第12話 芸

文字数 2,005文字

「なんとこの二人、水の中で軽く小一時間、息を止めたままでいられるのです!」

 司会の言葉に、客たちは隣り合った者同士で、「うそだぁ」「まさかね」などと驚きの感情を共有し始める。

「小一時間? そんなに? 死んじまうよ」
「ほんとに出来るのか?」

 背中をつついてくる幼馴染に、月子は振り返った。

「私も初めて見るんだもん」

 知らないよ、と言いつつ、月子は確信していた。

――死ぬはずないじゃない

 姉弟はこの村は初めてだが、巡業自体は初めてではないのだ。既に何度もこの芸を客に披露してきたと言っていたし、彼らの語った出自が真実であることを、月子は疑っていなかった。

 水音が聞こえて、二人がタライに顔をつけたのがわかった。
舞台の上に視線を戻し、月子はその光景を見守った。

「ただ待っているだけでは退屈なので、時間を計る傍らで歌いましょうか」

 司会の男の明るい声と共に、楽器を手にした数人の芸人たちが舞台に出てくる。
陽気な音楽に、客たちの手拍子が重なっていった。

 タライに頭を突っ込んだまま、緋奈も龍も基本的に微動だにしない。
時折背中を芸人達につつかれると、片手を上げて手を振って見せる。その動きには、少しも苦しそうな様子はなかった。

「うそだろ……」

 どよめく克輝と友人の声が聞こえる。

「龍。緋奈ちゃん」

 二人の名前を呼んだ月子の小声は、手拍子と楽器の音に掻き消されて、誰にも聞こえなかっただろう。

「はい! そこまで。小一時間とまではいきませんが、もういいでしょう。ちょうど十五分が経ちました。皆様、よろしいですね?」

 司会の男の合図と共に、楽器の音が止む。観客たちの反応に目を走らせ、司会者は大きく頷いた。そして彼は、相変わらず水の中に頭を入れたままの二人の背中を、トントンと軽く叩いた。

 顔を上げた姉弟の表情に、観客達は皆キョトン顔だっただろう。

「……本当に息、止めてたのか?」
「確かに顔も髪も濡れてるけど」

 水から顔を上げた直後、大きく空気を吸い込むこともせず平然としている。緋奈は微笑み、龍は無表情のままだ。タライに顔をつける前と、何一つ変わらない顔が二つ並んでいた。

「手品か何かとお疑いですか?――仕方ないなぁ。では最前列のお兄さん方、ほらアナタとそちらのアナタ。タライを確かめて御覧なさい」

 指名された客の男が二人、司会者に促されるまま、たった今姉弟が顔をつけていたタライを確認し始めた。

「いや、どこにも……仕掛けはないみたいだ」

「水を捨ててみます?」

 空っぽの桶が運ばれてきて、その中に水を移す。指名された客の他にも数人が席から立ち上がり、前方へ集まってきた。

「俺たちも行こう!」

 克輝たちも立ち上がり、行ってしまった。背の低い月子からは、すっかりタライは見えなくなってしまったが、彼女は気にしなかった。

――仕掛けなんて、あるわけない

 その時、舞台の上の龍と目が合った。
月子がそうと分かったのは、彼の目が大きく丸められたからだった。舞台の上でひたすら硬いままだった龍が、この時初めて表情を動かしたのだ。

――びっくりしたかな。今日見に行くこと、そういえば話してなかった

 もし自分が見に行くことを伝えていたら、もう少し緊張をとかしてあげることが出来たかも知れない。後で帰ったら、謝っておこう――月子がそんなことを考えた時だった。

「わあぁ!」

 舞台近くにいた観客から、叫び声が上がった。

「化け物!」

 戦慄を叫ぶその声に、同じような叫び声が続く。まるで将棋倒しが起こるように、一つの恐怖がどんどん伝播していった。

「お静かに! 落ち着いてください、お客さん」

 こんな客の反応には慣れているのだろう。司会者と楽器を手にした芸人達は、悲鳴を上げて慄く一部の客達を、陽気な音楽と共に席へ誘導していった。

 月子は黙って、その様子を見守った。

 突然発生した観客たちの恐怖の原因――それは舞台上にあった。

「龍」

 おそらく月子の声は、喧騒の中で彼の耳には届かない。

 濡れた顔と首を拭くためか、それとも当初からそれを見せる目的があったのか――――龍は身につけていた白い開襟シャツを、脱ぎ捨てていた。

 上半身裸になった、彼の首から背中。

そこにあったのは、月子が彼と出会った日から一日と欠かず見せてもらっていた、あの美しい極彩色の鱗ではなかった。

「これが彼ら、出雲姉弟(いずもきょうだい)が龍神の血を引く、確固たる証拠!」

 緋奈は長いスカートを、膝下まで捲くりあげていた。相変わらず薄く笑みを浮かべたまま。月子は思わず、唇を噛んでいた。

「蛇だ」

 戻った克輝が、空席になっていた月子の隣で呟いた。
返事を返さず、月子はただ姉弟に視線を固定している。

――かっちゃんは正直者だ

 蔑むために口にした表現ではないことを、月子はよく分かっていた。

 美しかったはずの彼らの鱗は、艶のない黒と灰、そして土色の三色が規則的に並ぶ、さながらシマヘビのような模様を身体の上に作っていたのだ。

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