第11話  ☆コスモブラックの海〜海の密室〜 後編

文字数 4,552文字

 *

「えっ? 蒼太? なんで、そんなこと。こんな朝っぱらから」

 寝起きを起こされて、ミキは不機嫌だ。
 店で見るときは濃い化粧をしているから、もっと若いと思っていたが、素顔は六十をとっくに、すぎている感じだ。

 ミキは、いやにジロジロ、賢志を凝視する。

「ケンちゃん。まさか、あんたも、そうだったの?」
「なんですか?」
「いやねえ。だから、あたしがモーションかけても、ちっとも、なびかないはずだわ」
「はあ?」

 店奥のせまい四畳半が、ミキの居住スペースだ。
 薄い万年床から下着姿で起きだして、タバコをくわえながら、店に出てくる。

「蒼太? あの子なら、ここに来ることもあるけどね。嵐のときなんかはさ。たいていは、そのへんの野っ原で寝てるよ」

 賢志はショックで口もきけない。
 ほんとに、今どき、そんなことがあるのか。
 東京のどまんなかの家出少年でもあるまいに。
 自分の生まれ育った地元で、幼少時代からホームレス……。

「あの子はさあ。翠(みどり)が生んだ子なのよね」
「みどりさんですか」
「そう。あたしと同じでさ。島の外から来た人間だから、店でやとってたんだけどさ。あの子、生んで、すぐ死んじゃって。おかげで、こっちが縁もゆかりもない赤ん坊そだてるのに、どんだけ苦労したことか」
「では、育ての親は、ミキさんなんですね?」
「そんなんじゃないよ。自分で食えるようになったら、とっとと追いだしたよ。そりゃね。最初は、あの子目当ての客が増えたよ」
「じゃあ、なんで、追いだしたんですか?」

 ミキは、ジロリと賢志をにらむ。
「そんなの、あんたにゃ関係ないだろ」

 なんだか、ますます機嫌が悪くなる。
 イライラしたようすで、ミキはスパスパ、タバコを吸い続ける。

「みどりが言ってたよ。あいつはバケモノの子なんだ。生みたくないって」

 バケモノ——それが、祟ると言われる所以だろうか?

「それは、どういう意味ですか?」
「みどりが、ここに流れてきたとき、まだ十五だったんだよね」
「えッ?」

 つまり、蒼太を生んだのは、十六のときということか。

「まだ、子どもじゃないですか」
「そう。だから、お産が祟って死んだんだよ。かわいそうにね」

 どうやら、蒼太のことは嫌っているが、母親の翠には同情的のようだ。

「さあ、もういいだろ。蒼太なら、浜辺あたりに行きゃ、見つかるよ。いっつも、あのへん、ほっつき歩いてるから」

 賢志は礼を言って別れた。



 *

 あてもなく、浜辺をうろつくこと半日。

 いったん、島村家へ帰った。
 加奈子の用意してくれた昼飯を食い、ふたたび、外に出る。

 なかなか、つかまらないというのは本当だ。
 姿さえ見えない。

「蒼太くんを知りませんか? どこかで見かけませんでしたか?」
 たずねまわっても、誰も首をふるばかり。
 そんなことが数日、続いた。

 ようやく、少年を見つけたのは五日後のこと。

 祭のしたくに島民は忙しい。
 取材も、うまくいかないし、収穫がない。
 そんなとき、民家の庭先から話し声が聞こえてきた。

「じゃあ、またね」
「ああ。かみさんに見つからんようにするんだぞ」

 手をふりながら、とびだしてきたのは少年だ。

 ひとめ見て、賢志は、がくぜんとする。
 遠くから見たときも、ほっそりして、少女みたいだなと思った。だが、まさか、こんなに美しいとは。

 なんというのだろう。
 異様なまでに、きれいな少年だ。
 殻からむきたての、まだ海水にぬれた真珠のような。

「蒼太くんだね?」

 確信はあった。

 この子なら、バケモノの子と言われるのもわかる。
 人外の血をひいていたとしても、不思議はないような。

 そして、ミキが家から追いだしたわけも。
 この子の美貌は可愛さよりも、妖しさ。人を狂わせる。
 女の嫉妬も呼ぶだろう。

 手をつかむと、少年は、まつ毛の長い大きな目で、賢志をのぞきこむ。吸いこまれそうだ。

「誰?」
「戸渡賢志。ライターだ。君を探してた」
「ふうん」

 蒼太は青みがかって見えるような、ふしぎな瞳で賢志を見つめたのち、近くの松林まで、ひっぱっていった。
 そして、ひとけのないところへ来ると、背伸びして、いきなり、くちづけてきた。ふがいないことに、恍惚とした。

 やがて、離れて、蒼太は言う。
「なにをくれるの?」
「えっ?」
「だから、ぼくを探してたんでしょ?」

 おどろかされるのは何度めだろうか。
 これが、少年の生きかたなのだ。
 そうしなければ、生きてこれなかった。

 これだけの美貌だ。
 考えてみれば、とうぜんか。
 胸が痛む。

「……そうじゃない。この前の祭の夜のことを聞きたかったんだ。君は咲良さんと、仲がよかったらしいじゃないか」

 蒼太の目が、するどく光る。

「だから?」
「あの晩、何か見たんじゃないかと思って」
「うん。見たよ」と、あっけない答え。
「何を見たんだ?」

 すると、蒼太は笑った。

「知りたかったら、今夜、あそこに来てよ。あの場所に」
「どこ?」
「咲良が生きていた最期の場所」

 例のほら穴か。

「わかった」

 蒼太は笑いながら去っていった。



 *

 その夜、島村の家をぬけだして、賢志は、ほら穴へ行った。そこは岩場が海岸線ぞいに広がり、打ちつける波の音も、砂浜より荒い。水深も、かなり深いようだ。今は真っ暗で何も見えないが。

 夜の海は、ぶきみだ。
 黒く、ぬらぬらと輝く海面から、今にも何かが現れそうな気がする。
 昼間の明るく開放的な姿とは真逆の、まがまがしさ。
 それも、海のもつ一面。

 祭は明日だ。

 ほら穴のまわりは無人である。
 岩場をつたって、ほら穴へ向かう。
 足をふみはずせば、海へ、まっさかさまだ。

 慎重に歩いていく。
 満潮までは、まだ少し時間があるらしい。だが、確実に水位は高くなってきている。この感じでは、帰るころには岩場は波の下かもしれない。

 ようやく、たどりついた。
 暗い、ほら穴のなかをかいちゅう電灯で照らす。
 なかが思っていたより広いことに、おどろいた。とくに奥行きだ。かいちゅう電灯の光が届かないほど深い。

「蒼太くん。いるかい?」

 返事はなかった。
 ゴツゴツした岩肌をじゅんぐり照らしていくが、姿も見えない。

 だまされたんだろうか?
 てきとうに言いわけして、逃げだしただけ?

 あきらめきれず、奥へ奥へと、ふみこんでいく。

 ゆるい坂道になっていた。奥へ行くほど、海抜高度が高くなっている。

 十メートルか、二十メートルは歩いただろうか。

 とつぜん、行き止まりになった。

 八畳ほどの空間があり、一段高くなったところに、小さな祠がある。ここが、祭の夜、巫女が竜神に祈りをささげる場所なのだろう。

 何もない。帰ろう。

 ふりかえってみた賢志は、ギョッとした。
 入口あたりに、うごめく黒いかたまり。それが、刻一刻と、こっちに向かってきている。

 波だ。
 満潮が近づいている。
 出口は、ふさがれた。

 そうだ。あの夜も、こんなふうに、巫女は一人、この場所に閉じこめられた。
 そして、朝、引き潮になる前に殺された。
 見えない殺人者によって。

 でも、本当に、そうだろうか?
 たとえば、祭の前夜である今日。ここには、誰もいない。見張りもついてない。
 前もって、犯人が前夜から、ひそんでいたとしたら……?

 そう思った瞬間、背後で、かすかな物音がした。
 キイッと、木のきしむような音。
 トビラだ。
 ほこらのトビラがひらいた音……。

 その瞬間、何かが、とびかかってきた。
 ふりはらおうとして、かいちゅう電灯をとりおとしてしまった。

 蒼太か?
 暗くて姿が見えない。
 でも、ナイフのようなものを持っている。
 ころがった、かいちゅう電灯の光のなかに、にぶく刃が光る。

 しばらく、二人で、もみあった。
 ようやく、光のあたるところに来る。
 襲撃者の顔を見て、賢志はハッとした。
 蒼太じゃない。
 南義行——殺された咲良の父親だ。

「なんで……あんたが……」

 義行はナイフをふりかざしながら叫ぶ。
「よくも、娘を——咲良を殺したな!」
「ま——待ってくれ! 勘違いだ!」

 義行は耳を貸さない。
 迷わず、ナイフをふりおろしてくる。
 賢志はその手をつかみ、必死で押しかえした。

「聞いてください! おれじゃない!」

 賢志を刺そうとする義行。
 押しかえそうとする賢志。
 力が拮抗し、はずみでナイフが、はねとんだ。あわてて、義行が、かけよろうとする。

 賢志は義行をつきとばした。
 義行が賢志の足にしがみつき、ふたたび、もみあい。

「なんで、おれを殺そうとするんですか!」
「蒼太が言ったんだ。ここで待ってれば、咲良を殺したやつが、やってくると」

 なぜ、蒼太は、そんなことを言ったんだろう?

「あなたは蒼太に、だまされてるんだ。そもそも、あの夜、あなたは見てたんだろ? ここに近づく者が誰もいなかったのを」

 義行は、だまりこむ。一瞬、動きも止まる。
 そのあいだに、賢志はナイフをひろいあげた。

 すると——

「そのナイフで、南さんを刺すの?」

 蒼太だ。
 蒼太の声が洞窟のなかにひびく。

 おかしい。さっきまで、ここには賢志と義行しかいなかったはずなのに。

 少年の笑い声がした。

「おれが、どこから来たか、わからない? そんなはずないよね。あの夜、あんたが自分でしたことだもんね」
「な……なにを言ってるんだ?」
「あの夜、あんたは入口から人がいなくなると、こうやって、ほら穴に近づいた。夜の海は暗いからね。離れた船の上からじゃ、わからない。南さんが気づかなかったのは、しかたない」
「蒼太くん……」

 マズイと、賢志は思った。
 やっぱり、見てたのか。
 目撃者だ。

 そのために取材のふりをして、さぐっていた。
 誰も真相に気づいてないか、確証を得るために。

「あの夜、おれは、この島にはいなかった!」と、叫んでみる。

 すると、落ちついた答えが返ってきた。

「あんた、水泳、得意なんだってね。高校のころはインターハイにも出たって、島村さんから聞いたよ。
 フェリーは、ここを出たあと、となりの島に寄港する。となりの島からなら、十五キロもないよね。あんたなら、らくに泳いで行き来できるね?」

 やっぱり、知っている。

「みんな、知ってるよ。竜神さまに聞いたからね」

 とつぜん、足元まで、せまっていた黒い海から、蒼太が現れた。全身ずぶぬれで、髪や指先から海水のしずくをしたたらせている。その姿は、この世のものとは思えない妖艶さがあった。

「あんたが殺したんだ。咲良を」

 そう。おれが、殺した。

 往復三十キロの遠泳なんて、わけもない。
 見張りのついた洞窟へも、そのまま泳いで入れる。潜水で侵入すれば、誰の目にも止まらない。

 半年前。初めて蒼太を見かけた。遠目ではあったが。
 どうしても欲しいと思った。

 保護を訴え、島をつれだそうと考えた。だが、咲良がいるかぎり、蒼太は島を出ると言わないだろう。
 だから——

「君が……いけないんだ」

 蒼太は笑った。
 笑って、賢志の首に腕をからめてきた。

 そのまま、夜の海に沈みこんだ。
 深い、深い、海の底へ。
 沈んでいった。

 意識は遠のく。だが、とても幸福だ。
 蒼太と二人でなら。
 たとえ、暗い海の底でも……。



 *

 数日後。
 賢志の遺体が浜に流れついた。

 だが、その後、蒼太の姿を見た者はいない——




 超・妄想コンテスト
『海』優秀作品
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み