第3話 発達障害の隣人

文字数 1,851文字

 ずっと前から気にしていたことだった。

 K子は普通の女の子とは、明らかに違っていた。周りに合わせられない。一人で絵ばかり描いていた。
 幼稚園、小学校と、障害の可能性について先生に相談はしていたが、そのつど返ってきた答えは
「大丈夫だと思う」だった。
 クラスには、歴とした発達障害の子どもがいた。「高機能自閉症」の子と、「学習障害」の子。二人とも男の子だ。ちょっと見では、普通の子と何ら変わりはなかったが、長時間教室で授業を受けるのには支障があったのかも知れない。そのせいでK子のことは、さほど気にならなかったのだろうか。
 K子は自閉症の子とも仲が良かった。家の方向が同じなので、よく一緒に帰ってきた。その子は物知りで、星や虫やゲームの話になると殊のほか饒舌だった。
「ほんとに自閉症?」時々思ったが、それも発達障害の特徴の一つだと後で知った。
 その子の母親は、もの静かな礼儀正しい女性で、小学校入学時の保護者懇談会で子供の障害をカミングアウトし、「迷惑をかけるかもしれませんが、どうかよろしくお願いします」と頭を下げていた。
 対照的だったのが学習障害の子だ。K子はたまたま隣の席になった。ある日、その子の答案用紙がK子のランドセルの中に紛れ込んでいるのを見つけた。
「これは、酷い…」字らしきものが書いてはあったが、字ではなかった。明日返すように言ったが、K子はモジモジしている。
「どうしたの?」
「Eくんねぇ、なんか話しにくい」
どうやら、言葉が聞き取りにくく、何を言ってるのか分からないので話しづらいのだそうだ。
「大丈夫、机の中に間違って入ってたって言えばいいのよ」
 担任の先生は学習障害の可能性を保護者に伝えたが、母親がすごい剣幕で突っぱねた、との話だ。

 他にも、間違いなく発達障害、と思える人物がごく身近にいた。家の中に。
 夫の母。姑だ。
 結婚当初からの同居だった。夫は「ちょっと変わってるけど、悪気はないから気にしないで」と言ったが、毎日同じ屋根の下、気にするなと言う方が無理だ。
 「この人、何か変…」
 当時は家庭用の医学書で調べても、何も分からなかった。K子が生まれて少したった頃、ADHD(注意欠損多動性障害)と言う言葉が頻繁に聞かれるようになり、母親向けの解説本が書店に並ぶようになったのだ。読んで、直ぐに納得した。それまで私を悩ませていた姑のすべての行動が、ADHDの特徴に当てはまっていた。
 物の取り間違えが多い
 目についたものをすぐに触る
 気になるものは、注意されても何度でも触ろうとする
 相手が嫌がっていてもべったりとくっついて離れない
 抑揚のない話し方をする
 相手の気持ちを考えない発言をする
 楽しい時も楽しそうな顔にならない
 待つことが苦手で待ち合わわせが出来ない
 姿勢良く座れない
  穴が空いているところに物を詰めたがる
 お手本が無いと上手にものが作れない

 70歳を過ぎてもADHDの症状は健在だ。目についたものを何でも触る姑は、親戚の家の壁に付いていたボタンを押してしまい、救急隊員を呼んだ事がある。「勤め先の食堂で習った」と言うカツ丼は、妙に上手に作ったが、料理全般は酷いものだった。お手本が無いと作れない、ので、臨機応変な火加減というものを知らない。

 そんなADHDと違ってアスペルガー症候群は見つかりにくい、と言う。多動のように目立つ特徴が無い。姑に比べるとK子の態度など、私には可愛いものに思えた。相手の話を聞いているようで聞いていない、コミュニケーションが苦手、空気が読めない、その程度だ。だが大人になるにつれ、その特性はアスペルガーの人達の生きづらさとなり、苦しみともなる。
 K子は、小さい頃、いや、ついこの間まで明るい子だった。言葉は少ないが、K子の描く絵には沢山のメッセージが込められていた。
「ハイ、これママにあげる」弟と自分と、私の絵をよく描いてくれた。「ママのお服、K子が買ってあげたの。チューリップと、ハートのお服なの」
 姑のことで落ち込んでいる時、夫と喧嘩した時、K子は天真爛漫な笑顔で私の心を癒やしてくれる天使だった。K子の笑顔は、私の宝物だ。
 なのに、Nちゃんのことがあってから、その輝きは急激に失われてしまった。笑顔は消え、10代の子が発散するはずの活気が、まるで感じられない。さっきまで晴れていた空が、見る間に暗い雲で覆われてしまったかのようだ。
 こんな時に、あなたは発達障害かも知れないから病院で検査をします、などとは、とても言い出せなかった。
 

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