第20話 散る音を聞く(現代ドラマ)前編
文字数 4,497文字
〜桜幻想〜
始まりは桜の木の下。
君と出会った。
十二の春。
*
おれのうちは、いやになるほど山奥にある。
かなりの旧家で、古い日本家屋のまわりは桜の森だ。
親父は、ひどい男だった。
何人も愛人を作り、強引で
母は心労のため、若くして亡くなった。
だが、親父が敏腕だったのは、たしかだ。
先祖伝来の山を売り、バブル期に株や投資で、さんざん稼いだようだ。しかも二十億と上限を決めていて、資産がそれを超えると、株を売りはらい、この山奥の実家にこもった。
なんていうか、やたらに鼻のきく男だった。
少年時代は、そんな父に反発した。
家を出て、地元の中小企業に就職した。
が、父が余命一年と聞いても実家に帰らず、死に目にさえあわなかった罰だろうか?
まだ、二十代だというのに、おれは親父と同じ病にかかった。肺の病巣の摘出手術をしたものの、再発の可能性がある。
しかたなく、おれは仕事を辞めて実家に帰った。
この屋敷に戻るのは何年ぶりだろうか。
おれは実家が嫌いだった。
親父のせいもあるが、それだけではない。
なんとなく、ここにいると、気分が悪い。
だから、ずっと近寄らなかったのだが、ひさしぶりに帰ると、母の違う妹の千春が、まめに世話してくれた。
おれが病気だからだろうが、その感じは、とても、なつかしい。まるで、母が帰ってきたようだ。
「
なんとなく、退屈しのぎに蔵のなかを物色していると、千春がやってきて、扉のところから問いかけてきた。
医者は動物性のタンパク質はひかえるように言ったが、おれは気にかけていない。どうせ、死ぬときは死ぬだろう。とくに長生きしたいわけでもない。
「ああ。いいよ」
おれは生返事をして、物色を続けた。
「暗いんじゃない? 懐中電灯、持ってこようか?」
「いや、いいよ。もう出るから」
そのとき、おれの足元に本のようなものが落ちてきた。ひろいあげると、それはアルバムだった。
(アルバムか。母さんの写真でもあればいいな)
ひらひらとめくる。
子どものころのおれや千春の写真だ。
入学式や体育会のリレーの写真なんかもある。
(へえ。なつかしいな)
次々にめくっていくと、変な写真を見つけた。
おれと千春と、もう一人、誰か。
三人で写した写真だ。
家の前の桜の木の下で撮られている。
だが、三人めのところだけ、ヒトガタに切りとられている。アルバムの下地の黒い紙が見えていた。
おれは長いこと、その写真を見つめていたらしい。
なぜだろうか?
黒いヒトガタをながめていると、魂がその漆黒の内に吸いこまれていくような気がする。
「兄さん。どうしたの?」
千春に声をかけられて、我に返った。
「なんでもない」
答えたものの、なんでもないわけじゃなかった。
たぶん、それが原因だったのだろうから。
その夜、ふしぎな夢を見たのは……。
*
夢? それは——
それとも、おれの病んだ心が見せた幻影だったのだろうか?
深夜に目がさめると、誰かに呼ばれている気がした。
しょうじをあけると、月が明るい。
満開の桜が、ほの白く闇に浮かんでいた。
誘われるように、ふらふらと歩いていった。
行ってはいけないことは、わかっていた。
なぜなら、そこは、おれが死体を埋めた場所だから。
あの日。
誰にも見つからないように、君の死体を埋めた。
おれは君を殺したんだ。
だけど……君って、誰?
声なき声に導かれていくと、思ったとおりだ。
森の奥。ひときわ美しい花を咲かす大木がある。
呼んでいるのは、この木だ。
その木の前に立つと、地面に、ぽっかりと穴があいていた。
しゃがんで、のぞきこむ。
穴のなかに、キラリと月光を反射して、一対の目が光っていた。
サッと白い手がのびてきて、おれの胸ぐらをつかむ。
あっというまに、おれは地面の底にひきずりこまれていた。
つかのま、意識が遠くなる。
気がつくと、おれの実家に似た、古い日本家屋のなかにいた。
目の前に、桜模様の小袖をきた人がすわっている。
少年だ。十六か十七だろうか。
あまりにも美しいので、最初は少女かと思った。内から輝くような白い肌に、ぬれたような黒い瞳。
つややかな黒髪は、前髪が、やや長め。
「君は……?」
なんだろう? 彼を見ているときの、この不安な気持ち。
胸の奥がしめつけられるように痛い。
「わたくしは、散る桜。この社に仕える精霊です」
社? ただの老朽化した屋敷に見えるが……。
すると、おれの心を読んだように、散る桜は言った。
「ここは地獄の入口を守る社です。罪人は地獄へ堕とされます。あなたも、ここへ来てしまったからには、ご自分の罪と向きあうのですね」
くすっと笑って、散る桜は小袖のすそをひるがえし、ふすまをあける。
ふすまの外は、あたりまえなら、ろうかだ。が、ここでは、そんな常識は通用しないようだ。
ろうかがあるはずのところには川があった。
小さな木の舟が
「では、また、のちほど会えるといいですね。お命があれば、いずれ、また」
舟が動きだす。
ゆったり手をふる散る桜の姿は、みるみる下流に流され、闇になかに見えなくなった。
「なんなんだ。ここは」
ため息をつきながら、おれは天井を見あげた。出口は……ない。どこにも入ってきた穴らしきものがない。
(おれの罪と向きあえって? じゃあ、それをあばかないと、ここから出られないってわけか?)
しょうがないので、川とは別の方向のふすまをひらいた。
カラリと、ふすまをあけると、散る桜がタタミの上に、きちんと正座していた。
ついさっき、命があれば、いずれ、なんて言っていたくせに、ずいぶん早い再会だ。
だが、さっきの散る桜とは少し違う。
もっと、幼い。十さいくらいだろうか? 小学校の制服らしき黒いブレザーをきている。
「初めまして。お父さん。お兄さん。可愛がってくださいね」
ブレザーがスカートじゃないから、男なんだと、かろうじてわかった。
不安そうな目をして、ひきつった笑顔で、こっちを見あげている。
呼ばれて座敷に来たおれは……どうしたんだっけ?
「おまえなんか知らない」
言いすてて、縁側から、とびだしていった。
桜の森に走っていった。
そうだ。まだ、母が死んで、ひとつきも経たないときだった。
「千尋。おまえには弟がいたんだよ。仲よくしてやれ」
そんなこと急に言われたって、どうしたらいいのか、わからない。
だって、そいつは“あいじん”の子だろ?
お母さんが毎日、泣いて、泣きつかれて死んでしまったのは、あいつのせいなんだろ?
もちろん、仲よくなんてしなかった。
あいつや、新しく来た“お母さん”と仲よくすることが、母に対する裏切りだということは、まだ十二さいのおれにも、理解できたから。
家に居場所がなくなった。
もともと、父は、おれには厳しかった。
なのに、“あいじん”だった“ままはは”や、あいつのことは、やけに可愛がった。
母のいなくなった屋敷のなかでは、誰もおれを気にかける者はいない。
いつも、桜の森のなかで、一人で遊んでいた。
学校も居づらくなった。
おれと、あいつは同じ学年だったからだ。
おれは九月生まれ。あいつは二月生まれ。年は一つ違いだけど、あいつが早生まれだから、学年は同じなのだ。
しかも、いなかの学校だから、学年にクラスが一つしかない。
あいつは顔が
クラスの連中は、すぐに、あいつを仲間として受け入れた。ただの仲間としてじゃない。クラスのリーダーとして。
「ヒロくん。〇〇って、おまえの弟なんだろ?」
「あんなやつ、弟なんかじゃない! ただの“あいじん”の子だ!」
あいつをチヤホヤする連中にも、おれの居場所をうばったあいつにも、何もかも腹が立って、叫んで教室を出ていった。
以来、小学を卒業するまで、クラスの連中とは口をきかなかった。
(おれって、子どものくせに意思だけは硬かったんだよな)
笑っていると、ふすまが勢いよくひらいた。
怒った顔で、散る桜が立っている。
いや、ふつうのTシャツをきてるし、散る桜ではないのかも? 大人の“あいつ”だ。
「あんたのせいで、僕は、どこ行っても愛人の子どもだって後ろ指さされてたんだよ!」
「おまえは存在するだけで、おれの母を苦しめたんだ」
「僕だって、自分で望んで生まれてきたわけじゃない!」
あいつがつかみかかってきたので、もみあいになった。力では、だんぜん、おれのほうが強い。
座敷のなかを無言でころがりまわりながら、なぐったり、なぐられたり。
気づくと、おれは、あいつの首をしめて殺していた。
桜だ。桜の下に埋めないと。
ふすまを次々あけて、探しまわると、大広間のなかに桜が咲いていた。タタミをつきやぶり、天井いっぱいまで枝をのばしている。ピンク色の花が、ハラハラと散る。
根元に大きなシャベルが一本、なげだされている。
鉄製の雪かき用の頑丈なやつだ。
おれは、ただ黙々と土をほり、そこに、あいつの死体を埋めた。
「もう生き返るなよ。おまえには帰る場所なんてないんだ」
だって、おれは長男だからな。たとえ、親父の可愛がってたのが、おまえだとしても、あの屋敷はもう、おれのものなんだ。
青ざめた死体の目があいて、
おまえは、ここで桜になれ。
桜の肥やしになって、毎年、きれいな花を咲かせればいいだろ? それが、おまえには似合いだよ。
土の上にタタミをかぶせると、もう、そこに死体が埋まってるなんて、誰にもわからない。
安心して、すわりこんだ。
急に笑いたくなった。
こんなにカンタンなら、もっと早くに、こうしたらよかった。
おれは出口を探して、次のふすまをあけた。
いくつも座敷ばかり続く屋敷だなと思っていたが、そこは座敷ではなかった。
ふすまをあけたさきは納戸になっていた。
バシバシと変な音がしている。
それに、泣き声も。
「〇〇! おまえは、また、あいつに負けたの? 今度のテストじゃ、あいつに負けないって言ったろ? あんたが、しっかりしないと、あたしが、この屋敷から追いだされるんだよ!」
たくさんの棚が視界をさえぎっている。
歩いていくと、奥のほうに人がいた。
ああ、あいつだ。あいつが、新しい母に
バシバシ鳴るのは、新しい母が、あいつを平手で叩く音だ。
「ごめんなさい。お母さん。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめん……」
気が遠くなるほど長い時間、あいつは自分の母に責め立てられていた。
だから?
あいつのせいでお母さんは死んだんだ。
あいつさえ生まれてこなければ、よかったんだ。
胸の奥がキリキリする。
だが、見てないふりをして、納戸を出た。