来訪 (6)

文字数 674文字

「洗った?」と訊くとうなずく。「消毒した?」と訊くとうなずく。
「できるだけのことはした」と言う。
 発症するまで、感染しているかどうか知る手立てはない。

「体調は?」
「ふだんどおり」
「でも」つかんでいる手が熱いような気がする。「熱?」額にふれると、やはり少し熱い。
「これは違う」苦笑している。「さっきまでちょっと、(こん)詰めて作業してたから」
「何」
「本の整理」

 思わず突きとばしそうになった。
「いま? いまそれやる?
 体力温存しないとでしょう?!」
 アイシャののどから絶叫に近い声が出る。

「大丈夫」淡々と言うレイだ。「人から人へはうつらないから、アイシャは心配ない」
「そうじゃなくて!!」
「もしわたしが感染していたら、わたしの血からワクチンを作るといい」
「そうじゃなくて──」

 はっとしてアイシャは立ち上がる。そうだ、ワクチン。貯蔵庫にフリーズドライして保存してある乾燥ワクチンの種。
「待ってて」
 駆けだした。背中にレイが何か呼びかけてきた。もう、見た、と言ったような気がするが、そのまま走る。
 暗い階段を駆け降り、はしごを降りる。

 土壁に掘りこまれた棚の扉が半開きになっている。
 息をはずませて開けたアイシャは、声を失った。

 棚は、からだった。

 念入りに何度も拭いた跡がある。おそらくはアルコールで。
「除菌済」を示す赤いはぎれが貼られている。
 誰かが、あの貴重な種を、
 不潔なごみと思いこみ、
 処分してしまったらしい。

 悪意より──
 善意が。
 無知と誤解にもとづく善意、自分の正義を疑おうともしない善意のほうが。

 時として、はるかに大きな惨事をもたらす。
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