来訪 (1)
文字数 1,398文字
その日も、朝は、いつもどおりの朝だった。
水をくばり、気をくばる。二号室と十四号室にはとくに注意をはらう。
十四号室にはシャイマ長老が眠っている。村の最高齢で、八十二歳だ。平均寿命が四十代半ばという中にあって、ときおりこういう強靭な人があらわれる。肉体的にも、精神的にも。
昨年、長老はまわりの制止をふりきって不寝番をつとめた。その後も「危険な任務こそ老い先短いわれわれが率先して担うべきだ。どうせ死ぬんだから」などと言いはって、皆を困らせている。
村の宝だ。
二号室にはリンが眠っている。
リンのおなかはようやくふっくらとめだってきた。この夏唯一の出産予定者だ。三十五歳。リンにとっては三人目の赤ちゃん。
もともとリンとレイの二人が不寝番に選ばれていたのだが、夏眠に入る直前になってリンの妊娠がわかり、急遽アイシャが抜擢された。「しっかりね」と微笑みかけてくれたときと変わらない、柔らかい花のような笑顔でリンは眠っている。この寝顔を見るたびに、ほんとにしっかりしなくちゃ、とアイシャは気を引きしめる。
リンの隣では、今シーズンのリンのパートナーであるケイシャが、同じくらい幸せそうな顔で寝息を立てている。
家畜小屋もチェックした。
ヒツジたち、よく眠っている。
ヒツジは人間が改良した家畜の中でも、もっとも賛嘆すべき生き物だとアイシャは思う。人間といっしょに夏眠に入ってくれるから、まことに都合がよい。人間と同じ入眠剤の注射が効く。
アイシャはヒツジが大好きだ。真っ白で、美しい。ときおり首をかしげるようすが愛らしくて、ひょっとしたら心が通じてるんじゃないかと思うことさえある。抱きかかえるとすべすべで、ひんやりして、頬ずりしたくなる。
クワの若葉しか食べないから、ヒツジの糞は臭くない。クワは一年草の水草で、春になるといやというほど生い茂る。せっせと刈り取らないと水がにごってしまう。だからヒツジがどんどん消費してくれるのはありがたいのだ。
孵化 してから四回、ヒツジは脱皮する。抜け殻は透明で柔らかく防水性に富むため、さまざまな用途、とくに医療関係(点滴薬を入れるなど)に用いられる。
じゅうぶん大きくなるとクワを食べなくなり、からだが透きとおってきて、うろうろ歩きまわるようになる。そういう子は抱きあげて箱に入れてやると落ちついて、繭を作りはじめる。
小さな口からもぐもぐと、あの夢のように美しい絹糸を吐き、自分のまわりに純白の幕をめぐらせていく。
一度、ホモ・サピエンスたちの牧羊の記録を読んで驚いた。繭ごと大釜にほうりこんで中のさなぎを煮殺し、糸だけ巻き上げていたという。熱湯の表面でくるくる高速回転している大量の繭の映像を見て、アイシャは衝撃のあまり貧血を起こした。アイシャたちはそんな残酷なことはしない。眠っているヒツジたちを起こさないよう、繭の表面を湿らせては、少しずつ、糸を巻き取らせてもらうだけだ。
ぎりぎりまで薄くなった繭を、最後に成虫が食い破って出てくる。全身真っ白でもふもふ。胴体も羽ももふもふ。くりっと大きな目が真っ黒で、もう可愛すぎて抱きしめずにいられない。
食い破られて穴があいてしまった繭の残りは、ほぐして真綿にする。
三頭から少しずつ、今日の分の糸を巻き取って、アイシャは家畜小屋を出た。
司書室にレイがいないので探したら、工房にいた。
ろくろを回している。
水をくばり、気をくばる。二号室と十四号室にはとくに注意をはらう。
十四号室にはシャイマ長老が眠っている。村の最高齢で、八十二歳だ。平均寿命が四十代半ばという中にあって、ときおりこういう強靭な人があらわれる。肉体的にも、精神的にも。
昨年、長老はまわりの制止をふりきって不寝番をつとめた。その後も「危険な任務こそ老い先短いわれわれが率先して担うべきだ。どうせ死ぬんだから」などと言いはって、皆を困らせている。
村の宝だ。
二号室にはリンが眠っている。
リンのおなかはようやくふっくらとめだってきた。この夏唯一の出産予定者だ。三十五歳。リンにとっては三人目の赤ちゃん。
もともとリンとレイの二人が不寝番に選ばれていたのだが、夏眠に入る直前になってリンの妊娠がわかり、急遽アイシャが抜擢された。「しっかりね」と微笑みかけてくれたときと変わらない、柔らかい花のような笑顔でリンは眠っている。この寝顔を見るたびに、ほんとにしっかりしなくちゃ、とアイシャは気を引きしめる。
リンの隣では、今シーズンのリンのパートナーであるケイシャが、同じくらい幸せそうな顔で寝息を立てている。
家畜小屋もチェックした。
ヒツジたち、よく眠っている。
ヒツジは人間が改良した家畜の中でも、もっとも賛嘆すべき生き物だとアイシャは思う。人間といっしょに夏眠に入ってくれるから、まことに都合がよい。人間と同じ入眠剤の注射が効く。
アイシャはヒツジが大好きだ。真っ白で、美しい。ときおり首をかしげるようすが愛らしくて、ひょっとしたら心が通じてるんじゃないかと思うことさえある。抱きかかえるとすべすべで、ひんやりして、頬ずりしたくなる。
クワの若葉しか食べないから、ヒツジの糞は臭くない。クワは一年草の水草で、春になるといやというほど生い茂る。せっせと刈り取らないと水がにごってしまう。だからヒツジがどんどん消費してくれるのはありがたいのだ。
じゅうぶん大きくなるとクワを食べなくなり、からだが透きとおってきて、うろうろ歩きまわるようになる。そういう子は抱きあげて箱に入れてやると落ちついて、繭を作りはじめる。
小さな口からもぐもぐと、あの夢のように美しい絹糸を吐き、自分のまわりに純白の幕をめぐらせていく。
一度、ホモ・サピエンスたちの牧羊の記録を読んで驚いた。繭ごと大釜にほうりこんで中のさなぎを煮殺し、糸だけ巻き上げていたという。熱湯の表面でくるくる高速回転している大量の繭の映像を見て、アイシャは衝撃のあまり貧血を起こした。アイシャたちはそんな残酷なことはしない。眠っているヒツジたちを起こさないよう、繭の表面を湿らせては、少しずつ、糸を巻き取らせてもらうだけだ。
ぎりぎりまで薄くなった繭を、最後に成虫が食い破って出てくる。全身真っ白でもふもふ。胴体も羽ももふもふ。くりっと大きな目が真っ黒で、もう可愛すぎて抱きしめずにいられない。
食い破られて穴があいてしまった繭の残りは、ほぐして真綿にする。
三頭から少しずつ、今日の分の糸を巻き取って、アイシャは家畜小屋を出た。
司書室にレイがいないので探したら、工房にいた。
ろくろを回している。