散水 (8)

文字数 1,629文字

 トゥヤも良いのがいくつか採れた。毎度のことながら、レイのブーメランの腕に感心するアイシャだ。日頃は本の虫なのに、こうして戸外では意外な一面を見せる。
 どちらも、集中力、ということなのかもしれないが。
 いっぱいになった籠を背負って、帰路につく。

 途中、紅葉しているノパルを見て、二人で顔を見あわせた。
 根もとを掘ると、はたして大量のカイガラムシがついている。特有の甘い香り。これだけあれば服一着分は染められる。
 夢中で集めて、一枚よぶんに持ってきていたスカーフに包む。
「成人式が楽しみ」レイが微笑む。「濃い赤に染まるといいね。似合うと思うよ」
 心の中を言い当てられて、アイシャはどぎまぎする。
「わたし一人の服に染めていいんでしょうか。許されるかな」
「もちろん」
「でもラナに申し訳ない」今年成人を迎えるのはアイシャとラナの二人だ。
「大丈夫。不寝番の役得」
「そう?」
「二着を半分ずつ染めたりしたら中途半端でしょう。式の後は村のワードローブに納めるんだし、ラナもわかってくれると思う」

 見あげると、レイの肩越しに、名もないサボテンの花が一輪咲いている。淡い黄だ。
 アイシャは立ちあがって花をつみとり、黙ってレイの髪にさした。
 レイはかるく目を見開いたが、そのままじっとしている。

「レイ」思いきってアイシャは言った。「結婚してください」

 宵の星がひとつ、またたきはじめている。

「一度でいいです」自分の声が意外に落ちついていることに、アイシャは驚いていた。「来年以降も更新してほしいなんて言いません。今年かぎりで。
 あなたには心から感謝してるんです。わたしの人生を開いてくれた。生涯、忘れられない人です。だから……
 わたしの門出を祝うと思って、一度だけ」

「アイシャ」
「はい」
「わたしは、不器用だから。結婚は……更新していける人と、したいと思っていて」
「ですよね」アイシャは唇を噛んだ。ああ。やっぱり。瞬殺か。「ごめんなさい」
「だから、一度だけなんて言わないでほしい」

「え」

「え何、なにそれ。どゆこと?」
「どういうことって」こまった顔をしている。
「えええ???」

「でもねアイシャ。あの、いったん落ちつこうか。座って」
「座ってなんていられません!!」
「本当にわたしでいいのか、もう一度、よく考えたほうが――」
「何を考えろと言うんですか」
 仁王立ちになってアイシャは叫んでいた。
「これ以上、何を考えろと。寝ても覚めてもあなたのことしか考えられないのに」

 レイの腕を取って立たせた。そのまま両ひじをつかんで引き寄せる。
「キスしていいですか」
「待って。まだ」
「はい」
「話を聞いて」
「はい」
 この人の話は長いからな! どれだけ待たされるんだろう?

「わたしは、要注意人物なんだよ?」弱々しく微笑むレイだ。「こんなに気が小さくて、無害、なのに、一部の人たちにはにらまれてしまっている。わたしの……考えが、自分たちの世界観に合わないからと言って」
「知ってます」
「わたしと結婚なんかしたら、アイシャもにらまれることになる」
「かまいません。わたしもすでに要注意人物だと思う。わたしがあなたに夢中なことは、みんな知ってるから。うちの親も」
「それがつらくて」
「わたしもつらいけど、しかたないです。あなたから教わったことを、いまさら心から消せない」
「まだ全部は聞かせてない」
「そうなの? とにかく、わたしは信じてます。正しいとしか思えないから」
 まつ毛を伏せたレイは苦しそうだ。なんとかしてやりたいと思うが、どうしたらいいのかわからない。

「〈巨人族〉の本、アイシャが持っている?」
「ああごめんなさい。ずっと借りたままでした」
「いいんだ。持っていて。もし返すときは、棚じゃなく、わたしに直接返して」
「わかりました。いったん非公開にするんですね」胸が躍る。秘密を共有する喜びと、不安。
「座ろうか」
「はい」
 ひじをつかんだまま座る。この夏ずっとこの人と過ごしているけれど、こんなに近づいたのは初めてだ。
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