第8話 内申点が欲しい

文字数 1,912文字

 私の最終学歴は
「私立T大学音楽学科教育学部卒業」だ。

 K子が「私立T高校」に合格し、万が一高校の推薦枠で大学にも入ることが出来れば、私たち親子は「同窓生」と言うことになる。夢のような話だ。私はうっとりとため息をついた。
 とにかく、今は目の前の目標である中学卒業と、高校受験に焦点を絞って頑張ろう。
 担任の先生もT高校美術科の受験には、1も2もなく賛成してくれた。
「K子ちゃんにとって、素晴らしい環境ですね」
このまま公立の普通高校に進んでも、弱肉強食のサバンナのようの環境は改善されない。

 受験には単願と言う方法がある。少子化が進む今、私立高校の単願はよほどのことがなければ合格が可能だ。T高校の場合、内申点は平均で5段階評価の3.2以上をキープすれば良いのだが、社会と数学の点数がずば抜けて低いK子の場合、他の教科で高得点を取る必要がある。美術は4か5の評価が貰えると思う。先日持ち帰った版画は、素晴らしかった。近未来の森に佇む独りぼっちの少女、傍らで食虫植物が見守る。
 でも、美術だけでは足りない。
 
 高額な家庭教師にすべて頼るわけにはいかないので、数学以外は、私が教えた。中学の勉強なんて私の中学時代とほぼ同じ、私だって元受験生だ。教育学科卒業の私は音楽の教員免許だって持っている。音楽の免許など受験勉強の役には立たないが、そう思って自分を鼓舞した。
 子供達が学校に行っている間、K子の本棚から教科書を引っ張り出して勉強する。
 英語の教科書は、ケンとロバートがマオとダニエルになり、白黒の殺風景なページはカラフルなマンガで見易くまとめられていた。題材も、環境問題、差別、偉人の生い立ち等、興味深いものが多い。立場を忘れ、つい見入った。
 私は、ヤマ当てが得意だった。幸いなことにK子はスペルだけはスイスイと覚える。発達障害は記憶力に優れているらしい。文法はこの際割愛し、例文にヤマをはって片っぱしから英文と和訳を暗記する作戦をとった。
 これがうまく行き、テストで高得点をマークしたK子は「出来る」と思い、波に乗って勉強を続けた。英語の成績はふわふわと上昇したのだ。
 人の頭は「分かる」と思うとドアが開き「分からない」となると閉じてしまう。K子は、この現象が顕著に当てはまっていた。
 歴史に関しては、どんなにノックしても大脳のドアを開けることが出来なかった。一緒に大河ドラマを見たり、事あるごとに「なくようぐいすー」「いいくにつくろうー」等と呪文のように唱え啓発活動を続けたが、ドアは閉ざされたまま。惨憺たる成績だった。
「K子ちゃんの頭の中には、いろんな物質がチカチカと出て、集中を邪魔するんです」H大医学部の綺麗な先生はそう教えてくれた。
 線香花火のように、チカチカと光るイルミネーションに目が眩み、ドアを開けようとする私の言葉が遠のいていく。
 そんな空想が浮かんだ。K子のような子たちは、人には分からない見えない苦労を背負って産まれてきたのだろうか。
 
 大金を投じた数学だが、やはりあまり良い点数は取れなかった。
「…先生が居なければ、きっともっと酷い点数だった」そう思って納得することにした。
 3月、花のような先生は大学を卒業し、重症の発達障害児の訓練にあたる作業療法士として、新しいスタートを切ったのだった。

 次の先生にはプロ教師を申し込んだ。何とかして数学の点を取りたい。
 今度は、眼鏡をかけ、無雑作に髪を結び、地味な色のスーツを着た、私が最初に想像した通りの女性が派遣された。なんだかホッとした。
「よろしくね、K子ちゃん。一緒に頑張りましょうね。お母様、どうぞよろしくお願いいたします。交通費は往復440円でございます。」
 帰りは車でお送りします、と伝えると、「あ、左様でございますか、大変助かります。ありがとうございます。では早速授業に入らせていただきます。K子ちゃん、お勉強机はどこかな。」
 早々に部屋に案内した。随分と若く、就活中の学生さんのようにも見える。ちょっと掴みどころのない先生だが、差し出された名刺を見ると、メールアドレスには
 「スノウホワイト0505」とあった。
こどもの日生まれの白雪姫、だろうか。オトメチックなネーミングについ顔がほころんだ。
「今度の先生、美人だね」
小学4年生の弟が、そう言った。
「?」
 言われてみると、確かに不美人ではない。眼鏡の奥のアーモンド型の瞳は、猫のように真っ直ぐだ。子どもには、心の美しさが人の美しさとして映るのかも知れない。多分この先生は学生アルバイトから、そのままプロ教師として会社に残ったのだろう。家庭教師の仕事に向いていない訳が無い。
 私は大いに期待した。
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