第18話  雪の夜には天使が舞いおりる  後編

文字数 4,202文字

 〜そして、天使は舞いおりる〜


 日が高くなり、客たちが起きだしてくる。
 あわただしい物音。

 リエルも衣服をととのえ、コートと古びたスーツケースを手に扉の前に立つ。

 ミーシャは窓辺で尻尾をゆらしていた。
「ミーシャ。また、いつか会おう」
 ミャアとミーシャが答える。

 そのときだ。
 とつぜん、「天使だ」「天使だ!」と、人々がさわぎだした。

 最初に声が聞こえたのは、となりの部屋だ。

 ジェイコブが寝ていたはずの部屋。

 すると、つられたように大勢がさわぎだした。どうも、通りに面した建物から声が聞こえる。

 リエルは、ミーシャが尻尾をゆらしている出窓まで歩いていった。そして、通りを見おろす。

 なるほど。そこに天使が出現していた。

 通りいっぱいに翼をひろげた天使。
 ただし、雪でできている。
 雪をかためて、道路に浮き彫りにされた天使だ。

 よこたわる形なので、高い窓からなら全身が見える。
 通りにならぶ、すべての建物の窓があいて、パシャパシャと写真を撮りだす。

 みんな、誰かの粋な計らいを喜んでいるようだ。

 だが、リエルは気づいた。
 それが、ただの雪人形ではないと。

 急ぎ、ろうかへ出たところで、ジェイコブと鉢合わせした。

「見ましたか? 素晴らしい演出ですね! きっと、オーソンさんですよ。昨夜、僕に言ってくれたんです。『今夜は、この雪だから、天使が舞いおりるだろう』って」

「昨夜、あの老人と話したんですか?」

 老人の名前が、オーソンなのだ。

「あなたに、ふられたんでね。ロビーでヤケ酒を飲んでたら、オーソンさんが出てきて、そう言ってくれたんです。天使を見た人は、みんな幸せになるって。だから、もしも明日の朝、天使が現れたら、花嫁と仲直りしなさいと」
「じゃあ、あなたは今すぐ花嫁の寝室に行って、仲直りしなさい」

 ジェイコブは、ちょっと切なそうに笑った。
「……そのつもりですよ」

 そう言って、新婦の部屋へ歩いていった。リエルの部屋とは反対側の隣室へ。
 ようやく、リエルのことをあきらめたらしい。

 これは、たしかに奇跡だ。
 だが、果たして、誰の起こした奇跡なのだろう?

 リエルは階段をかけおり、外へ出る。
 出がけに、受付にいたトーマに呼びとめられた。

「ご出立ですか?」
「いや。違う。通りのアレをたしかめに行くんだ」
「なんですか?」
「あなたはアレを見てないのか?」
「アレ?」
「通りに現れた“天使”だよ」
「天使?」

 トーマがついてくる。
 外に出ると、「わッ」と大声を出した。

「なんですか? ありゃ」
「だから、天使だよ。ただし中身は人間だ」
「えッ?」

 思ったとおりだ。
 近づいてみると、それは、うっすらと雪をかぶった人間だった。浮き彫りにされているのは翼だけだ。近くにステッキがころがっている。

「オーソンさんじゃありませんか!」
「そうだよ。老人の死体だ」

 すでに息がないことは、ひとめでわかる。
 眠るような安らかな死に顔で凍死している。

「殺人事件だ!」
 トーマはさわいだ。

「警察を呼ばないと……」
「いや、少し待ってくれ。私は犯人を知っている」
「ほんとですか?」
「宿の人たちを、ロビーに集めてくれないか」

 ロビーにジェイコブとその妻、イザベラが呼び集められた。そこへ、トーマとリエルがくわわる。

 青ざめた顔で、ジェイコブが言った。
「天使像……オーソンさんなんだって? それって殺人だろう? 誰が、そんなことを?」

 ジェイコブの妻は、まだ不機嫌だ。
 リエルをにらんでくる。
「殺したあと、あそこに運んだってことよね? だったら、女にはムリだわ。男の犯行でしょ?」

 ふてくされて言うので、あわてて、ジェイコブが、うなずいた。
「そうだね。マルガリータ。君って頭いい」
「ジェイコブは、そんなことする人じゃないわ。それに宿のご主人が、見ず知らずの泊まり客を殺す理由なんてないわよね。だとしたら、残るは一人よ」
「えっ? マルガリータ?」

 ジェイコブはあわてふためく。
 マルガリータのさしているのは、あきらかに、リエルだからだ。

 マルガリータは、よっぽどリエルが憎いらしく、指をつきつけて、こう叫んだ。
「あなた、ほんとは男なんですってね!」

 さて、なんと答えよう?
 リエルは、たしかに女ではない。
 だが、男というわけでもない。

「まあ、体力的なもので言えば、男に近いかな」
「やっぱり! 隠してるのは、やましいことがあるからだわ。最初から、オーソンさんを殺すつもりで追ってきたんでしょ?」
「隠してるわけではないが……ここに来たのは行方不明になった仲間を探しにきたからだ。彼は、この前の戦争で傷ついて、記憶を失ってしまったのだろうと推測される」

 マルガリータは笑った。
「戦争? 戦争なんて、何百年も前になくなったわ」
「そうだな。そういう点では、人間の社会は進歩した。神もお喜びだ」
「警察を呼ぶなと言ったのも、自分が逃げだすための時間かせぎよ。そうに違いないわ」

「なかなか頭のまわるお嬢さんだ。だが、その論理には欠陥がある。犯人はオーソン老人を路上へ運ぶ必要はなかったんだ。
 それに、力のていどで言えば、あなただって容疑者になりえる。だって、マルガリータさん。あなたはロボットでしょ? たとえ男でなくても、男並みの力が出せる」

 マルガリータは返答に詰まった。
「それは……」

「私は、ひとめ見て気づきましたよ。あなたがロボットだってことに。ジェイコブもロボットにしか愛情を感じない男のようだしね」

 ますます青くなって、ジェイコブはマルガリータのために弁明した。

「でも、ロボットは人間を殺すことはできない。そういうふうにプログラムされてるからだ」
「そうです。ロボットの三原則。したがって、マルガリータには、オーソンさんは殺せない。イザベラにも殺せない」
「じゃあ、誰が……? ま、まさか、ほんとに、あなたなのか? リエルさん?」

 ふるえだすジェイコブを見て、リエルは笑った。

「いや。私ではない。だから、犯人はオーソンさんの死体を運ぶ必要はなかったと言ったでしょう?」
「な、なんで?」
「ジェイコブさん。オーソンさんは、あなたに天使を見せたかった。だから、天使になった、ということですーーそうだね? イザベラ?」

 イザベラは、うなだれる。

「えっ? どういうこと?」
 たずねるジェイコブに、リエルはイザベラのかわりに答えた。

「オーソンさんは伴侶を亡くして絶望していました。それに、彼自身の死期も迫っていた。もうこのまま、誰にも看とられず、一人さみしく死んでいくだけの人生だったんです。
 だから、せめて、天使に見守られながら死のうとして、この街へ来た。そう。彼は、ここへ自殺しに来たんです。
 そんなときに、若い夫婦が、つまらないことでケンカして嘆いている。それならば、自分の死が誰かのためになればと考えた。
 オーソンさんは自分の足で、あそこまで歩いていったんだ。まだ雪の降りやむ前に」
「えっ? じゃあ、オーソンさんは自殺? でも……それはない。だって、あの翼は老人が一晩で作れるような彫刻じゃないよ」と、ジェイコブは反論する。

 リエルはイザベラをながめた。
「翼を作ったのは、イザベラだ。ねえ、イザベラ。そうだろう?」

 あきらめたように、イザベラはうなずく。
「さようです。お客さまに頼まれたものですから。彼が亡くなったあと、翼を作ってほしいと。彼を天使にしてあげてくれと」

 ジェイコブは納得している。
「そうか。ロボットに人間を殺すことはできないが、生前の命令を聞くことはできる。すでに亡くなっていれば、人命救助にも該当しないし……」

 しかし、トーマが首をひねった。
「ちょっと、待ってくれ。今、イザベラは、こう言った。『彼を天使にしてあげてくれ』と。
 オーソンさん自身が、そんなふうに言うだろうか? その言いかたは、なんだか別の誰かが、オーソンさんを指して言ったようだ」
「そうですよ」

 リエルは冷静に答える。
「あの演出をイザベラに頼んだのは、オーソンさんじゃない。マルガリータ。あなただ」

 今度は、マルガリータが青ざめた。
 ロボットとは言え、彼女は人間だったころの記憶を持っている。つまり、心は人間なのだ。

 ジェイコブが、とまどう。
「なぜ、そんなことを?」

「それは、ジェイコブさんの言うとおり、老人の力で、あの翼を作ることができなかったからだ。
 マルガリータが夜中に見たとき、老人はすでに通りで亡くなっていた。
 だが、翼はステッキで雪の上に描いただけの貧弱なものだった。まだ雪が降っていた。朝までに消えてしまうことは明白だった。
 だから、ほっとけなかったんでしょう?
 マルガリータ。あなたはオーソンを知っていますね?
 オーソンさんも、あなたが誰か気づいていた。
 見知らぬ新婚夫婦だったわけじゃない。あなたが昔の知りあいだから、幸福になってもらいたかったんだ。自分の命をかけてでも」

 マルガリータは泣きだした。
「……そうよ。わたしが、まだ人間だったころの遠い昔の恋人よ。おたがいに初恋だった。けっきょく別れて、別々の人と結婚したけど」

 ジェイコブが、がくぜんとする。
「なんで、それを言わなかったんだ」
「あなたに知られたら嫌われると思って……」
「昔のことだろ? 思い出に嫉妬はしないさ!」

 抱きあう夫婦を見て、リエルは嘆息した。今こそ、真の奇跡が必要だ。

「まったく、人間たちが出生率をいじったりするから、魂の行き場がなくなって、ややこしいことに……」

 リエルはスーツケースから商売道具をとりだした。
 一輪の純白の百合を。

「われ、神の御名において告げる。マルガリータ。あなたは、たったいま受胎した。オーソンの魂は、あなたの胎内で転生する」

 リエルがマルガリータのもとに、ひざまずく。
 そして、百合をさしだすと、二人を包むように、金色の光がさした。

 そこにいる人々は全員、あッと大きな声を出した。

 リエルの姿が変化していた。
 もともと美しかったが、今の姿は、ただ美しいというより、神々しい。

 瞳を射るほどのまぶしい光をはなつ、白い翼ーー

「天使だ……」
「天使だわ」

「わが名は大天使ガブリエル。神の言葉を伝えし者」

 ロボットに受胎告知。
 今の時代、これくらいハデな奇跡が必要なのだ。

 ガブリエルは微笑を残し飛びさった。
 人々の歓喜の叫びを聴きながら。




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