散水 (6)

文字数 1,691文字

 ぜんぜん眠くないはずだったのに――いつのまにか寝入っていた。
 目ざめて、はずかしくなる。
(またやっちゃった)

 あの人の声のせいだ。もぞもぞ起きだしながらアイシャはうらめしく思う。
(あの声を聞かされてると、どうしても寝ちゃう)
 脳をことさらにリラックスさせる成分が仕込まれてるんじゃないだろうか。

 ふと見ると、そばに新しい服がたたんで置いてある。白の普段着だけれど、広げたら、すそに紅いすり染めの模様があった。
(これ、選んでくれたの?)
 どきどきしながら、まずスポンジをしめらせて体を拭く。拭きながら、そうだ、スポンジもそろそろ新しく作っておいたほうがいいと思いつく。あとで淡水海綿の生け簀に行って、手ごろな大きさに育ったやつを一つ二つ採ってきておこう。それと、貯蔵庫からキク芋も明日の分を出してきて、水にさらしておく……

 着替えて、レイを探したら、台所で水筒を用意していた。出かけるので長い髪を後ろで束ねている。ふりかえって、微笑む。
「水筒は一つでいいと思わない?」
「思います」アイシャも賛成する。「こないだノパルの近くにオブツーサもけっこうありましたよね」
 ノパルもオブツーサもともに食用にできる多肉植物だが、正確に言うとノパルはサボテンで、オブツーサはハオルチアだ。うちわのように丸くて平たい葉がにょきにょき生えるノパルにくらべて、オブツーサは丈が低く、ほとんど砂に埋もれるようにして生えている。ぷっくりふくらんだ三角錐の葉にたっぷり水分をたくわえている。のどが渇いたらオブツーサを掘り出して、しぼって飲めばいい。荷物はできるだけ少なくしておくにかぎる。
「でも万が一」とレイ。
「何か異変があって」とアイシャ。「オブツーサが全滅してたら困るから? そのときのための水筒でしょ? ほんと心配性なんだから」
「万が一ということがあるから」
 そう言いつつ、自分でも笑っているレイだ。

「似合ってる」
「何が?」
「服」
「あ」
 礼を言うのが遅れた。アイシャはどぎまぎする。「ありがとうございます、これ……」
「気に入った?」
「はい」
「よかった。服、短くなっちゃってたから、着替えたほうがいいと思って出してきた」
(気がついてくれてたんだ)
 服は、村の共同のワードローブから、好きなのを出して着ていい決まりだ。着終わったらきれいに洗って乾かして返す。そのときの気分や体型に合わせて自由に選べばいい。

「アイシャはきれいな子なんだから」そう言って、にっこりされた。「もっとおしゃれするといいよ」
(うそ! 何それ?)
 心臓が飛び出しそうになる。
 わざとそっけない服を着たり、夏に入る前に髪もばっさり切ってしまったりしたのは、あのヨイアがあからさまに〈女らしさ〉をふりまいているのが嫌でたまらなくて、それへの反発だった。自分はあんな不純な人間じゃないと周囲に、というかレイにアピールしたかったんだけど、まさか、もしかして、早まった? ばかなことした?
「行こうか」
 籠を背負い、階段を昇りはじめる。その背中に訊きたい質問が、頭の中をぐるぐると駆けめぐる。
(なんか今日、優しいですよね)
(それって)

(うしろめたいからですよね)

「先生」
「だから、先生じゃな――」
「どっちが好きですか先生は」つい食い気味になってしまうアイシャだ。
「どっちって?」
「男の子っぽいのと、女の子っぽいのと」

「いや、その」いつも以上にこまった顔をしている。「アイシャが好きなほうでいいんじゃない?」
「先生の好みを訊いてるんです」

「わたし、夏が明けたら、十五になるので」ああこんな大事な話、籠しょって歩きながらする予定じゃなかったとアイシャは思うが、いまさら止められない。
「ああ、うん」
「成人式なので」
「うん。おめでとう」
「わたしの初めての、……は、先生にもらっていただこうと決めていて」
「それいま籠しょって歩きながらする話じゃないからね」向こうから言われた。「とりあえず、ね、ほら、ノパル採ってこないと」
「ですよね」

 もう、どうしてこうなっちゃうんだろう! と唇を噛みながらアイシャは思う。
 何もかもこの人のせいだ。わたしが悪いんじゃない。
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