第19話 ハッピーバースデイ

文字数 1,953文字

 K子の好きなフランス風ポテト重ね焼きを作った。大蒜と炒めてワインで煮詰めた牛挽肉と玉葱に、生クリーム入りふわふわマッシュポテトをのせ、シュレッドチーズをかける。オーブンで焼きつける間に、スモークサーモンとアボカドのディップも用意した。バゲットとスパークリングワインも有る。生ハムのサラダは冷蔵庫で待機中。完璧だ。
 冷蔵庫のドアをバタンと閉めると、ふいに病院の待合室で震えていた13歳のK子の顔が浮かんだ。
「うちは普通じゃないの?」

 あれから7年たった。K子は立ち直り、中学、高校を経て、今は大学生だ。そこそこの成功体験もありプライドも持っている。受け入れられるはずだ。
 それでも私の中では、いつも一人ぼっちで暗い顔をしていたK子のイメージが強烈に残っていた。
 
 昨日、アスペルガー症候群のことをK子に伝えた。

 もしかしたら、うすうす気づいてるかもしれないけど、あなたには人とは違うところがあって、それは病気ではないし、ある意味あなたの個性って言えるの。人とのコミュニケーションが苦手だったり、好きなことには凄く集中出来るけど、そうじゃないことは全然頭に入らなかったり…心当たり、ない?
 なんとなくわかってる、とK子は答えた。
 アスペルガー症候群って言うの。有名人とか、偉人とかにもけっこうアスペルガーの人いるのよ。ママの好きな義経も、最近の研究者がアスペルガーだろうって言ってる。空気読めなくて頼朝に疎まれちゃったけどあの人は
「天才だからね」
そこのところを強調した。
 要するに、才能に偏りがあって、人付き合いは上手くできないけど、人にはないものを持ってる人が多いの。あなたも中学のとき、折り紙でいきなり「悪魔」とか折っちゃったでしょう。
 K子は私の顔を見て頷いた。どう受けとめているか読めない。否定的に受け取らないで欲しい、と考えて必死に組み立てた台本だった。例えが義経では悲劇的すぎるので、スティーブ・ジョブズとイチロー選手の名前も出した。こだわりの強さは「変人」のイメージもあるが、大きな成功をもたらす場合もある。だから
 「だから、自分の欠点を理解して、良いところを伸ばして生きて欲しいの。ママの話、分かってくれた?」
 「うちは人に無いもの持ってるってこと?」
「う、うん。そういうこと」
 かなり前向きな理解だ。ちょっと驚いたが、それでも良い。だが、その欠点の方にも真摯に向き合って欲しい。おいおい追補するとしよう。K子と話すと、微妙に論点がずれた反応が帰ってくることがある。
 ついでにADHDのことも説明した。おばあちゃんは昔の人だから診断こそ受けてないけど、間違いなくADHDだと思う、行動が変すぎるでしょ?
 姑と一緒に食事すると、必ず周りを不快にさせる発言が出る。例えば子供達が好きなアニメを見ていると「なんだこれ、気持ち悪いねえ」等と真面目に発言し、一瞬で空気が凍る。思ったことをそのまま言う、ADHDが嫌われる所以だ。悪気は全く無い。
「あなたにはあんな変なヘキは無いんだし、親友だっているし」
 ここでちょっとK子の顔が曇った。教育大に入った友達とは、その後一度も逢っていない。遠慮があるのか、連絡もしていないらしい。親しい友達でさえこの調子だ。人とのコミュニケーションは「苦手」というより、もはや避けて通りたい「トラウマ」のようなものになっていた。

「ただいま」
K子が帰ってきた。
「おかえりなさい、お料理出来てるわよ」
 テーブルの上に渾身の料理を並べ、夫と高校生になった弟と4人でK子の二十歳のお祝いをした。姑はいつも夕方にはご飯を済ませ、早々に寝ている。
 バースデイソングを歌い、K子が苺ののったケーキのローソクの火を吹き消す。
「K子ちゃん、おめでとう。二十歳になったんだから、ワインでも飲んで見る?」
「いい」
 K子はまず好物のスモークサーモンに手を伸ばした。私はグラタン皿のポテト重ね焼きを切り分け、取り皿によそう。
「さ、食べて食べて」
弟はいつもの様にベジファーストを堅守。サラダから食べる。
「そうだなぁ、もう二十歳なんだしバイトでもしたらどうだ?」
スパークリングワインを飲み、いい気分になった夫が言った。
「それも考えてるけど……人と接する仕事は嫌だし」
そうだね、コンビニとかファーストフードとかは向いてないよね、仕事も大変そうだし、と私は相槌を打った。
「誰にも会わないで出来る仕事って無いかな」
「そんなのある訳ないよ」クールに成長した弟がすかさず水を刺した。
「うーん、誰にも、ってのはやっぱり難しいな…まず初めに面接が有るし」
夫もやんわりと言った。だが、私もそろそろ、アルバイトを経験した方が良いと思っていた。いずれにしても、K子だって卒業後は社会に出て働かなくてはならないのだから。



 


 
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