第15話  ☆瑠璃の夢  後編

文字数 4,367文字

 *

 峠へと、向かっていく。
 わたしが、この場所に来るのは初めてだ。

 子どものころは、大人の言いつけをしっかり守って、一度も、そこへ行ってみたことはなかった。

 峠の風穴。
 時間をとびこえるという、神隠しのほら穴。
 瑠璃は、きっと、そこへ行ったのに違いない。

 そう思うのには、わけがある。
 瑠璃は家族のことを話したがらなかった。
 でも、たった一回だけ、見たことがある。

 あれは日が暮れてから、祖母の言いつけで、近所の雑貨屋に、おつかいにいったときだ。

 近所と言っても、山のなかだから、けっこう離れている。雑貨屋に行きつく前に、神社があった。

 それでなくても真っ暗で、山奥の夜は、ぶきみなのに、神社のなかは、さらに真っ暗で、薄気味悪い。
 古びた狛犬も迫力がありすぎる。
 昼間でも、妖怪が出そうな神社だ。

 わたしが走って、神社の前を通りすぎようとしたときだ。泣き声が聞こえた。子どもの声だ。

 わたしは、オバケが出たと思って、足がすくんだ。
 鳥居の前の石段に、子どもがすわってる。

 その姿を見て、わたしは別の意味で、おどろいた。
 瑠璃だ。
 泣いてるのは、瑠璃だった。

「どうしたの? 瑠璃?」

 瑠璃は、わたしに気づいて、ハッとした。
 顔をそむけようとする。

「どうしたの? ころんだの? どっか痛いの?」

 わたしは、なんて幼稚だったんだろう。

 そのころ、男の子が泣くときは、体が痛むか、友だちとケンカでもしたときくらいだと思っていた。

 瑠璃は、もっと深刻な悩みをかかえていたのだと、今なら、わかる。

 瑠璃は首をふって、わたしを押した。
 あっちへ行ってくれと言いたいのだ。
 でも、わたしは去らなかった。
 そんなふうに泣く人を、ほっとくことなんてできない。

 わたしが、となりにすわると、瑠璃は最初、体を遠ざけた。

 だけど、どうしても涙が止まらなかったようだ。ぼろぼろ泣きながら、必死に自分を抑えようとしている。

 その姿に、わたしは胸の奥が、キュッとなった。

 この人を守ってあげたいーー
 ほとばしるような思いが、こみあげてきた。

 わたしは瑠璃を抱きしめた。
 瑠璃は、わたしの胸にすがって泣いた。

 あの夜のことは、わたしと瑠璃の秘密。

 翌朝、会ったときには、瑠璃はもう、いつもの瑠璃だった。だから、誰も、瑠璃の心が深い暗闇をかかえていることに気づいていなかったんだと思う。

 峠の道は、だんだん、けわしくなる。
 標高は、それほど高くない。
 でも、まわりに崖や倒木など、危険が増えてきた。
 何度か、くじけそうになりながら、ようやく、わたしは、その場所に立った。

 時の風穴ーー
 雑木におおわれた黒い穴が、目の前にある。

 ほんとに、ここへ入れば、時を越えられるんだろうか?
 いや、そんなこと、あるはずがない。
 でも、きっと、瑠璃は信じていた……。

(あんなこと、言わなければよかった。おばあちゃんから聞いた話、瑠璃には……)

 瑠璃は泣いていた。
 泣きながら、こう、つぶやいた。

「……お母さんに、会いたいよ」

 あのときは、ただ、瑠璃がさみしくなって、遠くにいる母親に会いたくなっただけだと思ったけど。

 瑠璃のお母さんは死んでいる。
 だとしたら、死んだ人に会うことは、ふつうの方法ではできない。
 でも、時を越えることができれば……。

 だから、瑠璃は一人で、ここへ来たんじゃないか。
 そんな気がしてならない。

 わたしは暗い、ほら穴のなかへ入っていった。
 なかへ入ると、ほんとに真っ暗だ。
 何も見えない。

 でも、ここに瑠璃も来たんだ。
 瑠璃も歩いたんだ。
 子どもだった瑠璃には、今のわたしよりも恐ろしかったはずなのに。
 そう思い、奥へと進んでいく。

 どのくらい歩いただろうか。
 少なくとも五、六メートルは進んだ気がする。
 暗闇を歩くことに少し、なれてきた。
 思っていたより、道は平坦で歩きやすい。

 どこまで行けば、時間を越えられるんだろう?
 できることなら、八年前にもどって、瑠璃をひきとめたい。
 ダメだよ。行っちゃダメ。
 行かないでと、言いたい。

 わたしは、あせっていたのかもしれない。
 ぐんぐん進んでいくと、いきなり、ふみだした足が空を切った。崖になっていたのだ。

 わたしは悲鳴とともに落下した。
 もうダメ、死ぬーーと思ったとき、誰かが、わたしの手をつかんだ。

(誰? 瑠璃なの?)

 わたしは力強い腕に、ひきあげられ、かろうじて転落をまぬがれた。

「おまえ、何やってんだ!」

 しかし、待っていたのは、怒鳴り声。
 暗くて、よくは見えないけど、瑠璃じゃない。

「誰?」

 わたしが言うと、ため息が聞こえてくる。

「……透夜だよ」
「へえ。ひさしぶり」

「ひさしぶり、じゃないだろ。なんか、見たようなやつが歩いてるなと思ったら、峠のほうに向かってくからさ。追ってきたら、このザマだ。まさか、自殺しようとかしたの?」
「まさか! そんなわけないでしょ。崖になってるって、思わなかったんだよ」

 透夜は、ほっとしたようだ。
「そっか。ならいいけど。ここ、出よう。あぶないよ」

 わたしは、そっと、崖の下をのぞいてみた。
 でも、あまりにも暗すぎる。
 ただの黒い穴にしか見えない。

「暗闇のなかで、ここを歩いてたら、みんな、落ちちゃうよね……」
「ああ、そうだろうな。だから、近づいちゃいけないって言われてたんだ。よく見えないけど、けっこう深そうだし。落ちたら、あがってこれないんじゃないの?」

 時間を越えるなんて、ただの伝説だったのか。

 きっと、遊びにきた子どもが何人も、ここで落ちて死んでしまったのだ。
 死体も見つからなくて、神隠しだなんて言われるようになったに違いない。

「……ここに、瑠璃がいるんだよ」

 わたしは確信した。
 あの夜、きっと、瑠璃は一人で、ここに来て、奥へ向かっていた。そして今のわたしのように、とつぜんの崖に気づかず、落下してしまったのだ。

「そう……かもしれないな。瑠璃は、ここに来たがってたし。あとで明かりやロープ持ってきて、調べてみよう」
「うん」

 悲しいけど、それが真相なんだと思った。
 やっぱり、瑠璃を殺したのは、わたしだ。わたしが、ここのことを教えなければ、瑠璃は……。

 ところが、そのときだ。
 とうとつに、透夜が「わッ」と、さけんだ。
 わたしたちは強い力で、崖下へ、つきおとされたーー

 落下しながら、一瞬、見えた。
 さっきまで、わたしたちのいたところに立っている人を。

 瑠璃? 瑠璃なの?
 ちがう。似てるけど……すごく似てるけど、女の人だ。

(この人、わたしたちを殺そうとーー?)

 長い落下感。
 今度こそ、死んじゃう!
 そう思った。

 するとーー

 誰かの手が、わたしをつかんだ。
 目をあけると、瑠璃がいた。
 体が透きとおってる。

「……瑠璃?」


 ーーごめんね。僕を殺したのは、君じゃないよ。もう、自分を責めないで。


 瑠璃が、ささやく。

 風が巻きあがる。
 わたしの体をつつみこんだ気がした。



 *

 気がついたときには、わたしは、かたい地面の上によこたわっていた。でも、どこも痛くない。

(そういえば、風が巻きあがって、受けとめてくれたような……)

 あたりは、妙に明るかった。
 ヒカリゴケが一面を青く照らしている。

 わたしのとなりに透夜が倒れていた。

「透夜! ちょっと、大丈夫?」
「……いてて……おれ、死んだのか?」

 と言いつつ、ふつうに立ちあがる。
 どうやら、無事らしい。

「あれ、生きてるな。ケガも、ほとんどしてないみたいだ。何が起こったんだ?」
「風が……」

 そうじゃない。
 あれは瑠璃だ。瑠璃が助けてくれたんだ。

 でも、瑠璃は言った。
 僕を殺したのは、君じゃないと。
 つまり、瑠璃は、やはり、すでに死んで……。

 わたしは、怖かった。
 それを見るのが。

 瑠璃は、ここにいる。
 あの崖から、つきおとされて死んだのだとしたら。

「おーーおい、夏帆」

 透夜の声がふるえている。
 わたしの肩をつかんで、ぐいぐい、ひっぱる。

「見ろよ。あれーー」

 見たくない。
 でも、見なければ。
 それは、ずっと探していた人。
 いつか、もう一度、会いたいと願っていた人。

 わたしは心を決めて、透夜の指さすほうを見た。

 あたり一面、青い光のなかに、瑠璃がいた。
 子どものままの瑠璃が。

 あのころと寸分たがわぬ姿で、それは眠っているように見えた……。



 *

「瑠璃のお母さん、逮捕されたってよ」

 翌日。
 透夜が言った。
 わたしたちは大きなケガがなかったので、どうにか自力で崖をよじのぼり、警察に通報した。

 瑠璃の遺体は、屍蝋という状態だったらしい。
 湿度とか温度とか、その他もろもろの特殊な条件でだけなる現象。
 死体がロウのようになって、生きていたころの原形をとどめるのだ。

「時を越えるって……こういうことだったんだね。何年もたってから、子どものままで返ってくるって……」
「たぶんな」

 そして、瑠璃の遺体は、赤い石のイヤリングを片方、にぎりしめていた。
 わたしが河原でひろったはずの、あのイヤリングだ。
 それは、瑠璃の母親、紅子さんのものだったという。

「瑠璃のお母さんって、亡くなってたんじゃないの?」

 透夜は暗い顔つきで説明してくれた。

「亡くなったのは育てのお母さんだよ。おれも最近になって聞いたんだけど。ほんとのお母さんは、瑠璃が赤ん坊のころに、瑠璃をすてたんだって。
 それで、母親の妹夫婦が育ててたんだけど、二人とも事故で亡くなって。しかたなく、紅子さんが、ひきとったけど、けっきょく、再婚のジャマになって……」

「ひどい話だね」

 瑠璃が会いたいと言ったのは、優しい育ての母のことだったのか。
 それとも、自分をすてた、ほんとの母?

 それは、わたしには、わからないけど。

「おれさ」

 とつぜん、透夜が言った。
「あの風穴のなかで気を失ってるとき、夢を見たんだ。瑠璃がさ。笑ってて、元気いっぱいに、『さよなら!』って言うんだ。『もう一度、君たちに会えて嬉しかった』って」

 瑠璃は、飛んだのかなーーと、透夜は、ささやいた。

 時を越えたのかもしれないと。

「わたしも見たよ」

 あれは夢というより、幻だったのかもしれないけど。

 もう自分を責めないでと言ってくれた瑠璃。

「お別れを言いにきてくれたのかな」

 わたしが前を見て、歩きだせるように。

 なあ、と、透夜が言う。
「また、遊びに来いよ」
「ムチャ言わないでよ。ここまで遠いし、志望校、東京なんですけど」
「じゃあ、おれも東京の大学、受ける!」
「いいけど、なんで?」
「なんでって……おまえ、ほんっと、変わんないな」

 コツンと頭をたたかれた。
 でも、なんでだろう。
 少し、うれしい。



 その夜、わたしは夢を見た。
 笑いながら、かけさっていく、瑠璃の夢を……。




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