第6話 特別支援学級

文字数 1,874文字

 担任の先生に検査結果を報告した。
 直ぐに、特別支援学級の先生との面談が設定された。
「良い先生ですから、とにかく会ってお話を聞いてみて下さい」
 支援学級の先生と、何を話さなければならないのか。その意図を思うと気は進まなかったが、担任の先生の顔を立て、仕方なく学校に出向いた。
 中学は歩いて15分ほどの場所にあった。古い学校で、校舎は分厚い灰色の塀に囲まれ、狭い前庭にはプラタナスが空に向かい枝を伸ばしている。
 教室に通されると、前列の机が一か所、向かい合わせにセットしてあった。誰も居ない教室というのは、やけに広く、シンとしている。椅子や机、黒板、何もかも死んだように生気が無い。それとは対照的に、窓の外から運動部の生徒の元気な掛け声が聞こえていた。
 暫くしてガラリと戸が開き、担任の先生に伴われ、きちんとスーツを着た丸顔の女性が現れた。
「はじめまして。特別支援学級担任の○○です」
 愛想が良いおばちゃん、といった感じの先生だ。妙にニコニコしている。私は立ち上がってお辞儀をした。担任の先生は教室の隅にひっそりと腰を下ろし、○○先生が私の目の前に陣取った。そして、ニコニコ顔のまま、支援学級での活動をぺらぺらと喋り始めた。
「私の学級では、もちろん普通のお勉強もしますが、生活に必要な様々なことを学習します。料理もします。バスの乗り方や切符の買い方も、実際に出かけていって教えます。ハンドベルの演奏にも取り組んでいます。楽しいんですよ。」
 ハンドベルの事は知っていた。小学校の友達だった高機能自閉症の男の子が、今は特別支援学級で学んでいた。学校祭で支援学級の生徒の緻密なハンドベル演奏を聴き、私はとても感動した。顔見知りの子が頑張っている姿を見るのは、嬉しいものだ。
 でも、娘のK子は、その子とは違う。ピアノだって弾けるし、クッキーだって焼ける。小さい頃から字だって何だって、私と一緒に練習して覚えた。バスの乗り方なんか、そんなの貴方にわざわざ教えて貰わなくても、親の私がちゃんと教える。
「莫迦にしないで」
心の中で、つい、そう呟いた。小学校の時、担任の先生の忠告を凄い剣幕で否定したという、学習障害の子の母親を思い出した。私も、同じなのだろうか。

 先生は、今すぐK子を特別支援学級に移すよう私に迫った。
「このままじゃ、K子ちゃんが可哀想です」
自信たっぷりにそう言って、一人頷く。
「可哀想」という言葉が、私の頭の中でぐるぐると回った。
 この先生は、K子の何を見ているのだろう。K子の何が「可哀想」だと言うのだろう。K子と、ちゃんと話した上で、普通学級は無理だと判断したのだろうか。
 私は「K子を知ってるんですか?」と訪ねた。先生は「知ってますよ」とだけ答えた。
「知ってる」
いろんな意味がある。きっと顔くらいは見たのだろう。でも本当は
「知らない」
知っているのは、今のどんよりとした顔のK子と、検査結果だ。
 K子は笑顔の可愛い明るい子だった。この先生は、K子の、屈託のない天使のような笑顔を知らない。K子の弾くピアノも知らない。第一K子はあんなにも強く、普通でいることを望んでいるのだ。勉強だって、私がずっと宿題を見てきた。頑張って、ちゃんと普通の成績をキープできていたのだ。いきなり現れた貴方に、K子の何が分かるというのか。今さら支援学級に行けだなんて、酷だ。そんなこと言えるわけが無い。
 私は、助けを求めるような気持ちで、担任の先生の方に目をやった。心配そうな目をしてこっちを見ていたが、無言だった。何も言ってくれない。もう、頭の中が真っ白になった。
 「でも、K子は、今までずっと、私と一緒に頑張ってきました」
 やっとの思いでそれだけ言った。
 ○○先生は相変わらずのニコニコ顔でフンフンと小さく頷き、私の必死の言葉をあっさりスルーした。何かまだ喋り続けていたが、後のことは覚えていない。
 とにかく、面談は終わった。

 後日、私は担任の先生に普通学級に残る意志を伝えた。
 先生は「わかりました」とだけ言った。

 新しい目標が出来た。
 私は覚悟を決めた。何としてもK子は普通学級で中学を卒業させる。そして私立T高校の美術科を受験するのだ。募集人員は30名、試験科目は国語、英語、デッサンのみ。
 検査の時に確信した。K子は、どんな時でも絵だけは、自分らしさを失わずに取り組むことが出来る。きっとこれからの中学校生活の、励みになる筈だ。
 K子に美術科の受験のことを話すと、黙って聞いていたが、やがてこっくりと頷いた。
「だから頑張ろうね、学校にも行こうね」
「……ん」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み