第28話  殺されたのは、君の声(ミステリー)

文字数 5,357文字




 〜遺言にかくされた罠〜


 一冊の本から、この物語は始まる。

 厳密には本とは言えないが。
 革表紙で装丁されたハードカバーの手帳だ。
 題名を入れるところがあり、『私が死ぬとき』と書かれていた。外から見たかぎりでは、市販の本にしか見えない。

「見てくれ。八重咲(やえざき)。これ、守屋(もりや)の遺品のなかにあったんだそうだ。おれは、おばさん……アイツのお母さんから受けとったんだけど」

 喫茶店のテーブルの上に、綾野(あやの)はB6サイズのそれを置いた。

 ふんいきのいいクラシカルな店内に、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番が流れている。

 テーブルをはさんで、陰うつなピアノ曲に聴き入っていた八重咲が、気のないようすでチラっと手帳を見る。
 めんどくさそうな目つきさえ、異様に妖しい。
 お世辞ぬきに言っても、絶世の美青年と言えるのは、この世に彼一人しかいないだろう。少なくとも彼を見たあとでは誰しも、そう思う。そんな美貌だ。

 あいかわらずだなと、綾野は思った。
 八重咲を前にすると、なんだか萎縮してしまう。

「それで、僕にどうしろと?」
 八重咲は長い前髪のかげから、ちろりと綾野をすくいあげるように見る。

「どうって、先月、守屋が死んだんだよ」
「知ってる。ニュースで見た」

「じゃあ、察してくれよ。これを読めば、守屋の死因がわかるかもしれない」

「死因は頸部(けいぶ)圧迫による窒息死だ。首吊り自殺だというじゃないか?」

「まあ、そうだけど。自殺にいたったわけというか」

「興味ないね。君は学生時代の数少ない友人だから来たが、つまらない用なら呼ばないでくれないか。僕は忙しいんだ」

 立ちあがろうとする八重咲を、綾野はあわててひきとめた。

 八重咲は大学を卒業したのち、私立探偵になったという。

 学生時代から異常犯罪心理学に傾倒し、悪魔を崇拝しているだとか、オカルティックな犯罪ばかり追ってるとか、いや当人が犯罪者なんだとか、怪しいウワサには事欠かない。

 性格も悪いし、変わり者だし、つきあいづらいのだが、頭脳はずばぬけてよかった。顔と頭の出来だけで、神さまがコイツの長所のすべてを使いつくしてしまったのであろう。

「いや、でも、守屋だって君の友人だろ?」
「友人だった、だ。死人は、もはや存在しない」
「冷たいな……」

 気持ちがなえかけたが、綾野は気をとりなおした。
「じゃあ、生きてるおれのために、いっしょに考えてくれ。おれは守屋が死んだのは、ただの自殺じゃないと思うんだ。守屋を自殺に追いこんだヤツを探したい」

 八重咲は無言で手帳を手元にひきよせた。
 綾野がすでに何度も読みかえした内容に、八重咲が目を通すのをじっと見つめる。



 *

『私が死ぬとき』

 私が死ぬときこの国から消えるのは私のタマシイだけだろうか? 消える前に残しておくことにした、これはそう遺書だ遺言だ、まもなく私は死ぬだろうでもそれは私の望みではない、絶望が私にそれをさせるのだ

 我ながら頭のなかにカスミかかったよう、しりめつめつだ、何も考えられない……



 *

「……なんだ、これ? 日本語とは思えないな。しりめつめつって、支離滅裂のことか?」

 美しくととのった細い眉をしかめて、八重咲が不平を言う。そんな表情をされると、どうも、いかがわしい。

「そうだろう? 死ぬ前には、そうとう心を病んでいたみたいだな」
「病んでねぇ……」
「とにかく、続きを読んでくれよ」

 八重咲は黒真珠のような瞳を手帳にむける。

 *

 私には学生時代からつきあっている人がいる。しかし最近べつに好きな人ができた、その人のことが気になってならない気がつくとあの人の姿を求めて住居のちかくをはいたいしている、ストーカーと思われてもしかたないほどだが私にはとめられずただただあの人に会いたくてさまよう、あの人香りが空気にとけて甘いので胸いっぱい生きを吸収して私は天国に待っているとあの人がコンビニでシーザーサラダとオニオングラタンを買っていだたので次の日から同じ物を買ってあげようと思った、毎日あの人が朝起きるまでにアパートのドアにかけておこうきっと喜ぶるきっときっときっときっとふふふふふふはふふふふ



 *

「僕の読解力不足かな? 読めないんだけど」

 八重咲はウンザリしたように手帳をなげだした。
 衝撃でコーヒーカップがカチャンと音を立てた。
 コナコーヒーの甘い香りがたゆたう。

 そういえば、この前、会ったとき、守屋はコナを飲んでいた。あいつは長いことキリマンジャロを愛飲していたのに。

「そう言うなよ。守屋に好きな相手ができたのは、ほんとらしいんだ。香坂が『とつぜん、ふられた』って半年前に泣きついてきた。あいつら結婚の約束してたのに」

「香坂って誰?」
「何を言ってるんだ。ミス大学だぞ。それも二年連続。すごい美人が、いつも、守屋にひっついてたろ?」

「そうだっけ? 死体以外の女には興味ないんだ。そもそも、僕の容姿に見劣りしないだけの女なんている?」
「まあ、そうだけど……」
「ふうん。守屋くん、フィアンセがいたんだ」

 八重咲はたいして関心もなさそうに、白磁のカップを白い指で、すっと持ちあげる。ごくごくと彼の喉が動くのをながめた。

 以前から、ずっとそうだったが、彼と話していると調子が狂う。

 学生時代の八重咲は、どう見てもただの変人だった。フレームの太い奇抜な色つきメガネと目の下までかくれる大きなマスクで顔をおおっていた。何かを恐れるように、つねにオドオドしていた。

 なのに、卒業してから、ほんの半年後、たまたま再会した彼は、まるで別人のようになっていた。むこうから声をかけてくるまで、綾野はそれが八重咲本人であることにすら気づかなかった。

 そのとき、綾野は一週間ぶりに守屋と飲んでいた。

「やあ、あいかわらず二人、仲いいんだね」

 バーのなかで、ぽんと肩をたたかれて、ふりかえった綾野は、あぜんとした。見たこともないほど麗しい男が、スマートなスーツ姿で立っていた。あまりの美貌に、綾野も守屋も声が出なかった。

「あれ? おぼえてない? 八重咲だよ」
「えッ? 八重咲? あの八重咲? いつも、うつむいて教室のすみっこにいた、あの八重咲?」
「ああ、そうだよ。ストーカーにおびえて、ずっと顔をかくしていた八重咲だよ。でも、もうやめたんだ。なんだかバカバカしくなってね」

 この瞬間に立場が逆転した。
 学生時代には、誰にも相手にされないかわいそうなヤツをかまってやるんだという認識でしかなかった。
 しかし、再会してからは、気まぐれな王子さまに声をかけてもらうのを待つ召使いに変わった。
 ことに守屋は、それが顕著だった。

 守屋とは故郷が同じ幼なじみだ。
 それも、小学から中学まで、ずっと同じクラスの。

 なぜなら、故郷はひなびた離れ小島だ。島の人口は千人に満たない。とうぜん、子どもの数は少なく、同い年の子どもは守屋一人だった。

 守屋はスポーツが得意で、泳ぎが上手で、島のなかでは一等、輝いていた。高校に進学するために島を出るまで、つねに子どもたちのリーダーだった。
 綾野は守屋が東京の大学へ行くというから、ついてきたようなところがある。

 大学を卒業し、別々の会社に勤めるようになっても、定期的に会って、中坊のするような話で一晩を明かした。

 そこに八重咲がまざることが増えた。

 それはそれで、とても楽しかったのだが、八重咲のオカルト趣味につきあわされることに、綾野はだんだん疲弊を感じてきた。
 誘いを断ることが続いた。
 守屋はそれでも、八重咲の趣味につきあっていたようだが。

 そのやさき、とつぜん、守屋が亡くなったのだ。
 守屋の借りていたマンションの一室で首をつっていた。
 警察は自殺と判断したが、それじたい、綾野は疑問に思う。少し前、ひさしぶりに会ったときの守屋は、むしろ、ふだん以上に、はしゃいで見えた。

「守屋は恋をしてたんだよ。あのころ、守屋によく会ってたのは、君だろ? 守屋から何か聞かなかったかな?」

 八重咲はコーヒーカップをソーサーの上に置くと、トントンとひらいたままの手帳を指さきでたたいた。

「これ、ほんとに守屋くんの筆跡?」
「そうだけど。活字っぽい角ばった字が特徴だったよ」
「僕も何度か学生時代にノートを見たことがあるけどね。たしかに、特徴的な筆跡だった。でも、これは、守屋くんが書いたものじゃない」
「えッ?」

 八重咲の指が手帳の文面冒頭の“死”という字を丸く指でかこんだ。

「守屋くんは漢字のハネの部分を三角形に書くクセがあった。この字は似せているけど、それがない」
「あッ、ほんとだ!」
「誰かが守屋くんの遺品のなかに自分で書いたものをまぎれこませておいたのさ」

「なんのために?」
「彼の自殺の原因をすりかえるため。あるいは、彼の死を自殺に見せかけるため」

「……守屋は殺されたのか?」
「ニュースで見たけど、守屋くんは首にロープをまき、マンションの六階の自室から飛びおりた。ロープの反対側の端は自室のベッドの脚に結ばれていた。
 だが、彼の飛びおりた寝室の窓にはベランダがない。つまり、誰かが背後から守屋くんをつきとばすことはできた」

「守屋は一メートル八十こえるマッチョだぜ。むりやり首にロープかけるのは不可能なんじゃないか?」
「睡眠薬で眠らせておけばできるさ」

 たしかに、八重咲の言うとおりだ。だてに異常犯罪が好物なわけではないらしい。

「でも、じゃあ、誰がいったい、守屋を?」
「…………」

 八重咲は答えず、手帳の続きを読んだ。
 長いまつげが白いほおに影を落とす。



 *

 ここは天国コーヒーいっぱいであの人に会える私服の場所、エミ、恋しのエミ、彼女は私のプレゼントを喜んでくれただろうかコンビニで買った差し入れだけじゃ私の深い恋がとどこると思い彼女の大好きな猫のぬいぐるみを置くってみたいきてるみたいにホンモノらひいぬいぐるみだ、なぜならネコの毛で作った自家製だから、のらねこを集会するのがとても苦労だったでもエミの喜びカオを見れば私もうれしい

 彼女のためなら死ねる



 *

「つまり、守屋はエミって女を好きになって、つきまとっていた。その女にふられて自殺した——と、この手帳の文面を書いたヤツは主張しているんだな」

 そう言って、八重咲は手帳をとじた。
 綾野は彼の顔色をうかがう。

「どう思う? 君の言うように守屋が自殺じゃなく殺されたんだとしたら、このエミって女が怪しくないか? 自分はストーキングの被害者で、守屋は自殺だって思いこませることができるわけだろ?」

 綾野の意見を八重咲はだまって聞いている。
 反応がないので、綾野は続けた。

「じつはさ。この喫茶店、守屋が亡くなる前によく来てたんだ」
「知ってる。僕もよく来る」
「そうなのか。なら、わかると思うけど、気になることがあるんだ」

 そのとき、玄関扉がひらいて新しい客が入ってきた。マスターは手が離せないのかバイトの女の子に声をかける。
「エマちゃん。接客して」
「はーい」

 バイトの女の子は外国人だ。アングロサクソン系の白人。あの子と仲よく話している守屋を、綾野も何度か見かけた。

 ニヤニヤ笑いながら、八重咲が言う。
「あの子の正式なファーストネーム、エミリアだそうだ」
「えっ? それって……」
「エミ、だな」

 綾野は息をのむ。

「じゃあ、あの子が守屋の好きな女か! そうか。わかったぞ。あの子はつきまとってくる守屋がうっとうしくて殺したんだ。

 あの変な文章は、守屋の精神状態があやうかったことを表現するだけじゃない。日本語がうまくないことを隠ぺいするため——」

 すると、八重咲は初めて、哀れみをふくんだ目を綾野になげてきた。

「違うよ」
「違う? なぜ? 君の推理にピッタリじゃないか」
「でも、違うんだ。守屋がつきまとってたのは、あのウェイトレスじゃない」
「なんで、そんなこと断言できるんだ? 現にアイツが死ぬ前、ずっと、この店に入りびたってーー」
「僕のテリトリーだからだ」
「君の? 君のテリトリーだと、なぜ、守屋が通いづめるんだ?」

 綾野は意地になって、きつい口調で問いつめた。
 八重咲の答えは明解だった。

「だって、守屋がつきまとってたのは、僕だから」
「ハッ?」
「だから、守屋は僕に対してストーキングしてたんだ。綾野。君はアイツの幼なじみだったろ? 知らなかったの? まあ、知ってたら、エマを犯人に仕立てあげようなんてしなかっただろうけど。守屋は男しか愛せないヤツだった。ミス大学は、ただの隠れ蓑さ」

 綾野はだまりこんだ。
 そんなこと、まったく気づかなかった。

「もっとも、僕にのぼせあがったのは、顔を見てからだよね。学生時代には、ほかに好きな人がいたみたいだ」
「……誰?」

 八重咲は、まっすぐに綾野を見つめてくる。
 妖しい翡翠(ひすい)のような色にけむる瞳。

「君か、守屋のどちらかが、ちょっと勇気を出していれば、いいだけの話だったんだ。何も殺さなくても。ただし、僕に出会う前にね」

 でも、そんなのできないよ。だって、男同士なんだからさ。

 綾野の脳裏に、なぜか故郷の風景が浮かんだ。
 少年のころ、いつも、となりにあった守屋の笑顔とともに——



 超・妄想コンテスト
『女同士・男同士』
『一冊の本』用に書いた話です。

 関連作品『契約者は悪魔〜八重咲探偵の事件簿〜』
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み