第34話 僕の恋人は白い猫(ホラー)

文字数 4,643文字


 その白猫はペットショップの店先で、ケージのなかから悲しげな瞳で僕を見ていた。

 僕はかなりの猫好きだ。これまで猫カフェや猫島や、猫の保護施設まで行って、たくさんの猫を見てきた。

 しかし、こんなに綺麗な猫は初めて見る。

 血統書付きの長毛種と言えば、ペルシャ猫が有名だが、なんだか顔つきが違う。ペルシャ猫は意外に鼻が低く、顔立ちは美しいというよりキュートだ。

 しかるに、その猫は鼻すじが通り、大きなアーモンド形の目が、とても印象的だ。青と黄色のオッドアイも、いかにも猫らしい。見れば見るほど、絶世の美女のような猫だ。

 元来、猫ってのは神秘的なところがある。

 すわっているだけで気品を感じさせる猫族独特の体形。夜に光る目。人間に見えないものを見ているような挙動。足音を立てないウォーキング。気まぐれな気質。

 それにしても、その白猫は見ためだけで、いやに謎めいていた。

 ほんとうは二千年前に魔女に魔法をかけられて、猫に姿を変えられた姫君ではないかとすら思う。

 欲しい。どうしても欲しい。
 だが、プライスを見れば、二百万円だ。
 それは一般的な二十代の会社員に、おいそれと買える値段ではない。

 僕がケージと値札と白猫を何度も見くらべていると、店員がよってきた。

「きれいな猫でしょう? 興味ありますか?」

「いいですね。次のボーナス一括で買ってもいいなぁ」と、ウソをつく。僕のボーナスでは分割しても完済までに何回かかるか。

「ちょっと抱いてみたいなぁ。相性もあるからねぇ」

 一度でいいから抱いてみたいと思った。

 営業職なせいか、口からスルスル、でまかせが出てくる。

 店員は僕の風態を検分していたが、今日は大事な商談があって、一番高いスーツを着ていた。

 問題ないと思ったのか、店員は店の奥からケージのカギを持ってきた。カチャリと音がしてロックが外される。

「気をつけてくださいね。この子、人見知りが激しいんですよ」

 女の店員がケージの扉をあけたとたんだ。

 白猫がとびだした。
 とたんに店内は大さわぎだ。
 店員が集まって、右へ左へ白猫を追いまわすが、とにかく、すばやい。見るまに、どこかへ姿を消してしまった。

 僕のせいではないが責任を追及されると困る。
 急いで、その場から逃げだした。

 ところが、店を出ると、電柱のかげから、その白猫が顔をのぞかせていた。僕を見て、ニャアと鳴く。

 なんとなく、そんな気がしていた。
 この猫は僕を待っていたのだ。

「よしよし。おいで。うちの子になろう?」

 すでに二匹、飼い猫がいるが、避妊手術はしてある。多頭飼いにはならないから問題はない。

 僕はすりよってきた白猫を抱きあげ、自宅のマンションにつれ帰った。



 *

 白猫にはスノーと名前をつけた。

 予想以上に気まぐれな猫だが、その美しさには、しばしば、ため息がもれた。ながめるだけで幸せな気分になれた。

 ただ少し、困ったこともある。

 食事をイヤがるのだ。

 先住猫のチョコと桜は、その点、手がかからない。いわゆるカリカリでも猫缶でも、なんでも好き嫌いなく食べてくれる。

 だが、スノーは新鮮な生肉以外、何も食べてくれない。生肉もよほど空腹なときに、ほんの一、二切れだけだ。

「スノー。なんで食べてくれないんだい? 死んじゃうぞ。何なら食うんだ?」

 せっかく、ふんぱつして高い牛肉を買ってきたのに、スノーは、ぷいっとそっぽをむく。可愛いだけに心配だ。

 病気なのかと思い、獣医につれていこうとしたが、やたらに勘がするどく、必ず逃げられてしまう。

 スノーばっかり、かまうせいか、チョコと桜はスノーを嫌った。スノーが来てから、妙に物陰に隠れるようになった。

 新しく来た猫に先住の猫がヤキモチを妬くのは、よくあることだから気にしていなかった。

 ところが、ある朝、想像もつかないことが起こった。

 その前の夜中、いやに室内がさわがしいとは感じていた。

 猫は夜行性だから、夜中に走りまわって運動会をすることがある。きっと三匹で追いかけっこをしているんだろうと思い、そのまま寝ていた。

 朝、目がさめると、部屋のなかは静かになっていた。

 いつもなら、お腹がへったと催促に来るチョコと桜の姿も見えない。

 ベッドの枕元には、スノーが香箱座りをして僕を見つめていた。おはよう、というように、甘い声で鳴いた。

「おはよう。スノー。今朝はごきげんだね」

 にゃーんと鳴くスノーを抱きあげて、僕は気づいた。

 スノーの真っ白な毛がぬれている。

 よく見ると、のどの下から胸のあたりまで真っ赤に染まっていた。血だ。

「スノー! ケガしてるんじゃないか? どっか痛くないかい?」

 あわてて、毛の下をさぐってみたが、傷ついているようすはない。それどころか、ゴロゴロとのどを鳴らして、なにやら満足げに見える。

「変だな。これ、血だよね? ケガじゃないとすると……」

 もしかして、ネズミでも捕まえて食べたのだろうか?

 マンションだからネズミなんていないと思っていたが、そうとしか考えられない。

「意外と見ためによらず、野生的なんだな」

 だから、ふだん、猫用のエサをイヤがるのか。おそらく、生きた獲物しか食べないのだ。

 だとしたら、これからはスノーのために、ペットショップからヒヨコやハムスターを買ってこなければならない。

「そうか。そうか。貴婦人みたいな顔して、オテンバだなぁ」

 僕は謎が解けて、ほっとしていた。

「ヤバイ。会社に遅刻する。早く支度しなくちゃ」

 顔を洗おうと洗面台のところまで行って、僕は腰をぬかした。

 ろうかに白い骨が点々と散乱している。ひとめでネズミの骨じゃないことはわかった。ネズミにしては大きすぎる。

 それに、数も多すぎた。

 もしこれがネズミの骨だとしたら、いったい何匹ぶんになるというのか?

 僕は数分、ぼうぜんとしていた。

 ミャアと可愛い声でスノーが鳴くので、我に返った。

 そして、その考えに行きつく。

(まさか……)

 まさか、この骨は……?

 ひざがふるえてきたが、恐ろしい考えを払拭するために、必死で立ちあがる。

「桜、チョコ……? どこにいるんだ?」

 今朝は起きてから、まだ一度もチョコと桜を見ていない。

 そんなバカなことがあるわけない。
 僕の思い違いだ。
 そうとも。猫が猫をおそって食べるなんて、そんなバカなこと……。

 だが、どんなにすみずみまで探しても、チョコと桜は見つからなかった。その日以来、ぷつりと姿を消した。

 *

 あいかわらず、スノーは美しい。

 前足をそろえて、小首をかしげながらこっちを見る姿には、うっとり見とれてしまう。

 あんな恐ろしいことがあったのに、僕はスノーを手離すことができなかった。

 泣きながら、ろうかに散らばった真っ白い骨をひろい集めているとき、「元気を出して。わたしがいるわ」というように、すりよってきたスノーを、思わず抱きしめた。すると、どうしようもなく心地よいのだ。

(気のせいに決まってる。こんなに愛らしいスノーが共食いなんてするわけがないんだ。きっと、これはどっかから入りこんできたイタチかなんかの骨で、チョコと桜はイタチにおどろいて逃げだしてしまったんだ)

 人間っていうのは、受け入れがたい不可思議な事実には、そんなふうに理屈をつけてしまうものだ。

 部屋は密室だったし、猫のぬけだせるような小さな窓も抜け穴もないのだが……。

 それからしばらくして、近所でいやに警察官やパトカーを見かけるようになった。

 そのころ仕事が忙しく、家に帰ってもスノーと遊んでばかりで、あまりニュースを見なくなっていたので知らなかった。が、じつは猟奇殺人が続いていたのだ。

 僕がたまたまテレビをつけて、そのニュースを見たのは、チョコと桜がいなくなってから半年もたったのちだった。

「またもや連続殺人事件です。昨夜未明、〇〇区の住宅街で一家四人が一夜にして白骨化するという怪事件が起こりました。周囲の住民は夜中に悲鳴や激しい物音を聞いたということです。警察は何者かによって一家が殺害されたと見て捜査しています」

 アナウンサーの言葉に、僕は衝撃を受けた。

(骨? 一夜で白骨化?)

 それは、あの夜と同じじゃないだろうか?

 洗われたように真っ白な骨が無数に散乱していた……。

 チラッとスノーを見ると、やけに理知的な目をして、テレビ画面を見つめている。

 いや、これも気のせいだ。猫は人間の言葉を理解しているように見えることがある。

「スノー。お腹はへってないの?」

 そっと、たずねてみると、スノーはほんのり口をあけて笑った。


 *

 なんだか、とても恐ろしいことが起こっているような気がする。

 今すぐ、なんとかしなければいけないという焦燥感にかられ、僕は、あのペットショップへ行った。スノーを最初に見かけた店だ。

 店長の顔は知っていた。何度も猫を見に行ったことがあるからだ。

 店に入ると、僕はまっすぐに店長に近づき、問いかけた。

「あの、前にここにいた、ものすごく綺麗な白猫なんですが」

 店長は暗い目をこっちにむけてくる。四十代のさえない男だが、いつにもまして顔色が悪い。

「ああ……あの猫は、もういないよ。逃げだしたんでね」

「あの猫、どこのブリーダーから仕入れたんですか?」

 店長の目がさぐるようになってくる。

「なんで?」

「いや、あの猫、ちょっと変わってたから興味があって」

 店長は、じっと僕の顔を見たあと、吐きすてるように言った。

「ひろったんだよ」
「ひろった?」

「丘の上の公園で。あの晩、UFOを見たんだよね。白銀に光る円盤。それがスゴイ勢いで丘の上に落ちてさ。でも行ってみたら、どこも異常はないし、落下したようなものもない。そこにあの猫がいたんだ」

 僕は店長の正気を疑った。あまりにも荒唐無稽(こうとうむけい)なことを言いだして信じられない。

 高価な猫を逃がしてしまって、心労で妙な妄想にでも、とりつかれたのだろう。

「そうですか……」

 話にならない。

 僕は立ち去ろうとした。

 僕の背中にむかって、店長がつぶやく。

「あんたも気をつけなよ。あれはバケモノだ。おれの両親を食っちまった。なのに、おれはアイツをすてられなかった。可愛くて可愛くて、たまらないんだ。アイツは悪魔だ」

 かわいそうに。すっかり、まいってるんだな。

 誰か店長を病院につれていってあげたらいいのに。

 そう思うかたわら、心のどこか奥底に冷たいものがある。

 冷んやりと、おののくような何かが。

「アイツは骨だけ残すんだ。真っ白い骨だけ——」

 いびつな笑い声が背後にひびいた。



 *

 数年がたった。

 あいかわらず、僕のまわりでは人が死ぬ。

 いつのまにか町は閑散としてしまった。今では、ほとんど人影を見かけない。

 ヒヨコやハムスターを買う必要もなくなった。

 エサをあたえなくても、スノーは生き続けている。

 このままでは、いつか地球上から、生き物という生き物が姿を消すだろう。

 それでも、僕はスノーをすてられない。

 いっそ、殺したほうがいいと頭ではわかっているのだが。

 僕は白い骨に埋めつくされた世界を想像する。

 そこに、ぽつんとすわる白猫の姿を。

 それは悲しいほど美しく、静謐な世界。

 そのときスノーはさみしくないのだろうか?

 ひとりぼっちでも?

 僕は、それが心配だ。

「ねえ、スノー。君は僕のことも食べるの?」

 スノーは「心配しないで。あなたのことは大好きだから、食べるのは最後よ」というような目で、僕を優しく見つめた。




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