第1話  ☆ガラスの心臓(恋愛)

文字数 5,484文字



 〜十六歳の誕生日〜


 十年前、わたしは魔法使いに会った。
 魔法使いは言った。
「十六さいの誕生日に、君の心臓はくだけちる。それが、僕のかけた魔法だよ」と。

 彼の住む森には、ふだん、誰も近寄らない。
 大人も、みんな、そこには近よっちゃダメと言う。

 ずっと昔、そこにはサナトリウムがあったという話だ。
 その場所をどこかの物好きな金持ちが買いとったのだとか。

 十年前のわたしは六さい。
 とうぜん、サナトリウムなんて言葉の意味は、わかってない。
 ただ、大人が行くなという場所に、何かわからないけど、ミステリアスなものを感じていた。

 あの日は、わたしの誕生日。

 うちは共働きの核家族で、誕生日を祝ってくれる人は、誰もいなかった。
 よそのうちみたいに、お友だちを家に呼んでパーティーをひらいてもらえないことに、すねていた。

 わたしは、だから、わざと大人が行くなという森に入っていった。

 森のなかは薄暗かった。
 背の高い木々が空をおおい、どこかから不気味な鳥の鳴き声が聞こえる。

 わたしは入口で、早くも、ひるんでいた。

 やっぱり、帰ろうか。
 お母さんが六時には帰ってくるから。
 うちで、おとなしく宿題でもしてようか?
 そう思って、ひきかえそうとした。

 そのときだ。
 わたしは、彼と出会ってしまった。

 わたしの魔法使い。
 黒い髪。黒い瞳。黒い服。
 純白の肌の少年。

 彼は、わたしより、だいぶ年上のようだ。
 中学生か、高校生のお兄さん——そんな感じ。

 木洩れ日をあびて、彼はシラカバの木に、もたれていた。なんだか、日差しに溶けてしまいそうだ。

 妖精を見たと思った。

 その人が、あまりにも美しいので、物語の一場面のように思えた。

 見つめていると、彼が、わたしに気づいた。

 ゆっくり、手招きをする。

 わたしは、このとき、すでに魔法をかけられていたのかもしれない。

「こっちにおいでよ。お話をしよう」

 わたしは吸いよせられるように近づいていった。

 近くで見ると、彼は、ほんとうに美しかった。
 長いまつげが金色の木洩れ日を受け、濃い影をほおに落とす。

「君、名前は?」
「アリサ」
「アリサは聞かなかった? この森には近づいちゃいけないって」
「聞いたよ」
「じゃあ、なんで来たの?」
「だって……」

 わたしは、たどたどしい言葉で訴えた。今日が誕生日で、ひとりぼっちで家にいるのが、さみしかったのだと。

 彼は、だまって聞いていた。
 やがて、わたしが話し終えると、彼は笑った。
 どこか、さみしげな笑みだ。

「今日はアリサの誕生日なんだ。いいよ。おいで。僕のおうちでパーティーをしよう」

 彼は、わたしの手をとった。
 わたしは嬉しくなって、彼についていった。

 彼の家は、とても大きなお屋敷だった。
 もとは、サナトリウムというやつだ。
 大きな家だけど、庭は荒れていて、人影もない。

「ここが、お兄ちゃんのおうち?」
「そうだよ」
「おうちの人は?」
「いないよ」

 手をひかれたまま、門をくぐる。
 敷石された広いプロムナード。
 ニレの並木道。
 レンガ造りの建物が見えた。

 遠くのほうに男の人がいた。
 髪の黄色い、背の高い男の人だ。

「あの人は? おうちの人じゃないの?」
「あれは、エンバーマーだよ」

 もちろん、意味なんて、わからない。
 彼の口調から家族ではないらしいと思っただけだ。

「さあ、おいで。でも、ごめんね。今日がアリサの誕生日だと知らなかったから。ケーキはないよ」
「ええっ、ないのぉー?」
「次のときには用意しとくよ」
「うん」
「かわりにビスケットをあげよう。チョコレートもあるよ」
「うん!」

 わたしが案内されたのは、裏口から入ったキッチンだ。
 彼が自分でお湯をわかし、紅茶をいれてくれた。
 りんごの匂いのする甘い紅茶。
 ビスケットやチョコレートが棚のカンのなかから、とりだされる。

「ごめんね。こんなものしかなくて。お誕生日、おめでとう。アリサ」
「ありがとう」

 質素なパーティーだけど、わたしは、とても嬉しかった。
 それは、わたしの生まれて初めての誕生会。

 わたしのとなりには妖精のように、きれいな人がいる。
 それだけで、うれしかった。

「ねえ。お兄ちゃんは、なんで、こんなところに住んでるの?」
「それはね。僕が魔法使いだからだよ」
「魔法が使えるの?」
「使えるよ」
「どんな魔法? ねえ、見せて。見せて」

 彼は、いろんな魔法を見せてくれた。
 水の入ったコップをさかさにしても、水のこぼれない魔法とか。クッキーが二枚に増える魔法とか。
 白いハツカネズミが、彼の言うことをなんでもきく魔法とか。

 楽しかった。
 日が暮れるのは、あっというまだった。

 わたしたちの楽しい時間は、悪い魔女にジャマされた。
「まあ、ぼっちゃん! ダメですよ。こんなところで。早くベッドに入ってくださいまし。わたしが叱られますから」

 とつぜん、入ってきた、おばあさんの魔女に見つかった。彼は、わたしの手をひいて逃げだした。

「あいつは僕を監視してる魔女だよ」

 少し走っただけなのに、彼は青い顔で、今にも倒れそう。

「だいじょうぶ?」
「心配ないよ。まだ、そのときじゃない」

 彼はポケットからビンをだして、薬をガリガリ、かじりだした。

 わたしは、とても怖くなった。彼をかんし(かんしって、なに?)してる魔女も、彼のようすが普通じゃないのも、なにもかもが恐ろしい。

 彼の呼吸が、しだいに、ととのってくる。
 顔色も、よくなった。

「ねえ。お兄ちゃんは、病気なの? 魔法で病気を治せないの?」
「それができないんだよ。僕は見習いの魔法使いだから。でも、心臓をとりかえたら……」

 言いかけて、彼は、だまりこんだ。
 そして、急に泣きだした。

 わたしは困りはてた。
 自分より年上の人が、こんなふうに泣くなんて。

 なにをどうしたらいいのか、わからない。
 ただ、うろたえながら、彼の手をにぎっていた。

 日がかげっていく。
 赤い血のような夕日が、黒雲のなかに沈む。

 わたしは、そわそわした。
 もう帰らないと、お母さんに、しかられる。

 彼は泣きやんで、わたしを見つめた。

「ねえ、約束してよ。アリサ」
「うん。なに?」

「十年後の今日、ここに来て。そのとき、君は十六さい。今の僕と同じ年だ。そのとき、もう一度、君の誕生パーティーをしよう。今度はケーキを用意して待ってるから」
「うん」

 そわそわする、わたしの腕を、彼は怖いような強い力でにぎりしめる。
「いいね? 君に魔法をかけたから。君の心臓は十六さいになったとき、くだけちる。その魔法をとくことができるのは、僕だけだ」

 わたしは恐ろしくなって、何度も、うなずいた。

 さっきまで優しかったのに。
 今は、この美しい魔法使いが、とても怖い。

「いいね? かならず来るんだよ?」
「うん。約束するよ」
 そう言うと、やっと手をはなしてくれた。

 わたしは逃げるように走りだした。
 心臓がドキドキしている。
 怖い。

 でも、なんだろう?
 わたしの手をはなすとき、魔法使いの目が、とても悲しげだった……ような?

 すがりつくような、忘れられない目をしていた。



 *

 あれから、十年。
 今日が約束の日だ。
 わたしは十六さいになった。

 あの後、わたしは何度も、あのうちに行こうとした。
 でも、いつも、道に迷って行きつくことができなかった。
 まるで、魔女の呪いで隠されたイバラの城のように。

 あの城のなかで、あの人は今も眠っているのだろうか?

 わたしの魔法使い。
 わたしは、あの人の、ほんとの名前すら知らない。

 ただ、今になって、わかることもある。
 あのころはわからなかったことが、今なら。

 彼の屋敷が、なんとなく異様だったわけも。
 彼のとつぜんの涙の発作も。
 別れぎわ、彼が、なぜ、あんなことを言ったのか。

 ——君に魔法をかけた。十六さいになったら、君の心臓はくだけちる。その魔法をとけるのは、僕だけだ。

 彼は、わたしを待っている。
 たとえ、どんな姿になっていようと。

 わたしは森に向かった。
 今日こそは、どんなことをしても、あの屋敷に、たどりつく。そう決心して。

 すると、思わぬ発見をした。

 森のなかの道を進んで、しばらく行くと、彼と出会ったシラカバの木があった。
 その枝に白いリボンが結んである。
 昨日まではなかったものだ。
 その枝の示す方向へ歩いていった。
 少し進むと、また別の木の枝にリボンが。

 彼が、わたしを招いている。
 わたしは夢中で目印をたどっていった。

 やがて、あの屋敷についた。
 門にカギはかかってなかった。
 建物の前まで行くと、老婆が待っていた。
 あのときの魔女だと、ひとめでわかった。

「お待ちしておりました。アリサさまですね」

 わたしの胸は不安にしめつけられる。
 なぜ、ここに彼がいないのだろう?
 やっぱり、わたしの想像は当たっていたのか……。

 わたしの不安を読みとったように、老婆の目がくもる。
「どうぞ。なかへ」

 玄関から招き入れられた。
 そこは、窓の大きな開放的な造りになっていた。
 吹きぬけのホール。
 階段がある。
 手すりの装飾的な、らせん階段。

 わたしが通されたのは、ホールから、まっすぐ行ったところにある食堂だ。

 豪華なパーティーのしたくが、ととのっていた。
 大きなホールケーキも。

「ぼっちゃんが約束なさっていたそうですね。どうぞ、召しあがってください」

 わたしは耐えきれなくなって、口走った。
「そんなことより、あの人に会わせてください!」

 老婆は、また悲しげな目になる。
「そうですか。では、これを——」
 お盆にのせて、一通の封筒をさしだしてくる。

 ああ、ダメだ。
 この手紙を受けとったら、わかってしまう。
 わたしの想像が正しかったと。

 そうじゃないかと思っていた。

 エンバーミング。
 あのときは知らなかったが、それは死体を美しく保つための防腐技術のこと。
 エンバーマーは、エンバーミングの資格を持つ技術者だ。

 彼は自分が、もうじき死ぬことを知っていた。
 だから、あんなに激しく泣いたのだ。

「彼は……今、どこにいるんですか?」

 老婆は、だまって天井をさした。

 二階か。
 わたしは、さっき見た、らせん階段を思いうかべ、走りだした。

 いやだ。
 こんなお別れ、いやだ。

 あなたは、わたしに魔法をかけた。
 この十年、わたしは一日たりと、あなたのことを忘れたことなんてなかった。

 もう一度、会いたかった。会って、話したかった。
 いろんなこと。

 あなたの好きな花は、なんですか?
 あなたの好きな音楽は?
 本は何を読むの?
 ドラマとか観る?
 映画は?

 あなたの子どものころの思い出は?
 悲しかったことは?
 ねえ、あなたが、この世で一番、好きな人は……?

 あなたのかけた魔法は完ぺきすぎて、こんなことじゃ解けないよ。わたし、自由になんてなれない。
 あなたが抱きよせて、くちづけてくれないと。
 わたしの心臓は、くだけちってしまう。
 この魔法を解けるのは、あなただけ。

 わたしは、らせん階段をかけあがった。
 とざされた扉をひとつずつ、ひらいて、彼をさがした。

 彼は、いた。
 貴族の館の一室みたいな豪華な部屋の、豪華な寝台のなかに。エンバーミング処理をほどこされ、眠るように、やすらかに見える。

(彼は、時間を止めて待っていた……)

 見つめるうちに、涙がこぼれた。

 ねぇ、魔法使い。
 もう一度、目をあけてよ。
 わたしの声に応えて。
 わたしの魔法をといて。

「こんなの、ひどいよ」

 再会のときが別れのときだなんて。

 眠る彼の手を、そっと、にぎった。
 わたしはおどろいた。
 あたたかい……。

「魔法使い……」

 彼は長いまつげをゆらして、目をあけた。
「やあ。アリサ。きれいになったね。お姫さまみたいだ」

「どうして……?」
「そんな顔しないで。死んでると思った? 僕だって、おどろいてるよ。余命宣告より、こんなに長く生きられるなんてね」

 わたしは泣き笑いだ。

「じゃあ、あのおばあさん。なんで、あんなに悲しそうな顔してたの? あなたの手紙だって」
「手紙は、ずいぶん前に書いて……書き直す時間がなかった」

 彼は言った。
「明日、手術するんだ。今になってドナーが見つかって。成功率は二十パーセントだって」

 ドキリとした。
 また不安が胸をよぎる。

「そんな……」
「ほんとは、もっと低いのかもね。医者たちは僕を安心させようとしてる。希望的な数値だろう」
「それでも、受けるの?」
「受けるよ。どんなに低くても、生きる望みがあるのなら」

 彼は、わたしの手をにぎりしめる。
 あの日、別れぎわに、わたしの腕をつかんだときのように。強い力で。

「君と、生きたい」

 わたしは、ただ、うなずいた。
 生きたいという彼を止められない。

「お願いがあるんだ。アリサ」
「なに?」
「君の誕生パーティーは、あと一年、待ってくれないか? 一年後、もう一度、会おう。この屋敷で」

 それは、不確かな約束。
 守られる保証はどこにもない。
 むしろ、確率で言えば、守られない可能性のほうが高い。でも……。

 わたしは、また、この人に魔法をかけられた。
 この魔法は解けるのだろうか?

 来年の今ごろ、わたしは、どうしているだろう。

 イバラ姫のように死の眠りにつく彼のくちびるに、泣きながら、くちづけているのか。

 それとも、魔法のとけた魔法使いは王子さまになって、わたしと誕生日を祝うのか。

 どちらでもいい。
 今は、奇跡が遅すぎなかったことに感謝しよう。

「何年でも待つよ」
 そう言って、わたしは彼の手をにぎりしめた。



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