第15話 ミッケの部屋

文字数 1,690文字

 駅裏の、ハンバーガーショップの隣のアートギャラリー。とある公立高校の美術部の展示がおこなわれていた。
 通りすがりに何気なく入ったその展示は、思いのほか素晴らしかった。作品は殆どが肖像画だった。迫力がある。キャンバスいっぱいに描かれた友人や家族。白いシャツにジーンズの少年、真っ赤なワンピースの少女、着物の女性など、お気に入りの服で描き手の前に立つ彼らの自然な表情。どの作品も、その人物に対する愛情が感じられた。若い人の作品というのは、力尽くなエネルギーがあるように思う。
 K子も、一緒に来ていた弟も、食い入る様に見つめていた。
 私達に声をかけてきたのは、その美術部の顧問の先生だった。あまり熱心に見ているので、部員の関係者かと思われたのだ。
 ただ素晴らしくて見とれていました、娘も油彩を始めたので、と伝え、質問した。
「何故、肖像画が多いのでしょうか?」
先生は笑って答えた。
「実は、生徒に何を描いたら良いかって聞かれると、僕はまず身近な人物を描くように薦めてるんです。身近な人や物が、1番良くかけるはずですから」
 だから、ウチの生徒の絵は肖像画ばっかりになっちゃってね、と、また笑った。だが、話しながら生徒の作品を見返すその目は、信念に輝いていた。
 絵の先生には、素敵な先生が多い。
 そしてアートは、素晴らしいものなのだ。見る者、聴く者に力を与えてくれる。K子にも、そんな絵が描けるだろうか。

 それからK子は、「身近なもの」に焦点を絞ってテーマを選ぶようになった。
 高文連の作品は、廊下の隅に佇む飼い猫「黒いともだち」
 落選。
U21作品展、「ピアノを弾く母」(私)
 落選。モデルを務めるのも大変だった。鍵盤に手を置きストップモーション、結構疲れる。しかも完成した作品には顔が無かった。
「ママ、顔なしなのぉ?」
K子は髪の毛で隠れた横顔に、ちゃちゃっと鼻先を付け足したが、 ピアノの存在感も母親像も伝わってこない。
 クラスには一年生ながら、最高賞をとる実力者がいた。件の公立高校美術部の作品も当然の如く入賞していた。この頃には私も、絵の具が勿体ないどうこうは言っていられなくなった。
「焦っちゃ駄目、石の上にも三年、継続は力なり…」親のモヤモヤを知ってか知らずか、K子は腐らずに描き続け、三作目でついに入賞を果たした。
 「御伽の部屋」
 自分の部屋だった。本棚に絵本が溢れ、床の上にはK子が小さな頃から大事にしていたクマのヌイグルミやアヒルのオモチャ、貯金箱、おはじき、ブロック。好きなものがごちゃごちゃに転がった部屋。小さなテーブルには食べ切れないほどのケーキやドーナツ。ふかふかのクッションと子供用の椅子も置かれていた。窓の外は怪しい黒い雲で覆われていたが、部屋の中は満ち足りていた。
「いつもママに部屋の掃除しなさい、って言われてたけど、ホントはこうやって散らかして見たかったんだよね」
 ミッケみたいでしょ、とK子は得意げに微笑んだ。
 子供達は小さい頃「ミッケ」という絵本にはまっていた。その本のページには、色々な形のボタンや、真鍮のブローチやアルミのバッジ、親指ほどのマスコット人形にビー玉、ティースプーン、コイン等、あらゆるものが雑然と、或いは整然と散りばめられていた。子供達はその中から「チョッキを着た兎」「赤い3個のビー玉」「ヨット」などを探しだし「ミッケ!」と指をさす。
 そんな、モノに溢れた部屋に、憧れていたのだと言う。

 私の脳裏に、二人の子供がまだ幼かった頃が、鮮明に蘇った。毎晩、狭い部屋に3人で籠もり、ベットに転がって絵本を読んだ。それぞれお気に入りのイチゴ模様のクッションやチェックのクッションによし掛かると、スタンドの灯りは仄かに優しく、オレンジのカーテンに3人の影が映った。小さな弟は、いつも小イヌのヌイグルミを離さなかった。猫もベッドに割り込み、部屋の中は暖かく、窮屈で、幸せだった。

 そんな聖域のような守られた部屋から、一歩ずつ、世の中へと歩みだしてゆくのだ。子供たちは今その歩みの中にいる。時々振り返り、思い出してくれるのだろうか。あの頃の幸せな私達を。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み