第12話 出逢いと別れ

文字数 1,928文字

 中3の冬休みあけ早々、K子に私立T高校美術科合格の知らせが届いた。
 T高校の冬季講習会でデッサンの合格点を貰い、当日の試験が免除されたのだ。この頃にはデッサンも随分上達していた。
 「K子は偉いぞ」
2年生から持ち上がりの担任である社会科の先生は、学活で一足早い合格者を発表した。「みんなの前で、褒められたんだよ」K子も嬉しそうだ。
 英語と美術の好成績で、何とか内申点のボーダーラインはキープ出来たが、残念ながら数学の成績アップは叶わなかった。進学校の理数科からH大に入ったと言う優秀なプロ家庭教師でさえ、K子の大脳のドアを開けることは出来なかった。生真面目な先生は、K子が公式を間違え、見事にバツの並んだテストを見せたときは「あら、あら、あら、あー」と小さな悲鳴をあげた。「惜しいです。練習問題ではちゃんと出来ていたんですよ」先生には良い点を取らせる自信があったのだ。K子は、少しばかり肩が強張っていた。申し訳なく思ったに違いないが、顔に出ない。アスペルガーの損な特徴だ。
「すみません、せっかく丁寧に教えて下さったのに…」つい、私が謝る。
 K子の合格が決まりると、先生は「おめでとうございます。それでは私はこれで失礼致します。お母様、大変お世話になりました。K子ちゃん、高校でも頑張ってね」と、マニュアル通りの挨拶を残し、去って行った。私は、本当は乙女チックな先生に、ショッキングピンクのボールペンを贈った。

 この頃からK子は、一人の女の子と一緒に学校から帰ってくるようになった。
 その子、FちゃんもK子と同時期に合格を決めていた。こちらは高倍率の公立高校に堂々の推薦入学だ。Fちゃんはバドミントン部の部長だった。運動部の生徒は下校時刻が遅い。帰宅部のK子とは、登下校で一緒になることは無かった。
 夏休みが終わると3年生は部活を引退し、いっせいに受験体制に入る。Fちゃんは部活引退後、学習塾に通って受験一色の毎日を過ごし、推薦入学が決まりホッとした頃、同じように合格を決めたK子が一人で帰るのを見かけたのだろう。
 「今日も、Fちゃんが一緒に帰ろうって」
 寒風にさらされ、頬をピンクに染めて家に帰って来たK子の表情には、信じられない、といったような戸惑いと、あふれ出る幸せな気持ちが見て取れた。ピンク色の頬は、寒風のせいだけでは無いのだろう。今日も、というのが嬉しい。Fちゃんは、一日だけの気まぐれで声をかけてきた訳では無かったのだ。それから二人は、卒業まで毎日帰り道をともにした。
 周りの生徒は皆、公立高校受験の3月までは臨戦態勢だ。一足先に合格を決めたからと言っても、友達の手前あからさまに喜んだりは出来ない。人一倍気遣いのあるFちゃんは、K子となら気がねせず、のんびりと会話が楽しめたのかも知れない。
 真冬の通学路、ぺちゃくちゃとお喋りしながら歩く中学生。手袋をしていても冷たい空気に手がかじかむ季節だが、皆そんなことはお構いなしの、ゆるゆるとした足取りだ。
 私はFちゃんと歩くK子の、普通の中学生みたいな姿を想像し、胸がじぃんとなった。3年間、いつも一人で通学してきたK子。思えば、この頃から卒業までの、ほんのひと月ほどの間が、K子の中学校生活での心安まる日々だった。

 卒業式終了後、学校の玄関前はスマホ片手に盛り上がる生徒達でごった返していた。狂ったようなお祭り騒ぎ。グループで、ペアで、部活の仲間と、人気者の先生を囲んで、評判の美少女を囲んで、写真を取ってはキャアキャアと喜び、アドレス交換をしたり画像を送ったりと、収まるところを知らない。
 そんな中、K子は一人、黙って佇んでいた。誰もK子に話しかけたりはしない。
Fちゃんは部活の仲間と盛り上がり、よく家にピアノを弾きに来ていた友達は、早々に帰ってしまった。こんな場違いなところに、長々と居たくはない。
 「そろそろ帰ろうか?」
 「……」
 K子は、どこか、ぼんやりと他所の方向に目をやっていた。私は、はっと気がついた。好きな男の子を目で追っていたのだ。ピアノ教室で一緒だった男の子だ。優しいその子は、理科の実験グループでいつも黙って見ているK子を気にかけ、作業の順番を回してくれたと言う。
 それなのに「ありがとう」どころか殆ど口をきくことが出来なかった。もう明日から、クラスメートではなくなる。
 その男の子のグループらしき集団が校門を離れると、やっとK子ものろのろと歩き出した。学校からは、まだ卒業生たちの叫声が響いていた。
 空は晴れ、3月の風はまだ冷たかった。

 4月になれば、高校生。これからK子は本格的に絵と向き合うことになる。どんな絵を描くのだろう。そして、本当の友達とは出逢えるのだろうか。
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