季の季節が巡り、西暦二〇一五年に至った。チポは三十歳になっていた。人間として女として母として成長を続け、アシスエデンの大地のように逞しく、それでいて陽気。常に笑顔を絶やさず、物静かで信仰心が厚い、穏やかな女性となっていた。
 その年の五月のことである。シティのPFA事務局に、アリス・ヘンダーソンが訪れた。彼女はジンバブエに赴任後しばらくして、英国に帰り結婚していた。その日は英国から家族と共に旅行に来たのであった。アリスはシャングの村を巡り、立派な大人となったチポと再会した。
「チポ、元気だった」
「アリス、あなたこそ。でも会えて嬉しい」
 ふたりは力強く抱擁し合い、涙を流して再会を祝した。会話は弾み、自然ふたりの話題は海野保雄へと及んだ。チポは海野の壊れたオルゴールの部品、破片を見せ、ふたりは改めて武力攻撃の恐ろしさを痛感せずにはいられなかった。チポは今でもオルゴールのことを魔法の箱だと信じており、このオルゴールこそが身代わりとなってわたしとわたしの家族を守ってくれたのだと、未だに感謝を忘れずにいた。
「ヤスオとは、連絡を取っているの」
 問うアリスに、けれどチポは悲しげにかぶりを振った。
「あらまあ、どうして」
 事情を聞いて驚いたアリスは、久し振りに海野に連絡を取るようチポに促した。同時に、以前のようにチポと海野がエアメールのやり取りを行えるよう、PFA事務局に頼んでくれた。
 期待と不安の中、早速チポは海野宛のエアメールをしたためた。無事海野に届けば、約十三年振りの便りとなる。チポは祈る気持ちで、PFAにエアメールを託したのであった。
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