来訪 (3)
文字数 1,408文字
最上階の空調ホールまで駆け上がる。
三十六ある通気口を閉じる。まずロープを引いていっきょに閉じ、それから閉まったかどうか一つずつたたいて点検する。
円形ホールの壁にそって、それぞれ半円をえがいて二人は小走りに進む。
「こっち半分は閉まりました」
「了解。速いね」
最後に幕を引いて天窓を覆う。ギメイはゲイラのように目視して襲ってくるわけではないから、天窓を隠す必要はないのだが、念のためだ。
ホールは薄暗くなる。
見るからに醜悪で、憎悪と敵意をかきたてられずにはいられないゲイラ――村を覆いつくすほどの巨大な体躯、毛のない翼(骨が透けて見える)、ひびわれた岩石のような脚、そしてあのおぞましいかぎ爪――とは違って、
ギメイは美しい。
ほとんど愛らしいと言ってもいい。知能も高い。飼いならしてペットにしている村さえあるらしい(ひざや肩に乗るという。本当だろうか)。柔らかい毛並みはたいてい保護色の赤褐色だが、ときおり白茶の斑入りや純白、漆黒の個体もいる。尾は体長とほぼ同じ長さでふさふさ。
野生のギメイはふだん十数匹の家族単位で岩陰に棲んでいて、人間がサボテン狩りの途中で出くわしても興味深そうに見つめ返してくるだけで、襲ってはこない。後ろ足で立ち、前足で顔をくるくるとこすって、きょとんとしている。そんなときのギメイはたまらなく愛くるしい。
それが、乾期の終わりごろ、決まって狂暴化する。
ウイルス由来の現象らしいが、詳しいメカニズムは不明だ。数百匹、ときには千匹以上の大集団をなして移動を始めるのだ。どこへ向かうのか、どこでどうやって合流するのか、いまだにまったくわかっていない。
だが、発症したギメイはひと目でわかる。げっ歯動物特有の白い前歯をむき出し、まばたきをせずに走る。ひたすら走る。障害物に突き当たって傷ついても、そのまま血をだらだら流しながら疾駆しつづける。ゲイラと違って人間を捕食はしないから、かれらの視界に入らないようにやり過ごしさえすれば危険はない。ないのだが――
万が一、噛まれた場合、唾液から人間にも感染する。
「レイ」
「うん?」
いま二人は、円形ホールの両端に離れ、壁にもたれて立っている。両端というのは、予測されるギメイの進路に対して直角にとった円の直径の両端だ。
手には槍。腰帯に噴射器を吊る。
この壁は〈ささやきの壁〉と呼ばれる。壁にもたれて小声で話すと反対側まで聞こえるからだ。こつこつと壁をたたくと耳の近くでたたかれたように響く。計算し尽くされたカーブであるらしい。
「考えたんですけど」
「どうした」
「前は」地上の動きを聞き逃さないよう、声を押し殺し、短く切って話すアイシャだ。「ホモ・サピエンスたちが。滅びたのは。ギメイのせいかも。と思ってました」
ふふ、と笑う声が壁を伝ってくる。
「ゲイラの意図はわかる」とアイシャ。「やつらはわたしたちを食いたい。だからまだ備えようがある。
でもギメイは」
「わからない、というのは、恐怖のもとですね」
「しっ」
たしなめられて、槍を握りなおした。手のひらが汗ばんでいる。
「ギメイのいちばん恐ろしいところは」ささやき声が返ってきた。「可愛いところだ」
「なるほど」
「心を奪われないようにね」
「はい」
こつこつ、と音が回ってきた。通信終了の合図だ。こちらもこつこつと返す。
地鳴り、というのか。
大群が近づいてくる。
いや、
すでにいま、通りすぎつつある。
三十六ある通気口を閉じる。まずロープを引いていっきょに閉じ、それから閉まったかどうか一つずつたたいて点検する。
円形ホールの壁にそって、それぞれ半円をえがいて二人は小走りに進む。
「こっち半分は閉まりました」
「了解。速いね」
最後に幕を引いて天窓を覆う。ギメイはゲイラのように目視して襲ってくるわけではないから、天窓を隠す必要はないのだが、念のためだ。
ホールは薄暗くなる。
見るからに醜悪で、憎悪と敵意をかきたてられずにはいられないゲイラ――村を覆いつくすほどの巨大な体躯、毛のない翼(骨が透けて見える)、ひびわれた岩石のような脚、そしてあのおぞましいかぎ爪――とは違って、
ギメイは美しい。
ほとんど愛らしいと言ってもいい。知能も高い。飼いならしてペットにしている村さえあるらしい(ひざや肩に乗るという。本当だろうか)。柔らかい毛並みはたいてい保護色の赤褐色だが、ときおり白茶の斑入りや純白、漆黒の個体もいる。尾は体長とほぼ同じ長さでふさふさ。
野生のギメイはふだん十数匹の家族単位で岩陰に棲んでいて、人間がサボテン狩りの途中で出くわしても興味深そうに見つめ返してくるだけで、襲ってはこない。後ろ足で立ち、前足で顔をくるくるとこすって、きょとんとしている。そんなときのギメイはたまらなく愛くるしい。
それが、乾期の終わりごろ、決まって狂暴化する。
ウイルス由来の現象らしいが、詳しいメカニズムは不明だ。数百匹、ときには千匹以上の大集団をなして移動を始めるのだ。どこへ向かうのか、どこでどうやって合流するのか、いまだにまったくわかっていない。
だが、発症したギメイはひと目でわかる。げっ歯動物特有の白い前歯をむき出し、まばたきをせずに走る。ひたすら走る。障害物に突き当たって傷ついても、そのまま血をだらだら流しながら疾駆しつづける。ゲイラと違って人間を捕食はしないから、かれらの視界に入らないようにやり過ごしさえすれば危険はない。ないのだが――
万が一、噛まれた場合、唾液から人間にも感染する。
「レイ」
「うん?」
いま二人は、円形ホールの両端に離れ、壁にもたれて立っている。両端というのは、予測されるギメイの進路に対して直角にとった円の直径の両端だ。
手には槍。腰帯に噴射器を吊る。
この壁は〈ささやきの壁〉と呼ばれる。壁にもたれて小声で話すと反対側まで聞こえるからだ。こつこつと壁をたたくと耳の近くでたたかれたように響く。計算し尽くされたカーブであるらしい。
「考えたんですけど」
「どうした」
「前は」地上の動きを聞き逃さないよう、声を押し殺し、短く切って話すアイシャだ。「ホモ・サピエンスたちが。滅びたのは。ギメイのせいかも。と思ってました」
ふふ、と笑う声が壁を伝ってくる。
「ゲイラの意図はわかる」とアイシャ。「やつらはわたしたちを食いたい。だからまだ備えようがある。
でもギメイは」
「わからない、というのは、恐怖のもとですね」
「しっ」
たしなめられて、槍を握りなおした。手のひらが汗ばんでいる。
「ギメイのいちばん恐ろしいところは」ささやき声が返ってきた。「可愛いところだ」
「なるほど」
「心を奪われないようにね」
「はい」
こつこつ、と音が回ってきた。通信終了の合図だ。こちらもこつこつと返す。
地鳴り、というのか。
大群が近づいてくる。
いや、
すでにいま、通りすぎつつある。