第2話  ☆月の唄(ミステリー)前編

文字数 6,061文字




 〜忘れない。あの夜の願いを〜


 その人を見るのは、いつも夜でした。
 寝静まった街を、こうこうと照らす満月のもと。
 あるいは、いてつくように、きらめく星空のもと。

 当時、わたしは十四さい。
 重いぜんそくにかかり、いなかの祖父母の家で療養していました。学校も休学です。
 祖父母の家は昔からの別荘地に近く、とても空気の澄んだところです。

 ですから、星空の美しさは格別でした。
 夏ともなれば、天の川まで、くっきりと見渡せます。高原の景色とあいまって、その美しさは神秘的でした。

 体にはよかったのですが、なにしろ、中学生です。
 遊ぶ場所も友だちもいない。いなか暮らしは退屈でした。

 あるとき、となりの家に人が引っ越してきました。
 となりといっても、あいだに小さな林をはさんで、数百メートルは離れています。

 その家は長らく、ほったらかしの洋館でした。
 昔は大金持ちの別荘で、有名な女優や政治家が遊びにきたとかいう話です。今では、むしろ、幽霊屋敷として知られています。

 となりのオバケ屋敷に人が越してきた——!

 わたしには、抑えられない好奇心でした。
 さっそく、遊びに行きました。
 最初に行ったのは昼間です。

 ぜんそくは発作のないとき、いたって健康です。散歩に行くと言えば、いくらでも外へ出ることができました。

 となりの屋敷は外から見たかぎり、無人でした。

 ほんとに人が引っ越してきたのか、疑わしいかぎりです。唐草の鉄柵には、本物のつる草がからまり、庭も荒れほうだい。遠くに見える館に人影はありません。

 わたしはガッカリして、きびすをかえしました。

 でも、去りぎわ。
 視線をそらした瞬間に、屋敷のなかで何かが動いたようでした。ふりかえると、カーテンがゆれています。

 もしかして、誰かが、あそこから、こっちを見てたのかも?

 気になりましたが、日が暮れてきました。
 祖父母が心配するので、わたしは、いったん帰り、夜を待ちました。

「サヤちゃん。今日は、となりのお屋敷、見にいってたでしょ? あそこには、伯爵さまが住んでたのよ。おばあちゃんが子どものころの話だけどね」

 夕食の席で、祖母は、なつかしそうに、そんな話をしていました。とってもイケメンの伯爵で、子ども心に胸がときめいたものよ、とかなんとか。

「へえ。そう」

 なんて気のない返事をしていたけど、内心は興味津々でした。

 じゃあ、その伯爵さまが帰ってきたのかな?
 だとしたら、残念だけど、すごいおじいちゃんね。
 そんなふうに考えて。

 真夜中。祖父母が寝入ったころに、わたしはこっそりベランダから外に出ました。
 月が怖いくらい明るい夜です。もうじき、満月なんだなと、なんとなく思いました。

 洋館に近づくと、ドキリとしました。
 明かりがついている。
 やっぱり、誰か住んでるんだ。
 二階のカーテンが、ゆれていました。

 ながめていると、とつぜん、背後から——

「こんばんは」

 わたしは「わッ」と声をあげて、とびあがりました。
 くすくす笑い声。
 ふりかえると、二十歳くらいの青年が立っていました。
 月光のなかで初めて、その人を見たとき、わたしは、これが、ほんとに生きた人間なのかと圧倒されました。

 美しい——

 容姿は完ぺきに整っています。
 洋風の、目鼻立ちのくっきりした、美青年。

 しかし、ただ美しいというのではなく、何か異様な存在感がありました。
 それは満月の夜にだけ咲く花のような、どこか物悲しい美しさ。

「君、昼間も見てたね」と、彼は言いました。

「ごめんなさい。となりに人が引っ越してきたっていうから。友だちになれないかなって」

 わたしが、あんまり図々しかったのか、彼は笑いました。

「素直な子、嫌いじゃないな。おれは、マヒロ。君は?」
「サヤ」

 マヒロとは、すぐ友だちになりました。
 まるで世界に二人だけしか存在しないかのように。

 でも、なぜか、いつも会うのは夜ばかり。
 昼間に遊びに行っても、誰の返事もありません。
 夕暮れ時に、屋敷から飛びたつコウモリや、庭をかける黒い犬は見ましたが。

「ねえ、マヒロ。マヒロって、昼間は働いてるの? お屋敷、誰もいないね。そのわりに、朝から誰も出てく人がいないんだけど」

 マヒロは考えこみました。
 そして、真剣な顔で、こう打ちあけました。

「じつはね。おれは病気なんだ。先天的な遺伝子異常で、治しようがない。君、知ってるかな。紫外線にあたると皮膚が炎症を起こす病気」
「知ってる。ブラピがデビュー映画でやってた。いっつもボディースーツとマスクで、全身、おおってね」
「その映画は見たことないけど、たぶん、それ。だから、昼間は外に出られないんだ」

 ギュッと胸がしめつけられました。
 こんなに美しい人が、陽光のなかを歩けない。
 それは世界の素晴らしさの半分を生まれつき失っているということ。

 わたしの顔をのぞきこんで、マヒロは言いました。

「でも、気にしてない。おれ、好きだよ。この月も、星も。夜風も。夜は、おれの世界だ」

 わたしたちは杉の大木に、もたれて、くちづけをかわしました。わたしにとっては、最初のキス。

 そのとき、わたしは気づいていました。
 マヒロのついた嘘に。
 だって、くちづけすれば、心臓はかさなるものですから……。



 *

 そのころでした。
 わたしたちの街で、奇妙な事件が起こったのは。
 小さな子どもや、女の人が謎の病にかかりました。

 原因不明の貧血です。
 突発的に血液が欠乏し、かるい記憶障害におちいる。重度の場合は、何日も眠ったまま目をさまさない。

 そんな病気です。

「風土病だねえ。大昔にも、はやったんだよ」と、祖母は言います。
「貧血が風土病なんて、聞いたこともないよ」

 わたしは反論しますが、ガンとして祖母はゆずりません。わたしが強情なのは、きっと祖母の遺伝だなと思いました。

「おばあちゃんが子どものころにも大流行したんだよ。あのころは大勢、学者が来て、いろんなとこを調べていったっけねえ」

「へえ。そうなんだ」

「そういえば、この森には吸血鬼がいるんだ、なんて言ってた学者さんもいたねえ。街外れにある赤い屋根の一軒家。あそこに住みついてねえ」

「森岡さんって表札のうちね」

「そうそう。森岡先生。あの先生も、すっかり年だろうねえ。前は、よく見かけたけど。奥さんが早くに亡くなってねぇ。孫のミカちゃんは高校生だったかねえ」

 森岡ミカ——

 その人は知ってます。
 いつも自転車に乗って通学するのを見かけます。

 わりと美人で、幼なじみらしき高校生男子を、下僕みたいに従えてる姿が印象的。
 いえ、その男子(たしか、コウジと呼ばれてた)だけじゃないみたい。つねに友だちといっしょで、華やかな空気を持っています。

「ふうん。あの人のおじいさん、学者なんだ」

 でも、わたしには関係ない人たちだ。
 わたしは病気が治れば、両親のもとへ帰るし。
 それに、わたしの友だちは、マヒロ。
 マヒロさえいればいい。

 ところが、そうも言ってられない事態になったのです。

 それは、祖母と話した数日後のことでした。

 いつものように、こっそり窓から、ぬけだして、お屋敷に行くと、唐草の鉄柵のあたりに、マヒロが立っていました。

 マヒロは一人じゃありませんでした。
 ミカさんと二人。
 抱きあって、くちづけているのです。

 わたしは立ちつくしました。
 ショックのあまり、何も言葉が浮かんできません。

 しばらくすると、マヒロはミカさんを離しました。

「さよなら。もう、お帰り」

 マヒロがささやくと、ミカさんは人形みたいに従順に帰っていきました。ふらふらして、ちょっと、ようすが変でした。

 ミカさんが見えなくなるまで、マヒロは見送っていました。そこで、ようやく、わたしに気づきます。

 一瞬、ハッとしましたが、すぐに、ほほえみました。
「やあ」と、ふつうに話しかけてきます。信じられません。

「マヒロ。あの人と、何してたの?」
「ヒ、ミ、ツ」
 平然と言って、ふふふと笑う。

 そんなマヒロが憎たらしいはずなのに、わたしの胸は、さらに熱くなるのです。
 困ったことです。
 なんで、こんな人を好きになってしまったのか。

 わたしは、まだ幼かったので、感情をそのまま、マヒロにぶつけました。
「あの人じゃないと、ダメなの? わたしじゃダメなの? ねえ、マヒロ。言ってよ。わたしだって、あなたのために——」

 マヒロは長い指のさきで、わたしの口を、ちょんと押さえました。キザなしぐさが、とにかく、マヒロには似合うのです。

「それ以上、言ってはダメだ。いっしょにいられなくなるよ」

 やっぱり、そうだ。
 思ってたとおりだ。
 わたしは確信しました。

「わかった。もう言わない」
「ありがとう。ほんとに好きなのは君だけだ。だから、君には何もしない」
「ねえ、マヒロ。わたし、大人になったら、きっとまた、ここに帰ってくる。だから、そのときには……」
「そうだね。そういうのもいいかもね。おれは長いこと一人だったから」

 マヒロの瞳は、とても悲しそう。
 まるで何千年も一人、さまよってる人みたい。

 わたしは、とっさに思いつきを言いました。

「ねえ、知ってる? マヒロ。この街の言い伝え。満月にね。百回、お願いすると、かなうんだって」
「満月に? ふつうは流れ星じゃない?」

「この街では、満月なの。もちろん、一晩じゃダメ。百回、違う日の満月にお願いするの」
「初めて聞いたな。そんな言い伝え」

「ねえ、二人で、お願いしようよ」
「いいよ。なんて?」

「わたしたちの信頼が永遠に続きますようにって」
「愛じゃないんだ?」

「ほんとの愛は信頼がないと成立しないんだよ」
「女の子だね。愛の真理を悟ってる」
「おばあちゃんが言ってた」

 マヒロは笑いました。
「いいよ。お願いしよう。今夜のあの月に」
「約束ね。百回、お願いしたら、また会おうね」

 なんで、そんなことを言いだしたのか。
 なんとなく、予感があったからかもしれません。

 マヒロが、わたしのもとを去っていくような予感が……。



 *

 翌日でした。
 ミカさんの遺体が見つかったのは。

 わたしは、ちょくせつは見てません。
 でも、街じゅう、そのウワサで持ちきりでした。
 新聞にも載ったし、テレビニュースにもなりました。
 それによると、ミカさんは全身の血が流れて失血死していたそうです。自宅近くの森のなかで亡くなっていました。

「いやだね。怖いね。おばあちゃん、森岡さんちに、お悔やみに行ってくるからね」と、祖母が言うので、わたしもついていくことにしました。

 赤い屋根の大きな家。
 お屋敷ってほどじゃないけど。
 広い家のまわりには、近所の人や弔問客や、報道陣が、つめかけていました。
 わたしみたいな子どもが歩きまわっていても目立ちません。高校の制服をきたミカさんの友だちも、たくさん集まっていたからです。

「信じられないよ。ミカが死んだなんて」
「なんで、こんなことに……」

 なげく高校生のなかに、わたしは見知った顔を発見しました。コウジっていう人です。見るからに顔色が悪い。それに、妙にまわりを気にしてオドオドしています。

 わたしは、あの人が、ミカさんの死について、何か知ってるのではないかと思いました。
 なんとかして、話が聞きたい。
 そう考え、近づいていきました。

「こんにちは。ちょっと、お話いいですか?」
「誰? あんた」
「わたしのことはいいんです。それより、聞きたいんですけど。もしかして、昨日の夜、何か見たんじゃないですか?」

 図星です。
 一瞬で顔が、こわばりました。

「な……なんだよ。おまえ。サツのまわしもんか?」
「そんなんじゃないです。昨日の夜、外を歩いているミカさんが窓から見えたんですよね」

 わたしはウソをつきました。
 見たのは、窓からじゃないんですが。

「もしかしたら、コウジさんも歩いてませんでした?」
 いつも、下僕のように、女王さまに、つきしたがってたから、さぐりを入れてみます。
 あきらかに、コウジさんは身におぼえがあるようです。
 うつむきつつ、そわそわして落ちつきがありません。

「べ……べつに、つけてたわけじゃないからな。たまたまだよ」
「つけてたんだ。ミカさんのこと」
「ち、違うよ。途中で、すれちがっただけ。ちょっと話して、すぐ別れたんだからな」

 わたしは思いきって、たずねました。
「そもそも、コウジさんとミカさんって、つきあってたんですか?」

 コウジさんは、プイっと、そっぽをむき、
「関係ないだろ」
 言いすてて、逃げるように、友だちのところへ行ってしまいました。

 あまり話はできませんでしたが、少しわかったこともあります。

 たぶん、コウジさんはミカさんのことが好き。
 しかも、一方通行。
 昨夜はミカさんのあとをつけていた。
 そのとき、何かを見た。

 もしかしたら、マヒロとミカさんが抱きあっているところを見たのかもしれません。

(もし、そうなら、絶対、問いつめるよね?)

 片想いの人が、べつの男とキスしてるんだから、何も思わないわけありません。
 わたしなら、そくざに、ちょくせつ聞いちゃう。
 昨日、そうしたみたいに。

 でも、コウジさんは、そういうタイプじゃないのかも?
 聞きたいけど、聞けない……そんな人なら、どうするのでしょう?
 追いかけていって、いきなり、背後からなぐりかかる……とか?

(まさかね)

 そのあとは、ずっと友だちといっしょだったり、遺族の人と話したりして、コウジさんは、わたしをさけてるようでした。

(あれが学者のおじいさんか)

 コウジさんとも長々と話して、けっこう親密なのかもしれません。
 いったい、何をあんなに熱心に話してるんでしょう?
 気になって、しかたありません。

 わたしは近づいていって、柱のかげから盗み聞きしました。ちょっと行儀は悪いけど、マヒロのこと告げ口でもされたら、大変ですから。

「この森には吸血鬼がおるんだよ。ミカは吸血鬼にやられたんだ」

 おじいさんの声が聞こえて、わたしの胸は早鐘を打ちます。

 コウジさんは、うつむいて、何か言いました。
 でも、声が小さくて、よく聞こえません。
 それを押しふせるように、おじいさんは続けます。

「伯爵が帰ってきた。あのころと同じ顔。あいつは、まったく年をとってない。思ったとおりだ。あいつが…………だったんだ」

 最悪です。

(やっぱり、コウジさんは昨日、マヒロとミカさんが二人でいるところを見たんだ)

 二人はまだ話していました。ぼそぼそと声が小さくなって、ほとんど聞こえませんでしたが。
 ただ、このひとことだけが、やけに、はっきり聞きとれました。
 今夜、たしかめに……と。

 このこと、マヒロに知らせなくちゃ。
 わたしは、いてもたってもいられなくて、急いで、うちに帰りました。

「マヒロ! マヒロ! 出てきて。大事な話があるの」

 お屋敷の前で呼んでみたけど、返事はありません。
 昼間は出てこないんだと、わかってはいたけど……。

 しかたありません。
 夜を待つしか方法はないようです。
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