来訪 (4)

文字数 1,947文字

 雨足のようだ、とアイシャは思う。雨粒が大地をたたく音。
 本当にそうなら。これが恵みの雨なら。
 そうでなくて、残念だ。

 ひたすら、通り過ぎるのを待つ。通り過ぎてしまえばいい。それで終わる。
 しだいに遠ざかっていく雨足に聴き入りながら、あと少し、あと少しとアイシャは念じる。壁にもたれて目を閉じ、顔は天井に向けて。
 あと少し。
(早く)

 槍には自信がある。不寝番の最終候補に残れたのも槍のおかげだ。
 ギメイを殺ったことはないが、甲虫や節足動物の類ならまず外さない。
 ふだんはおとなしいアイシャがほぼ百発百中でしとめるのを見て、試験官の大人たちも思わず、おお、と驚きの声を上げていたものだ。
 そんな自分が――
 そんな自分が、好きではない。
(早く。早く行け)

 本当に謎だ。
 なぜ、ギメイたちが、通り過ぎていかないのかは。

 かれらはわれわれを捕食しない。われわれの食糧貯蔵庫をねらうわけでもない。
 かっと見開いた目は何も探してはいない。
 なのにかならず、
 かならず、
 どこかの通気口を――
 探し当て、

(来た)

 突破して、入ってくる。

 左前方。アイシャのほうが先に到達する。槍をかまえる。
「先に噴射!」
 どなりつけられて、はっと我に返る。一瞬まごついたすきに先頭の一匹が踊り上がった。
 その顎がアイシャの二の腕にとどく前に、レイの放った薬液がギメイの頭部を直撃し、獣は床にころげ落ちた。

 薬液は二種が同時に噴射され、空中で混ざる。空気にふれるとまたたくまに凝固し、ゴム化する。だから鼻孔と口をねらう。気道をふさがれた獣は窒息する。
 槍はとどめを刺すだけだ。しなやかな身をよじってもがき苦しむギメイの頸椎を砕く。一突きですむ。飛散する血液の量を最小限におさえられる。刃物だけで応戦するのとは比較にならない。
 あとはゴム化した固まりを床と服から剥がし取ればいいだけだから、始末も簡単だ。

 レイが噴射しアイシャが突くという分担で十数匹は殺した。
 レイは初めの一匹をしとめた後、すばやく天井に向けて放ち、こじ開けられた通気口をふさいでいた。室内に入りこんだギメイで生き残っているのはあと三匹。
 レイが噴射器を投げ棄てた。空になったらしい。なのでアイシャも槍を捨てて自分の噴射器のピンを抜いた。役割交替。いいペースだ。
 心臓がどくどくと高鳴っている。
 槍で、しとめたかったな、と思っている自分がいる。
 槍だけで。

「アイシャ」最初の一声以来、はじめてレイが口を開いた。
「はい」
「どれからねらう」
 獣は二匹と一匹に分かれ、身を低くしてこちらをうかがっている。ように見える。かれらの瞳に何が映っているかは定かでない。
「二匹のほうから。まとめて」

 二匹はあきらかに身を寄せあっている。つがいに違いない。
 耳の中で響いているかと思うような自分の鼓動とはべつに、頭の芯が冴えわたっているのを感じる。
 つかつかとむぞうさに歩み寄ると、驚いたレイが背後から声をかけた。
「気をつけて」
「わかってます」
 冷静に、正確に噴射する。
 いつもの自分をねじ伏せている強烈な力を感じる。この力も、わたし自身だ。

 仲間をすべて奪われた、最後の一匹が飛びかかってきた。
 狂うはずのない手もとが狂う。打ちそこねた液で手が濡れてすべり、噴射器をとり落とす。
「アイシャ!」
 獣と目が合っていた。全身白。尾と耳の先だけが濃い褐色。
 黒々とした瞳は、澄んでいる。

 牙をよけて、身をかわす。

 狂っている、わけでは、ないんじゃないのか。
 スローモーションで動く世界の中で、自分もゆっくりと身をかがめつつ、アイシャは思う。
 ギメイたちが脳をやられているのはたしかだ。だけど、じつは、発狂しているわけではないのでは?
 いまのわたしと、同じなんじゃないだろうか。落ちついて槍をつかみつつアイシャは思う。この子たちはわかっているんだ。自分が何をしているか。でも、止められない。
 恐怖という名を、この子たちは知らない。だから走って、走って、最後はどうしているのだろう、地の割れ目にでも飛びこんでいるんだろうか。途中で出会ったわたしたちに死にものぐるいで噛みつくのも、本当は――
「アイシャ」
「大丈夫」
 本当は、助けてほしいんじゃないのか。

 止めてほしいんじゃないのか。この恐怖を。絶望を。
 獣に、絶望があるなら。

 槍をかまえたアイシャを見上げて、ちぢこまったギメイは一声、キュッと鳴いた。
 こまかくふるえている。耳の先の柔らかそうな毛がふわふわだ。
 そののどを、突く。

 ひざを折ってくずれ落ちたアイシャを、駆け寄ってきたレイが背中から抱きしめてくれた。
 いやだ、とアイシャは思う。出ない血をかっと吐くようにして、息を吐く。吐きつづける。

 こんなことの、得意な、自分が、いやだ。
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