散水 (10)

文字数 1,862文字

 急激に気温が落ちてきて、帰りをいそいだ。
 村の玄関をくぐって、二人してほっとする。
 最上階、つまり地下一階の玄関ホールはがらんとしている。ここは空調室だから物は置かない。日中に熱された空気をためておいて、夜のあいだ各部屋に送る。かわりに冷気を回収し、それが昼間の涼しさを保つ。
 外から帰ってきてそのホールの暖気に包まれ、からだが和らいでいくのがわかった。寒がりのレイが冷えた手をこすっているのがおかしくて、両手をとり、袖の中に引き入れた。
「温かい」
「わたしは体温が高いんです」
 そのまま、もう一度唇を合わせる。

 採ってきた食材を置きに貯蔵庫へ向かう。ついでに地底湖まで降りて、水を汲んできておこうということになる。
 水には満天の星が映っていた。びっしりとちりばめられた小粒の光たち。二人して天窓を見上げる。
 夜空はあまりに澄みきっていて、痛いほどだ。

「ホモ・サピエンスたちも、こんな星空を見たんでしょうか」
「だといいね」

 思わず、ひざまずきたくなる。
 何に対してかはわからないが。

「まだ、あの答えを訊いてませんでした」ふと思いだしてアイシャは言った。
「何の?」
「女らしいのがいいか、男らしいのがいいか」
「答えたよ」レイが笑う。「アイシャが好きなほうにしたらいいと言った」
「だからレイはどっちが好きかって」
「どっちでも、アイシャならわたしは好きだ」

「初めて」びっくりして舌を噛みそうになるアイシャだ。「初めて、好きって言ってくれましたね」
「そう? 言ってなかった?」
「なかった。もう一度言って」
「言わない」
「なにそれ!」
「ははは」

 身をかがめて水を汲むレイの背中を、アイシャは見つめていた。
 近づいて、その背中に、そっと自分のからだを押しつけた。
「アイシャ」レイの声がかすれている。「だめだよ。成人式までは」
「わかってます」
(当たってる)

 体温が伝わってくる。鼓動も。

 こうしてくっついているだけで、こんなに気もちいいのなら、
 本当に〈からだを合わせ〉たら、いったいどうなっちゃうんだろう?
 想像しただけでくらくらしてしまうアイシャだ。

「あのね」
「うん?」
「ホモ・サピエンスたちにも〈男らしい〉〈女らしい〉っていうのは、あったんですよね?」
「うん。地域によって多種多様なバリエーションが、あった、みたいだけどね」
 まじめにしゃべろうとけんめいに努力しているレイのようすが、おかしくてたまらない。アイシャもまじめくさって言ってみた。レイの背中に寄りそったまま。
「それ、選べたんですよね、〈男らしさ〉や〈女らしさ〉。個人に選択の余地はあったんですよね?」
「たぶん。少なくとも、文明の末期には」
「でも、わたしたちほど自由ではなかった?」
「そんなこともないと思うけど」
「だって、あれでしょう。わたしにはどうしてもうまく想像できないんだけど。何て言うんでした? ほら花の、ふつうは、一つの花の中に雌蕊(めしべ)雄蕊(おしべ)があるけど、そうじゃなくて、雌花と雄花が分かれているタイプ」
「どちらが〈ふつう〉ということはないけれどね。分かれているのは、〈雌雄異株(しゆういしゅ)〉」

「その雌雄異株だったんですよね? ホモ・サピエンスたちは」

「ずいぶん、不便だったでしょうね。
 男らしさや女らしさを、個人の、そのときの気もちで選べないなんて」

 ずっと男の子っぽい感じで通してきたアイシャだった。でもあんがい、まわりにはそう見えていなかったかもしれない。しかもそれが女度百パーセントのヨイアへの反発と意地でしかなかったと自分で気づいてしまったので、これからは少し、女の子らしくしてみても面白いかなと思い始めている。
 まずは、成人式の服のデザインだ。どうしよう。
 わくわくする。
 成人式がすんだら、結婚祭の季節だ。

 結婚のチャンスは年に一度。
 からだを、合わせる。
 文字どおり、向きあって、からだを密着させる。恥骨の右寄りに形成される〈(さや)〉がじゅうぶんに育ったら、左側にしぜんと〈花の口〉が開く。おたがいに手でたしかめあいながら、静かに、同時に挿入する。そのまま抱きあって、じっとしている。
 最短で半日。
 インターバルをおいて七日間以上抱きあう人たちもいるらしい。絶頂をむかえたまま眠ってしまい、起きてもまだ続いているなどということもあるらしい。
 受胎の可能性は双方にあるが、受精卵の着床率は高くない。アイシャたちの村のような小規模の集団では、子どもが生まれるのは年に一人か二人。生まれない年もある。亡くなる人も同じくらいの数なので、人口は過去数十年の間ほぼ一定に保たれている。
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