第10話  ☆コスモブラックの海〜海の密室〜(ミステリー)前編

文字数 5,022文字




 〜わだつみの神に祈る〜


 僕は願う。
 この願いを叶えるためなら、すべてをなげだしてもいい。
 竜神よ。
 僕の声が聞こえますか……?




 〜竜神祭殺人事件〜


 かりに竜ヶ島としておこう。

 そこは日本近海に浮かぶ小島だ。
 島民は千人に満たない。
 日に一度、本州からフェリーが運行する。
 島にはネット環境もなく、ウソみたいにアナログな暮らしが続いている。

 時の流れに忘れさられた島。
 それが、竜ヶ島。

 戸渡賢志はフリーランスのライターだ。動物写真家も兼業している。
 この島を最初におとずれたのは、数年前。

 島猫が、はやりだしていたころだ。
 あちこちの島をめぐって、猫の写真を撮っていた。
 のどかで、さびれた、どこにでもある日本の島の風景。

 その事件が起きたのは、何度めに島をおとずれたときだろう?

「ケンさん。ひさしいね。なんも出せんけど、よってきなよ」

 島には宿がない。いつも、お世話になってるのは漁師の島村さんだ。フェリー乗り場近くの漁港で会った。

「よろしくお願いします。島に変わりはないですか?」

 いつもなら、真っ黒に日焼けした漁師は、ニカッと白い歯を見せる。だが、このときは神妙だ。
「いやぁ、それがなあ……」

 フリーライターのカンが働く。

「何かあったんですか?」
「うん。巫女がな」
「巫女?」
「あれ、ケンさんは、この前の祭のとき、来てなかったか?」
「ああ。竜神祭ですね。おれは用があって、前日に帰ったので」
「ああ、そうだったか」
「巫女は、竜神祭の要ですよね?」

 この前に来たとき、祭については聞いていた。

 竜神祭とは、この島に古くから伝わる祭だ。
 竜神——つまり、海の神さまに豊漁を祈る祭。
 海辺の町では、よくあるやつだ。
 ただ、この島の祭は少し変わってる。

 島のまわりは、ほとんどが岸壁だ。港と、そのまわりの少しだけが遠浅になっている。
 島の真南の岩場に、ほら穴があった。

 竜神のほこらが、そのなかにある。
 ほら穴に巫女が一晩こもり、豊漁の祈りをささげる。
 その巫女は、毎年、十さいから十五さいくらいまでの島の女の子から選ばれる。

 子どもを一人で、ほら穴にこもらせるなんて危険じゃないのかと、そのときにも思ったが……。

「巫女に、なんかあったんですか?」

 島村は腕をくんで、うーんと、うなった。

 ちなみに漁から帰ってきたところらしく、まわりには、それなりの量の魚が箱に入れて、つまれている。
 ノラ猫が、どこからかやってきて、まわりをかこみだした。

 牧歌的だ。
 だから、この島で、あんなことが起こるなんて思ってもみなかった。

「巫女がなぁ。殺されたんよ」
「えっ!」

 思いがけない言葉に、賢志はおどろきをかくせなかった。

「殺された?」
「うーん。どうも、そうらしいね。祭のおこもりの翌朝、迎えに行くと、もうダメだったらしい。首を、こう——やられたらしいわ」
 島村は自分の首を片手で、キュッとしめるそぶりをする。

「そんなことが……」
「だもんで、今度、また、祭の仕切り直しするんよね」
「いつですか?」
「一週間後」

 一週間……それくらいなら、時間を作れなくはない。
 泊まってみようと、賢志は思った。

「一週間、お世話になってもいいですか? 謝礼は払いますから」
「礼なんかいいわ。好きなだけ泊まってけばいいって」
「ありがとうございます!」

 そんなわけで、賢志は殺人事件について調べることにした。

 もちろん、すでにニュースにはなっているだろう。だが、賢志が知らなかったのだから、あまり大きな扱いではなかったに違いない。
 あんがい、特ダネになる可能性がある。このところ、いいヤマを当ててなかったから、これは僥倖(ぎょうこう)だ。

 調べるためには、事件のてんまつを知らなければならない。語ってくれたのは、島村の妻、加奈子だ。

 夫婦には、ちょうど賢志と同い年の息子がいる。ただし、島の生活をみかぎって、都会へ出ていた。年齢が近く、水泳が得意という共通点もある。
 なので、賢志を息子代わりと思うのだろう。来ると、とても親切にしてくれる。

「あら、ケンちゃん。また来たの? うちに泊まるでしょ?」
「はい。よろしくお願いします。今度は一週間ほど」
「大歓迎よ。さあ、あがって。今度は何しに? また猫?」
「いえ。さっき、港で島さんに聞いたんですが、この前の祭で、大変なことがあったらしいですね。そのことが気になりまして」
「そうだった! ケンちゃん。記者さんだったっけねえ」
「はい」

 それで、きわめて詳細に事件について教えてくれた。
 古新聞の山も持ってきてくれた。
 それらをまとめると、こういうことだ。

 竜神祭の巫女に今年、えらばれたのは、中学三年の南咲良。十五さい。島生まれ島育ちのふつうの女の子だ。来春からは高校に通うため、島を出ることが決まっていた。

 ちなみに、小さな島なので、高校がない。だから、高校になると、子どもは必ず島を出ていく。卒業して帰ってくることもあるが、たいていは、そのまま都会で就職する。
 なので、南咲良は、今年が最後の巫女役だった。

 今年の祭の日。
 南咲良は夜八時に、ほら穴に一人で入った。これは、例年のことだ。

 ほら穴の入口には夜中まで護摩がたかれる。そこで、島民の男たちが、海水をかぶり、神楽をかなでるなどの神事が行われる。
 それが、日付の変わる零時ごろまでのこと。

 そのあと、巫女は一人で、ほら穴に残る。
 大昔には、どうやら、巫女とは建前。要するに、海神にささげるニエだったようだ。今は、それが儀礼的に残っている。

 明朝、七時になると、島民が巫女を迎えにいく。
 すると、そこに南咲良の死体があったというわけだ。

「ただなあ。不思議なんよねぇ」と、加奈子は首をかしげる。
「あそこは夜中には満潮になって、入口がふさがれるからねえ。誰も出入りできんはずなんよねえ」

「そんなところに女の子を閉じこめてたんですか? 溺れる心配はなかったんですか?」
「ほこらのある場所までは、水は来ないからね」
「なるほど」

 どっちみち、被害者は溺死ではない。絞殺だ。

 それに、加奈子の証言で、殺人の起きた時間帯が、かなり、しぼれた。男たちが、ほら穴を去ってから、満潮になるまでの、わずかの時間だ。

 賢志は港へ、とってかえした。
 日暮れが近づき、港へは船が次々、もどってくる。
 かたっぱしから話を聞いた。

「えっ? なに、祭? ああ、あの夜か。最後まで残ってたのが、誰かって?」
「はい。あるいは夜中に、ほら穴に近づく人を見ませんでしたか?」
「近づくもなんも、よっちゃんが、一晩中、見張っとったんと違うか?」
「よっちゃん?」

 首にかけたタオルで汗をぬぐいながら、答えてくれたのは、沖田だ。沖田も顔なじみだ。

「さくらのオヤジだわ。南義行。祭の晩は、親が入口の見えるとこに船とめて、見張るのが慣習だからなあ。なんせ、子どもが心配だもん」

 それは、そうだろう。
 未成年者の親なら、誰だって。

「なるほど。南さんが、ほら穴を見張ってたんですね。じゃあ、それこそ、ほんとに誰も出入りはできなかったのか……」

 自然の作った密室。
 いよいよ、謎が深まる。

 考えこんでいると、視線の端のほうで、人影が動いた。
 すっと遠のいていく、うしろ姿が見える。

 少年……少女か?

 遠目なので、よくわからないが、きゃしゃな体格は、十五さい前後の子どもだろう。

「あれは、誰ですか?」

 気になって、沖田にたずねてみた。
 とたんに、沖田の潮焼けした顔がゆがむ。

「うん……? ああ、蒼太だな」
「どこの子ですか?」

 なぜか、沖田は、もごもごと、くちごもった。そして、急に忙しそうに網を片づける。

「悪いね。日が暮れえわ」

 たしかに、日差しは傾きかけていた。
 おだやかな凪の海をきらきらと金色に染める。
 しかし、まだ暗くなって困るという時間ではない。
 あきらかに、ふれられたくない話題のようだ。

 なんだか、こっちを見ていたようだが、気のせいだろうか?

 その夜、賢志は島村に聞いてみた。
「今日、港のところで、男の子を見かけたんですがね。蒼太っていうらしいですね。どこの子どもかって聞いたら、沖田さん、急に話をそらしたんですよ。なぜですか?」

 島村の顔も神妙になった。
 だが、賢志が、まっすぐ見つめていると、ため息をついた。

「あれは、よそもんの女が島に流れてきて、生んだ子だ。十五年か、十六年か、そのくらい前かねえ。女のほうは、すぐに死んじまって。めんどう見るもんもおらんでね」

 賢志はビックリした。

「ちょっと待ってください。それって、私生児ってことですか? もしかして、戸籍にも登録してないような?」

「たぶん、そうだろうね。なにしろ、悪い病気にかかった素性の知れん女が生んだ子だもんで」

「いや、だからって。母親が死んだなら、児童相談所に連絡するなり、施設に保護してもらうなりしたらいいじゃないですか」

「何度か連絡はしたみたいだがねぇ。蒼太が逃げまわるもんで、つかまえられんのよ」

 つかまえるだなんて、犬猫か?

 賢志は、めまいをおぼえた。
 現代の日本で、こんな話を聞くとは思ってもいなかった。

 すると、賢志が島の人を責めていると感じとったのだろう。

 島村は告げる。

「あれには、かかわらんほうがいい。祟られる」
「祟る?」

「さくらを殺したのも、蒼太だと、みんな思っとる。さくらは優しい子だった。蒼太にも、いろいろ、よくしてやっとったからね」
「仲がよかったんですね?」
「そりゃもう、兄妹みたいに」

「じゃあ、なんで、そんな子を殺すんですか?」
「さくらが島を出ると知ったからだろうよ。さくらがいなくなりゃ、蒼太は、ほんとに、ひとりぼっちだ」

 なるほど。それは納得のいく答えだ。
 自分を置いていく友達が、ゆるせなかったのだろう。裏切られたと感じたのか。

 あの少年のことを、もっと知りたい。

「あの子のことをよく知ってる人はいませんか? ふだんは、どこに泊まってるんです? 食べ物だって、自分で、どうにかするには限界があるでしょ? それとも、どこかで働いているとか」

 島村は妻の加奈子と顔を見あわせ、首をふった。
 いよいよ、口が重い。
 以降、何を聞いても答えなくなった。



 *

 翌朝。
 賢志は、まず、南家に行ってみた。
 事件当夜のことを聞きたい。とくに、みんなが去ったあと、ほら穴を出入りした人間が、ほんとに誰一人いなかったのか。

 島民のほとんどは漁師だ。
 南義行も、そうだ。漁に出てしまう前にと思い、朝六時に起きて、朝食も食べずに、かけつけた。

 玄関前にたどりついたとき、ちょうど出てきた義行と鉢合わせした。それほど親しいわけではないが、顔見知りではある。

「このたびは、咲良さんのこと、ご愁傷さまでした」

 深々と頭をさげると、義行は悲しげな目で、ほほえんでくれた。

「ご仏壇に線香をあげさせていただいても、よろしいですか?」
「ああ。いいよ」

 いっしょに家のなかに戻り、仏間へ案内された。
 奥さんの絢子も、やってくる。
 賢志は、ひととおり儀礼的な挨拶をすましたあと、本題に入った。

「ところで、犯人は、まだ捕まってないそうですね。私も微力ながら犯人逮捕のお力になりたいのですが。お教え願えませんか。
 事件当日、義行さんは、ずっと、ほら穴の入口を見ておられたんですよね? 近づいていく者はいなかったんですか?」

 義行は嘆息とともに、うなずいた。

「悔しいが、見なかった。だが、あいつに決まっとるんだ。あいつなら、あのへんの地理は、なんでも知ってる」
「……蒼太くん、ですね?」

 義行は思わず、感情がたかぶり、本音をもらしてしまったのだろう。ハッとわれに返り、口をつぐむ。

「すまんね。もう出にゃならん」
 あわてて、外へかけだしていく。

 賢志はあきらめなかった。
 今度は絢子に焦点をしぼる。

「島の人たちは、みんな、あの子が咲良さんを殺したと思っているって、ほんとですか?」

 たずねるが、絢子は押しだまっている。
 十数分が経ち、あきらめて立ちあがった。

「ご心痛のところを、あれこれと申しわけありませんでした」

 すると、玄関口まで見送りについてきた絢子が、ぼそりと言う。
「ミキさんに聞いたら、どうかねぇ。あの人なら、きっと……」

 ミキ——この島で、ゆいいつ居酒屋と呼べるものを経営してるママだ。賢志も何度か店で飲んだことがある。

「ありがとうございます!」

 さっそく、ミキの店へ急いだ。
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