第30話 残像(SF)

文字数 5,682文字


 メインコントロールルームの通信機の前で、イライザが地球へメッセージを送っている。

「聞こえますか? ヒューストン。こちら宇宙ステーションです。応答願います。ヒューストン、応答願います」

 しかし、それに対する応えは無言。

 もう半年以上も、この状態だ。

「ダメだわ。やっぱり応答がない。ねえ、ヒロム、あなたも交信してみてよ」

 呼びかけられて、広夢(ひろむ)はイライザをふりかえった。

 ムダなことはわかっている。

 もう何度もやってみたことだ。

 広夢が答える前に、そばで聞いていたイワンが言った。

「イライザ。わかってるだろ? 地球はもう応えない」

 なぜ、こんなことになったのか、はっきりしたことはわからない。

 太陽の運動がじょじょに高まっていることは、しばらく前から観測されていた。

 半年前のあの日、とつじょ起こったメガフレア。

 観測史上最大級の太陽風が地球をおそった。

 おそらく、それは地球始まって以来の猛威。

 あの日、宇宙ステーションから見えたのは、恐怖をおぼえるほどの凄まじいオーロラだった。緑、赤、紫のオーロラが青い地球ぜんたいをおおいつくした。

 それは地球の上で光の妖精が乱舞するかのような、美しくも、どこか狂気を感じさせる光景だった。

 十日間、その状態が続いた。

 太陽風は磁気嵐だ。

 その間、地上と通信がとれなくなるのはしかたないことだ。しかし、オーロラが見えなくなり、計器上の数値が平常にもどっても、地球からの交信はなかった。

 この世のものとは思えないような、あの十日間、地上で何があったのか、知るよしはない。

 最初はみんな、地上の磁気の乱れがおさまっていないせいだろうと話していた。あるいは地上にあるすべての通信機器が故障してしまったのだと。

 だが、すでに、あれから半年がたつ。

 もはや、明白だ。

 地上で、何かが起こった。それも壊滅的な何かが。

 宇宙ステーションのなかには、現在、六名のクルーが滞在中だ。

 かつての国際宇宙ステーションを踏襲した、最新型の宇宙ステーションは、地球からの物資輸送がなくても、十ヶ月は生活ができる。

 発電は太陽光。そして電力さえ落ちなければ、水と酸素の供給はとだえない。

 問題は食料だ。

 そろそろ、備蓄がつきる。

 一日三回だった食料の配給を、三ヶ月前に二回にへらした。だから、あと一ヶ月半は最低でももつ。でも、そのあとは?

 ここは地上から四百キロ以上も離れた宇宙空間だ。食料は地上からの物質にたよるしかなかった。

「これからどうするか、決めるべきだ」と、リーダーのジョン・ウィリアムズが言いだした。

「磁気嵐によって交信不能なだけなら、半年も放置されることはない。地上に交信のできる機関が存在しなくなったと考えるべきだ。我々が生きのびるためには、独力で努力しなければならない」

 それは誰もが内心、覚悟していたことだ。

 イライザは泣きだした。恋人のウォルターが肩を抱いた。

「この宇宙ステーションには食料となる植物を育てる広さがない。厳密に言えば、六人ぶんの食料を栽培するだけの余地がない。我々に残された道は二つあると思う」

 みんなを見まわしながら、ジョンが言った。

「一つは、地球へ帰るという選択だ。地上はどうなっているか現状がわからない。何が起こるかもわからない。しかし、とりあえず水や酸素、食料を求めるすべはあるだろう。

 二つめは、月の基地へ行くという選択だ。月のテラフォーム計画は三十年前に始まった。計画の完遂は予定では五十年だ。まだ途上だが、しかし、すでに水の確保と酸素濃度は充分、得られていると考えられる。

 食料だが、研究用の小麦、トウモロコシなど、何種類かの植物が現在、ステーション内にある。農地さえ確保できれば、栽培することは可能だ。

 また、すでにテラフォーミングの過程において、月に植樹されている樹木のなかには、栗、リンゴ、オレンジなどの果実のなるものがふくまれている。

 昆虫、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、ほにゅう類などは、月面環境が整備されたのち、育成できるよう、受精卵やDNAが冷凍保存されている。

 将来的には第二の地球となるだろう。

 このまま、ステーションにとどまっているよりは、月へ行くほうが生存率は高い」

「月へは、どうやって?」と、イライザの肩をたたきながら、ウォルターが質問する。

「緊急時のための不時着用エンジンがある。一度きりなら宇宙航行も可能だ」

 イワンが即答する。

「月へ行くしかないだろう」

「でも、地球には家族がいるのよ?」

 反論したのはメアリー・チェンだ。

 中国系のアメリカ人の彼女は、ジョンの伴侶でもある。仕事の都合上、旧姓のままだ。

 もちろん、メアリーやジョン以外のクルーにも、家族はいる。家族を見すてることなんてできないという意見は、いっとき、大勢を占めた。

 しかし、広夢にはわかっていた。

 人道的な見地や感傷から、最初はみんな反対するものの、最後には、けっきょく月行きに賛成するのだと。

 だって、ほかに手がないのだから。

 二時間の議論ののち、広夢をのぞく全員が、月行きを決意した。

 こうなることは、わかっていた。

「ヒロム。君も賛成するだろう?」

「そうだよ。いっしょに行こう」

「一人でも多いほうが心強いわ」

 口々に広夢を説得しにかかる。

 広夢はゆっくりと口をひらいた。

「いや、おれは月へは行かない」

 みんなは困ったような顔をした。おたがいの顔を見まわしたあと、メアリーがさとすように言う。

「それはムリよ。ステーションを動かすとなったら、この場所に残ることはできない。だからこそ、全員一致でなければならないのよ」

 もちろん、そんなことは広夢も承知の上だ。

「帰還用のポッドが一機、あるだろう?」

 ハッと息をのむ音がかさなる。

 メガフレアの直前、イワンは地球へ帰る期日が二日後に迫っていた。帰還用のポッドが地球から送られ、ドッキングに成功していた。

「あれを使う」

「何を言ってるの? 降りたら、もう、ここへは帰ってこられないのよ?」と、メアリーは必死にひきとめる。

「月は行けば生きられる。でも、地球で生きていける保証は、まったくないのよ?」

「わかってる。たぶん、地球は滅びたんだと思う。それでもいいんだ。どうしても帰らなければいけないんだよ」

「どうしてもって、なぜ? 確実に死ぬとわかっていて帰らなければいけない理由なんてないでしょ?」

「理由は……言えなかったから、かな」

 広夢は苦い気分で笑った。

 自分でもバカなことをしようとしているのだと思う。

 なぜ、あのとき、言わなかったのだろう?

 男の意地? 見栄? 自信がなかったから?

 たぶん、自分はハッキリさせたいのだ。

 言えなかった気持ちをかかえたまま月へ行っても、みんなのように前向きには生きていけない。

「おれが帰れば、地球がどうなってるのか現状がわかるだろう? 磁場嵐はやんでるから、今なら交信もできる。みんなに下で何が起こってるのか伝えるよ。それなら、ほんとに月へ行くべきか否かの判断材料になる。みんなにとっても悪い話じゃない」

 そのあとも、さんざん、ひきとめられた。

 しかし、誰も広夢の決心を変えさせることはできなかった。

 リミットは近い。何かをするなら早いほうがいい。

 帰還用ポッドの点検や調整が急ピッチで進められた。

 二時間後、ポッドは離脱可能になった。

「……ほんとに行くのか? ヒロム」

 イワンはくちびるをゆがめながら、たずねてくる。

「わざわざ、確認に行く意味は、あまりないと思うわ」と、メアリーも涙ぐむ。

「みんな、ありがとう。心配してくれて嬉しいよ。でも、おれは行くよ。いや、帰るんだ。いい知らせがあれば、すぐに交信するから」

 片手をさしだし、ジョンが述べる。

「三時間、待つ。もし、三時間たっても君からの交信が入らなければ、我々は予定どおり月へ行く」

 広夢はジョンの手をにぎりかえし、ポッドのなかへ入った。


 *

 帰還用ポッドは自動操縦で降下していく。

 青く輝く地球が刻一刻と近づいてくる。

 目の前が青一色に染まる。

 やっと、帰っていくんだ。あの青のなかへ。

 ほんとうなら、ひと月前に広夢の今期の任務は終了していた。

 帰還したあかつきには、あの人に言おうと思っていたことがある。

 宇宙ステーションのみんなには言ってなかったが、広夢を育ててくれたのは、実の母ではない。実母は広夢が三さいのときに病気で死んだのだそうだ。

 そのあと、父親がどこへ行ったのかわからない。祖父母は父の話をしたがらなかったし、老齢だったので、真相を聞く前に二人とも亡くなってしまった。

 祖父母がいなくなってから、広夢は親戚の家をたらいまわしにされた。何度か家出をして、警察に補導された。

 養護施設で二年間、暮らした。

 十さいのとき、あの人はとつぜん、広夢の前に現れた。

「君が広夢くんね。今日から、わたしが、君のお母さんよ」

 それが、一花さんだった。

 子どもの目から見ても、とてもキレイな人。

 大人の年はわからなかったが、その当時、一花さんはまだ二十五になったばかりだった。

 一花さんは結婚一年めで配偶者を事故で亡くし、ショックで子どもを流産したのだという。二度と妊娠できないだろうと医者に言われ、養子をとることにしたのだと、のちに聞いた。

 おたがいに家庭に縁の薄いどうし。

 最初はギクシャクしたが、一年とたたないうちに、うちとけた。

 広夢にとって、母というものは、あこがれの存在だった。

 一花さんはどちらかと言えば、母というより年の離れた姉のような人だったが、二人の暮らしは平穏だった。

 家に帰るのが楽しみだと、生まれて初めて感じた。こんな毎日がずっと続くのだと信じていた。

 だから、一花の急な告白は、広夢には青天の霹靂だった。

「ヒロくん。聞いて! わたしね。今度、結婚しようと思うの!」

「えっ? 結婚……?」

 それは広夢が高校を卒業する直前のことだった。

 広夢は十七。一花は三十二だ。

 一花はまだ充分に若い。それに美人だ。

 優しくて可愛くて、面倒見がよく、いつまでも少女のようなところがある。

 再婚の話が出たって、不思議はない。

 でも、広夢は素直に喜べなかった。

「ああ、そう。もうすぐ、おれが卒業だもんな。そしたら、一花さんは晴れて自由の身さ」

 そっけなく言って、自分の部屋にかけこんだ。

 じつのところ、一花とは親子じゃない。養子縁組みをかわしていなかった。広夢が承諾しなかったから。世間的には、一花は広夢の後見人でしかない。

 高校を卒業するまで口をきかなかった。

 一花はあれこれと話しかけて、広夢に理解してほしかったようだが。

「ヒロくんがイヤなら、わたし、結婚しない。ヒロくんが祝福してくれない結婚なんて、喜べないもの」

 そんなふうに言う一花を見ると、なおさら腹が立った。

 卒業の日に、広夢は自分の荷物をまとめて、一花の家を去った。

「育ててくれて、ありがとうございました。さよなら」

 そっけない別れだった。
 さよならの理由さえ告げずに……。


 *

 あれ以来、一花に会っていない。

 なぜ、ほんとのことを言わなかったのだろう?

 言えば、それまで築いた、たがいの関係がくずれると考えたからだろうか?

 いや、関係はすでに、くずれていた。

 ろくに口もきかず恩人の家を出ていくなんて、とても良好な関係とは言えない。

 それなら、いっそ、真実を告げたほうがよかったのだろうか?

 そのほうが一花だって納得できたはずだ。

(おれたちは親子じゃないんだよ。おれが大人になれば、関係は変わると思ってた)

 あと少し、待っててほしかった。

 でも、きっと、一花は広夢を死んだ息子の代理としてしか見ていなかったということなのだろう。

 ぼんやり考えこんでいると、とつぜん、ポッドの計器が狂いだした。地球の磁場に突入した直後だ。

 一瞬、ポッドの周囲を妖しいグリーンのカーテンがおおった。メガフレアのときのオーロラの乱舞に似ている。

 なんだ、これ? 何が起こった?

 うろたえていると、オーロラのむこうに人影が見えた。

「育ててくれて、ありがとうございました」

「ヒロくん……元気でね。いつでも、ここに帰ってきていいのよ?。必ずメールしてね。必ずよ」

「……さよなら」

 あの日だ。あの日の広夢と一花。

 広夢が去り、一花は涙ぐみながら、玄関のなかへ入っていこうとする。

 これは、なんだ?
 なぜ、あの日の光景が見えるんだ?
 こんなにも鮮明に。今、そこに存在しているかのように。

 しかし、ためらっているヒマはない。
 これこそ、広夢が帰りたかった場所だ。

 やりなおしたかった時間。

「一花さん!」

 叫ぶと、一花はふりかえった。

 ビックリしたような目で、こっちを見ている。

「えっ……広夢? でも……」

 今の広夢は二十八だ。一花の知っている少年の広夢ではない。

「一花さん。おれ、言えなかったことがあって……」

 どんな奇跡が起こったのかわからない。

 磁場に記録された地球の記憶なのか、あるいは磁気嵐によって意識だけが時空を超えたのか。

 ハッキリしているのは、今しかないということ。

 あのとき言えなかった言葉を伝えるのは。

「一花さん。おれ、ほんとは、ずっとーー」

 オーロラの乱舞が、ふたたび始まる。

 一花の姿が陽炎のようにゆらめく。

「ヒロくん! ありがとう! 帰ってきてくれて嬉しいよ!」

 光のカーテンのむこうから、一花が叫んできた。

「いつでも、もどってきていいから。ここが、あなたのおうちだからね」

 広夢は出かけた言葉をのんだ。
 そして——

「一花さん。結婚、おめでとう。幸せになって。おれ、お母さんをとられるみたいで、素直になれなくて……ごめん」

 一花は笑った。
 その笑顔を見られただけでいいと、広夢は思った。

(やっぱ、言えないよ。ほんとは、ずっと好きだったなんて)

 母のような、姉のような、初恋の人。
 今度こそ、さよなら。

 オーロラのなかに一花の姿は消えた。

 ポッドは降下していく。
 青い大地に吸われるように。
 母の胎内へ還るように……。
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