散水 (7)

文字数 2,445文字

 ノパルはひじょうに大きくて肉厚で、りっぱなのが採れた。籠に入りきらなくて、少し削らなくてはならなかったほどだ。
 オブツーサの群生もぶじだった。アイシャが砂を手でそっとかきわけると、黒水晶のようにつややかな株があらわれた。ふくらんだ三角錐の頂のまわりにだけ色素がなくて、透きとおっている。〈窓〉と呼ばれる部分だ。かたむいた日の光を吸いこむようにして輝いている。
 あまりに綺麗で、食べるのが惜しいほどだ。

「わたしたちの村にそっくり」アイシャは感嘆のため息とともに言う。「これ見るといつもそう思うんです。思いませんか?」
「そうだね。たしかに」
「もちろん人間のほうがオブツーサをまねたに決まってるけど」
「そうだね」
 村はオブツーサの葉のひとつということだ。三角錐ではなくつりがね型だが、天窓のところだけ地表に出して、あとはすっぽり地下に埋めこまれている。
 天窓は、遮熱ガラスでできていて――
「あの窓を作った人、本当に偉いと思うんですよね」
 そう言ってふりかえると、レイは沈んだ顔をして考えこんでいる。

 アイシャの視線に気づいて、はっとわれに返ったらしかった。
「ああ。そうだね」

「ノパルは良いのが採れたから」自分をふるいたたせるように言っている。「このオブツーサを掘ったら、あとはトゥヤを探そうか」
「はい」
 トゥヤはノパルの果実だ。赤から黄までのさまざまな色に色づく。完熟したピタヤほどの糖度はないが、香りがよくておいしい。夏のあいだだけのごちそうだ。

 このまま楽しいことだけに集中したほうがいいのか。
 それとも、レイが言いたそうにしている何かを、聞いてあげたほうがいいのか。

 オブツーサを掘り起こしながら、レイの横顔をそっとうかがうアイシャだ。

「わたしは」ぽつりぽつりと、話しだしてくれた。「アイシャが心配しているようなことは、たぶん、しない」
「そうなんですか?」
「教師は辞めると思うけれど、司書は続けていいと村長も言ってくれた。
 わたしは臆病だから。
 村を出ていく勇気などないよ」

 それだけでじゅうぶんだ。嬉しくてちょっと泣きそうになるアイシャだが、黙って次の言葉を待つ。

「あまり、いろいろ、話すと」どもっている。「きみまで巻きこむことになって、申し訳ないと思って」
「かまいません、わたしは!」手の中のオブツーサを握りつぶしてしまいそうになるアイシャだ。「先生のお力になれるなら。聞くだけでも」
「アイシャの気もちは嬉しいけれど、その、わたし、なんかじゃないほうがいいのではと」
「何がですか」
「きっと他に、申しこんできた人がたくさんいたでしょう?」
「五人断りました」
「やっぱり」
 そのうちの一人はルディロで、意外だったし論外でもあったんだけど、いまはその話はどうでもいい。

「何から話そう」どうしてこんなに哀しそうなんだろう。「誰にも言わないでほしいんだけど。言わないでくれると思うけど」
「言いません」
「本当は……こっそり村を出ようかと思ったことはあった」
 かっと血が昇りそうになる。「いつ?」
「何度か」

「本を……
 全部は、無理にしても、持てるだけ持って逃げようかと」

 絶句するしかなかった。
 何を考えてるんだろう。
 変わった人だとは知ってたけど、ここまでとは思わなかった。どこからそういう発想が? 公共のものを持ち出すなんて極悪すぎる!
「もちろん夏に入る前、春のあいだに」けんめいに言っている。「一昼夜歩けばとなりの村に着くんじゃないかと。〈交流会〉のときに中間地点までは何度か行ったから……でも勇気が出なくて」
「出なくてよかったです。どうしてそんなこと?」
「見てしまって」
「何を?」
「自警団の人たちが……録音、済みの、チップを」どもっている。「わたしの作じゃない、もっと重要な文献を、除籍本、だと言って。廃棄品だと」
「なにそれ! 捨てようとしてたんですか? ひどい」
「違うんだ」

「槍の、穂先に」
「は……?」
「槍の穂先に、しようと」

 顔をおおって、体をふるわせている。自分の両手を切り取られても、この人はここまで苦しみはしないんじゃないだろうかとアイシャは思った。
「黒曜石を。あの貴重な本の数々を。使い捨ての、凶器に。
 ゲイラ対策だと言って。
 ゲイラに槍で、勝てるわけがないじゃないか。あの巨大なかぎ爪に。
 狂ってる。最悪の悪手だ。
 アイシャも知ってるよね、ゲイラはへたに傷つけると血の臭いに興奮して、ますます狂暴になる。
 だけどあの人たちは言うんだ。受け身ではいけないと。ただ耐えてやり過ごすだけじゃなくて、こちらから打って出ないといけないと。ゲイラの場合ただ耐えてやり過ごすのが最善の、唯一の策じゃないんだろうか? 〈何かせずにはいられない〉という気もちに負けちゃだめだと思うんだ……
 だけど、わたしなんかが言っても、誰も聞いてくれない。鼻で笑われるだけだ」

「わたしたちの巣がゲイラにまだ見つかっていないのは、奇跡じゃないんだろうか?
 みんな――もちろんわたしも、その恐怖を呼吸しながら生きることに、もう慣れてしまって、忘れかけているけど」

「ごめんね」水から上がった人がつくような大きな息を、レイはついた。「せっかく気もちのいい夕方なのに、こんな話をして」
「いいえ」
「行こうか。トゥヤを採りに」
「はい」
「聞いてくれてありがとう」
「わたしこそ、聞かせてくださって、ありがとうございました」そう言うのがせいいっぱいだった。泣きそうで。「先生」
「うん?」

「となりの村に行けば、この話、信じてくれる人がいると思いました?」
 レイはうつむいて、黙っている。

「いるかもしれないけど、いないかもしれませんよね。ゼロかも。
 ここには、少なくとも一人いますから。
 わたしが」

「ありがとう」

 思いきって両手を取ると、握り返してきた。
 相手の目に浮かんだ表情を見て、アイシャも気づく。
 いつのまにか――

「アイシャ」驚いたようにつぶやいている。「背がのびたね」

 いつのまにか、先生の目が、わたしの目と同じ高さにある。
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