第19話 結婚

文字数 1,880文字

 健三の言葉の通りになった。
その年の秋、やってきた一座の中に十郎の姿がないことに、月子はすぐに気がついた。十郎は大男なので、いつだって真っ先に目に入るのだ。

「徴兵だよ」

 座長の説明は短かった。
兵士となって一座を離れた者は、十郎だけではなかった。

「戦争が始まったからね。これからますます、男手は減っていくだろう。流石に僕くらいの年寄りには、声はかからないだろうけど」


***


 秋祭りが終わって、農閑期が訪れて、年が変わった。
 再び田植えの季節になり、春祭りが近づいて、一座がやってくる。
芸人の数は更に減っていた。

――また減ってる。また。小さくなってる

 一座の規模が小さくなる様子は、彼らが滞在で使う離れの部屋数が減っていくことから、月子には実感としてよく分かった。

 何回季節が巡っただろうか。

 その間に減ったのは、一座の男たちばかりではなかった。同様にして月子の村からも、男達は減っていった。皆兵隊になったのだ。月子の兄たちも同様だ。

 もうその頃になると、祭りとも言っていられなくなって、社の中でひっそりと神事を行うばかりになっていた。もちろん露店など並ばない。これは月子の村だけの話ではなかった。


***


「結婚?」

 月子が緋奈の結婚を知ったのは、昭和十七年の秋のことだった。
 十三歳になっていた月子は、玄関先で悟と龍を迎え入れながら、その知らせを聞いたのだ。

「つい先月のことだ。東京でね」

 悟が親代わりとなり、既に祝言も済んだのだという。

「お相手は?」
「和菓子屋の一人息子だよ。緋奈よりも少し年上だ」
「そう……」
 
 寝耳に水の情報だったので、月子はそれ以上の質問が浮かばなかった。ただ分かったのは、緋奈が一座に加わって巡業を行うことは、もうないのだろうということだけだ。

 戦争が苛烈になり、庶民の生活はますます逼迫していた。
 悟が見世物小屋を畳んで、既に一年が経っている。その一年の間、月子は悟とも龍とも会うことはなく、手紙だけのやり取りとなっていたのだ。その中で月子は真紀が結婚して、子供が産まれたこことも知った。

 この日、玄関先で二人を迎えたのは、巡業の滞在先を提供するためではない。
悟と龍は、疎開してきたのだ。

「……緋奈ちゃんの結婚のことなんて、少しも手紙に書いてなかったのに」

 荷物を部屋へ運び入れるのを手伝いながら、月子は呟いた。
小声のその言葉に返事をしたのは、すぐ隣にいた龍だった。

「僕は反対したんだよ」

 びっくりした月子に、龍は僅かに顔を歪ませた。

「緋奈は相手のこと、好きでもなんでもなかったんだ。相手の男、元々客として見世物小屋に来てた人でね。悪い人じゃないよ。緋奈のこと気に入ってたのは知ってたし、しょっちゅう口説いてたから。僕も手紙やら贈り物やら、預かったこと何度もあった」

 龍と悟の荷物は、ほんの僅かだった。
すぐに運び終えてしまう。月子と龍の二人は、久しぶりの再会を喜び合うこともなく、ただ緋奈の話を続けていた。

「自分が嫁いでしまえば、悟さんの負担が減るとでも思ったんだろう。相手はまぁまぁ裕福な家だったから。でも、結婚してすぐ出兵することが決まってたんだ」
「え……」
「夫婦になって一週間も経たないうちに、緋奈は旦那を送り出すことになった」

 龍の白い頬が、青ざめて見えた。
彼の鱗は、今どんな色をしているのだろう。
 久々に会えたら、真っ先に見せてもらおうと考えていた月子は、ただ口を噤んで龍の顔を見守ることしかできなかった。

「目の色のせいで、緋奈はきっと肩身の狭い思いをしてる」

 唇を噛み締める音が、聞こえる気がした。

「敵国なんて知らない。なのになんで、好き勝手に罵られなきゃいけないんだ? 鬼畜の血が流れてるなんて、いわれのないことで怒られなきゃいけないのは、どうして?」
「龍」

 思わず彼の両肩を掴んだ。
自分よりも龍の背が高くなっていた。
 灰青の瞳は、哀しげに揺れている。

「ここは大丈夫だよ。龍も知ってるでしょう。皆、龍のこと分かってる。心配いらないから」

 緋奈について何も言えることがなくて、月子は目線を下げていた。自分に出せる助け舟などなく、龍の心を軽くするためにできることは、ただこれだけの言葉を並べるしかないのだと分かっていた。

「月ちゃんにまた、会うことができた」

 龍の肩が少しだけ震えた。けれど聞こえた声は柔らかい。

「それだけでいい。君の側にいられれば。僕は離れの部屋から、出ないようにする」
「龍」
「いいんだ。分かってる。僕の外見は、他の人を不安にさせてしまう」

 諦めきった微笑を見て、月子は言葉を紡ぐことができなくなってしまった。
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